妻からの報告
「旦那様、東の後宮からわたくしに妃教育の講師の打診がございました」
今日の宰相としての執務を終えて帰宅した私を出迎えた妻が
自室での着替えを手伝いながら話を切り出した。
「妃教育が必要とは、殿下のお相手は女官であったか」
「はい、そのようでございます」
私に室内着のガウンを羽織らせながら妻が肯定する。
王太子殿下が先日御自身の後宮にある奥の殿に女性を入れた事は城内では誰もが知るところとなっている。
ただそのお相手については全くと言って良いほど情報がなかった。
だが、それが女官と言うのなら頷ける。
将来の皇帝の妻、又は外因となるのに邪魔な存在を消そうとする貴族がいないとも限らない。
ましてやその相手が女官、すなわち平民であるのならば尚更容易に狙われるであろう。
それが分からない殿下ではないだろうに
最初の寵愛を与える者をその女官に選ぶとは・・・
「殿下の初恋であろうかな、身分のある者から召し上げていれば面倒も少なかったであろうに」
思わず口をついて憂いが出てきてしまった。
「それだけ愛情が深いのでございましょう」
「ただそばに置いて愛でるだけが愛情の示し方でもないだろうに、それで危険を増やすのは賢いとは言えまいよ」
「あらあら、この国の宰相殿は手厳しいですわ」
脱いだ仕事着を下女に渡してから、私の座る向かい側のソファに妻が座る。
「あのちびっこだった殿下が心配なだけだよ」
今は図体だけは大きくなったが、さて心までも成人しているのだろうか。
「妃教育の要請、受けようと思うのですがよろしくて?」
「ああ、其方に声がかかったのは、ちょうど良い。お相手の女性を見極めて私に教えてくれ」
王太子殿下のお相手の事は陛下も気にしていらっしゃる。
気になってご自身で確かめに行ってしまう前に、こちらで精査した情報をお渡ししなくては・・・。
「旦那様のお役に立てるのならば喜んでお引き受けいたしますわ」
妻が自信ありげに美しく笑う。
「ああ、頼んだ」
数日後、東の後宮に行っていた妻から早速報告を受けた。
「今日は顔合わせだけでしたけど、驚きました」
夕食後の時間に酒精を用意させて自室で寛いでいる時に早速話を振ってみた。
無難な印象だったと返ってくると踏んでいたので少し意外に思いながら、話の続きを促す。
「驚いたとは?」
そう聞くと妻は少し気まずそうに口ごもる。
「あれは、奥の殿に呼んだとしても恐らく閨ごとは行われていないかと・・・」
私は驚いて目を見開いてしまう。
まさか、そこまでの朴念仁なのか?あの殿下は
「ほう?だが、何故わかる?どのような女子だったのだ?」
そう聞くと妻は思い出すように上方に目を向ける。
「外見の事を言いますと、美しいの一言に尽きると思います」
「ほう・・」
この妻が美しさを情報の1番に持って来るとは、本当になかなかの物なのだろう。
「ただ・・・」
妻が少し悩ましげに頬に手を添える。
「ただ、何だ?」
躊躇する話題運びに焦れて先を促す。
「はい、ただ、あの方は、あまりにも幼いのです」
その言葉で頭に描いていた女性像が混乱を来す。
「幼いとは?若い見かけと言うことか?」
「いいえ、若いと言いますか、子供です。5歳ぐらいの」
それには、さすがに私も驚いた。
「・・・殿下が17だから、差は12ほどか。政略でない10代の初めての妻が5歳・・・しかし」
少し現実を受け入れるのを拒否している自分に気付く。
それこそ12歳差など政略結婚では珍しくもない。
実際今の陛下には12どころかもっと歳の差がある若い妻がいたりする。
しかしそれは政略結婚の場合はの話だ。
殿下は5歳の幼女に対して・・・まさか・・・。
いいや、殿下は幼女趣味ではない、はずだ。
「もしかすると城内で言われているような仲ではなく、何らかの事情があって義務感などで保護している可能性があるな」
「わたくしも、そのような可能性があるのではないかとは考えました」
「それならば、このまま妃になる可能性も低いな。・・・いや、まだ答えを出すのは早い。何にしても明日からの講義でただの子供かどうかよく見極めてくれ」
「ええ、もちろんですわ」
私は杯に残った酒を飲み干した。
翌日も妻からの報告(?)を受けた。
「わたくし、講師として自信を無くしてしまいましたわ」
妻がしょんぼりと呟く。いったいどうしたと言うのだ。
私の妻は自立した女性だ。
貴族としての礼儀作法にも長けていて、今まで夫の私にでさえも弱みを見せる事は少なかった。
「どうしたのだ。お前にしては珍しい。それほどに覚えの悪い生徒なのか?」
相手は平民の子供、妃教育と言っても今までのやり方は通用しない可能性がある。
それにまだ物事をよく理解出来ていない子供ならば、そもそも学ぶ気すら持てないでいるかもしれない。
そんな相手に教えを授けるのは無理難題であるだろう。
「いいえ、彼女は完璧なのです」
予想に反してとても簡潔に返されたその言葉は要領を得ない。
「完璧とは?何に対してだ?」
理解が追いつかず王蟲返しに尋ねる。
「あの方は、今までどうやってお育ちになったのか、わたくしが知り得る礼儀作法は完璧に身につけていらっしゃいます。いえ、むしろ、本日はわたくしの方が学びを得る事が出来ました。昨今は外国との交流が重視されこの国従来の作法の中に外国の作法も取り入れられて来ています。わたくし達は見様見真似で対応せざるを得なかったのですが、それを彼女は、何故この作法が必要か、まるで分かった動きや受け答えをするのです。今日の講義の彼女を見て、やっとわたくしが腑に落ちた作法もあるのですよ」
妻が今までに無いぐらいに饒舌に語る。
しかし、礼儀作法が完璧な平民の子供?
私の妻が逆に教えられるなんて、おかしな話を聞いた。
「平民の子供だよな?」
「・・・そのはずなのですが」
妻が自信なさげに呟く。
「何にしても引き続き、よく見極めてくれ。先日、王太子殿下が北の後宮でお茶会に出席されてから、妃達に話を聞いた陛下が強くご興味を示されているんだ。考えたくは無いが、あの方の事だ。興味を引かれた女性への行動力は我々の予想を超えて来るからな。あの方が入ってはいけない東の門をすり抜けてしまう前に手を打ちたいのだ。その為には情報が欲しい」
「旦那様、陛下の暴走をお止めするのもたいへんかと存じますが、お勤めしかとよろしくお願い申し上げますね」
少し青ざめた妻が釘を刺しに来る。
「分かっている」
翌日、翌々日も妻は東の後宮に通っている。
初めは困惑していた彼女だが、次からは開き直ったようにこの講義に向き合っていた。
「あの方は、食事もお茶会の作法もやはり完璧でしたわ。今日などは社交についての講義でしたが、恐らく外国の賓客が来ても問題なく対応が出来るでしょう」
そう語る妻はどことなく自慢気だ。随分と絆されている。
「ならば、王太子殿下と並び立っても、みすぼらしくはならないか」
「それは間違いございませんわ」
妻が太鼓判を押す。
「そう言えば、北の後宮でのお茶会で王太子殿下も、その女子が仮に立后する事になっても大丈夫だと言ったとか」
お茶会での戯れに零された言葉だと思っていたが、そうではないのか。
「王太子殿下も、あの方の素質は見抜いてらっしゃる事でしょう。あの方はご自身が特別優れているとは思っていないようで、特に見せつけるでも隠すでもなく、息をするように上質な振る舞いをされていますから・・」
話を聞けば聞くほど妻からは褒め言葉しか出てこない。
「陛下ではないが、私もどんな娘なのか見てみたくなったな」
ここまで言われると存在が気にならない訳がない。
「きっと、旦那様があの方とお話しをしても、退屈することなく楽しめると思いますよ。それだけ彼女の社交技術は高度ですから」
「君がそこまで言うとはね。そういう機会があれば話をしてみるよ」
「そうですね。一先ず明日からも妃教育であの方の実力を確認いたしますわ」
「ああ、そうしてくれ」
そう言った妻は、どことなく楽しげであった。
翌日の昼間、私は皇帝陛下の執務室で国政の課題に向き合っていた。
先日、隣国と西の国が緊張状態に陥った事で、我が国にも多少なりとも影響があった。
その問題に王太子殿下が自ら指揮を取り介入した事により、何とか戦争は回避出来た。
しかし、好戦的だった西の国はこのままでは引き下がりそうもなく、少しきな臭い話も聞こえて来ている。
「西の国の王からの親書が届いた。三月の後、我が国を訪れたいと言っている」
陛下が書類に目を通しながら仰った。
「それはまた、国王が自らとは。相変わらず活発なお方ですな」
私は手元の執務を止め、陛下に応じる。
「ただ親交を深めに来るのが目的ではあるまい、厄介だな」
陛下が眉間に皺を寄せて警戒を示される。
「そうですね、先日の我が国の介入を快く思っていない事は確かでしょうから」
「ふむ、此度の対応も蒼劉にやらせてみるか」
陛下が思案するように顎に手を当てて仰った。
「そうですね、それが良うございます。殿下にも良い経験となるでしょう」
「あれも、次期皇帝としての自覚を少しずつ持ち始めているようだしな、奥の殿に度々女を入れているようだし、世継の誕生もそう遠くないであろう」
「・・・・・・・」
それは、お相手が5歳でなければ、おっしゃる通りでしたでしょう。
返事をしない私を陛下が訝しげに見られた。
「何だ?何かあるのか?」
しまった、陛下の気を無駄に引いてしまった。
「いいえ、何もございません」
「いや、何も無い様子ではなかったな。蒼劉の相手について何か知っているのか?」
咄嗟に誤魔化そうとしたが、余計に興味を引いてしまったようだ。
「知っていると言うほどでは、ただ私の妻が東の後宮から妃教育の講師を要請されまして、その任についております」
「なんと!では夫人は今直接例の女性と接しているのだな?何か聞いているか?!」
途端に陛下が食いついて来る。あああ
「そうですね、まだ数日しか経っておりませんが、たいへんに優秀な方だと妻が申しております」
「ほう、あの夫人が優秀と言うのだから相当だな。女官と聞いたが蒼劉が目をつけるほどの事はある」
「そのようでございますね」
「美しくその上優秀であるか、ますます興味深いな」
陛下のその呟きにギクリとなる。
「陛下、東は陛下が立ち入ってはダメな所ですよ」
そう言うと拗ねたような顔をして頷く。
「分かっておる。しかし気になる」
ダメだこりゃ・・・私はそっとこめかみを押さえた。
その夜、いつものように妻からの報告を聞く。
「あの方は教養も素晴らしいです」
もはや、賛辞しか出てこない。
「今日は何の講義だったのだ?」
私も少し興味を引かれて質問する。
「地理と歴史の講義です。わたくし1人では力不足になるやも知れなかった為、帝国大学から学者をお招きして講師をしていただきました」
そこまでする徹底ぶりに私は少し驚く。
普通、妃教育は教養ある貴族女性が全て引き受ける。
何も知らない平民に学者をつけるまでの必要性が今まで無かったからだ。
「では、さすがに今回は講師としての立場は守れたのか?」
妻がいつも講師としての意義を見出せないと嘆いていたの知っていたので、そう聞いてみる。
「いいえ、今回も完敗でございましたわ」
そういいながら、何処と無く嬉しそうに妻が語る。
「地理も完璧にこの大陸と海峡を挟んだ隣の大陸まで地図が頭に入っているようでしたし、歴史についても随分と詳しく、学者をうならせていました。歴史に基づく現在の国際情勢にまで詳しく。隣国と西の国、果ては彩伽についても歴史考察を踏まえよく現状を理解されているようでした」
思いがけず、今日の執務で議題になっていた国際情勢の話がでてきた。
「本当に1度お会いして、話をしてみたいものだ」
思わず、そんな言葉が零れ出てしまった。
「そうですね、旦那様にも一度お話をする事をお勧めしますわ。学者もあの方の事がたいそうお気に召したようで大学の研究室に入って欲しいと勧誘されておりました」
「つくづく優秀な娘なのだな」
大学で学者をしている者は、この国の叡智と言っても良い。
王族も一目置いていて、国政に困った時に助言を求める事もある。
そんな者に認められる教養を、平民がいったい何処で身につけられるのだ?
「不思議な女子だが、王太子殿下のお目は確かなようだ」
「本当に、そう思いますわ」
夫婦で密かにこの国の行く末に安堵を覚えた。
翌日、皇帝の執務室に王太子の使いが来た。
「宝物庫を開ける許可?」
陛下が不思議そうに使いに応じている。
「はい、東の後宮に珍しい楽器を嗜む方がいらっしゃるようで、弾かせる為だと伺っております」
頭を下げたまま言う使いに、陛下はあっさりと許可を出した。
使いが去った後
「あれが後宮に目を向けるようになって何よりだ」
少し満足そうに仰った。
その夜
「旦那様、璃珠を我が家にお招きしましょう」
突然、興奮気味の妻にそう切り出された。
妻よ、落ち着きなさい。
「突然どうしたのだ?璃珠と言うのは、王太子殿下の?」
「はい、あのお方のお名前ですわ。本日は音楽の講義だったのですが、素晴らしかったのですわ」
音楽の講義と聞いてピンと来る。
「もしや、宝物庫の楽器を弾いたのは・・・」
「あ、そうですわね、宝物庫を開けるには陛下の許可が必要ですものね。旦那様の耳にも入りましたか」
「ああ、昼間、殿下の使いが執務室に来た」
「ええ、その宝物庫に置いてあるような珍しい楽器、ハープをあの方が弾かれたのですが、とても素敵でしたわ。楽器を操る巧みさ、歌う高く澄んだお声、そのお姿は1枚の絵画のように美しく、その場にいた者は皆魅了されましたわ」
妻が頬を染めて目をキラキラと輝かせている。
まるで少し若返ったようにも見える。
「それほど、良かったのか」
「はい、今回も楽団の楽師長を講師として招いたのですが、本気で楽団に入れようと拐って行きそうになっていましたわ。王太子殿下が阻止しておりましたが」
「あの楽師長か、殿下以外の人にそんなに興味を示すとは、ましてや拐うとは、本当にそれほどの物だったのだな」
楽師長が殿下を幼少の頃から可愛がっていたのを見てきた。
あの男は美しい男に目がないのだ。
「そうなのです。ハープの音色や歌に聞き入った後は、何だか身体の調子も良くなりました。楽師は古傷の痛みが消え、女官長も腰の痛みが、同席した女官も月の物の痛みが消えたと。わたくしは何だかお肌の調子がとても良いのです」
若返ったように見えたのは、肌の調子がいいからか。確かに吸い寄せられそうに綺麗な肌だ。
私は妻の頬に触れる。
「我が家に招きたいと言ったな、好きにするといい」
「旦那様、ありがとうございます」
妻が魅惑的に微笑んた。
璃珠という者、私も会ってみたいものだ。
お読みいただきありがとうございます。




