呪文学・精霊魔法初級
翌日。その日の午前中の呪文学は二年校舎の裏側にある25メートル6コース分あるプールの前で行なわれた。しかし、全員ハラルドソン含めプールをやるような格好ではなかった。ハラルドソンはネクタイをしてスーツを着ている。
「さて、復讐から始める。まず、神の働きは言わば神からの恵みだったな。そして、精霊は神の働きであり、魔力は自身から湧き出るコトバの力であると前回説明した。さて、一年の呪文学で習ったことは覚えているかな? 真か偽かはどのように生まれたかで決まる。そして、魔法は偽であり、故に〈呪い〉であると。呪文の呪いという文字の由来になるわけだ。自然を超越するのが魔法の持つ力ならば、それは当然自然界に普段からあるものではない。神の働きである精霊と呪文というコトバの力を掛け合わせ、それをイメージすることでコントロールする術、それが魔法(規則)というものだ。そして、その力は強くそして危険故に魔法科省によって管理されている。魔法を学べるのは魔法科省によって許可されたマグメルだけだ」
厳密にはこれからはマグメルだけではなくなるんだが。
「語るよりも聞くことが大事、余計な一言は沈黙せよ、これは聖書の一節にある言葉だが、魔法はなくても人間は困らない。だが、魔法が現にある以上、我々は語り得ないものを語ることが出来る。それは超越なものだ。さて、本題に入る。水の精霊は神の働きの一つだ。一年の時に学んだルーン文字を使ったものならルーンという法則を使用し、それを応用するものだったが、精霊は場所を限定する。ルーン文字は場所を限定しない。だが、精霊とコトバを組み合わせた魔法は強力な魔法を生み出す。例えば、目の前にプールがある。深さは3メートル、これだけの水があれば大きな力になるだろう」
ハラルドソンは25センチの木製の杖を構えた。特別な素材が使われているわけではない。国産の木材であり家具にも使われるような素材だ。そもそも杖の素材にそれ程意味はない。杖は術者と精霊のつなぎ的装置だ。
ハラルドソンは呪文を唱え始めた。その言葉はどの国の言語にも当てはまらない。魔法を発案した偉大な魔法使いマグメルが記述した言語。精霊の力をおろし超越を最初におこなった魔法使い。
生徒達はハラルドソンから離れた場所でじっと見守った。
ハラルドソンの呪文の意味は
精霊よ聞くがいい。今、神の働きから解放された。神からの自由だ。そして、それは私のコトバである。神の子の働きとして精霊よ、私の意思に従え。
呪文学を学んだ生徒達は既にそれを理解していた。
ハラルドソンの呪文は静かなプールの水面に小さな波を起こした。それはプールの中心から発生する。
現象は始まった。
ハラルドソンは生徒達にプールの中を覗いてみろと言った。生徒達はそれに従いプールのそばに近づいた。すると、プールの底に何か黒い影が見えた。それは小さなエイのように見えた。だが、当然プールにエイが泳いでいる筈がない。
「水の精霊だ」
ハラルドソンはそう言った。
そう、これが精霊魔法だ。
「まだ、指示は出していない。だが、今ここで私が何かをイメージすればあの精霊はそれに従って動き出す。今日はまずここまで出来ること。出来なかった者は補習だ」
それから二年生は精霊魔法に取り掛かった。
生徒達はそれぞれハラルドソンが唱えた呪文通り唱え始める。
精霊よ聞くがいい。今、神の働きから解放された。神からの自由だ。そして、それは私のコトバである。神の子の働きとして精霊よ、私の意思に従え。
しかし、厳密にいうと人は神の子ではない。人は人の子である。神の子は神のコトバを人と繋げる橋渡しの役割がある。それがマグメルであり、それを記述した書が幾つもある。マグメルは特別な力を持っており、それが超越とされた。現にマグメルの周りには不思議な出来事が起き、マグメルはその超越を応用化させ魔法を生み出した。それが人の力にあまるものとされ罰せられるのだが、マグメルの残したコトバは残り続けた。それが記述された書であり、マグメルの友にそれは受け継がれた。
話は続く。マグメルを恐れた王はマグメルを磔の刑にかける。マグメルはそれによって亡くなるが、マグメルの友はマグメルは死んでいないと言い、マグメルに親しい人びとはそれを信じた。
それが紀元前から紀元の出来事である。
学生達の魔法が成功し、プールの中に次々と精霊が現れる。まるでそれは水の精霊を泳がせる水族館のプールのようだった。
流石、進級試験を合格した二年生だけにのみ込みは早い。
「よし、それじゃ次の段階へいこうか」
生徒達はハラルドソンを向いた。
「神、精霊、神の子のコトバ、この三位を繋ぐ力が強い程、魔法はより洗練される。コリンズ」
呼ばれたコリンズは「はい」と返事をした。
「演奏家にとって演奏で重要なことはなんだ?」
「表現だと思います」
「具体的には?」
「間違えずに弾くことは大事なことですが、音符だけ正しくてもそこからどう表現するかがとても難しく、大事なことだからです」
「魔法も同じだ。呪文のコトバだけが正しくても、魔法の性能に個人差が生まれるのはそれが理由だ。だが、精霊魔法は環境に影響される。コリンズ、音楽も同じか? 例えばチェロの場合ならどうだ」
「……同じだと思います。演奏会に出た時、ホール会場によって残響や反響が違ったりします。田舎のようなホールではあんまり反響がなかったりするような場所がある一方で都会のホールは反響が良かったりします。演奏会にとって残響などの環境は大事になります」
「残響次第で演奏は変わる?」
「はい。例えば残響が多いような場所でしたら、音と音の合間を気にします。音をクリアにする為です」
「コリンズありがとう。さて、何が言いたいのかというと魔法も気をつかうからだ。呪文に響きは重要ではないが、砂漠のような場所では水の精霊は呼べない。かといって海の場合、巨大な力の分コントロールを見失えば自分ごと力にのみ込まれるリスクがある。神の働き、自然エネルギーというべきか。それを侮ればそれは死に直結すると思え」
実際、戦争で魔法が使われた時に無謀な力を魔法で操ろうとして、術者と仲間諸共大きな犠牲を出した事例がある。それは彼らも学ばなければならない。
魔法はそれだけ危険なものなのだ。
「それじゃコリンズ、プールの中にいる精霊を圧倒してみろ」
いきなりのハラルドソンの命令に皆は一瞬思考が停止した。だが、コリンズは止まらずチェロを弾き始めた。
アップテンポで始まるったコリンズのチェロはプールの中を素早くかき混ぜ、すっかり油断していた学生達は初動を遅れ、プールの壁に自分の精霊がぶつかり、コントロールを失った他の精霊と衝突した。コリンズの精霊の動きに対応出来たのは十数名。コリンズはまだ止めない。今度はチェロにドラムを混ぜる。波打つプール。音はそのままプールを振動させた。まるでプールの中では洗濯の次に地震が起きたように、それに巻き込まれた精霊は次々と泡となって消えていく。コリンズの演奏のそれは洗練された才能の化身。ただ、奏でるのではなく、音楽として圧倒していた。
だが、それに合わせてきた奴が一人現れた。アレクスだ。
鍵盤の音楽がコリンズに合わせることで、対立ではなく激しく動くプールに彼の精霊は身を任せた。
二人の息は見事に融合した。
「よし、そこまで!」
そこで音楽は止まり、プールも静かになった。さっきまでプールの中にいた精霊は二つになっていた。
「今日の授業はここまでだ」
その直後、鐘が鳴り響いた。
その日の授業は終わり、職員室に戻ると見知らぬ顔の人物がスーツ姿で段ボールから荷物を取り出す作業をしていた。
「あなたは?」
老け顔っぽい男性、髪は短く後ろは刈り上げられてある。髭はなく、眼鏡を掛けていた。その姿を見てハラルドソンは思い出す。
「確か」
「教育実習生のハウザーです。ハラルドソン先生ですね? ご指導のほどこれから宜しくお願いいたします」
見た目は老け顔だが自分より一つ上の人だ。
「まだ、実習日じゃなかったと思ったが?」
「はい。今日は荷物だけ持って来ました。教頭先生から既にこのデスクを使うよう言われています」
それは自分の隣の席だった。
「呪文学の教師を目指しているとか?」
「はい。というより、魔法科省のほとんどは呪文学が得意ですから、私も得意分野を目指そうと思ったしだいです」
魔法科省……出世争いの巣窟と呼ばれる場所にいたのだから、優秀なのは分かる。
「期待している。それと、堅苦しくしないでくれ。恐らく、教えることはほとんどないよ」
「そう仰らずどうか宜しくお願いします」
こういうのは苦手だった。自分より優秀だと分かる人物にものを教えるというのは。