第二話 過去
神楽小路君彦、彼は生きる上で人と関わりを持つことを拒絶したまま、大学生になってしまった。
一人っ子で、幼い頃から親戚の集まりに出ても同世代の子どもたちと仲良くできなかった。人見知りで声をかけることが出来ず、話しかけられても照れてうまく返答出来なかった。そうして黙っていると、「あの子はしゃべらないから」「一緒にいてもおもしろくない」と孤立した。
あまりにも人と話さないことを心配した両親は、勉強よりもコミュニケーションの取り方を学ばせた方がいいと、私立ではなく、近くの公立小学校へ進学させることに決めた。神楽小路少年も友達が欲しくないわけではなかった。絵本に出てくるような「一緒に遊ぶ仲間」に憧れた。ただ、自分から話しかけれなかっただけなのだ。「小学校ではがんばろう」と、その時はそう思っていた。
入学早々、同級生はもとい、小学生の低俗さにショックを受けた。うるさく叫び、先生の言うことを聞かず、暴れる。当時、校区内の公立小学校は荒れていたのだった。この雰囲気に馴染めない、いや、馴染むべきではではないと思った神楽小路少年は、すぐに登校を拒否するようになった。
最初のうちは、両親が付き添い、無理やり登校させていた。そのことが引き金となり、「こいつはお母さんが付き添わないと学校に来れない」と皆から嘲笑され、いじめの標的となった。神楽小路は暴言を吐かれようが、殴られようが、泣かずに無言を貫いた。「こんなバカ共に何を言っても無駄だ」と思ったからだ。
ボロボロで家に帰っても心配した家族や使用人たちにも黙っていた。何も言わない、抵抗しないことがさらにいじめを助長した。
さすがに限界を感じはじめた彼は逃げることを選び、一年生の終わりには勝手に帰宅する、登校したように見せかけて学校を休むなどの行動を起こすようになった。
神楽小路家には専属の家庭教師が数名おり、幼稚園のころから読み書き、計算はある程度出来る状態であった。そのため、授業に出たところで「すでに繰り返し学んでいる」ので、授業に興味がなかった。息子が学校でうまくいっていないことを察し、「自宅で勉強するなら」と両親は登校を促すことを諦めた。そうして神楽小路少年は自宅に引きこもった。
引きこもる生活の中で、本を読んだ。
幼少期から読書が好きだったが、自主的に勉強を続け、知識を増やすことにより、作品の理解を深め、読書量を加速させることとなった。
本だけが自分に語りかけてくれる、家の中にいてもどこへでも行ける、そんな気持ちだった。
次第に、自らの手で作品を作ってみたいと思うようになり、彼はペンを手に取り、物語を書くようになった。
家族も仕事で忙しく、外界と関わりがないため、人に読んでもらうということを考えたことはなかった。
ただ、自分の孤独さであったり、うまく生きることが出来ていないことへの後ろめたさ、心の膿を作品にし、出したかったのだ。
だが、書くにあたって、神楽小路は悩んでいた。
作品に出てくる主人公以外の登場人物にはいつも表情がなかったからだ。
どういう反応をするのか。本を読んで学んだことを生かしたり、想像して書くものの、人とじっくり話した経験が少なすぎるゆえ、どこか抜け殻のような、生気のないものとなった。
家の中には家庭教師の他に、料理人や庭師が出入りし、メイド数名は住み込みで働いていた。そのため、最低限の会話や挨拶はできるものの、同世代、年齢が近くなればなるほど、どう会話したらいいのかわからず、抵抗感を持っていた。
小説のために他人というものをもっと深く知りたいが、小学校の苦い思い出もあり、何を言われるか、何をされるかの恐怖もあった。
自分のために作品を生み出している反面、どこか欠けている他者の感情を補えればもっと納得いく作品が作れるはずだ。
この状況を打破したほうがいいのではないか。
しかし、怖い。引きこもりながらも生きて、ここまで築き上げた何もかもが崩れるくらいなら、一人でいる方が安心できる。
ぐらぐらとした思いを抱きながら時は過ぎた。
通信制の高校卒業目前、「大学進学は考えていない」という意志を聞いた両親より「どこでもいいから、大学は卒業してくれ」と懇願された。
渋々、「小説の役に立つ大学」を調べ、ここ、喜志芸術大学の文芸学科に行きついたのだった。
喜志芸術大学は、名の通り「芸術」に特化した大学である。
小説やエッセイなどの作品執筆、国内外問わず書籍に関する歴史を学ぶ文芸学科をはじめ、美術学科、音楽学科、写真学科など大きく十六学科ある。
文芸学科であっても、カリキュラムに入っていれば映画評論の授業や、イラストを描く授業も受けることが出来、創作の幅を広げる。そういう点も神楽小路がこの大学を選んだ要素でもあった。