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「赤ペン先生が君のオフェンスを添削したろか、青影くん」
幽玄はウイングに移動すると、ハイポストの位置にエリーを上がらせそこにパスを送った。エリーはボールを受けとるやいなやリングに正対し、1on1の構えを見せる。
「ハーフコートまでボールを運んで来た君は、まず自分で攻めようとする。それは正解。攻める気のないプレイヤーほど守っとって楽なやつはおらん」
瞬間、幽玄は素早くゴール下へと抜け出した。エリーを移動させて生まれた広大なスペースを自らが生かそうという算段らしい。しかしその目論見に龍臣は何とか反応し、パスコースを左手できっちりと切る。
「個人での打開が難しいと感じると、次の手段は朱雀くん。それもダメならその次は大雅くんにパスを出す」
そしてボールが自分に入らないと悟った彼は、鋭角に方向を転換してコーナーへと向かっていく。コーナーで待機しているのは、第二クォーター終盤に和泉と交代したシューティングガード・堀内だ。狙いはまたもゴール下のスペース。オフボールスクリーンをセットすることで、邪魔なディフェンスを剝がして堀内にイージーシュートを狙わせる作戦。
「直さん、スクリーンッ」
「オーバー!」
それを看破した龍臣がすぐさまボイスコミュニケーションで危険信号を飛ばした。即座に応答した宿間谷は右方に出現した壁をかわして、ゴール下への自由飛行にノーを突き付けていく。
「それで、おしまい。朱雀くんがダブルチームされていようが大雅くんの調子が崩れようが、君はこの思考ルーチンを崩さん。はははっ、まるでコンピューターやな」
「さっきからオフェンス全部不発のくせして、好き放題言ってくれるじゃねえっすか」
「そりゃ、まだ本命じゃないからなあ…エリー!」
名前を呼びながら、幽玄は自分のポジションをもう一度ウイングへと押し上げる。そしてリターンパスを手中に収めたその時、彼は“来い”のハンドシグナルをゴール下の堀内に向けて発信した。
ピック&ロールか?龍臣はそう考えた。
仮にそうだとして、スクリーンの方向は右か、それとも左か。セットされる前にハンドラーの目線でそれを気取ってやる。
そうして彼が顔を少し上げた時、その眼前には全てを吞み込んでしまいそうなダークブラウンの虹彩が延々と広がっていた。
「かわいそうに。君ら三人だけでバスケして、上級生二人は完全に無視かいな」
いつの間にかハイポストに立つ影がもう一つ。逆サイドのウイングにいたはずの高橋だ。そしてその二人の間を通りながら、堀内が猛然とトップ・オブ・ザ・キーへ駆けあがる。その後を追いかける宿間谷もまた、彼ら二人の間を進もうとした。
しかしそれは叶わなかった。区間料金を超過した駅で降りようとした客を締め出す改札口のシャッターのように二人がその身体を寄せ合い、開けて見えた彼らの間の空間は急激に光を失った。
はじき出される宿間谷。そしてフリーとなったシューター。司令塔から、寸分狂わぬパスが送られる。
「エレベーターかよ」
「正解~」
NBAの強豪ゴールデンステイト・ウォーリアーズの十八番、“エレベーター”。ディフェンダーの進路を二枚のスクリーナーで塞ぐ、シューターのためのセットオフェンス。堀内が放ったスリーポイントシュートは難なくリングを通過し、点差は九点となった。
△▼△▼△▼△
「取られたら取り返しゃあいい…」
「させんよ」
龍臣は耳元から聞こえたその声に驚愕した。
「…ああ!?」
水浦の攻撃終了から一瞬の間髪も入れずに、幽玄が彼のマークにぴたりと着いていたのだ。
「バスケットボールは五人でやるスポーツやろ?」
「オールコートでマークしても…!俺ごとき止めるのはわけねえってのかァァ!」
ここがターニングポイントだったのだろう。
「ポイントガードの君が、その前提を理解してなくてどうすんねん」
ここで無理やりな突破を選択した時点で、既に勝負はついていた。
「朱雀くんのダブルチームを剝がすために、あの二人をスクリーナーとして使うという選択肢が君の中にあったか?」
「黙れ…」
止められた。
「まもちゃん一人であの二人を見とるんなら、どっちか一人をオンボールスクリーナーとして呼べばもう片方は完全なフリーになったんやないんか?」
「黙れ」
また、止められた。
「そもそもの話、半分フリーみたいなあの二人を差し置いてまで、疲労困憊で絶不調の大雅くんは攻めのオプションに成り得る存在なんか?」
「黙れッ!」
龍臣がどう攻めようとも、幽玄の手と足はそれを逃さなかった。
「司令塔ってのは、自分の描いた青写真に他の“四人”を乗せる人間のこと。三人だけのそれを描いた今の君は、本当の意味での司令塔とはとても呼べん。ただのごっこ遊び」
「うっっっるせええええええッッッッッ!!!」
悔しかった。目の前で展開される明確な目的を持った華麗な全体攻撃。手の平で踊らされているような感覚さえ覚えさせるような守備。まざまざと見せつけられる経験と発想力の差。そして自分の全てを否定するようなその“ごっこ遊び”というフレーズが、何よりも痛みを伴って龍臣の心の内をえぐった。
そして湧き上がる怒りに我を忘れてしまった彼は、彼自身も無自覚なままに無謀な突進を繰り出していた。
高い笛の音が、体育館中にこだました。
「白10番、チャージング!」
気づくと龍臣の目下には21番の男が倒れていた。その目はまっすぐに彼のことを見つめていた。見下ろしているのは龍臣のはずなのに、彼はなぜだか逆に見下ろされているかのような錯覚を覚えた。
「決着や。いや、勝負以前の問題やな。君と僕は同じ土俵にさえ立ってへん」
完全なる敗北だった。
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