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西暦1853年、浦賀にペリー率いる黒船が来航したのは有名な話だ。
日常に突如現れた非日常を、人々はどのような気持ちで眺めていたのだろうか。恐れていたのか、あるいはそれを楽しんでいたのか。真相は過去の中にしかないが、仮に悠木大雅がその場にいたとするのなら───答えは間違いなく、前者だ。
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時は流れ西暦2021年。春陽高校正門に“黒船”が来航した。
見るものに確かな威圧感を感じさせる、黒一色の無駄がそぎ落とされたデザイン。そこに刻まれている“MINAURA BASKETBALL”の白文字が、照りつける春の日差しの下で浮かび輝いている。
「ひいいいいいい!あんなの高校生じゃないよ、ヤクザだよ!」
わなわなと膝を震わせる巨人。
「おいおい、バスケ部専用バス!?さすが私立の強豪だな!」
ただただ感心する野生。
「帝国学園じゃん。降りてくる時レッドカーペット敷かれそう」
独特の感受性を見せる天才。
停車したバスの扉が開き、そこからレッドカーペットが敷かれ…ることはなかったが、代わりにぞろぞろと水浦高校の選手たちが降車してきた。
大雅はその風貌に圧倒された。広い肩幅、厚みある大胸筋、ヒラメ筋の凹凸。それは自重トレーニングでは決して得ることの出来ない、ウエイトとプロテインによって生み出される戦闘仕様のボディ。
顔つきも違う。遠慮がないのだ。敵地に乗り込んでおきながら、ここは自分たちのホームであると主張しているかのようだ。傲慢さとはまた違う、“ふてぶてしさ”があるのだ。
冷や汗の薄い膜が彼の全身をコーティングし始めた。キリキリと腹部が痛みだし、大雅は苦悶の表情を浮かべた。
「龍!元気かこのクソガキ!」
降りてくる選手たちの中から、口悪く龍臣に近づいていくものがいる。
優に185㎝を超えているであろう彼の坊主頭には、いくつもの剃り込みが入っていた。
「押忍ッ!お久しぶりです兄貴!」
手を後ろに組み、深々と頭を下げ声を張る龍臣。
次の瞬間、彼の体は宙に舞った。剃り込み坊主が繰り出した怒りの鉄拳が、龍臣の顎を容赦なく遥か空中へとカチ上げたのだ。
「てんめえこのバカタレがァ!うちの推薦蹴るってのはどういう了見だコラァ!」
「すんません兄貴…でも俺には譲れねえロマンが…!」
「うちにロマンがねえっつーのか、ああ!?」
胸ぐらに激しく掴みかかり、火が出るような剣幕と顔の近さは正に絵に描いたような修羅場。“仁義なき戦い”のBGMが今にも流れ出しそうだ。
「何『俺は全くの無関係』みてえな面してやがる、鳴神朱雀。てめえも同じだ!」
猛獣のような眼光が、隣で退屈そうに大あくびをかましていた朱雀へと向けられた。どうやら彼も龍臣と同じく、水浦からの推薦を断っていたらしい。龍臣をノックアウトした彼は、その事実が許せないようだ。
「どいつもこいつも天邪鬼。強豪の推薦を蹴るのがかっこいいことだと勘違いしやがって」
「そっちこそ勘違いしてるんじゃない?俺がいるとこが強豪校だよ。あとはみんな弱小」
「相変わらず年上に対する礼儀のなってねえ野郎だ。敬語もろくに使えねえのか」
「礼儀?俺よりたった二年早く生まれただけじゃん」
二人の視線の交差点に火花が散る。乱闘開始まで秒読みの険悪な雰囲気を大雅はなんとか間に入って収めようとするが、あまりの恐怖に足がすくみ、蛇に睨まれた蛙のようにその場から動けない。
「あの、あの、け、喧嘩はやめて、なかなか、仲よきゅ」
「分からせんぞ、この場で」
「やってみなよ」
どもり、噛みながらも必死に喉の奥から声をこし出そうする大雅。その思いとは裏腹に今にも打ち鳴らさんとされる決闘開始のゴング。もうダメだと大雅は目を閉じた。
「はいはい、お開きお開き~」
もはやそうなる運命なのだろうか、しかし確かに格言通り“ヒーローは遅れて”やってきた。
大雅を救ったヒーローは、手を叩きながら爽やかに笑う水浦の選手。穏やかな雰囲気を醸し出す彼の登場によって、漂っていた緊張感がみるみるうちにほぐれていく。世紀末の終わりに安心した大雅は、へなへなと胸をなで下ろした。
「すぐそうやって暴力に訴える。悪いところ出てるで、瞬ちゃん」
「手ェ出すんじゃねえ幽玄!これは俺たちの問題…」
「キャプテンが他校の選手殴ったら潰れんのは水浦のメンツやないか。そうなってしもうたらお前らの問題ってだけじゃ収まらんがな」
赤子に諭すような物言いをしながら、龍臣と朱雀から坊主頭を引き離す。
「すまんなあ、青影くん、朱雀くん。瞬ちゃんも素直になれんだけで、本音はただ一緒にプレーしてみたかっただけやから。あ、もちろん俺も残念に思っとるんやで?青影くんの話は瞬ちゃんから耳にタコができるほど聞かされとったし、朱雀くんはあの“天下無双”やし」
彼のスマートな一挙手一投足には、気品と教養が溢れている。階級制度が崩壊した社会に生きている日本人にこの言葉を当てはめるのは少しおかしなことのように聞こえるが、彼の立ち振る舞いはまさしく“貴族”。大雅たちをサン=キュロットとするなら、彼はブルジョワ。見るものに生まれの違いを実感させる。
「いやー、でも今年の春陽はええのが揃ってるねえ。“天下無双”の鳴神朱雀に、瞬ちゃん直系の舎弟、青影龍臣。そんで極めつけはこの子や」
ポンと、彼が大雅の胸を叩く。大雅の顔を見上げ、彼は心底驚いたという表情を見せている。
「君、何者?どこの中学から来たん?うちの“エリー”と同じかそれ以上にでっかい身体してんなあ」
突然振られた会話にいつもならオドオドするであろう大雅だったが、なぜかこの時、彼の心は不思議と落ち着いていた。
「悠木大雅です。平良中出身で、バスケは高校から」
発声した本人も驚く、いつにない淀みなさを見せる大雅の言葉たち。その理由は単純だ。あのビビりな悠木大雅が初対面でも全く恐怖を抱かないほど、この”貴族”は殺気や威圧感を全く発していないのだ。
(なんだこの男…全くつかみどころがねえ。水浦のバスケ部員、しかも瞬の兄貴と対等に喋るあたり間違いなく実力者のはずだ。なのにこの男のどこにも、”強さ”を感じねえ)
龍臣は得も言われぬ不気味さを感じた。実力者であればあるほど、他者を圧倒する覇気が出る───というより、出てしまう。
それに加えて、競技の特性が日常動作に現れ始める。その二つをつぶさに観察することで、相手の実力のバロメーターをある程度伺い知ることができるようになるのだ。しかし、目の前の男は全くのゼロ。龍臣の野生を持ってしても何も感じない。感じることができない。
強さを感じない。だが弱いはずもない。その矛盾が、不気味。
「…大雅くん、か。覚えたで、悠木大雅くん」
そう言って、彼はただにこりと笑う。
「僕は桐生幽玄。水浦で副キャプテンやらしてもろうとる。で、こっちの坊主がキャプテンの天谷瞬。そっちの青影くんと同じ、稲尾第一出身でな。二人は師弟関係みたいなもんで、まあこうやって拳で語り合う仲なんや。昭和な同級生持つとお互い気苦労が多くて大変やなあ」
「誰が昭和だッ!いつもいつもそうやって俺を」
「はいはい、分かった分かった。ま、よろしくな大雅くん」
同級生を軽くあしらいながら差し出された幽玄の右手を取り、大雅は握手を交わした。こんなに安心して話せる人は高校入学以来初めてだと、大雅の内心は飛び上がりそうなほど喜んでいた。思わず笑顔がほころぶ。
「よろしくお願いします、桐生さん」
「幽玄さんでええよ」
「じゃあ、幽玄さん」
「そうそう」
幽玄は目の前の大雅の顔、龍臣の顔、そして朱雀の顔をゆっくりと順番に眺めていく。
「しかし、なるほどなー。正味監督がこの練習試合の話持って来た時は『なんで春陽?』とか思うたけど。青影くんに朱雀くん、それに大雅くんみたいなビッグマンもおるんなら…これはおもろいことになるで、今日の試合」
そして三人に背を向け、降りてきたバスへと再び歩き始めた。
「君らに“エリー”を紹介しとくわ。特に大雅くん。君のええライバルになるかもしれん」
幽玄は開いた扉の中へ顔を突っ込むと、エリー、と一声上げた。
その声に反応するように、バス全体が大きく揺れた。
「寝坊助でな、一度寝たら全然起きて来んのや」
何か巨大な生物が、バスの最後方から歩を進めてきている。一歩、一歩。床が踏みしめられるたびに、バスの車体が沈み、揺れる。
「エリーこと、エリタ・キディアバや。仲良くしてやってな」
そして姿を現した、大雅に負けず劣らずの体格をしたアフリカ人。
黒のタンクトップに筋骨隆々の上腕。年齢詐称さえ疑ってしまいそうになる完成された肉体美。生まれて初めて出会う“自分と身長が近い人間”に圧倒される大雅。
「エリー、同級生の悠木大雅くんや。挨拶せえ」
促す幽玄。畏れと緊張の面持ちで大雅はエリーの次の言葉を待つ。
やがて、エリーが口を開いた。
「Toilette」
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