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生まれ変わって悪道を邁進する  作者: マルジン
2章 天上天下、蠢動
13/18

12.天上と天下への愛

中学生以下の方は読むことを控えるようお勧めします!犯罪を奨励する、犯罪を美化する、犯罪者を賛美するような表現が多分に含まれますが、これはフィクションであり、決して真似しないように!


不定期連載です。

 CSOUが居を構えるマルカーヴァ王国のオーランド市はエルドラド州の行政区であり、どこか退廃的な雰囲気のある街。


 政争からは程遠い田舎町だったが、今では隣国であるブルッファーヴァとの国境を持つ州となった。長閑だった頃は、エーレンハウ州という地方都市が国境とエルドラドの間にあったので、誰もブルッファーヴァに意識を向けていなかった。

 今のように、国境が書き換わるまでは。

 押し付けられた慣れないポジションに、エルドラド州やオーランド市民は浮足立つ日々を過ごしていた。


 先の戦争によって、エーレンハウを含む2州は、ブルッファーヴァに奪われ、そのしわ寄せは様々な形で、国や市民へと影響を齎している。その顕著な例が、エルドラド州なのだ。





 エーレンハウ州の北に接するターヌマエ州には、意図的に地面を掘り返し、等間隔に岩が置かれている広大な穀倉地帯がある。それはブルッファーヴァとの境を示す、長い国境線である。


 政治と地図を知らなければ見えない、国境という不可視の区切りに、かつて農民たちは頭を抱えていた。

 昨日までは全員で収穫し、全員で分け合った穀物畑が、今では二分され、立ち入ってはならない禁足地が真向かいにあるという窮屈な状況に移ろったからだ。


 すぐ向かいで育つ穀物を収穫して、騎士が出張るような争いが起きないようにと、市民同士が話し合いの末に置いたのが、国境という不確かな分断を白日に曝す岩の列だった。


 わざわざ畑を潰してまでそうしたのは、そこで営む者達が平和を求めたからだった。昨日までの友を傷付けまいとする、極めて自然な心運びである。


 しかし戦争は始まった。


 市民が工夫を凝らし、自らの力で手に入れた暮らしだが、国はすぐそこにある。実体はなくとも、魔法のように体と心を握る国がそこにある。

 王の言葉に平伏し、領主の言葉に身を投げ出す。何故君は生きているのか、という問いへの答えと同じくして、生まれたから従う、それが王国の民なのだ。

 マルカーヴァ王国民でありターヌマエ州民である彼らは、戦った。税として動員されたから戦ったのだ。

 騎士でもない彼らは戦場において大した期待もされない数合わせだ。それでも大勢を動かすほど勇ましく戦う理由はたった1つだけ。

 生き残るためだ。

 そして彼らは、理由を同じくする敵に殺されるのだった。


 生きるのは難しい。何かと理由をつけて、あらゆるものを吸い取っていく仕組みは優しくない。それでも生きてきた彼らは、望まない戦争で命を落とした。

 辛うじて生き延びた者は国を変えた。侵略戦争で負けてしまったのだから、必然である。そしてこれも平民が甘受すべき国の意志である。


 祖国マルカーヴァから敵国ブルッファーヴァへ。


 彼らの望みはただ一つ。祖国愛や悔恨からではなく、生物としての本能から望んでいた。

 ただ生きる事を。






 終戦から2年を経て初めて接収領での大規模行動が発生した。以下に詳細と所感を示す。

 ウシャット公爵領にて、元マルカーヴァ王国エーレンハウ州民の大量亡命事案が発生。

 経路、時刻、越境方法から鑑みて計画的だったと思われる。東方方面隊の集結が間に合わず、さらに、マルカーヴァ国境騎士による亡命者の誘導もあったため逮捕は敵わず。

 方面隊終結間近、逮捕した数名の亡命者を巡ってマルカーヴァ騎士との衝突が散発。2分半程の戦闘で我が方の騎士2名が重症。マルカーヴァ騎士1名が当時は瀕死(現在は死亡)。

 上官と思われるマルカーヴァ騎士が撤退命令を下したこともあり、事態は収束した。

 本事案について、亡命に対する積極的な介入、さらにマルカーヴァ騎士の一時的な不法越境と武力の行使があったことを鑑みて、マルカーヴァ王国による誘拐拉致事案とすることが望ましい。

 流行り病、飢饉、各領の閉鎖的政策により国民の不満が増長しており、死者数と市民による武装蜂起が増加の一途をたどる現況を勘案するに、本事案を事由として開戦、ないし領土割譲等を要求することで、対外強硬路線への転換と同時に国内情勢の安定化を目指すべきであると考える。

 本事案を国威毀損に至る瑕疵にしてはならず、三頭会議が標榜する新時代構想の足掛かりとすべきである。


 外交部付き情報武官はこのような書簡を、政府外交部へと送付した。

 彼の任務は専ら、戦争への意識調査やウシャット公爵領内の旧マルカーヴァ領民に対する反応等を調査する事だった。

 しかし世情が混沌とする中で、彼らは自身の存在意義を見失っていた。

 調べて記録しても、国は傾く一方。この情報はなんの役に立つのか、それさえも知れない役柄とやりがいの見つからない業務。神経をすり減らすばかりで、対価は薄給。各地を転々とするから家を持てず安宿暮らし。そうなれば家庭は持てない。

 しかし彼は、それでも良かった。

 元よりの望みは国に尽くし仕えることだけだったからだ。

 そうして見つけた新たな役割は、新しい統治者たちの支配を如何にスムーズに全土へ波及させるか、それを思考し国民に指向させ遍く施行させる、傲慢な情報戦略官だった。


 ブルッファーヴァ国王並びに3頭会議の戦争または武力による強行交渉は、加速しつつある民衆の革命的気運から目を逸らす為であった。国内は混迷が極まり、もはや瓦解の一歩手前のところまで来ていたのだ。

 愚王と呼ばれた先王を誅殺し、新たな時代が到来したはずのブルッファーヴァだったが、負の遺産があまりにも国を疲弊させ、構造を骨抜きにしていたために、支配層が変わっただけではコントロール不能な状態だった。

 つまり、政府外交部へと書簡を送った情報武官の状況認識は正しく、提言も現実味のある最良の一手であったから、実行された。


 本来は、以前マルカーヴァ王国からこそぎ取った領地と領民を使って、国内をまとめ上げ、時間を掛けて隣国へと再侵攻するはずであった。具体的には、奪った領民と自国民との格差を設け明確な優劣をつけることで、国内に沈殿する憂さを晴らすとともに、奪った肥沃な領土によって慢性的な飢餓を解消し、再侵攻する賛同を得るのがブルッファーヴァ王国の成長戦略を含む新時代構想だったのだ。


 だが待てなかった。

 国民の衰弱が想定よりも進行し、比例して政府への反発が増長していたから、掛けられる時間が無かったのだ。

 よって、今般発生したブルッファーヴァ王国とマルカーヴァ王国の国境における、紛争はマルカーヴァ騎士による国民誘拐拉致事案として大々的に報道された。

 この愚行に対抗する為、国境線は昼夜問わずの厳戒態勢となり平時の倍近い騎士が配された。

 そして同日、厳重な抗議と亡命した国民の身柄引き渡しを外交を通じて示すに至る。

 1週間後、マルカーヴァ外務省通信課課長代理の男がブルッファーヴァ王国政府外交部へとある書状を届けに来た。抗議と身柄引き渡し要求に対する返答であった。





 3頭会議

 アウルス・アウレキヌス殿

 ティトゥス・ゲイロン殿

 ルキウス・アンブロス殿


 初めに、先の終戦により確定された国境線は有効である。これを踏まえて、我が国の騎士が貴国領土内へと侵犯したという貴国の抗議が事実であると認め、正式に謝罪する。本件について、具体的な改善案を策定し共有することをお約束する。


 次に、貴国の領土内にて起きたという誘拐拉致事件について調査を実施した。

 現場に居合わせた騎士への聞き取りと魔法による現場検証、さらには騎士団への作戦指示文書調査、指揮系統に属する上官への監査をするも、貴国のいう誘拐ないし拉致は確認できなかった。

 さらに、突発的かつ局所的衝突があった点についてこれを確認したが、これは、貴国の騎士による領土侵犯措置に対して行った我が国騎士の、自己防衛の範疇であり、国家による威圧ではない。

 即ち偶発的な事故であり、その原因については先にも述べた通り我が国の瑕疵であることを認めるが、重大事態を望むものではない。


 外務大臣

 ヘイズ・レスコー





 この回答文書を受け取ったブルッファーヴァ王国政府は、3頭会議並びに国王への奏上を保留した。

 軍需物資が決定的に不足しており、大義名分は市民生活へ直接的な影響がなく、それ故士気も上がらない。そんな今、戦争を始めるという3頭会議と国王の決定に懐疑的であったから、せめて最後通牒の送付をできるだけ先送りにしようとの画策があった。


 しかし政府内開戦派の密告により政府は解散させられ、情勢は挙国一致の開戦へと傾いた。

 3頭会議は、マルカーヴァからの回答文書を国王へ奏上し、併せて再作成した抗議・賠償要求文の承認を受け、マルカーヴァ王国へと外交部を通じて送付した。これは政府が文書を受け取ってから2日後のことである。





 マルカーヴァ王国国王

 イマヌエル・デ・マルカーヴァ陛下


 外務大臣

 レイズ・ヘスコー殿


 大陸統一歴515年10月20日4:32に起きた貴国の騎士による領土侵犯行為についての具体的改善策の共有をお待ちしている。


 ここで改めて抗議の意をお伝えする。

 大陸統一歴515年10月20日4:32当時、自国民保護と侵犯措置のため武力を行使するも、貴国騎士が再び国境を越え、貴国内に逃げ延びたために手を引いた次第であり、誘拐拉致された我が国民の奪還を諦めたわけではない上に、当初から事態の悪化は望んでいない事は自明である。


 力による均衡の破壊、終戦時に決定した明確な領域を越え犯された蛮行は非難に値するもので、断じて許容できるものではない。


 本件について我が国は、これ以上の事態を望まず、貴国の誠意ある対応と形ある賠償によって解決する必要があると考える。

 我が国の要求を以下に記す。

 1.我が国民の即時引き渡し。

 2.誘拐拉致の事実を認め正式な謝罪を行う。

 3.本事案に関与した騎士に対する裁判に我が国の司法官を参与させる。

 4.中間緩衝地帯を策定するため、国境線付近に配置された貴国の騎士を撤退させる。

 5.本事案に対しての賠償を要求するため、交渉の席を設ける。


 貴国の領土侵犯並びに我が国民誘拐拉致事案についての解決策はこの要求の即時履行である。これが為されない場合、我が国は断固とした対抗措置を講ずる。


 ブルッファーヴァ王国国王

 グナエウス・ウァレリウス・ブルッファーヴァ3世


 3頭会議

 アウルス・アウレキヌス

 ティトゥス・ゲイロン

 ルキウス・アンブロス





 ブルッファーヴァ東方では着々と準備が整っていた。全国から食料が徴発され、更には一部市民の徴兵が行われ、各地の州からは領主の私設軍も強制的に国境へと送られた。それらのヒト・モノは国内流通網を駆使し東方へと急速に集まり、ブルッファーヴァは全てを戦争のために注ぎ込んでいた。

 2回目の抗議と要求を提示した日から1週間後、外交部付き情報武官はある噂を耳にした。

 ここ数日マルカーヴァ王国の全国務大臣が庁舎へと姿を見せず、また王城勤めの者たちが、一様に精神を病んでおり入院している。そして王族の馬車はおろか近衛騎士たちが一切顔を見せず、なおかつ王都の別邸門にはかつてない規模の騎士が常駐しているという。

 これらの異常な事態が3頭会議の面々に齎された時、彼らは自国も体験したクーデターの波を感じていた。


 そして同日マルカーヴァからの回答が齎された。





 ブルッファーヴァ王国国王

 グナエウス・ウァレリウス・ブルッファーヴァ3世陛下


 3頭会議

 アウルス・アウレキヌス殿

 ティトゥス・ゲイロン殿

 ルキウス・アンブロス殿


 貴国からの要求は一切承服できない。


 そもそも誘拐拉致という事実はない。我が国は、貴国からの亡命者を受け入れただけであり、犯罪があったと断定する論調は誠に遺憾である。局所的な衝突についても、騎士個人の対応による結果であり我が国の意思で行ったものではない。

 また国境線における貴国の威嚇行為に対抗して、我が国の騎士を配するのは当然であり、撤退することはできない。


 今般の両国国境線において不測の事態が発生する可能性には、我が国としても憂慮するものである。したがって、一定の期日を設け両国ともに同時撤退することを提案すると共に、認識の齟齬についても改善するべき懸案であるから、両国共同調査等の対応を検討したい。

 積極的な意思疎通を行うこと、これが戦禍を避ける最も有効な手段であるとの認識に相違はないかと思われる。今後もこのような外交的努力が重ねられることに期待する。


 マルカーヴァ王国国王

 イマヌエル・デ・マルカーヴァ


 外務大臣

 レイズ・ヘスコー





 戦争準備は市民生活へ大きな打撃を与えた。しかし長い年月語り継がれる敵国像と、自分たちの置かれた状況が重なり、国の意志に導かれるように戦争への準備に勤しんだ。蚤を食らう毎日。それでも彼らの克己心を激しく称賛したのは、プロパガンダに満たされた自分自身であったのだ。

 あの国に打ち勝つには耐えればこそであると耐えた。されども忍耐というのはある日突然事切れるものであり、彼らのそれも、白線上の際の際で踏ん張っていたのだ。

 皮肉にも、ぎりぎりにいる市民たちは敵への憎悪を募らせ、思惑通りに事を運ぶ王国政府には目もくれなくなっていた。

 その中にあって早急な対応が求められたブルッファーヴァ王国の中枢は、最後通牒を送付した。

 そして同日、王国首都には権力を持つ者たちが開戦のため、総力を決すると誓った。





 マルカーヴァ王国国王

 イマヌエル・デ・マルカーヴァ陛下


 外務大臣

 レイズ・ヘスコー殿


 本文書は最後通牒である。


 初めに我が国の抗議は、国民保護また領土保全さらには国家主権の立場から見ても正当なものである。そして貴国の行為はあらゆる法理念においても違法であり、それを隠そうとする態度は両国の培ってきた関係を破滅させるものである。

 再度通知するが、貴国の行った我が国民の誘拐拉致は到底許容できず、断固とした抗議の意を表明する。

 そして以下の内容を貴国に対して求める。


 1.我が国民の即時引き渡し。

 2.誘拐の事実を認め正式な謝罪を行う。

 3.本事案に関与した騎士に対する裁判に我が国の司法官を参与させる。

 4.中間緩衝地帯を策定するため、国境線付近に存する貴国の騎士を撤退させる。

 5.中間緩衝地帯策定について、貴国領土の一部権利を放棄し、それを使用する提案書に署名する。

 6.本文書内の要求を正式に調印するためないし賠償額の交渉をするため、交渉の席を設ける。

 7.全ての要求に対する返答を、大陸統一歴515年12月13日午後6時までに回答すること。


 本事案に対する外交的努力を続けたが、一定の成果は得られず、ましてや我が国の言い掛かりであるとの態度が招いたものである。両国の今後の発展のためにも、期限内に承認するよう強く求める。


 ブルッファーヴァ王国国王

 グナエウス・ウァレリウス・ブルッファーヴァ3世


 3頭会議

 アウルス・アウレキヌス

 ティトゥス・ゲイロン

 ルキウス・アンブロス





 大陸統一歴515年12月13日午後6時

 マルカーヴァ王国からの返答はなかった。



 同日ブルッファーヴァ王国では国王による宣戦の布告が全国へと公布された。あくまでも被害者であり、これ以上の蛮行は許せず。徹底してマルカーヴァ王制を糾弾する姿勢を崩さず、また過去の栄光を取り戻すため止む無く開戦へと踏み切ったという内容であった。

 一方マルカーヴァでは、国王らしきものの姿こそ王城付近では見られたものの、宣戦布告は文書と市井の噂という形だけで頒布された。内容はブルッファーヴァと変わらず、あくまで被害者であり、戦争回避への努力は一方的な要求によって水泡に帰したというものだった。


 午後21時22分、マルカーヴァ王国チルノ伯爵領エルドラド州西方オーランド市、ブルッファーヴァ東方方面隊が越境する形で先端が開かれた。


 ※※※


 世界と魔界には"果て"という終わりがある。人も悪魔も等しく吸い込む、深淵の極地である。魔界を天上と呼び、人間界を天下と呼ぶ。

 天上と天下の間では、毛糸玉のように重なり合う光の玉、日月(じつげつ)が世界を横断し天下を照らす。そしてその下には魂のみを通す分厚い雲があり、通魂層と呼ばれる。


 あるのは魂と魔力、そして特異な生物だけで、それ以外には存在しない。そんな天上の地にて、悪魔たちは魂を欲する。


 世界と域を同じくする魔界は、魔界中央にある魔王城以外を12の悪魔が分割し、それぞれの望むままの統治を行っている。


 そして現魔王ルシフェルが住まう魔王城は誰の侵入でも赦し、あらゆる破壊も謀略も許容する寛容な城であり、魔界の心臓とも言える天上の根幹である。

 天上の全てと言っても過言ではない城にあって、居るのは魔王だけであり、配下の魔物がいない。

 魔物では生存が不可能なほど濃い魔力が渦巻いているからだ。何もせず、そして何も語らず、ただ城にて座す魔王の下には、悪魔すらいない。飢えに飢え、鎮座するだけの歳月を望む者などいないからだ。


 裸の城とも呼べる、天上の聖地に第12位階の王ウヴァルは入城した。



 光の球に照らし出された朽ちかけの門に、王は手をかけ押し開く。悪魔を苛む王城へと、あたかも誘うように、重々しく開かれた道を火のアーチが照らした。


 眼前の道にはどこぞの魔物が朽ちている。魔力の激動が渦巻く道を、鉤爪で噛みながら味わうように進んだ。

 長く久しく感じるのは、会えなかった時間のせいだろう。短く儚く胸が焦げ付くのは、また離れる事になる罪悪感だろう。

 墨色の扉がひとりでに開き私を歓迎してくれた。


 冷たい床と硬い鉤爪が音を立てるたび、かの方へと少しずつ近づいている、そんな実感が強まっていく。

 もう会うことは無い、私はそう言ったし、かの方は頷いた。

 非力さに指を噛み、恋しさに体を掻き、不条理に目を穿っても、私の信頼するあの子達は勇者のように癒やしてくれたから、私は禁忌を破るのです。


 あなたの気持ちが、ようやく分かりました。


 漆黒の魔界において頼れる光は魔法と火。

 私が作った拙く淡い光では、魔王城の漆黒で寸分先も見えない。

 私の不安な足取りを見兼ねたのか、不思議な明かりが闇に滲んだ。


 子羊を導くように、迷いに標を立ててくれるように、傲慢な優しい光が私を導いてくれる。

 伸びた光の絨毯を歩いていると、次第に魔力が濃くなっていた。どんよりと体を重くするほどの濃い魔力。

 そして汚物のような臭いが強くなる。


 門から魔王の御座すこの檻まで、ひたすらな空虚であった。そこに突然現れたのは、ポッカリと口を開けた羽根のアーチ。真っ白な羽毛は光を帯び、この暗い城において異彩を放つ。


 虚無からアーチを潜ると、未だに虚無が続いていた。かの方を近くに感じるのに、姿は何処にもない。日月(じつげつ)も嫌うような途方もない闇に、進んでもいいものかと一抹の不安が顔を覗かせる。しかし、こうしてアーチがあるということは、潜れという意味以外にはないだろうし、進む以外の選択肢は引き返すだけ。


 何より、こうして考えるよりも先に、体はかの方に引き寄せられていた。


 先を進むと一層の酷い臭いに鼻が捻じれそうだった。鼻腔を突く刺激で、目に涙が浮かび、視界も覚束なくなる。それでも歩みは止めない。この程度で音を上げては、かの方に会う資格なんかない。

 私の為に、私たちの為に魔王になったあの方に、最後の最期で縋りつきたいと思った恥知らずな私を、こうして迎えてくれたのだ。ここまで来て引き返せば、どれだけ傷付けてしまうか。


 鞭を打って孤独にして、首輪を嵌めて…………。

 私よりも心を抉られたであろうかの方を再び壊す事など出来るはずもない。


 厚顔無恥で我欲に穢れた私が、どの面を下げて会えばいいのか。今さらながら、考えなしの愚かしさに涙が溢れてくる。またもや私を優先している。かの方の辛さよりも、私の方が苦難にいると信じ込んで飛び出した、空っぽな脳みそに悲しくなる。


 ボヤケた闇に浮かび上がる光は輝きを増して、いつの間にか暗黒は居場所を無くし、胸で逆巻き始めた重くドス黒い渦も消えていった。


 すぐそこに、もうそこに――――。


 一歩、闇から出ると目の前には異臭と魔力の原因があった。


 溜め池の中にある筆舌し難い色味の液体は、グツグツと暴れて、大きく膨らんだ風船が弾けると、刺激臭が一層強くなる。そして圧倒的な魔力が全身に纏わりつく。粘膜を突き抜け脳を焦がす刺激と、溶けた金属を浴びたような重力に、思わず体が傾いた。


 でも私は倒れない。


 弾けた液体が煌めきの中で池に溶けていくその奥に、彼がいるからだ。


 魔王ルシフェルは畔に座っていた。


 立てた片脚に腕を乗せ、呆然と溜め池を眺めている。

 城中だというのに洞窟のような造りで、檻と呼ぶに相応しい場所だ。

 そんな場所に閉じ籠もる、いや閉じ籠めてしまったのだ。かつての面影を失い、憔悴しきった表情に、喉が張り付いて言葉が出なかった。


 勇気を与えて。

 称賛を与えて。

 死に水を与えて。

 愛を与えて。


 欲してばかり。


 彼はこんなに変わったというのに、私は何も変わっていない。やはり、来たのが間違いだったと思う。


「ウヴァル」


 透き通る赤の瞳が私を捉えた。落ち窪んだ眼にこけた頬。不揃いに断たれた二対の角と、痩せ細った四肢。私と同じ鉤爪は…………ない。誰かが剥いだのだろう。


「…………」


「久しぶりじゃないか。何か話してくれないか?」


 ながい年月を経ても変わらないものがそこにはあった。出すのも辛そうな震える声で、昔のように私を慰める。ルシフェル様はいつでも優しく暖かい。

 こんなに暗くて辛苦に満ちた場所からでも、私を照らして導いてくれた輝く白翼が、その全てを表している。


 汚泥に塗れても貴方の優しさは眩しい。

 それに甘えて、貴方が全てを差し出すまで求めても、一切咎めずに、何もない手を差し出してくれるでしょう。


 行かないと…………。


 永遠に溺れていたいと、心は頑なに反抗する。



 ――――貴方の輝きは猛毒ね。


 ありがとう。


 私、覚悟ができたわ。


 貴方が見せてくれた優しさが、愛の定義を変えてくれたの。


 ありがとう。


「ルシフェル様、行ってきます」


 魔王は魔界の全てを知り、全てに干渉しない。

 私が何を求めるか、私が何をするのか、私がこれからどうなるのか。

 全てを知り、飲み込むしかない。


 助言も諫言も讒言も、元よりありはしなかったのだ。


 それでも、私には伝わっている。

 貴方の優しさが。


「待ってるよ」


 背中越しの言葉に、また視界が歪む。

 どうにも、この悪臭は視界にくる毒みたいね。


 それでも行ってきます。


 苦しめて、ごめんなさい。




 躊躇いがちな一歩が嘘のように、彼女は堂々と王城を後にした。

 天上天下は差し掛かかる。愛が混沌を齎す逢魔ヶ時へ。


 ※※※


 悪魔と地獄は、転生者が生まれた地球で生み出された概念である。

 そしてこの世界の上に広がるのが、彼らのいう地獄であり、住まうのが悪魔である。


 悪魔とは、()()()()()()()()()い。

 邪悪で人を欲望の渦に誘う、堕落の権化ではない。


 魂を糧として、力でヒエラルキーを作る生物というだけで、ほとんど人間と変わらないのだ。肉体的、慣習的な違いはあるが、心の挙動や思考は人間そのものである。


 そんな彼らは望むべくもなく、1つの作用を世界に齎している。

 それは、魂の浄化と還元である。


 死した肉体は魂を解放し、魂は魔界へと登っていく。通魂層を抜け魔界へ辿り着くと、魂は欲望の澱だけを抜き取られる。そうしてまっさらになると、十把一絡げ、練り物のように引き伸ばされ纏まりながら、魔界に満ちる魔力を吸収し、天下に向かって落下する。


 通魂層に接触すると、瞬く間に拡散し世界を覆うように薄く広く伸びていく。

 このサイクルが繰り返され、通魂層の上でぶ厚くなった漂白の魂は、恵みとなり地上へと降り注ぐ。


 いつかの雨の日、新たな魂が浄めを受ける為に通魂層を抜けた。

 時を同じくして、市民避難用の塹壕の中では、鋭い鉤爪で地を喰む、人の形をした黒翼の王が召喚された。


 召喚に強制力はない。

 王が召喚を受け入れ地上にやってきたのだ。


 王は、辺りを見回し眉を顰めた。


 召喚が行われると、人間と悪魔は双方の合意に依って契りを交わすのが一般的だ。

 しかし、この場にあるのは死体だけであった。

 生気のない躯が重なりあい、降り立った異形の王には無反応を決め込んでいる。


 憚る人目がない為か、黒翼の王は、恐る恐るゆっくりと慎重に手を伸ばした。


 とうとう腕は伸び切り、王は首を傾げる。指同士を擦り合わせたり、己が手を眺めてみたりして、怪訝な表情を崩さない。


 次は脚を動かした。


 地面に描かれたペンタクルの端まで近づき、円の外へゆっくりと鉤爪を出す。


 折り重なる躯のように、何もかもが無反応だった。


 あり得ない事ではない。

 だが、起きるはずもない現実が起きたといえる。


 契りを交わすのは、召喚者が自身を守る為であり、人類を守る為である。契りを交わせば、召喚者の意のままに悪魔を使役することができる。契りとは専ら、悪魔を縛る拘束具である。

 しかし、鉤爪が出てもなにか起きる様子はない。

 つまり縛りは無く、王は自由なのだ。


 自由を得た王は、ペンタクルから完全に体を出すと、疑わしそうに、体を見た。ペタペタと隈無く触れ、躯を蹴り飛ばし、壁に激突した躯を魔法で消し炭にした。


 そして、彼女は口を歪めた。


 ドォォォン。

 天井や壁が揺れて、パラパラと崩れた土煙が舞う。

 外で何かが起きている。

 音や振動に怯えることはなく、寧ろ興味有りげに、躯の山の側にある、光の差す場所へ歩き出した。


「ん?」


 違和感が口をつき、足元へ視線を落として立ち止まった。

 食い込む爪が土を解放して、細い脚が持ち上がると、光を反射する円形の金属が落ちていた。


 王の表情には驚きと懐古が滲んだ。

 銀メッキの安い指輪だが、彼女の瞳は釘付けになり、遂には拾い上げて土を落とすまでであった。

 幾分か汚れが落ちて元の輝きを取り戻した指輪をしげしげと眺めていると、内側に彫られた刻印に気づく。


 リリーより永遠の愛をイアンへ


 再び地面に目を落とすと、死体の山裾から逃げ出そうとしたのか手が飛び出ている。爪は割れ、土に血が滲み、苦悶した様子が窺える様相だ。


 その手を見て、王は人山を崩し始めた。

 ゴミを放るように、畏怖の念など微塵もみせずに取っては投げを繰り返し、ようやく一番下から出てきたのは、充血しうっ血した顔の若い男だった。人の重みから頭部がべっこりと凹み、顔は紫色に変色。口から血を流す男の首根っこを摘み上げると、その下からはさらに、歳を食った女と赤子が出てきた。


 そこで何を想ったのか、王は黒翼を広げた。

 男を優しく地面に降ろし、3体の躯の頬を、翼でそっと撫でたのだ。

 来たときよりも優しげな笑みで躯を眺め、拾った指輪を握りしめた。


 再び、光の差し込む方へ顔を向けた王に、優しげな微笑みはなかった。

 この世の摂理への恨みと、この世の愛への情念とを天秤に掛けた、非力な絶望が、そこにはあった。


 そして王は、明滅し始めた出口へと歩き出す。


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