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後半戦の開始の合図が鳴った。攻める方向を真逆に変えた両チームの選手たちが、今再び相まみえようと木製の戦場へ入場していく。
ボールの所有権は水浦高校にある。ハーフライン付近にてパスを受け取ったのは幽玄だ。水浦のラインナップは第二クォーター終了時と同じ。正ポイントガードの和泉は未だベンチに下がったままで、タクトは幽玄が振り続けるようだ。
「おっ」
フロントコートに入った幽玄が感じたのは、足元からボールへと伸びてくる異様な殺気とプレッシャーだった。危機を察知した幽玄はリングに対して半身の姿勢を取り、腕と肩、そして身体の幅を使ってボールを殺気の主から遠ざける。
「へえ、僕とタイマン張ろうっちゅうんかいな」
「仕掛けてきたのはそっちだぜ」
「売られた喧嘩はもれなく買う、か。男やねえ」
「白黒はっきりさせましょうや、どっちが良い司令塔なのかをッ!」
「ははっ…その勝負、受けよか」
朱雀の懐に潜り込み前へ前へと圧力をかける龍臣の姿は、格闘技におけるインファイターさながら。かの有名なボクサーの言葉を借りてそのディフェンスを形容するとするならば、“蝶のようには舞わず、ただ蜂のように刺しまくる”と言ったところか。
(やんちゃな見た目通りなかなか荒くてエグいディフェンスするやん。しかもタイトにガシガシ当たってはくるけど、絶妙にファウルにならんラインをキープしとる。案外クレバーなタイプやな)
それなら───幽玄は味方を動かしてスペースを作り、ドリブルで四十五度のウイングへと降りる。
「より楽な方でいかせてもらうわ」
エリーがローポストの位置で大雅を背中で抑え、ボールの受け入れ態勢を完了させた。第二クォーターで幾度となく見せた黄金パターンだ。
「チッ、逃げんのかよ」
「勘違いしたらあかんで。僕らの勝負はスコアリングやない、いかにチームを機能させるかやろ」
高さで圧倒的に劣る龍臣は、その利を活かされた三次元的プレーに対して打つ手がない。精一杯伸ばした手は幽玄の顔当たりまでしか届かず、ディフェンダーの頭上を通すオーバーヘッドパスを楽々と通されてしまった。
「やったれエリー」
「OK」
大雅とエリー、完全なる1on1の状況。難敵と相対する大雅の心と身体に一筋の緊張が走り、謎の浮遊感が彼を包み込む。
「来るよ、大雅!」
どこからか聞こえる朱雀の声が、大雅にほんの数分前の記憶を呼び起こさせた。
△▼△▼△▼△
「“フィジカルの差を誤魔化す魔法”…それは“押し返すこと”だよ」
大雅の目が点になり、口はぽかんと半分開いた。魔法と題されたからには一体どんな劇的で画期的な方法なのだろうと胸を高鳴らせていた彼は、今すぐ昭和のバラエティー番組のようにその場でズッコケてしまいたい衝動に駆られた。
「あ、その顔。何当たり前のこと言ってるんだこいつって顔してるね」
「いや、あの、その…」
「図星じゃん。まあもっと詳しく言うと、“力を入れるタイミングに気を付けて押し返す”んだ」
「タイミング?」
「そう。今の大雅は、ローポストにボールを入れられた途端に全身の筋肉を“気張らせてる”。あれじゃ、押し返すというより“踏ん張る”だ」
「でも、力を入れてないとどんどん押し負けちゃうんじゃ…」
「ずっと無理に筋肉を固めていたら、衝撃を受けた瞬間簡単に緩んじゃうよ。相手の力を受け止めるんじゃなく、それに合わせて自分の力をぶつけるイメージを持たなきゃ」
「自分の力をぶつける…」
ここまでの話を聞いて、大雅の脳裏に一つの疑問がよぎった。それはバスケットボールに持たれた世間一般のイメージと、朱雀の言葉とのズレについてだ。
「でもそれ、ファウルになったりしないの?バスケットボールって、接触はダメなんでしょ?」
「相手が先にぶつかってきてるんだからしょうがない。不可抗力、正当防衛だよ」
バスケットボールが考案された際、ネイスミスはそれを女性や小さな子供たちにも親しみやすいスポーツにするために身体接触を固く禁止した。つまりバスケットボールは、ルール上フィジカルコンタクトが認められていないということになる。
しかし年月を経るにつれ、その規制は当初のそれよりも遥かに緩和された。コート上では激しい肉弾戦が繰り広げられ、接触に強い選手が明らかな競技的優位性を得る。もはやバスケットボールは、接触という要素抜きでは語ることができないスポーツと化しているのだ。
「正当防衛かあ…」
並べられた四字熟語に妙に納得した様子の大雅を、頷きながら眺める朱雀。
「そういうこと。で、ここからが本題」
そして彼は、魔法の根幹について話を進めていった。
△▼△▼△▼△
『まずボールが入ったら、膝を曲げて腰を落とす。相手の骨盤に寄りかかるイメージで重心を低くするんだよ』
言葉の通りに大雅は低い姿勢を取り、エリーの骨盤に自分の体重をかけた。大雅の重心が落ち、全身にどっしりとした安定感が生まれた。
『ローポストに入ったら、こっちをパワードリブルでゴール下まで押し込もうとしてくるよね。その時、相手は必ず一番力の入る“ドリブルを床に突くタイミング”で押そうとしてくるはずだ』
エリーが肩をリングに向けた。いよいよ進撃が開始されるようだ。
『そして目一杯力んでドリブルを床に突く時、人体の構造上“肩が必ず上下する”。つまり大雅のフルパワーで押し返すタイミングは───』
エリーの肩が大きく上に動き、そして───
(肩を下げる、その瞬間!!!)
骨と骨とが触れ合うような鈍い音がまたフロアに響く。再三見られた光景、しかし今までのそれとは決定的に違うことが一つ。
悠木大雅が、動かない。
「Quoi!?(え!?)」
「むんっ!!!」
「はあ!?噓やろ!?」
「た、大雅ァ!?」
「さすがは大雅、吸収力お化け」
「怯むなエリーッ!人の体重が急に重くなるなんてありえねえッ!」
エリーがもう一度パワードリブルを試みる。もっと強く、もっと強く。焦るエリーの心模様は、より大きな予備動作という形でその身体に現れていた。大きく肩が上がり、そして───
「むうううううりゃ!!!」
「Ça ne marche pas du tout ...!(全然動かない…!)」
押せど押せど、その巨体が動くことはない。もちろん少しは動いているのだが、そのペースではゴール下に到達するころには二十四秒は間違いなく経過しているというような、その程度の微々たるものだ。
そして忘れてはいけない。ペイントエリアで戦う者には二十四秒以前に彼らを縛る、三秒の枷があるということを。
「エリー、三秒や!」
三秒ルール。ペイントエリアにオフェンス側の選手が居座ることができるのは、僅か三秒のみ。そして間もなく、そのタイムリミットだ。
「Merde!(くそっ!)」
上手く大雅を押し込むことができなかったエリーは、ヴァイオレーションによるターンオーバーを恐れて中途半端な位置からシュートを放った。
だがそれは完全な悪手。彼の目の前にいる男───悠木大雅は、究極のフィジカルギフテッドなのだから。
「むわあああ!!!」
凄まじい跳躍を見せた大雅の左手が完全にボールの芯を捉えた。ボールは地面に叩き落とされ、転がったボールが鳴神朱雀の手に渡る。
そして大雅は、地面に着地すると同時に前方へと強く床面を蹴り出した。大きな歩幅と爆発的な加速が、彼を一気に速攻の先頭へと躍り出させる。
「またこのシチュエーションか」
朱雀からパスが送られてくる。視界は良好だ。大雅が止まる理由はどこにもない。
「だああああ!!!」
一連のショーを締めくくる、華々しいワンハンド・トマホーク。
無色透明人間に、今ようやく色彩が戻ってきた。
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