リード先生
【登場人物】
ハラルドソン……主人公、一年担当教師
ラングレ ……一年担当教師、魔法史担当
リード先生 ……教授だったがトラブルにより二年担当
教頭 ……マグメルの教頭
魔法学校に新任してから約一ヶ月が経った頃、一年校舎の職員室に珍客が現れた。銀蛇の杖にブランドものの紳士服を着てオールバックした白髪の男性、その背筋は真っ直ぐで立派な白い髭を生やしていた。その顔を忘れもしない。私は驚いて席を跳ねるように立った。
「リード先生!?」
「君が今年から一年を担当することになった先生かね? おや、誰かと思えば君か」
「ご無沙汰しております」
「なら私から言うこともないな」
「はい?」
「君だからといっても試験を甘く見るつもりはないからな」
それは新任として自分が試される試験かのような緊張感を与える先輩からの圧を感じ取った。
「はい」
「なんだ、弱音を吐かないのか。面白くないな」
「先生のことはよく覚えていますので」
「なるほどな。邪魔した」
そう言うとリードは踵を返し去っていった。
基本、一年の校舎にこうして他の学年の教師が現れることはない。つまり、このイレギュラーには意味がある。単に意地悪をしに二年の先生が現れたとは思えない。つまり、リード先生なりのヒントを新任には与えようとしたが、それが私だったので引き返したといったところだろう。予想通りなら、私は既にそのヒントを学生時代に教わっているということだ。なに、たいしたことではない。私は既に見当がついている。問題は受験するのは私でなく生徒だということ。彼らには試験までにそれが出来るようにしなければならないし、私はそこまで導かなければならない。
「やってやろうじゃないの」
その日の実技は地面が土の校庭で行われた。生徒が等間隔に集まると、そこでまず水魔法で空中に立方体をつくるよう指令を出した。これは魔法の基本の中でも初歩〈造形〉の過程だ。そこに体積を指定した。全員が立方体をつくると、次にそこから長方形、円柱、円錐を指示していく。集中力に欠ける奴はそこで水をこぼし、地面が濡れて湿る。こぼした分、水は減っていく。
「この程度も出来ないなら試験は諦めるんだな。本当に三年も留年したようには思えんぞ! 出来るまで練習しろ!」
スパルタに次々と指令を出し、一時間。これで全く水をこぼさなかったのは二万人に対して千人いくかいかないかだった。
長年留年する奴は正直端から期待はしていない。
「悪いことは言わない。出来ない奴は諦めて退学届を出して辞めるんだな。こんなこと言う教師は今までいなかっただろうが、何年も留年して親の金を無駄にするような奴は俺は嫌いなんでね」
俺はそう言い捨てると校庭をあとにし校舎へと戻った。
それから暫くスパルタが続き、その間に生徒は次々と去っていき、気づけば数千人が消えていた。
「随分と辞めていきましたね」と職員室でラングレは私に言った。
「そのようですね」
「あの、先生のスパルタが妙な噂になっているのご存知ですか? 鬼の教官と言われてます」
「鬼? それなら随分前の教師に甘やかされてきたんでしょう。それだからいつまでも進級出来ないというのに、彼らは自分に甘すぎる」
「ですが一部の生徒からはこれほど本気で自分達と向き合ってくれる先生に尊敬を抱く生徒も出てきています。先生は凄いです」
「私は単に彼らを本当に進級させようとしているだけです」
「それは分かります。しかし、今の生徒達は〈心象〉についてだいぶ苦労しています。意識して〈心象〉するのは普段していない分上手くいかないのだと思います。ほとんどが〈心象〉を考えたことがありません」
「そうでしょう。私も魔法がなければ日常においてそうイメージはしなかったでしょう。赤い林檎をどんな赤なのか(濃さや艶など)わざわざイメージしないように。しかし、彼らが魔法を学ぶなら意識してイメージをしてもらわなければ上達は厳しいでしょう。普段から魔法に関わらずその訓練をさせていますが……正直どうでしょうね」
いくら魔法でも彼らのレベルでは魔法に出来るイメージはたかが知れている。例え進級試験に合格しても、それで満足してもらわれては困る。魔法習得の道のりはこれからが長いのだから。
「そう言えば今日の新聞見ましたか?」
「えぇ……国防総省の元長官の暗殺事件ですか」
「はい。元とはいえ前任の長官です。なんだかきな臭いです」
「おまけに各国の外交官が頻繁に会談していた。表に出ないところで何かあるかもしれないですね」
まさか、この平和に亀裂が出来たのだろうか? 長い平和ですっかり人は戦争を克服したのだとばかり思っていたが、それは誤解だったのだろうか。長い夢だとしたらその夢から覚めたくはないものだ。
次の日。
この日の実技も校庭で行われた。
「前回の復習だ。前回は論理は形而上学を語れないのに対し、魔法はイメージによって呪文を唱えると話した。そして、イメージを皆と意図的に合わせることも可能だ。そういった統一的なものを〈型〉という。既にラングレ先生から昔の魔法戦術を教わった筈だ。陣形と型による戦法。まだ、科学が今程発展していない時代に発案されたものだ。さて、形而上学には神や精霊の存在があるわけだが、それは魔法によって顕現可能だ。例えば死の精霊は死神のような見た目をしており、死者を動かし操作する。それは死の〈偽り〉だ。このタイプの魔法を〈神偽〉と言うんだったな。上位魔法には主に三つのタイプがある。残り二つは〈偽存在〉と〈偽宇宙〉だ。君達一年がやっている魔法は下位魔法と呼ばれるものだ。感情がそれだ。例えば怒りという感情がある。それは破壊衝動や殺意なら魔法はそのような結果として発動する。そこで何故型が重要なのか? それは簡単な話しコントロールの問題だ。君達は今、イメージをコントロールする練習に励んでいる。感情も同じだ。コントロール出来なければ実用性はない。魔法レベル1が認定されるか否かはコントロールの精度だ。だから試験はコントロールを見る内容になっている。つまり、これが出来なければ君達の進級はない」
「先生、そうはいっても厳し過ぎます」
生徒の一人がそう声をあげた。
「それだ。君はそうやって弱音を吐く。他の生徒もだ。直ぐに自分に妥協する。だが私から言わせてもらえば君達はいったい何の為に学校に来て魔法を学んでいるんだ?」
生徒は直ぐに黙り込んだ。だが、構わず私は続ける。
「君達の中には試験官に問題がある、そう思っているんだろう。だが、今の君達のままで果たして卒業まで辿り着けるだろうか? 私はその問いに答えない。それは自分達で考えろ。さぁ、昨日の続きからだ。まずは水魔法からの立方体。大きさは前回と同じ」
その時、チェロと鍵盤の音が聞こえてきた。鍵盤からは甘く滑らかなメロディー、チェロは最初低めの音で流れるような旋律が流れた。見ればあの時放課後の音楽室で見掛けた二人だった。鍵盤のメロディーの彼はショルダーキーボードを肩掛けていた。そんな二人のメロディーから魔法が水が現れ出す。そして、それは目の前の空中にて立方体がかたちつくられた。周りの生徒達はそれを呆然と立ちつくして二人を見ていた。
私はそんな二人に「円形」と指示を出した。二人はそれを聞き、丸いメロディーを奏で始める。すると、立方体は円形へと変わり、球体となった。しかも、水一滴こぼさず。
「回転させろ。早くだ」
すると、メロディーは早くなった。水の球体も回転し出し、その回転速度が上がっていく。だが、水が飛び跳ねたりはしなかった。
「杖じゃなく楽器にしたのか」
「先生に言われて練習しました」鍵盤の彼がそう答えた。
「そうか。コントロールは出来ている。だが、的に水魔法で当てるのはどうだ?」
私はそう言いながら校庭の奥隅にある的二つを見た。二人もそちらに視線を向ける。
「分かりました」チェロの彼がそう言うと、弦を跳ねた。すると、水球から僅かな水の弾が勢いよく弾丸のように飛び、それは遠くの的の中心を貫いた。その横に、一瞬の時間差でもう一つの的が同じように貫いた。あれは鍵盤の彼だった。高いかつ短い音だった。
「なる程な」
この二人はもしかするといけるかもしれない。
「いいんじゃないの」
「本当ですか!」二人はハモった。私は「ああ」と短く肯定した。
それから次の実技から杖じゃないもので魔法を使うようになっていったのは。皆各々思い入れのある色んな楽器や道具を使って魔法の特訓をし始めた。杖よりそっちの方がよっぽど良かったのかざっと三十人はこのまま進級試験いけそうな感じだった。ただ、その噂を駆けつけた教頭が私に忠告してきた。
「私はいいが古典的な先生からは魔法使いは杖でなければならないと苦言を言い出している先生が数名出ているが、大丈夫なんだろうね」
「試験の条件に杖でなければならないという規則がないという抜け穴に生徒達が気がついただけです」
「そうなのか」
「そういえば教頭先生。リード先生が問題を起こした一件、それに関係する院生が政治家の息子だという話は本当なのですか?」
「どこからそれを!? まさか嗅ぎ回ったりはしていないでしょうね?」
「私はただ自分がクビにならないよう色々調べていったらそのようなことを知ってしまっただけです」
「リード先生が生徒達に八つ当たりしていると思って調べたのは分かるが、あの件はもう嗅ぎ回るのはよしてくれ」
「三年間進級無しだったにも関わらず試験管を変更しない理由が単に試験内容に問題がなかっただけでは納得出来ません」
「あれは既に話しただろ? 学校とは単に生徒達を進級、卒業させるだけ為にあるのではない。それに相応しい人材を育てる。この国で唯一許された魔法の教育機関、それがマグメルだ。合格させる為の試験ではない。むしろ、学校にとって試験とは政治介入も認めない公平性を保つ手段、方法であることはハラルドソン先生も理解していると思っていたが?」
「私が言いたいのは単に厳しいという理由ではありません。生徒達は進級をしようと本気で取り組んでいます。確かに彼らには甘いところもありますが、次の試験を最後にしようと今年頑張っている生徒もいるのです。私は彼らに機会がそれこそ公平性に与えてもらえたらそれ以上の要求はしません。決して。私は生徒達を信じています。生徒も今、私を信じてくれています。問題はです、リード先生とトラブルになった院生が魔法科省の長官の息子で、そこから圧力があったのではないかということです」
「妄想だな」
「えぇ、そう思いたいです。しかし、三年間二年へ進級した学生がゼロ人というのはやはり私の知るリード先生のすることではありません。リード先生は確かに厳しくて優しい先生ではありません。しかし、魔法を深く勉強し追求する研究者でもあります。同じ志を持とうとする若者をあの先生が蹴落とすような真似をするでしょうか? 私が抱いた違和感はそこにあります。生徒達も私も当初はリード先生を疑いました。しかし、それは違和感によって別の疑いへと向きました。そういえば魔法科省長官はこの状況かなりお怒りでしたね。それで学校としては担任を変更し対応したかたちをとった。魔法科省は試験内容や試験官にまでは口出し出来ない。魔法科省とマグメル、いったい何があるんです? リード先生が解雇にならなかったのも関係しているのですか?」
「話せることはない。ハラルドソン先生はリード先生から合格者を出すこと。それは最初の時にお伝えした通りです。それでは私はこれで」
教頭はそう言って私の問いには答えず踵を返し行ってしまわれた。
だが、これで確信はとれた。これからすべきことも。生徒達にはリード先生も学校を疑って欲しくはない。これは、私の仕事だ。
薄闇が夜に変わった頃、小売店の明かりは次々と消えていき、住宅の窓にはほとんど鎧戸が閉ざされていて、夜遅くまで営業している飲食店と街灯、車のヘッドライト以外には夜空に見える月と星々以外に明かりはなかった。その時刻、レストランだというのに明かりのある店が一軒あった。その店は入り口が道沿いにあり、大きな窓とそこに店の名前が書かれてあった。店内にはスーツ姿の男が三人テーブル席にいるだけで、他に客の姿はなかった。テーブルクロスの上には分厚いステーキが三人分に、グラスには赤い酒が入っていた。店の入り口にはクローズと看板が掛けられてある。
「それでどうなりましたか?」そう訊いたのはマグメルの教頭だった。その教頭の視線は向かいに座っている小太りで瀟洒なネクタイをし、メガネチェーンをぶら下げ、頭の天辺が禿で口髭を生やした60過ぎの男だった。
「ようやく財務省が首を縦に振った。これでようやく魔法学校をマグメル以外にも設立する話しが進む。中々それまでマグメル出身の派閥は伝統がどうのとか言ってマグメル以外の魔法学校を認めなかったが、流石に危機感を持ったようだな。ともあれようやくこれで魔法学校の建設計画が進む」
「その時はどうか私を」
「分かってるよ。君の働きの功績に合ったポジションを約束する。それよりリード先生の口止めにあの先生にも学校が出来たらそれなりのポジションを与えてやらないとな。名誉教授ならリード先生も納得するだろう」
「宜しいんでしょうか? 息子さんは」
「あいつは私の仕事に口は出さんよ。むしろ、目の届くところに置いておくのがいいだろう」
「確かにその通りですね」
分厚い肉をナイフで切る音と笑い声が貸し切りの店内に響いた。
その時だった。
カランカランと、店の出入り口に取り付けてある小さな鐘が鳴った。店主はなんだ? という顔をしながら奥から現れ、店の出入り口の方へ向かう。
さっきまでの男達の会話もその時は止んだ。
「今日はもう閉店です」
「それは分かっている。あの人達に用があるだけだ」
「お知り合いですか?」
しかし、男は店主の問いに無視をして店内を進む。そして、三人が座るテーブル席の前に立った。
「ハラルドソン先生! 何故ここに?」
「教頭、此方に座ってらっしゃるのは魔法科省の長官モリスさんですね。それに、長官の隣に座ってらっしゃるのは出版社K社のジャクソン社長」
「!?」
名前を呼ばれた50代社長は目を大きくして驚いた。短い金髪に結婚指輪、ブランドもののスーツ、髭を生やし、レンズの厚い銀縁眼鏡をかけ、その男からはタバコの臭いがする。一方で長官からは加齢臭がした。
「凄い面々が揃っていますが、偶然ではないのは分かっています。店の貸し切り、そこで三人が話し合っているのは利権という甘い蜜でしょう」
教頭は飛び跳ねるように立ち上がり、私に近寄って私に耳打ちする。
「どういうつもりだハラルドソン先生」
「それは此方のセリフです教頭先生。だいたい想像するに、新しい魔法学校の設立計画を企て、教頭先生はそれに一枚噛んだ。魔法科省にとっての利は天下り先といったところでしょうか? 出版社がここにいるのは、マグメルの記事より教科書の出版の権利といったところですか? 出版社を抑えることは二人にとって利がある。つまり、三人はウィン・ウィンな関係性というわけですか」
「ハラルドソン先生、何故この場所に?」
「申し訳ありません。教頭を追跡していました」
「魔法か。それは違法だぞ」
「それをあなたが言いますか」
私は教頭の目を見た。教頭の目はキョロキョロと焦りと迷いが見えた。
「これを最初に計画したのは長官ですね?」
私は長官を見た。
「やめるんだハラルドソン先生。それを知ってどうする?」
「私の願いはあなた方の告発ではありません」
「ではなんだというんだね? ポジション? それとも金か?」
「いいえ、どちらでもありません。私が求めるのは公平な審判」
「まさかそんなことでここまで来たのか!?」
「そんなことでです」
「なんだね、それは?」と長官は訊く。
「普通に進級試験をさせて欲しいという話しです」
「だが、いきなり合格者が増えてはむしろ不正を疑われるぞ」
「不正ではありません」
「なるほど、あくまで公平か。それだけなら構わない。ただし、それだけならな」
「実はもう一つあります。リード先生の名誉を回復させて欲しいのです」
「試験官を変えて欲しいということか?」教頭は言ったが、私は首を横に振った。
「試験官はリード先生で構いません。リード先生を教授として復帰させて欲しいのです」
「だが、リード先生は本来」
「構わないさ。それが君の取引なら承諾しよう」
「ありがとうございます」
「君は変わった奴だな。もっと良い要求も出来ただろうに」
「私はあなた方のように不正をして何かを得たいわけではありません。教師として生徒達を導く者として恥じないことをしたいだけです」
「それなら我々と取引せず告発することも出来ただろう」
「それでは学校や教師というものに疑心が生まれてしまう」
「あくまで公表は君も望まないというわけか。それは生徒達を騙すことにはならないか?」
「守る為に嘘をつくこともあります」
「学校とリード先生の名誉か。そのかわり、次の試験は公平にやれと。分からないのがリード先生には罪はないのか?」
「それはあなたがご存知では?」
「なに?」
「これは仮説に過ぎません、恐らく証明は無理でしょう。その上で申し上げるなら、あなたの息子は長官の言われた通りリード先生とトラブルを起こしたのでは? 何故リード先生だったのかは分かりませんが」
「たまたまだよ」
「……」
「私は先生を知らない。だから息子に選ばせた。息子はリード先生を気に入ってはいなかった。それだけだ」
「そうですか……」
それから月日が流れいよいよ進級試験の日が訪れた。
校庭に一年生全員が集められた。二万人いたのが一万弱になっていた。そして、試験官であるリード先生が現れた。リード先生は杖をつきながら生徒達の前に立つ前に私の元へまず先に寄った。
「どうやら色々と迷惑をかけたようだ」
「いえ、たいしたことはなにも」
「私は辞職することにした」
「え?」
「もう辞表を書いた。僅かであるが教え子である君を誇りに思う。ありがとう」
「先生、先生は決して悪くはありません。悪いのは」
「分かっている。だが、トラブルを起こしたのは私だ。君が守ってくれたものを私は辞することでそれを終わらせるだけだ。荷を若者にいつまでも背負わせるわけにはいかないからな。早くにこうしておけば良かった。これはけじめだよ」
そう言って私の前を通り過ぎ、リード先生は最後の仕事へ立った。
「では、試験を始める」
試験の合格者は掲示板にて貼り出された。合格者は302人。そして、リード先生は本当に学校を去った。
翌年、リード先生の辞職を聞きつけ諦めかけていた人達がこぞってマグメルに入学してきた。それは高い壁となっていたリード先生がいなくなったことでチャンスだと高を括った人達だろう。だが、合格基準は最後のリード先生による審査と変わらない。
何故なら、その次の試験官に選ばれたのが私だからだ。
【異動】
ハラルドソン、一年から二年担当。リード先生の後任となる。