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ほとんど眠れないままの夜が明け、エミリアは新しい朝を迎えた。
母の仕事を手伝うと宣言してから、もうすぐ十日ほどになる。
早く仕事を完了させて、母と一緒に暮らせるようにするぞと、今までのようには無邪気にこぶしを突き上げられない自分を、エミリアは憂鬱に感じていた。
見つけたその時が、ミカエルである誰かとの別れの時になるということを知り、どうしても意欲的になれない。
自分の好きな人と会えなくなることが、最初から決定しているのだから、こんなにやる気をそがれる仕事はない。
(板ばさみってこういうことを言うんだろうなあ……)
母が準備してくれた美味しい朝食を口に運びながら、エミリアはしみじみとそう思った。
涙が枯れるほどに泣き、頭が痛くなるほどに一晩散々悩んだせいで、かえって今朝は少し冷静になってもいる。
(いくら悩んだってなるようにしかならないわ……まだアルがミカエルだって決まったわけじゃないんだし……ましてや、私とアルがキスなんてするわけないんだから!)
落ちこんだあとほど前向きになれるのが、エミリアの良いところである。
カランカランと鳴った玄関扉の鐘に、母を制止して立ち上がる。
「あっ、私が出てみるから」
扉の向こうに立っていたのはアルフレッドだった。
「よっ。これから新しい仕事の選抜試験に行くんだ。途中まで同じ道だから、ひさしぶりに朝も一緒に行かないかって寄ったんだけど……どう? 行くか?」
いつもどおりの明るい笑顔に、エミリアはどこかホッとして、嬉々として頷いたが、アルフレッドの背後を確認してみることも忘れはしなかった。
「……ディオは?」
「ああ。今日はせっかく三人そろって行く先が一緒なんだからって、何度も誘ったけど……手ひどくふられた。二人で勝手に行け。自分は一人で行くってさ……」
アルフレッドの返事が思いのほか胸に刺さり、エミリアはそんな自分にびっくりする。
(どうして、私とアルと三人では嫌なのよ、ディオ……)
自分でもよくわからない感情を怒りに置き換えながら、エミリアはアルフレッドと共に、家を出た。
「昨日はごめんな。突然変な話して、驚かせちゃったな……」
照れたようなアルフレッドの声に、エミリアは慌てて彼の顔をふり仰ぐ。
おそらく彼が両親と血の繋がりがなかったという話のことを言っているのだろう。
「う、ううん。大丈夫」
首を振るエミリアの先に立って、アルフレッドは歩き続けながら語る。
「ひさしぶりに会ったってのに、いきなりあんな重い話から始めることはなかったよなぁ……一人になってから、ほんと反省した。ひさしぶりに会ったエミリアが思ってた以上に綺麗になってて、正直再会してからずっと、俺はいっぱいいっぱいなんだ……」
「え……アルが?」
さらりと『綺麗』だなどと言われて、動揺していることを知られたくなく、照れ隠しも兼ねて笑いながら言い放ったエミリアの手を、アルフレッドは同じように笑いながら掴んだ。
「そう、この俺が! 小さな頃から知ってる近所の女の子に翻弄されっぱなし!」
「翻弄なんてしてないわよ」
「俺が勝手にされてるんだよ」
優しく手を引いて傍に引き寄せられても、抱きしめられても、エミリアはまったく嫌な気持ちがしなかった。
アルフレッドの腕の中、すっぽりと抱きしめられていると安心感さえ覚える。
それなのに――。
「アウレディオに感謝しなくちゃな。あいつが『帰ってきたいんだったら帰ってくればいい』ってあと押ししてくれたから、またリンデンに帰ってこれたんだし、それでまたエミリアにも会えたんだし……」
アウレディオの名前が出てくると、思わずこの場所から逃げだしたくなるほどに、体が過剰反応するのは何故なのだろう。
どうにも居心地が悪くて、アルフレッドの腕の中から抜け出したくなる。
エミリアはどうやら、アルフレッドの口からアウレディオの名前が出てくるのが、好ましくないらしい。
「エミリアと仲良くなるきっかけをくれたのだって、もとはといえばアウレディオだったんだぞ」
遠いところを見つめるアルフレッドの横顔を、エミリアはざわめく胸を必死に落ち着かせながら見上げた。
「え……?」
「エミリアの母さんがいなくなった時、あいつ、俺のところに来たんだ。自分はエミリアのために母親を捜しに行くから、その間エミリアを頼むって、守ってやってくれって。いつもうらやましく思ってた騎士役を、譲ってもらったみたいな気がして……うれしかったな……意地悪ばっかりして、あの頃は俺、すっかりエミリアに嫌われてたからな」
「そ、そんなことはないよ……」
形ばかりの返答をしたが、アルフレッドの話の最後のほうは、もはやエミリアの耳には入っていなかった。
(私の……ため……?)
アウレディオがあれほどボロボロになるまで母を捜し歩いた理由を、アルフレッドはそう語った。
(ディオはお母さんのことが大好きだからって、私ずっと単純にそう思ってた……違うの? だってディオが好きなのは、今も昔もずっと、お母さんで……?)
今までずっとそう思いこんでいたことが、なんだかよくわからなくなってくる。
(じゃあディオがあんなに一生懸命、お母さんから私が引き継いだ『ミカエル捜し』を手伝ってくれるのはどうして? お母さんがずっとここにいられるようにするためじゃないの? 傍にいたいからじゃないの?)
これまで一番近くにいて、一番わかってるつもりだったアウレディオの真意が、まったくわからない。
それは自分という人間の基盤が失くなり、今にも転びそうになっているような、恐ろしく不安な気分だった。




