2話:魔獣
「ねぇ…ちょっと!!」
後ろから響く少女の声が聞こえたのは、トーキテ王国にて勇者となってからしばらく経った頃だった。
思わず振り返ると……先程仲間に加えた名門貴族トゥローノ家の魔法使いの少女であるレヴィンが肩で息をする光景が目に入る。
「大丈夫か?」
「っ…はぁ……っはぁ……アンタが歩くの速すぎんのよ…!」
駆け寄ったところで彼女に恨めしげな視線を向けられてしまう……どうやら歩きの速さを間違えたようだ。
「すまない、少し休憩しよう」
アルスは自身の配慮が足りなかった事を素直に詫びて、少女と共に近くの木の下に腰掛けて休憩を取ることにした──────
・・・
「ふぅ…あのさ、私達今どこに向かってんの?」
───数分もすると息が少し落ち着いたのか、レヴィンに声を掛けられた。
先程よりは険悪な空気ではないのを感じ、少女の問いに答えるべくアルスは口を開く。
「当面の目標は国内にあるクス伯爵領だが、その前にヴァイゼン村を訪問する」
「わざわざ迂回するの?なんで?」
「…住民の安否確認のためだ」
「え?でも魔族が侵攻しているのはまだ大陸北部の話だって……」
「それが…魔獣の目撃情報は既に南部でも上がっているらしい」
「噂には聞いてたけど本当だったんだ……」
"魔族"
ある日突然この大陸タルシスカに現れた人類の天敵の総称。
古くは悪魔とも呼ばれていた時代もあるが、現在では魔物や魔族の呼称に統一されている。
その中で野生動物の習性が強い種族は下級魔族、もしくは魔獣と呼ばれている。
魔族は現在、大陸北部を中心に領土を広げている。
残された北方諸国と中央諸国の奮闘により、なんとか北側で領土の拡大は喰い止められはしたものの、魔族が魔界から持ち込んだとされる魔獣が大陸中に放たれてしまった。
魔獣は大陸に生息していた野生動物よりも遥かに強靭かつ凶暴で、それが蔓延った結果、大陸の生態系は破壊されてしまった。
大陸中が魔族の脅威に晒されたことにより、都市部の城塞化は進む一方で、都市外の村や集落は現在減少の一途を辿っている。
「…そういうわけで、巡回による各村や集落の安否確認が必要なんだ」
「…わかったわよ」
淡々とした説明に渋々ながら納得した様子のレヴィン……そんな彼女に対し、アルスは出会った時には聞けなかったことを聞こうと考えた。
「ところで、今のうちに聞いておきたいことがある」
「…なに?」
「君の使える魔法と得意な戦い方を教えてくれ」
"魔法"とは、人類や魔族が引き起こすことが出来る超自然的な現象のことである。
詳しい原理は未だ解明されていないが、人間や魔族の身体には魔力という不思議なエネルギーが備わっており、それを放出・変換することで様々な事象を引き起こすことが出来る。
基本的には火・水・土・風などの自然現象を発生させる自然魔法が主流となっているが、それに当てはまらない魔法も多数存在する。
「…急に何?雷魔法に期待してるってアンタ自身がさっき言ってたじゃん」
「戦う際の取り決めはあった方がいいだろう?俺は炎魔法が得意で剣技にも多少心得がある…前衛は任せてほしい」
「……」
───アルスの問いに返ってきたのはやや刺々しい言葉。
しかし仲間の能力を知ることは隊員の命を預かる勇者の立場としては必須……その為に根気よく話し掛け続けると、彼女も思うところがあったのか目を丸くした。
「私は……」
やがて口が開きかけた……が、そこで彼女の言葉は止まり再び下を向いてしまった。
「まぁその気になったら教えてくれ……そろそろ行こうか」
やはりまだダメか……と一旦ず親睦を深める事を諦めてアルスは立ち上がる。
「あのさっ!」
───歩みを始めた時、再び後方から少女の声が響いた。
「ん?どうした?」
「私、ほんとは……」
レヴィンは強張った表情で口をパクパクさせていた。
何か伝えたい事があるようだが……
「……待て」
「…え?」
───その言葉をゆっくり待っている時間はなさそうだ。
……すぐ近くに何かがいる。
『ガサッ……』
オロオロするレヴィンを余所に剣の柄に手を置きつつ周囲を警戒していると、不意に側の草陰から黒い影が出てきた。
────ヘルハウンドだ。
魔族が大陸に放った狼のような姿をした魔獣…それも一匹ではない。
魔獣は群れを形成し、アルス達に向かって威嚇しつつゆっくりとその距離を詰めてきていた。
「ひっ!魔獣!?こんなに…」
「…レヴィン、君は後方から援護を頼む」
身体を震わせながら後退るレヴィンを庇うように前に出て、アルスは剣を構え臨戦態勢に入る。
「「「グオオオオオォォオッ!!!」」」
「……【竜の息吹】」
咆哮を上げながら襲い掛かってくる魔獣の群れ────アルスは一切動じる事なく呪文を唱え……群れの半数を焼き払った。
「「「ガアアアアッ!!」」」
それを見た魔獣の群れは突如として散開をした。
狙いを絞らせないつもりか……どうやら言葉を話せなくとも本能的な知能は高いらしい。
「レヴィン!何体か頼む!!」
散り散りになった素早く動く敵に魔法を正確に当たるのは至難の業……しかし速度に優れる雷魔法であれば────
戦いながら思考を回転させ、アルスは後方に控えている仲間に指示を出した。
「ぇ…ぁ…」
……しかし、どういう訳か当の彼女は顔から汗を流し硬直していた。
足が今にも崩れそうな程に身体は震え、目は泳いでいる。
一体どうしたのか……
───気を取られた一瞬で、アルスの横を複数の黒い影が通り抜けた。
「しまった!」
魔獣が向かう先は───今動かないでいるレヴィンだ。
迫り来る危機に彼女の顔は蒼白になり……やがて、覚悟したように目を瞑った。
「くっ…!」
今ならまだ間に合う────アルスは剣を構えて動けない彼女の元へと駆け出す。
『ザシュッ!!』
しかし次の瞬間には、鋭い音と共にレヴィンに襲い掛かった魔獣達の胴体は真っ二つになっていた。
「え…?」
レヴィンは目を見開いていた…… 突如として前に現れた見知らぬ大男の姿に。
「だ、だれ……?」」
「……」
レヴィンの問いに対し男は答えず、代わりにアルスの方を見た。
逆立った灰色の髪、身に纏いし重厚な鎧、そして顔に付いている傷跡……
今し方魔獣を叩き斬った大剣が、その屈強そうな印象をより強めている。
───男の瞳にアルスの姿はなく……後ろの魔獣の姿を唯々無機質に映していた。