魔法は論理的ではない。故に語りえる
北歴600年
東へ侵攻中の当時脅威であった帝国を相手に皇国や民主国家が立ち上がり世界を巻き込んだ大戦が起きた。特に激しい戦地となったのは帝国の本土決戦で、そこでは多くの血が流れていた。
その空は不気味な緑色が覆い言葉が響き渡っていた。それは帝国の言語でも皇国でも他の国の言語でもなかった。日常言語から掛け離れたその言葉が空に交差し響き渡るそれは各国の兵士が放った魔法の呪文であった。それが魔法として現れる時、地上にいる兵士や街へ呪いが降り注ぎ、あたりを破壊、死をもたらした。
地上には呪いが沈殿し、空気に毒をもたらし、視界は霧のように悪くなり、植物は枯れ果て、そこに兵士や民間人の死体がごろごろと出た。
その霧の街にガスマスクを着けた兵士が銃を構え侵攻する。皇国の表す黄色の獅子と青と白の横ラインが入ったシンボルが軍服に所属を示していた。
皇国兵が倒れる帝国兵の生き残りを探りながら帝国の防衛ラインを越えた。その時、不快なメロディーが流れだした。それは気持ち悪いメロディーに耳を塞ぎたくなるような嫌な音だった。空には霧の届かない辺りで白骨死体に黒装束の死神が浮遊しており、そこで古びたバイオリンを奏でていた。
そのメロディーに起こされた死人は突然次々と起き上がり、その場に立ち上がった。
皇国兵士は驚き、銃口から火を放つ。銃声が辺りに響き続けるが、何発撃ち込んでも止まらない死体は黒い血を流しながら皇国の兵士へ襲いかかった。
それから戦争は十数年続いた。その間に何度か停戦案が出され30日間の停戦も行われたが、交渉は上手くいかず終戦に至る兆しもなかった。だが、それから更に十数年後、今まで踏み込めなかった首都に皇国軍が侵攻し、炎の鳥が首都の空を覆い、それはその下の地上を燃やし、長い戦争は終結した。帝国はその後滅び、現在は皇国と他の国の領土となった。そして、平和は百年以上続き、人々の記憶から戦争が薄れていった。
そして北歴750年、現在。
いきなりだが、我々人間は言語という世界の外側に出ることは出来ない。我々は日常生活において当たり前かのように言語を使い、または記述し、またはそれを読んだりする。何かを伝える時も、何かを教わる時も、言語は無くしてはあり得ない。それは言葉を発することに限定されない。手話も文字も言語であり、何かを考える時も我々の意識から言語がなくなったりはしない。
さて、話は次の段階に移る。この世界について。結論から言うと魔法が存在する世界。そして、魔法を習う学校があり、魔法を使った仕事や、魔法に関係する法律がある。例えば、魔法は免許制であり、魔法のレベルに合わせ試験に合格する必要があり、それには魔法学校でしか免許を発行されない。そして、その管轄は魔法科学省(魔法科省)となる。
因みに学校は国立で魔法科は一校のみとなる。入学試験は無く、志願書の提出とその提出書の審査で入学が決まる仕組み。入学が決まったら一週間以内にまずは一年間の授業料を振り込むこととなっている。 (奨学金制度あり)
これは他の国立学校に比べ一番入りやすい学校であるが、問題は入学後にある。国立マグメル魔法科学校の一年生は約ニ万人。そして、進級テストに合格した現在の二年生の数は約千人。因みにここ三年間、進級出来た学生は一人もいない。つまり、二年生の千人は三年間以上進級できていないということになる。そして、一年生で進級せず退学した人数は昨年で三千人。全国で魔法免許を目指そうと年齢問わず全国から集まるが、挫折して終わることがほとんどという恐ろしい学校だった。
そして、そんな学校に私は新任教師として働くことになった。しかも、三年間に成果を上げなければクビを契約時に宣告されている。その前任教師はクビになって自分の採用が入れ替わるように決まったというわけだった。
新任は私ともう一人、身長は165cmぐらい艷やかな金髪ボブに豊満な胸、丸眼鏡をかけ、歩きやすい平底の靴に安い上下スーツ姿の25歳女性、名はラングレ。
私はというと黒髪に天然パーマ、中肉中背、30歳、背は180手前、瞳も黒い。髭は今は剃っていて(学生の時は伸ばしていた)安い上下の黒いスーツを着ている。名はハラルドソン。
そして私達二人は錆びれた四人乗り白の自動車の後部座席に並んで座っていた。道が悪いのか、車高が低いからなのか、ガタガタと大きく揺れ、その度に体が左右に揺れた。その時、相手の肩にぶつかり、私達は気不味い雰囲気に頭を下げる。
運転手はマグメルの教頭で、白髪頭に目はグレー、左手首にはホワイトの文字盤にゴールドのしたいかにも高級そうな腕時計がそこだけ輝いているように見えた。
「酷い車だろ? 公用車もいい加減買い替えて欲しいもんだが、なんせ国は壊れるまで予算が下りないもんだから、未だこんなボッコさ。わざと事故って廃車にでもしてやろうかなんて考えちゃうよ本当に」
それを聞いて私達はえ? という顔をした。勿論、冗談だろうが本当にやりそうな気が少し不安な気持ちにさせた。
この公用車は確かに生産が打ち切られたモデルの国産車。とはいえ、中々壊れない頑丈さで信頼され小回りのきく車として一時期人気の車種だった。だが、欠点といえば車内が狭く、パワーが物足りない。最近は車内はもう少し広くパワーのある車種に人気が移っていた。だから、生産も打ち切られたわけだが。
「さぁ、もうすぐだ」
教頭はそう言った。私達は前を見る。車の行く先には横に長く高い鉄筋コンクリート壁のような校舎が見えてきた。
「あれが君達の職場だ。懐かしいだろ」
「はい……でも、また増築しましたか?」
「ああ、したかもな。何回かは」
一年生は人数が多く教室が足りない為に校舎は度々増築を繰り返し、気づけばわけの分からない構造になってしまい、あの横に長ーい校舎の面積は自分がいた時は50ヘクタールあった。
海沿いに走る鉄道の駅から高台へと登っていき、途中に現れるのがこのコンクリートの壁だ。そこから先の高台は全てマグメルの敷地内になる。つまり、綺麗なブルーの海に大きな港があったり、鉄道があったりコンクリートジャングルの大都市があったり、それを上から一望出来るのがマグメルだということだ。そして、私達はその頂点を知っている。院生の城みたいな校舎があり、噴水とベンチのある庭があって、そこには偉人になろうとする卵がいる。残念ながら私もラングレも挫折したが、それでも教師になれるレベルは達した。 (教授は別だが)
「さて、心の準備はいいかね? 君達には大いに期待しているんだからね」
「はい」「はい」
三年間、それまでに二年生を百人は送り込む。これが私達に課された最低限の基準だ。これを下回ればクビ。そして、その前の三年間は進級0人。自分の代ですら毎年30人は最低でも進級していたというのにどういうことだ?
「あの、質問してもいいですか?」
言ったのはラングレだ。
「ああ、いいぞ」
「進級試験の担当はリード先生だったというのは本当ですか?」
「え!? 本当に?」
私は驚いてしまった。何故ならリード教授は自分の代の時にはマグメル最終試験(卒業試験)官であり、教授は基本院生を相手にし、その下は見たりしない。自分の研究もあるだろうからそんなことは滅多に起こらない。
「リード先生は二年生の担当だから当然試験官を担当していたよ。そうか、君達は知らないんだったね。三年前にリード先生は問題を起こして懲戒処分を受けた。それからは二年生を担当している。ん? だが何故ラングレ先生はリード先生が試験官をしていると分かったんだね?」
「三年間進級した学生がゼロだと聞いて気になって調べました。そしたら在校生が答えてくれました」
「そうか……確かにゼロが三年連続は前代未聞の事態だな。だが、試験内容に問題はなかった。一年生が習う基本的な魔法、その応用の技術試験だった。元々進級試験は魔法レベル1の認定試験でもある。簡単に合格してもらわれては困るが、リード先生は教授でもあった。魔法のちょっとしたミスを見逃さない。観察眼が鋭いリード先生なら尚更その目を誤魔化すのは至難の業。正直、一年生でリード先生から合格を貰うのは無理なんじゃないかって思っている」
「でしたら他の先生に」
「そういうわけにはいかない。君達にはリード先生から合格を貰える生徒を育てて欲しいんだ。これは校長の方針だ。リード先生が試験官を自ら降りない限り、此方から試験官を外すようなことはしない。試験官を引き受けたのはリード先生だから、このまま試験官を続けてもらう。だから君達に期待しているんだ。君達の学生の頃の成績、それを見込んでね」
期待されているのは嬉しい話だが、それ以上にプレッシャーと責任重大さが重くのしかかった。
三人の乗った車は正面玄関前で停車する。エンジンを切り、三人が車から降りると正面玄関から入り直ぐにある職員室へ入った。職員室は二つの教室分あって、この広さで一年教員が使う部屋になる。二年生から上は、二年の校舎に職員室がある。
「なんだ、誰もいないじゃないか。歓迎も無しか? 酷い先輩達で悪いね」
「いえ、大丈夫です……」
「それじゃとりあえず担当科目ね」
そう言って名簿と教材を私に、そしてラングレに渡した。
「ラングレ先生は魔法『魔法史』の担当。そしてハラルドソン先生は『魔法基礎 Ⅰ 』の担当。教室は案内するまでもないかな?」
「教室は分かります」
二つの科目の教室なら前からあるものだ。私達二人は「はい」と短く返事をした。
「宜しい。それじゃ頑張って」
教頭はそれだけ言うと踵を返して車へと戻っていった。
私達はお互い見合った。
「お互い頑張りましょう」
「はい。そちらも」
すると、鐘が鳴った。外からはエンジンのかかる音が聞こえてきた。
私達は職員室を出て直ぐの中央階段を登っていった。
この学校はおかしなところが幾つもある。例えば他の学校にはありそうな学年集会ぽいものはない。それもその筈、二万人が移動し集まるのは大変だ。だから、新任教師の紹介も無いし、入学式もない。良い点は校長の長話を聞かずに済むことだ。
おかしな点二つ目、それは教室にある。
私とラングレが2階に着くと、二人は左右に別れた。そして、階段から一番近い教室に二人はそれぞれ入っていった。
いくら魔法のある世界でも物理を無視した空間を生み出すことは出来ない。だから、必然的にこうなる。
教壇に立った私は前を見た。生徒達は既に着席している。その列の最後尾まで机が幾つあるのか、とにかく長い列が遠くまで続いていた。恐らく、一番後ろは私を認識するのも難しいだろう。席順は学年の成績順位順。つまり、先頭は進級の可能性が高い生徒だ。
学校に定員があって入学試験があるのは公平性とこうならない為にある。つまり、受け入れのキャパシティ。あとは生徒のレベルを保つ理由とかもあるだろう。学校が定員数を減らすのはその為だ。
しかし、この学校はそんなことは考えない。何故なら魔法を学べるのはこの学校のみであり、誰に対してでもその門は開かれている。開かれているが、限度というものがあるだろうが、それ以前にそもそも進級出来ないでこの学年で詰まってしまっている時点で学校は退学処分を課すなり考えるべきだろう。そうしないのは生徒は金になるからか? いや、しかし国立。実際、研究費の予算は毎年ギリギリだといつも教授が嘆く程だ。あの公用車だって。それならいったいこの学校の金はどこへ流れているのか。
私は名簿を開き、数ページもある小さな名前の欄を見て直ぐに名簿を閉じた。
「全員いるな?」
返事はない。まぁいい。進級に必要なのは出席日数じゃない。試験に合格することだ。
私はもう一度生徒達の顔を見た。この学校に制服は無い。皆、それぞれ私服だ。しかし、指定が無いとはいえ場所に相応しい格好というものがある。だが、どうもそのようには見えなかった。女ならハイヒール、男はサンダルの奴もいる。教室なのに帽子を被っている奴や、イヤホンをつけてる奴もいたり、露出多めのあまり目を向けられない格好とか、全く生徒の時と違い教師の立場から見る景色はこうも違って見えるものなのか。生徒達の年齢は様々で10代は少ない。20代~30代が半数で、あとは40代、50代で数が減っていく。
「それじゃ授業を始める。新入生もいることだろうから教科書の最初から始めるぞ」
私はそう言いながら教科書を開いた。すると、遠くの方から野次が飛んできた。
「授業なんていいから試験対策やってくれよ」
その声は中年のおっさんのような低い男性の声でよく響いた。
「試験対策は自分一人でやるんだな」
「なんだと! 皆三年進級もできていないんだぞ。他にも四年、五年の奴もいる。大事なのは試験に受かることだろ? そんなことも分からねぇのか新人教師がよぉ」
「その意見には同意しかねるな」
「なに?」
「この科目が示す名の通り、基礎という一番重要な科目だ。君達が何故受からないのか、その理由を知りたいか」
前の席にいる生徒ほどその言葉に食らいつくかのように表情が変わった。後ろの方は分からないがまだ信用していないといった感じか?
「いいか。お前達を試験に落とし進級させなかった試験官はリード先生だ。リード先生は二年の担当。つまり、進級すればリード先生に授業を教わることになる。自分はこの学校の卒業生だから分かる。二年の授業も三年の授業もリード先生の試験より難しいことが。リード先生は君達の未熟な点に気づき、不合格にしているだけだ。火の魔法ならその火の揺らめき、色、そこから魔法を使う人間の精神力が読み取れる。水なら一定間隔の放出が出来ず、途中で途切れたり、勢いが一定にならず安定しなかったり、水の温度が冷たくなったり、常温になったり熱くなったり、しかし、こんな些細なことでも不合格には充分な理由だ。光の魔法はどうだ? 一定の明るさに保てているか? 魔法は出来たら合格ではない。そして、試験官の目はそう簡単には欺けられない。数ミリ単位であれ、僅かなミスに気づく」
「あの、数ミリ単位は厳し過ぎると思うのですが」
前にいる子が質問した。
「そう思うか? 確かにリード先生は厳しいかもしれない」
いや、実際そうなんだろう。だから異常事態が起きている。
「だが、その数ミリをコントロールする必要がこの先出てくる」
すると、何人かは立ち上がり「もうやってらんない」と言って教室から去っていった。
そうだ、魔法は誰にでも使えて、しかしその適正者は少ない。運転免許証と同じだ。車は学歴に関係なく試験さえ合格すれば免許はとれる。問題は適正者か? 魔法は既にその受験者の精神も見られている。今の運転免許証制度とはわけが違う。
「君達は例えば水の魔法を唱える時、どんな水を想像している? さっきも言ったが、水という言葉でもそれは多様だ。水単体だけではそれを具体的にはあらわしていない。それは他の言葉もそうだ。私達が使う日常言語はだいたい曖昧なものだ。なら、イメージもより具体的に考えるには単に水という言葉以上の具体的なイメージを思い浮かべる必要がある。だが、これは魔法の初期で習う段階の話しだ。二年で習うことではないし、二年はそれが出来る前提で授業が進むことになる」
「はい」
一人の男性が挙手をしたので私は指名する。指名された男は席を立ち質問しだす。
「上級生の魔法を見させていただいた時、皆魔法をしかも違う属性のものを連射していました。先生が仰るように考えたとして、しかし、それを連射性を高めようとすると、脳が追いつかない気がするのですが」
「既にある具体的なイメージがあれば、それを瞬時に引き出すイメージになる。勿論、簡単なことではない。それが出来るのは才能がある奴だろう」
才能という言葉で何人かは暗い顔をした。
「だが、自分に才能があったかどうかというとどうだろうな? 自分よりずっと才能のある魔法を見てきたし、それで挫折したこともある。それでも自分は卒業までは出来たし、皆に授業出来る程にはなれた。これをどう信じるかは君達次第だ」
とはいえ、リード先生の基準はやはり厳しいと思う。この中にこれまでの試験官だったら合格出来た者もいたかもわからない。その可能性は否定出来ない。こればかしは運だ。
「あの、それではルーン文字はどうなりますか」
「簡単に言えばそれは記号みたいなものだ。もういいかな? それじゃ授業を始めるぞ」
私はそう言いながら腕時計を見た。安い腕時計は学生の時に買ってそのまま使っていた。社会人になったら自分の記念に買っても良かったが、学生ローンの返済と車のローン返済で結局腕時計は買わなかった。
腕時計の針は既に5分進んでいた。今、私は五分取り戻すことを考えた。
一年生といっても年齢は若いのばかりではないからやりにくい部分は大いにあった。特に自分より上の年齢とか、大人数となるとそれを見てやることも、全ての相談を受けるのもまた難しい。
午前が終わりクタクタの体を引きずるように職員室に戻ると既にラングレが戻っていた。職員室のデスクは決まった各自の席と引き出しがある。
「お疲れ様です」ラングレが先に言ったので私も挨拶を返す。
「お疲れ様です。どうでしたかそちらの授業は?」
「ほとんどの生徒は授業を聞いていない感じでした」
「まぁ、実際三年間勉強していれば流石に覚えるでしょ。それより生徒達にとって大事なのは進級試験に合格することでしょう」
「はい。そちらはどうですか?」
「いきなり突っかかってくる生徒がいましたよ。勉強より試験対策をって。なので、現実を教えてやりました。そしたら何人かは出ていきましたよ。といっても出ていったのは後ろの方でしたが」
「リード先生はわざと厳しくしているんじゃありませんか?」
「可能性は否定出来ないですが、それより気になるのは教頭が試験に問題がなかったと言ったことについてですね。つまり、調査は行われたということになる。問題がないと認定されたようですが。単に厳しいだけならそれを咎めるのは難しいということでしょう」
「それでもリード先生は三年間合格者を出しませんでした。個人的な逆恨みに思えます」
「リード先生に何のトラブルがあったのかは知らないですが、教頭はそのリード先生から合格を取れというのが私達に課された課題なんだろうと思うわけですが、それなば私達はそれをやるしかないのでしょう」
それが例え大きな壁であろうと。
だが、それは至難の業かもしれない。昼食を終え午後の実技の授業でそれを実感させられたからだ。ほとんどは基本的な属性魔法を使えてはいなかった。いや、四元素が使えないというわけではない。問題はその四元素が皆それぞれ自由なかたちをしていたからだ。魔法には基本のかたちがある。武道でいえば型であり、決まった動作である。それが彼らにはなかったのだ。自己主張が強く、皆、バラバラだった。どうやら魔法は火だったら火が出ればそれは魔法でしょ? と言わんばかりの酷さであった。それでも、数百人以上は型を行えていた。どうやら前任の教師は少なくとも務めを果たしていた。これだけの数が進級すれば前任はクビにならずに済んだのであろう。そして、私が採用されることもなかった。だが、リード先生はこの人達に不合格を与えている。確かに細部にまで目を配れば惜しいミスはある。的に向かって水鉄砲のごとく水を噴射する際、的が壊れず中心部だけ貫く際に的を貫いて出来た穴の大きさが綺麗な円形でなかったり。(ウォータージェットを魔法でやる実技課題のこと。この場合、決められた円形の穴という指定が出された)だが、大抵それは二年のうちに上達するもので試験官は大目に見て合格を与えてきた。かくいう私もそうであった。それは魔法のレベル1を認定するには足りる実力だからだ。逆にリード先生の求めるのはレベル2~3あたりの精神力とイメージ力になる。だが、それさえあれば言葉はより具体的に魔法として出力される。今後の魔法の学習の幅も一段と広がるだろう。
普段の日常言語はそれをあらわす意味が曖昧だ。水ならそれは冷たいのか、熱いのか、量はどれくらいなのか、それは勢いはあるのか、ウォータージェットのような加圧された水なのか。それは呪文の言葉もまた曖昧だということだ。それを補完するようにイメージで極限までそのものをコントロールする。魔法道具が杖なら、杖から放たれた火が生き物の蛇のように見せるのは上級者の業。だが、訓練をつめば可能性はあるということになる。
魔法とは思考出来ず語れないものを語る呪いである。
放課後、ほとんど校舎に人が残っていない夕方、戸締まりの見回りに職員室を出た私は一階にある音楽室からピアノとチェロの音色が聞こえてきた。それは破滅的なしかし魔王に立ち向かうような音楽の間に民族音楽のようなリズムが入り込み、その独創的な音楽が様々な想像力を働かせ、私の脳を刺激した。私はその音楽に導かれるように音楽室に向かうと、そこには二人の男子学生がいた。二人とも二十代そこら。ピアノを弾いてるの彼は黒のポロシャツを着ていて、私はその音楽が終わるまで二人を待った。二人は音楽に集中しているのか私には気づいていなかった。
そして、本当に曲が終わった頃ようやく二人は私に気がついた。
「もう時間だぞ」
「申し訳ありません。もしかしてわざわざ待って下さったのですか?」そう答えたのはチェロを弾いてた学生だ。
「二人が作曲したのか?」
「はいそうです」
「それだけ音楽が出来たら魔法科より音楽の道へ行った方が良かったんじゃないのか?」
「それは僕達には魔法の才能がないということですか?」
「いや、君達の実力は知らない。正直、生徒の数が多すぎて名前も覚えられる自信はない」
実際、授業態度がどうであれ試験さえ合格すれば進級出来る。ある意味実力主義な学校だが、それはシビアな世界でもある。だから、授業に出てないで試験だけ挑もうと考える者もいるだろう。別にそれで合格出来るなら自分は咎めるつもりはない。自分の与えられた任務のカウントに数が入るだけだ。
「実は僕達は音大に行きたかったんです。でも、両親が許さなくて。僕の家は代々軍人出身で、特に魔法兵士の重要性を知っているから僕にも魔法を習得させたがっているんです」
「兵士になる為に魔法学校に来たのか?」
「親はそのつもりです」
「君もか」
「はい」とピアノを弾いてた彼はそう答えた。
「そうか」
生徒の将来についてこの学校の教師は基本的に口を出さない。それは元から進路相談を全生徒に対して出来ないように、一部の生徒に加担するとそこに不公平が生まれることを避ける為である。
「僕達、次の進級テストで駄目だったら親から魔法を諦め入隊して就職しろと言われているんです。そしたら僕達もう音楽が出来なくなってしまうんです。だからなんとしても進級したいのですが、魔法上達にはどうしたらいいですか?」
「何が苦手なんだ?」
ピアノの彼は「一定の安定さ」チェロの彼は「コントロール(操作)」と答えた。
「杖の先を僅かに矛先をずらせば、向けたい方向へ飛ばせる。だが、それは魔法の慣れない素人がついやりがちな仕方だ。もし、それに癖がついてしまうと中々癖を直すのは難しい。もし、そうしているならリード先生に見られ不合格にされているかもな。リード先生はそれを許さないから。だが、それは多分他の先生もそうするだろう。どうなんだ?」
「少しやってしまっています」
「だろうな」
「どうしても魔法のイメージというのが曖昧でどうしたらいいのかというのがパッと理解出来なくて」
「一年生がまずぶち当たる壁だな。イメージの部分は暗黙知な領域がある。こればかしは教師として力不足を感じる。そもそもイメージとか感覚というのを正しく言葉で表すことが出来るのか問題がある。だから俺の体験からしか言うことは出来ない。それは沢山魔法を練習して地道に当たりを探れだ。よく、俺の師は魔法の練習が足りない! と怒っていたが、それは感覚は最終的に教わるものではないからだ。言葉で表せないものは自分で得るしかない。まぁ一方でルーン文字は関数や公式のように規則があるから魔法の素人でも扱いやすいという点はある。だが、それでは試験にならないからな。ルーン文字は便利だが、ルーン文字に対して解釈が原則一つしかない、例えるなら元素記号のH₂Oが水で、それ以外の意味を(どのような水かを)とりあえず考える必要がないように、日常言語とは違う。つまり、あらかじめ決められた記号なんだ。だが、記号を関数や数学の公式のように組み合わせたところで、その魔法に限りがある。だからルーンはあまり使わない。私が言えるのは魔法の練習、実践を繰り返してそこから自分なりに規則を見つけ出すしかないということだ」
「やはり地道な練習ですか?」
「そうだ。俺は学生時代は休み時間、夜はイメージトレーニングを欠かさなかった」
「うわっ……でも、そこまでやれってことですね」
「まぁ、頑張れよ」
「はい」「はい」
「ああ、でもイメージは他にあるものから代用した方がいいかもしれないぞ。例えば俺の同級生でアーチェリーやってた奴がいて、試験の時杖じゃなく弓で水の魔法を的に当てる試験を突破していた。試験は杖を指定してないからそれもありだ」
「僕達楽器ですよ?」
「なら楽器で魔法したらどうだ」
「先生は杖だったんですか?」
「俺は銃を使った。ガンマニアでね。魔法を弾だと考えれば抵抗力を考慮し計算して撃ち込んだり、弾丸の種類から特性の違いのイメージを利用したりして色んな試験に対応したな。だが、それは一年と二年までだ。三年からはもっと複雑な魔法が求められる。まぁ、とりあえずは進級だな」
二人は苦笑した。実際、追い詰められているんだろう。もう猶予はない。だからこそ、他の手段を思いきって変える手もある。だが、それを決めるのは彼ら自身だ。
それから、魔法の鍛錬が本格的に始まった。各々が進級を目指し魔法の練習に撃ち込んだ。一方授業では感情をどのように魔法で扱うかを教えた。
「論理では感情は事態がなくその時点で無意味な扱いを受けるが、しかし、感情は実際確かに私達の中に存在している。だが、その感情や形而上学の分野で語られるそれは世界の中に目に見えたりは出来ない。だから、人それぞれに解釈に違いが生まれたりする。言語もそうだった。それを魔法ではイメージをそのまま現象として目に見えるかたちにする。例えるなら、火のイメージはそれまで人それぞれであり、火に対して恐怖心を持った人がイメージするのは襲いかかるような大きな火かもしれないし、もしくは焚き火の火かもしれないし、文化的経験からペチカの火を想像するかもしれないし、生活習慣からタバコにつけるライターの火かもしれない。その時点でイメージを一致することは出来ず、それは皆自分の頭の中(自分の世界)でイメージしているのだから当然のことだった。しかし、魔法はイメージしたことを実際にこの世に、目の前に一部出現させられる。皆が火をイメージし火属性の魔法を唱えたとしよう。そこから火のイメージを統一させようとしたら、それは火のイメージもその時だけ統一させられたことになる。故に論理では語り得ないことも魔法では語り得ることになる。イメージはその人の言葉でしかなかったものがそうではなくなり、目の前に現れたことでそれを語ることが可能となる。だが、それは必ずしもこの世の真なるものではない。この場合、真か偽かはどこから生み出されたかで判断される。そして、魔法は偽として生み出されたことになり、それは〈呪い〉と表現される。これが呪文の言葉に呪がある由縁だ。しかし、とはいえ感情を扱うという魔法は中々理解しにくい。それは論理では解明することは出来ない。感情がそうであるように非論理的だからだ。だから魔法を論理で考えようとするのはやめた方がいい。何故なら〈魔法は論理的ではない〉からだ」