「いや、べつに褒めてほしいとかじゃないから!」
それは、数日後のことだった。
朝の風が、窓からそよいでくる。
外では、リヴォルヴが草をかじっていた。
三本足で、よたよた歩きながら、それでもどこか楽しげだった。
背中は毛を刈られたばかりで、ひとまわり小さく見えた。
風に揺れるその毛並みが、なんだか頼りなげで、愛おしかった。
俺はというと、室内で羊毛を洗っていた。
ぬるま湯を張った桶に、刈りたての毛を沈め、
土やゴミ、藁くずを、少しずつ指先で摘まんでいく。
──うまくいかない。
右手の人差し指と、左の親指と人差し指がない俺には、
それだけの作業が、拷問のように難しかった。
「ったく……」
文句をこぼしても、手は止めない。
汚れを落とし、干して、広げて、ほぐして──
ようやく、紡げる形にする。
そんなふうに作業していたとき。
バアアンッ!!
家の扉が勢いよく開いた。
「よぉっ、サティ! 偉大なる案内人!!」
「やあやあ、サティちゃん~! 我らの道しるべ~!」
──また、あのふたりだった。
以前より、服はボロボロ。
けれど、顔は晴れやかだった。
そして、やたら元気だった。
戦士がドンッと俺の肩を叩く。
「おかげでよ! バロテ村の魔物、ぶっ倒してきたぜ!」
魔法使いの女もにっこり笑う。
顔に少し土がついていた。
「“水鏡の篭手”がなかったら、たぶん私たち、戻れなかったわ」
──あいかわらず、いきなり服を脱ごうとするのはやめてくれ。
おい戦士、お前もズボンのベルトを外すな!
その流れは、もうお腹いっぱいだ!
俺は、呆れつつもリヴォルヴを抱えて、二人を見上げた。
……よかったな。
本当に、そう思った。
だけど言葉は、出ない。
喉には、長老のかけた魔法が残っている。
でも、二人はうなずいた。
「しかもな──」
戦士がにやりと笑う。
「私たち、レベルが上がったのよ~」
「EXPがっぽりだぜ! 王国の“祈り手”が計測してくれてな!」
EXP──ああ。
最近、見た。あのチカチカ光る表示だ。
「お前も、なんか変わったんじゃねぇか?」
その言葉に、俺は思い出した。
数日前、光の表示と一緒に手に入れた、あの魔法。
そっと手のひらをかざし、
ぽちゃん、と一杯分の水を出してみせた。
ふたりは目を見合わせて──
「やっぱりだ!!」
魔法使いが、ぱっと俺の手を取る。
「きっとね、サティ。
あなたは、誰かを導いたときに──
その“経験のかけら”を、もらってるのよ」
「……ン゛?」
「祈り手が言ってたの。
レベルアップ時の“経験値”が、ほんの一部だけ他者に移ったって」
「俺の《自己治癒》も行ったか?
最近、寝起きいいだろ? な? な?」
(……いい、かも?)
魔女は、くすっと笑った。
「きっと、誰かの“願い”を支えたからよ。
その人が願いを叶えたとき、その一部が──
あなたに、返ってきたの」
戦士がぽつりと呟く。
「導いたとき、ってことか。
行動じゃなくて……想い。祈りみてぇなもんだな」
「ねぇ、想いがそのまま形になるなんて……」
「……まるで魔法みたいじゃない?」
魔法使いが、魔法に驚いてるのが不思議だった。
でも、なんだか、それがちょっと嬉しかった。
俺はリヴォルヴの耳を撫でながら、考える。
──ああ、たしかに。
あの日、俺は指さした。
地面に地図を描いた。
伝えたかった。
必死で、伝えたかった。
そして、それが誰かの助けになった。
誰かの願いを叶える、道しるべになった。
「グァ」
意識しない声が漏れた。
「よかった」って言葉だったと思う。
でも、俺にはまだ言葉はない。
ただの、声にならない嗚咽だった。
ふたりは、そんな俺を見て──やさしく笑った。
「やっぱ、こいつ、すげぇよ!」
「賢者サティよ。世界を導く存在になるわね!」
それは、ちょっと大げさすぎたけど──
でも、悪い気はしなかった。
魔法使いがそっと、近づいてくる。
「サティ、喉の封印……気づいてるわよね?」
俺は、目を見開いた。
「《チェスタートンの檻》──
発声を封じる古い詠唱妨害魔法よ。
……でも、こんなに永続するなんて、おかしい」
指先が、そっと俺の喉に触れる。
「解除してあげる。あなたには、もっと伝えたいことがあるでしょう?」
柔らかな光が、喉に染み込んでいく。
──そして。
「あ……ぁ……」
最初はうまく出なかった。
でも、喉の奥からしぼり出すように、なんとか絞り出す。
「……ありがとう」
それは、小さくてかすれた、でも確かな声だった。
魔法使いが、にっこり笑った。
戦士が、大声で笑った。
「よっしゃああああ!! サティ、やったな!!」
リヴォルヴが、嬉しそうに足元をくるくる回る。
──そう。
やっと、言葉を、取り戻したんだ。
本当に、大事なものを。
……思えば、滑稽な話だ。
あんなくだらない理由で長老に睨まれて。
村から出ることになるなんて。
笑えるよな。
……笑えないけど。