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「ボール。早く」
露骨な悔しさをあらわにする二人に構わず、朱雀は素早いリスタートを要求した。失敗した彼らに対する声掛けにしては、あまりに酷く冷淡なものに聞こえる。
しかし、この素っ気ない朱雀の対応は事の本質を射たものだ。というのも、バスケットボールは他のどのスポーツよりも“一点の重みが軽いスポーツ”だからだ。
点数はマッチポイント制ではなく、制限時間の間で無機質かつ無限に積み上げられていく。両チームそれぞれの得点が百を超えるようなハイスコアゲームも、決して珍しいものでない。
そんな特性を持つこの競技で、たった数点のために悔しさを引きずり続けるほど馬鹿らしいことはない。失点の度にいちいち心を乱す時間があるなら、速くオフェンスを展開して点を取り返すことの方がよほど理にかなっている。
「四点取られたぐらいで、うろたえないでいいよ」
ボールを受け取った朱雀はそのまま自分でボールを運んでいく。
ディフェンダーと相対するやいないや、激しいドリブルでその重心を左右に揺さぶった。起き上がりこぼしのようにシェイクされる高橋の身体。こけないように必死に後ずさった彼だったが、鳴神朱雀にその対応を取ることは転倒よりも悪い結果を生む。
「そいつを離すな守ッ!」
「あらら」
スリーポイントシュート、炸裂。スコアは5-4。
「俺が最低限その十倍は取るから」
続く水浦のオフェンスは例のごとく高速のパス回し。
同じ手は食らわない。縦横無尽にコートを駆けるボールの行く先を瞬時に予測し、朱雀はその流れの中に腕を伸ばす。
狙い通りに、無防備に。ボールは弾かれ、同時に走り出した朱雀の手のひらの中へ収まった。
「そんだけパスいっぱい回すんなら、スティールのリスクもいっぱいになるって」
そのままワンマン速攻。風車のように腕を回す、ド派手なウィンドミル・ダンク。連続得点で一気にリードを広げていく。
若干の慌ただしさが見えてきた水浦。自分のマークマンに決められ続けたことに焦る高橋は、早く攻めて点を取り返そうと急いでボールをコートに入れた。
だが、もう少し落ち着いて周囲の状況を確認するべきだった。自陣にゆったりと戻っていた朱雀が急激にそのベクトルを切り返し、さらにもう一度スティール。
その後ゴール下を楽々と沈め三連続得点。チームとしては四連続となる鳴神朱雀のスコアリングで、9-4とした。
脳天に響くような甲高い笛の音でゲームが止まる。水浦ベンチのタイムアウトだ。
△▼△▼△▼△
「高橋っ!お前は何をやっちょるんか!」
怒号を飛ばしているのは水浦高校の監督、國廣聡。この道40年あまりのベテランだ。
「すいません」
「一人で勝手に焦って自爆しやがってから!このバカタレ!」
高橋はただがっくりとうなだれている。前年地区大会止まりのチームに王者がこの不甲斐なさでは、監督の逆鱗を買うのも無理はない。ベンチの雰囲気は最悪だ。
「いやあ、“本物”ですよあれは。身体能力だけで技術がないやつならいくらでもいますけど、しっかり技術もあってその上クレバー。まさに別格ってやつですわ。あんまりまもちゃん責めんでやってください」
「桐生!敵に感心してどうするんや!」
「え~、でも絶対監督あの子目当てで今日の試合組んだでしょ?」
「それとこれとは話が違うわい!」
幽玄はそんな状況でも口角を上げ、余裕の表情を崩さない。少し緩んでいたシューズの紐をほどき、再び結び直して面を上げた。
「僕がつきましょか、朱雀くん。でも一人はきついんで、瞬ちゃんと二人で」
「あんなやつ俺一人で十分だろ」
「瞬ちゃんの場合、一人でやるには速さは足りとるけど、高さがなあ」
「てめえぶっ殺されてえのかァ!?」
幽玄の提案は、朱雀相手に二人のディフェンスをつける“ダブルチーム”だ。しかしこの戦術は、その他の局面で数的不利を生み出すことに繋がる。スタメンの二年生ガード、和泉からの質問が飛ぶ。
「空いた他の四人はどうしますか?」
「インサイドはエリーに全部任せるわ。青影くんだけ佐助がきっちりマンマークしといて。後の三人は朱雀くんほどバシバシ外角入る選手には見えんし、まもちゃんが適当に手上げとけばポロポロ落としてくれるやろ」
幽玄の考えは、エリーの高さでゴール周辺をカバーし、朱雀と龍臣以外のシュートを捨てることでダブルチームに伴う人員不足をカバーするというものだ。
このような戦術は相手のシュートが外れることを祈るだけの消極的な方法だと思われがちだがそんなことはない。ダラダラと何も策を講じないよりは、これくらい過激なやり方で割り切った方が腹をくくることができる。
「この作戦で一番怖いのは、がら空きになった朱雀くん以外の人らにペイントからポンポン決められることや。しっかり頼むでエリー。ペイントで待つ!インサイド、シシュ!」
「ペイントデマツ。インサイド、シシュ」
「そうそう、その意気その意気」
わずか一分間のタイムアウトを終え、選手たちは再びコートへと戻っていく。あれだけ張り詰めて今にも切れそうだった雰囲気は、いつの間にか適度な緩みを持たされていた。
「全く…またいつの間にか桐生にペースを握られちょったわ。指示も勝手に出すし、あんなやつがおったら監督は廃業じゃのう」
その背中を見送る國廣は、笑いと諦めが半々にブレンドされた深いため息を吐いた。
△▼△▼△▼△
再開直後のポゼッションは、天谷の音速ドライブからエリーへの合わせで失点し9-6。
続く春陽の攻撃。朱雀にパスを回そうとした龍臣の視界には、二人にべったりとマークされ動けない彼の姿が映っていた。
「めんどくさ」
「それが先輩に対する言葉遣いかコラ」
「その感想、ディフェンス冥利に尽きるわあ」
さすがの朱雀と言えど、ボールを持たなければその力を発揮することは叶わない。龍臣はそこから一度目を切ってコート全体を見渡した。
朱雀に二人、自分に一人。残った三人の中間地点に一人。そしてエリーがペイントの番人のように中央に陣取っている。恐らくかつて自分が大雅に指示したように、ペイントから出ずにインサイドを守れという指示を出されているに違いない。
抑えきれない笑みがこぼれた。
「そう来るのを待ってたんだよ。この五日間、俺も朱雀もッ!」
予想できていたことだ。相手には一人でインサイドを守ることのできる優秀なリムプロテクター。対してこちらには最強の個人。それを止めるために水浦が人員を割くこと。代わりにリムプロテクターををインサイドに鎮座させること。そして、ペイントより外のシュートを捨てること。
全て、予想できていた。
「大雅ァ!横に開けッ!」
声を合図に、ローポストに立っていた大雅がコーナーに向けて動き始めた。
「はい!」
スリーポイントラインより一歩踏み込んだ位置で、大雅が手を上げる。それと同時に、龍臣からの丁寧なパスが、大雅の胸元めがけて供給されていく。
「打て、大雅!」
あの五日間は、この瞬間のために。
ボールを受け取った刹那、大雅の脳裏に五日間の記憶が走馬灯のようにフラッシュバックした。
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