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大天使に聖なる口づけを  作者: シェリンカ
第一章 十年ぶりの母の帰宅と驚愕の真実
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暖かな光が窓から射しこむうららかな午後。


 居間に置かれた布張りのソファーに深々と腰かけて、エミリアは湯気を立てる紅茶の芳しい香りを、胸いっぱいに吸いこむ。


 紅茶はもちろん大好きなミルクティー。

 横には母の手作りのお菓子も添えられており、その母ももちろん、向かいの席に座って、にこにこと微笑んでいる。


 その日の午後のひと時は、エミリアがこの十年間、密かに心の中で思い描いてきた理想のティータイム――まさにそのものだった。


 しかし残念なことに、その時のエミリアは、とても落ち着いて今の状況を楽しんでいられるような精神状態ではなかった。


 母の思いがけない姿を目撃し、その場はともかく何も言わず、黙って家まで帰ってきたが、その道中、アウレディオと母との間で交わされたのは、「元気だった?」とか、「俺、今庭師の仕事をしてるんだ」とか、あまりにも普通の会話。


「お母さん! 家に帰ったら、絶対にきちんと説明してもらいます!」とはじめは息巻いていたエミリア自身も、目にした光景のあまりの荒唐無稽さに、いったい何から聞いていいのかがわからなくなってしまった。


 花柄のカップを膝に置いたたまま、少し困ったように上目遣いでエミリアの顔を見つめている母は、どうやら自分から話を切り出すつもりはないようだ。


(このままじゃ埒があかないよね……)


 紅茶をいっきに飲み干して自分を奮い立たせ、エミリアはついに口を開いた。


「お母さん! ……さっきのことなんだけどね!」


 パッと花咲くように笑った母は、エミリアに向かって心持ち体を乗りだし、その先をどうぞと言わんばかりにこくこくと頷く。


「あの、あのう……そのね……」


 しかしその先何と言っていいのかが、エミリアにもわからない。


(まさか自分を生んでくれた母親に向かって、「お母さんって、天使なの?」はないでしょう……)


 だからといって、他に何と聞いたらいいのだろう。


(こういう時こそ、ディオが助け舟を出してくれるといいんだけど……)


 隣に座るアウレディオに視線を向けてみても、さっきからずっと知らん顔して紅茶を飲んでいるだけ。


(もうっ!)


 当てにならない幼馴染にはさっさと見切りをつけて、エミリアはなんとか自分で、当り障りのない言葉を探しだした。


「さっきの羽……ほんものなの?」


 母は宝石のように綺麗な翠色の瞳を真っ直ぐにエミリアに向けたまま、こっくりと頷いた。


「お母さんの背中から生えてるの?」


 またもこっくり。


「それって……お母さんは人間じゃないってこと?」


 母はもう一度しっかりと頷き返してくれたが、その笑顔はどことなく寂しそうにも見えた。


「お父さんはこのこと知ってるの?」


 母の笑顔はもっと寂しそうになる。

 けれどエミリアのその質問にも、確かに肯定の意味で頷き返してくれた。


「そうか……」


 ただただエミリアを見つめ続ける母の表情は少女のように儚げで、まるでこれ以上何かを言ったら、泣きだしてしまいそうだった。

 同じことをアウレディオも思ったらしく、紅茶を飲む格好はそのままに、エミリアに視線だけで、(もう止めろ)と命令してくる。


(ディオに言われなくたってわかってる……だって私はお母さんの娘なんだから……!)


 同じく視線だけで言い返すと、エミリアはせいいっぱい声の調子を明るくして、母に向き直った。


「じゃあ、もういいや。お母さんが私のお母さんであることには変わりはないんだし。うん、もういいよ」


 見る見るうちに母の大きな瞳から涙が零れ落ちた。

 感極まってソファーから立ち、エミリアに駆け寄ってくる。

 首に縋りつくように両腕を回して、栗色の頭を抱きしめた。


「ごめんね、エミリア……黙っててごめんね。寂しい思いさせてごめんね……」


 母の華奢な腕にぎゅっと抱かれながら、エミリアはぼんやりと、この十年間のことを思い出していた。





 十年前のあの日、まさに忽然と姿を消してしまった母を、エミリアは恨んだり、嫌いになったりはしなかった。


 それは、いつになっても変わらず母を大好きな父と暮らしていたからだったし、アウレディオやフィオナのような小さな頃からの友だちが、母との思い出をエミリアと一緒に、宝物のように大事にしてくれたから――。


 母を思い出す時は、悲しいよりも寂しいよりも先に、温かく優しい気持ちになる。

 それはきっと、今でもずっと変わらず、エミリアだって母を大好きだからだ。


(ああ、お母さんが帰ってきたんだなぁ……)

 細い腕に抱かれていると、そのことを改めて実感する。


 涙が溢れてきた。

 普段は人前で泣いたりなどしないのに。

 今は、子供のように泣いてしまっても優しく頭を撫でてくれる人がすぐ傍にいる――そのことがとてつもなく嬉しかった。

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