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水浦のオフェンスは、徹底して大雅にフィジカル勝負を挑んできた。
大雅がマークしているエリーをローポストに立たせてボールを入れ、そしてそこで一対一のパワー勝負をするだけ。至極単純で単調な攻めであり、そこには特別な創意工夫や複雑な過程などはない。
だがむしろ複雑なオフェンスを展開された方が、大雅にとってはずっと良かっただろう。小手先の技術や戦術に頼った攻め方ならば、大雅の持つサイズと運動能力のアドバンテージで強引に止めることが出来たかもしれないからだ。
最悪なことに、今大雅が負けているのは“未経験者だから仕方ない”と片づけられる未熟な技術面ではなく、誰より抜きん出ているはずの能力面。そこで相手に上回られてしまえば、大雅にはもう使える武器が無い。
今の彼とエリーの間にあるのは、家畜と人間の関係性。圧倒的な当たりの強さという武器を持ったエリーに、大雅はただ一方的に屠殺されるだけだ。
「うううう…」
「腰落とせッ!母指球に体重乗せて踏ん張れッ!」
苦しい、重い、体が痛い。弱音が耐える大雅の脳内を渦巻いている。
エリーに力で押し込まれるたび大雅の体は“く”の字に曲がり、その衝撃で彼の身体の奥から苦い水が湧き上がってくる。
「悠木!」
「ヘルプ!」
いいように跳ね除けられる後輩を見かねて、逆サイドにいた宿間谷と曲戸がヘルプディフェンスに寄ってきた。先輩である彼らの涙ぐましい優しさは称賛に値するが、現実は非情だ。
「Peu importe le nombre de personnes que vous avez. (何人いても関係ないよ)」
エリーと同じ土俵に立てるのは、上空3.05mにあるリングに届き得る者だけなのだから。
「くそっ、届かない…!」
三人の上から、エリーのワンハンドダンク。この得点でスコアは23-25───水浦が久しぶりのリードを奪い取った。
(第二クォーターが始まってから、全部このパターンだ…!何とかしてやりてえが、俺にはあの留学生に対抗できるだけの身長が…くそッ!俺の身長があと20㎝高ければッ!)
自らの無力さを呪いながら、龍臣がエンドラインからボールを受け取る。
(ディフェンスがダメならオフェンスで点取るしかねえ)
試合が再開してから、春陽はここまで一点も取ることができていない。“流れ”の所有権が水浦に移ってしまった今、それを取り返すために必要なのは得点というきっかけだ。
このような局面でこそ求められるのが、絶対的なエースの存在。そして春陽にとってのそれは、“天下無双”の鳴神朱雀に他ならない。だが、しかし───
(ボールさえ俺の手の中にあれば、何人いても関係ないのに)
思い出して欲しい。春陽が誇る最大の武器は現在、つきまとうストーカーたちによって機能不全に陥ってしまっていることを。
「本当に鬱陶しいよ、あんたたち」
「逃がさねえぞ、どこまでも」
「今ええとこやねん。黙って大人しく見ときや、朱雀くん」
惑星の周囲を公転する衛星のように、まとわりついて離れない二人組。
逃げようとする朱雀の行く手に立ちふさがり、パスコースに手を出し、決してターゲットを自由にさせないネズミ捕り。
「大雅ァ!」
朱雀に頼ることができないことを悟った龍臣が選んだのは、シュートが絶好調の大雅だった。エリーは変わらずペイントエリアから動く気配がない。ボールは平穏無事に彼の手元に渡り、大雅がミドルレンジからゴールを狙う。
(あれ?なんか、変だ)
ジャンプしたその瞬間、大雅は違和感を感じた。
(なんか、体が重い…なんで?シュートを撃つときの感覚が思い出せない)
足元がぐらつき、思ったよりも腕が上がらない。シュートを決めた時の感覚を、上手く身体に再現することができない。
肉体を思うように動かせない不快感を浴びながらリリース動作に入る大雅を、水浦ベンチから國廣が静かに見つめていた。
「激しいコンタクトは、自分が思う以上に自らの身体を傷つけ、疲弊させる。それが引き起こす肉体への違和感は…シュートという繊細な技術にとって、大敵」
放物線の方向は大きく横に外れ、リングにかすりもせずに虚しく落下していってしまった。ゴール下で待っていたエリーがそれを片手で巻き込むように強く掴む。
「あっ、ご、ごめん」
「エリー、前!」
タイミングを見計らっていたかのように幽玄が前に飛び出した。
ボールが山なりの軌道で彼の手元に配達され、そのボディが宙に舞う。
「長年技術を磨いてきた選手でさえ、疲労の影響を受けない者はいない。まして未経験者なら尚更じゃ」
ノーマークの速攻を落ち着いて決め切られ、23-27。じわじわと点差が開き始めた。
△▼△▼△▼△
(どうすればいい、この状況)
青影龍臣は責任を感じていた。ポイントガードはチームオフェンスの統治者的立場。今の流れの悪さは、ポイントガードである自分が上手く試合を作れていないだ。心の底からそう思っていた。
明らかな疲労の色が見える今の大雅に、シュートを撃たせ続けることは果たして得策なのだろうか。宿間谷や曲戸の外角に対するマークは非常に甘いとは言え、今この状況でそこに任せることはオフェンスが単発で繋がりのないものになってしまわないだろうか。それならいっそ、スティールのリスク覚悟で無理やり朱雀にパスを───
そこまでで、龍臣は思考を止めた。
諦めてそれを放棄したわけではない。ただその必要がなくなっただけだ。
簡単なことだった。策を弄するよりも前の、ただの前提の話だった。
(一番大事な選択肢、忘れてんじゃねえか)
龍臣の視線が、ちらりと右サイドの曲戸の方へ動いた。
それに気づいた和泉の重心がパスを警戒してそちら側に若干動いたことを、彼は見逃さなかった。
「俺が攻めるっつー選択肢、除外してどうすんだよッッ!」
すぐさまレッグスルーで左に切り返し、ボールと和泉の身体との間に自分の肩を入れていく。そのまま前にもう一つドリブルを入れて加速し、あっという間にディフェンダーを置き去りにした。
ペイントエリアには2mの壁。ただ突っ込むだけなら、間違いなくブロックのカモにされるだけ。エリーは突っ込んでくる龍臣に反応し、今か今かとブロックの頃合いを待っている。
「飛んで火には入らねえ」
下手投げでふわりと浮かせるように、龍臣がボールを投げる。
手を伸ばすエリー。しかし放たれたボールは、彼の高さを持ってしても触れることができないほど遥か上空にあった。
雨上がりの虹のように滑らかな曲線を描きながら、龍臣の放った“スクープショット”がリングを通過した。
「ポイントガードは、ただパスを出す機械じゃねえぞコラァ!」
バスケットボールの大前提。それは、“まず自分で攻める”という意識。
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