第4話 幸せが終わった日
おそらくだけど、少しの間私は意識を失っていたらしい。
気づいたら全てが終わっていた。
ひどく生臭い臭い。
これ、きっと血の臭い。
「あにさま?」
震えて身体が動かない。
だめだ、動け、動け、動かないと、早く!
身体が震える。
汗が全身を濡らす。
進め、もう少し先に、ほら、兄の着物が見える。
「……あにさま?」
そこは壮絶な有様だった。
兄の顔は半分潰れていた。
片腕は付け根からなく、血の気のない真っ白な肌。
そして、そんな兄の身体の下に化物がいた。
牙のある大きな口は兄の首に噛み付いている。
水かきと鉤爪のついた手が兄の残った片腕を引き裂こうとして半ば成功している。
だが、その化物はもう動きを止めようとしていた。
ぴくぴくと動いていた身体がやがて静かになる。
兄が残った一本の手でナイフを握り、相手の喉元を貫いていたのだ。
魔物は死ぬと血石だけを残して煙のように消えてしまう。
話には聞いていたが、私はそのとき初めてその現実を見た。
「あに……さま?」
残されたのは、ボロボロになって身動き一つしない兄の身体だけ。
私に出来たのはすがりついて泣くことだけだった。
パシン! と、鋭い音が響く。
「よせ、マグナ。今一番辛いのはその子だろうに」
「だからだ。だから俺がこいつを叱らなきゃならんのだ。メイリア、なんであんな場所に行ったんだ!」
父さまの声が遠くから聞こえる。
とても怒っている。
母さまはどこだろう?
泣いて、いるのかな? 泣いているよね。
全部全部私のせい。
「あにさま……」
「メイリアちゃん。ほらお顔を拭いて。お兄ちゃんにさよならをしようね」
「や!」
「メイリア!」
「や!」
こんなの嘘、現実のはずがない。
だって、兄は主人公なの、この、この漫画の……あれ? 漫画ってなに? 私、何を考えているの?
兄が死ぬはずないのに、おかしいな。
ああ、きっと、私悪い夢を見ていたんだ。
もうすぐ覚める夢。
だって、今、何の音も聞こえないもの。
ぐちゃぐちゃの影絵のようなものがふにゃふにゃ動いているだけの世界。
こんなの夢でしかないでしょう?
「メイリアちゃん!」
誰、だっけ?
「メイリアちゃん、うちにメイリアちゃんが来てないって言ったら、アッシュくんが凄い勢いで走って行って、私のせい? 私がメイリアちゃんがいないって言ったから」
あ、ユイちゃんだ。
「違うよ。ユイちゃんは悪くない。私が悪いの。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
ユイちゃんは何も言わずに私を抱きしめて一緒に泣いてくれた。
私が全部悪いのにユイちゃんを利用したせいでユイちゃんまで辛い思いをさせてしまった。
なんて酷い人間なんだろう、私って。
「メイリア」
「母さま」
「ここにいたのね。さあ、あにさまに安心してもらいましょう」
「安心?」
「ええ。アッシュはあなたを守ったんでしょう? それなのにあなたがいなかったら心配するじゃない」
「あにさま、心配する?」
「ええ。お顔を見せてあげて。さ、ユイちゃんも」
私たちは母に手を引かれて広場で板の上に寝かされた兄の元へと向かう。
寝ている兄の顔の半分には覆いが掛けられ、身体の失った部分もわからないように着物を着せられていた。
普通に寝ているように見える。
「あにさま、起きて」
死んだというのはやっぱり間違いだったんじゃないかな?
このまま起き上がるんじゃないだろうか?
そんな希望が湧き上がる。
周囲にいる村の女の子たちが抱き合って泣いていた。
兄にいつも声を掛けていた子たちだ。
「その身に血石が生じないように、我らを見守る代々の父母の御下へ送ります。どうかこの若き魂をあなたたちの元で安らがせてください」
兄の寝ている板の下に積まれた薪に油が撒かれ、火が点けられた。
「え?」
炎が上がる。
「だめ! あにさまが燃えちゃうよ! あにさまは起きるから、燃やさないで!」
叫んで炎めがけて突進した。
誰かが強い力で肩を掴んでいる。
「愚か者!」
視界がぶれて、気づいたら地面を見ていた。
「あなた!」
「マグナ! 小さい子どもに何をするんだ!」
「言ってわかる歳じゃないだろうが! 体で覚えるしかないんだよ」
炎の赤い光を受けて、父の頬が光って見える。
ああ、父さまも泣いている。
ごめんなさい。私のせいで、何もかも全部……。
意識が遠くなる。
「メイリア! メイリア!」
誰かが私を呼ぶ。大好きな声で。
「あにさま?」
見上げると、真っ白な場所に兄がいて、こちらを覗き込んでいるようだった。
「メイリア、大丈夫か? ごめんな、兄ちゃんヘマしちゃって」
「違うの! 私が悪かったの! 簡単に運命を変えようなんてしたから」
「運命って?」
兄の優しい声に、私は全てを話した。
私に前の私の記憶があること。
その記憶のなかにこの世界そっくりの物語があって、兄がその主人公であること。
結局世界も兄も救われないこと。
泣きじゃくりながら話したので、ちゃんと伝わったかわからない。
でも、兄はただうなずきながら私の話を聞いてくれていた。
そうだ、こうやって兄に打ち明ければよかった。
信じてもらえなくても、話を聞いてもらったら、もっと違う結果になっていたかもしれない。
「そうか。だからあんな場所に行ったんだね」
「信じるの?」
「そりゃあ、俺のたった一人の妹の言うことだからね」
「ごめんなさい」
自分の愚かさが悔しくて涙が溢れて来る。
兄は私の頭をなでながら言った。
「メイリアは何も悪くないよ。俺やみんなを助けようとしてくれたんだろう? 俺に力が足りなかったのが悪いんだ」
「でも!」
結果は最悪だ。
兄は何かを考えるように目を伏せた。
そう言えば、失った部分が元に戻っている。
夢とは都合のいいものなのだなと私は思った。
「兄ちゃんがなんとかしてみる。絶対にお前を助けるよ」
「あにさま……」
本当になんて都合のいい夢なんだろう。
兄を死んでまでこき使おうなんて、酷い妹だ。
「もういいの。あにさまはゆっくり眠って。私がなんとかする。ううん。なんとかしなきゃいけないの。あにさまの死を無駄にする訳にはいかないもの。私、私……」
「本当に気に病むな。お前が俺が不幸になるのが嫌だったように、俺もお前が不幸になるのは嫌だ。いいか、幸せになってくれ。メイリア」
「そんなの無理だよ、もう、なにもかも……」
ふと目が覚めた。
顔が引きつると思ったら泣きながら寝ていたようだ。
そばに誰かいる。
見ると、父と母が私を挟むように抱きしめるように添い寝をしていた。
ぼんやりと二人の顔を見て、家の隙間から差し込む白い光を見る。
これからずっと続く、兄のいない一日が始まるのだ。




