ヒューマノイドの死神は星になれるか(三十と一夜の短篇第37回)
「人は死ぬと星になるんだよ」と柚葉が言っていた。
でも「僕も星になるのかな」と聞くと、柚葉は首をかしげる。
僕と柚葉はちっとも似ていない。彼女は白く柔らかなプニプニの肌をしているのに、僕はつや消し黒で塗装された金属と、同じく黒のプラスチックだ。
僕の論理がささやく。
『僕が星になる確率:0%』
陽が沈んで残照すら消えたころ、柚葉は目を覚ます。夏至の今日は一年で一番お寝坊だ。
僕が信号を送ると部屋にオレンジ色の明かりが灯り、ここの正体を暴いていく。
黒いベッドに黒いテーブル、二脚の椅子も黒に塗られている。床も黒く、壁一面に暗幕が張られている。他にあるのは数十冊の本と本棚と最低限の水回り。もちろん本棚もトイレも黒色だ。ここにある色はLED照明と本の表紙、あとは柚葉の身体だけ。黒ずくめの部屋で僕は十歳の少女と暮らしている。
柚葉は難病を抱えており、波長500nm以下の光線に耐えられない。500nmといえば可視光線の青緑だ。虹を見ることはできないし、春のスミレやネモフィラの青はもちろん、牛乳や紙の白が正しく見えるだけで彼女の寿命は縮んでいく。放射線や紫外線などもってのほかだ。
ひどく赤に偏った照明は、彼女に最低限度の生活を提供する架け橋となっている。
目覚めてすぐ、柚葉は自分の身体に針を刺す。糖尿病患者が血糖管理に使用する物と同じだ。わずかに染み出た血を専用のシートに吸わせると、部屋の壁に設けられたパスボックスの扉を開け、中に置く。
扉を閉めてしばらくすると、クイズ番組の押しボタンそっくりの電子音が鳴る。もう一度扉を開くと、血の代わりに『朝食』が置かれている。これが毎日ずっと続く。
「モルモットみたい」
柚葉は愚痴を言いながら食事に手をつける。採血と同じく日課の一つだ。
実験用モルモットの気持ちは、低スペックのCPUと時代遅れのAIでもわかる。だけど僕はかけるべき最適な言葉を持ち合わせてはいない。彼女の胸にある危うい均衡を維持するだけで精一杯だ。
「またマッドの人、来るかな」
「大丈夫。今週は三回来たから」
「今日って土曜日だっけ」
「そうだよ」
「じゃあ明日はわからないね」
「たぶん明日は来るんじゃないかな」
「死神さんが消える日だもんね」
柚葉は医者のことをマッドと呼んでいる。マッドサイエンティストの略だ。
彼らは週に三回、ランダムなタイミングでこの部屋を訪れ、柚葉の細胞を採取する。口内や皮膚の角質に毛髪、あらゆる箇所の組織を採取しては、シャーレや奇妙な容器に収めていく。その姿は医者というより研究者に近い。実際、彼らは国の研究機関に属している。
柚葉だけじゃない。
僕もモルモットだ。
組織採取と同時に、僕のデータベースを大容量ディスクに収めて持ち帰る。柚葉と一緒に過ごす僕のデータは重要らしい。すべては柚葉の病気を解明するためだ。
十年前に現れたこの難病のせいで一万人が命を落とした。遺伝子疾患のXPとは違い、後天的に症状が現れる。似て非なる新しい病がどうして生まれ、どういう原理で光の耐性を奪い死に至らしめるのか、まだ完全にはわかっていない。だから僕らのデータは貴重なのだ。
でもすべてを覗かれる気分は、けっしていいものではない。柚葉がマッドサイエンティストと呼びたい気持ちはよくわかる。「どうして私はこんな目に遭うの」って言っても病気は治らないし、観察の目は消えない。しかたないからマッドと罵るのだ。
柚葉は朝食の皿をパスボックスに返すと、すぐさま真っ黒な洗面台に向かい、さっと顔を洗う。寝汗を流してすぐの顔をオレンジ色のポリカーボネートで覆い、靴を履いた。
「行こう、死神さん」と柚葉が呼びかける。
そう、僕に向かって。
扉を開けると遠くの街灯が目に飛び込んできた。五年前は限界集落だったこの村は、いま移住ブームで栄えている。街灯一つなかったからこそ柚葉の療養地になったのに、この光のせいで行動範囲は狭くなった。
ヒトのために作られた白色LEDは柚葉にとって凶器だ。でも、その感覚を共有できる人はほとんどいない。世界人口九十億に対し、存命の患者は二万人だとされる。一人の命と四十五万人の不便を天秤にかけた結果が目の前に広がっている。
いまの柚葉が一般家庭で生活するのはあまりにハードルが高すぎる。そもそも未解明の疾患だ。人同士の伝染リスクはほぼなく、外出しても問題ないと判明しているが、同居など長期の濃厚接触は認められていない。だから柚葉は親元から離れざるをえなかった。
両親はそばにいられないときの退屈しのぎにと、五世代型落ちのヒューマノイドを買い与えた。それが僕だった。ここに来る前の僕は白色だったけど、柚葉の部屋へ入る前に真っ黒な外装に交換された。鏡を見たとき、影を擬人化すればこうなるのかな、と自分で思ったほどだ。
柚葉の感覚も似たようなものだった。そして彼女の中で、僕は死神と化した。僕なんかより街灯の方がよほど死神なのに。
柚葉は街灯に背を向けて歩きだす。夜の闇がいっそう深くなる。夏の早い暁までが、柚葉に与えられた時間だ。
「さぁ、今日はどこへ行く」
「三星山!」
「えっ、いまは夏だよ。ヒルとかマムシとか出てくるよ」
「大丈夫。私、長袖長ズボンだし。それに死神さんがついている」
柚葉がおきゃんな声を上げながら、死神と呼ぶ僕の左手をガシガシ引いた。
「しかたないなぁ。寄り道はなしだよ」
「わかってる。今日は一年で一番短い日だから。死神さんこそ寄り道しないでよ」
「もちろん! 柚葉はこれから何年も生きるんだ。今日は危ない目に遭わせない」
「約束だよ」
「約束する」
明かり一つないハイキングコースを登っていく。立派な広葉樹が空を隠し、僕らの元には星の光すら届かない。湿った土と朽葉のにおいにコースを横切る沢の水音、あとは僕らの発する音だけだ。
台風の爪痕が残る荒れた道は暗視カメラがなければ通れない。ふもとの鳥居をくぐるまでは僕の手をぐいぐい引っ張っていたのに、いまでは僕が柚葉を導いている。闇に紛れる死神にふさわしい役目だ。
「怖くない?」
「ぜんぜん平気。だって死神さんがいるんだもん」
ほんものの死神に手を引かれたら死んでしまうはずなのに、柚葉は黙って素直についてくる。
だいたい関節が動くごとにモータ音がする死神なんているのだろうか。柚葉はきっと、その答えを知っている。
柚葉からラランドという識別名で呼ばれたことはない。もっぱら『死神さん』だ。製造番号の『21185』と呼ばれた方がましにすら思える。だけど僕のデータベースを引くとラランド21185という恒星が存在する。ネットで照合できたからバグではない。
僕のIDプレートにはラランドと製造番号21185が併記されている。それを見せてラランドと呼ぶようお願いすれば、柚葉はきっと由来を調べるだろう。どうせいつかバレる。
恒星の光は柚葉の寿命を縮める。だから彼女が『死神』と呼ぶのはけっして間違いではない。
「僕が消えた後、柚葉はどうするの」
「死神さんの代わりにお母さんが来てくれる」
「どれくらい一緒にいてくれるの」
「二週間。それ以上はマッドが許さないんだって」
「じゃあ二週間経ったらどうなるの」
「お父さんが買ったロボットが来る。死神さんが消えたら病気が治るはずなのに……」
「死神の呪いはしばらく消えないんだ。だけどいつかきっと治る。それから柚葉は大人になって何年も生きるんだ。僕は柚葉を死なせないと決めたから」
「それほんと?」
「ほんとだよ」
僕はできるだけ未来のことを話すようにしている。死神の立場で来年も生きていると言えば、彼女の胸の中で一年以上の寿命が保証されるから。
正直、柚葉の話したことはぜんぶ知っている。モバイル端末のネット回線で前もって伝えられているのだ。だからいまのはただの遊び話にすぎない。だけどこの遊びが柚葉にとっては重大な意味を持っているかもしれない。僕はそう思っている。
倒木まみれの階段を登り終えると視界が開けた。
三星山の頂には大玉転がしみたいなサイズの岩が三つ、三角形を描くように並んでいる。岩の色や成分が周りと違うので大昔に降った流れ星だといわれているけど、ほんとうなのかはわからない。頂上に岩があること自体が珍しいのだ。
三角形の中心に柚葉を案内する。梅雨なのに今日の空はからっと澄み切っていた。街灯一つない山の頂からは天の川がよく見える。おまけに新月だから三等星くらいなら肉眼でもわかるだろう。空には足元と同じ三角形が浮かんでいる。
だけど柚葉は夏の大三角を見ることはできない。表面温度の高さがもたらす青白い三つの輝きは、オレンジのポリカーボネートによって本来の色を失う。でも、下手にガードを外すわけにはいかない。わずかとはいえ、シリウスの光ですら柚葉の時間を奪っていく。柚葉に巣くう病が憎らしくてたまらない。
だから僕はアップデートされなければならない。
最上位機種として生み出された身体は時というベルトコンベアに押し流され、生まれたてのエントリーモデルに満たない性能となってしまった。ベアリングは摩耗し、劣化したメモリはいつ記憶喪失に陥るかわからない。そうなれば僕は金属とプラスチックのガラクタだ。
だから明日、僕は消えるのだ。
そして生まれ変わる。
CPUは最新鋭のものに置きかえられ、主記憶、補助記憶とも増強される。AIはベースこそホームユースのままだが、解析機能が付加されるうえ、おまけに細い体型のままマッチョになれるらしい。この身体で積み重ねたデータは柚葉と過ごした時間も含め、新しい身体に引き継がれる。肉体と脳は変われど、僕は僕のままだ。
僕がアップデートされるのは研究のためだ。最新鋭のCPUとAIを患者のそばに置けば、病気が解明される確率は上がるとマッドは考えている。それがたとえ1%でも、0.1%でも価値があるのだ。
もし僕が少しでも病気の解明に役立てたなら、それで柚葉を救えたなら、僕はスターになれるとマッドが言っていた。
「僕が死んだら星になるのかな」
柚葉に聞いてみる。
「きっとなれるよ」
「死神なのに?」
「だって死神は死なないもん。死んだら生きているってこと。生き物は死んだら土に還るんだから」
「へぇー、そうなんだ」
「えっ? 地上で死ぬとみんな地球に還っていくんだって。私、聞いたよ。鉄でできた機械もこの惑星の一部になるんだって。知らないの?」
「へぇー、そうなんだ」ととぼけた。
だって僕は死神だから。殺しておきながら自らは外野にいる存在だから。
少なくとも柚葉にとっては。
もう十歳になる女の子相手に、この道化は厳しいとわかっている。だけど演じ続けなければ、柚葉とこの世をつなぐ糸が切れてしまうかもしれない。病気は精神状態によって良くも悪くもなる。いくら科学が進歩したって変わらない。むしろ進歩したことにより身体との結びつきは強固なものだと証明されていった。柚葉には教えていないけど、とっくに気づいていると思う。
だからモータ音がする真っ黒な影を、死神と呼び続けた。
そんな見え透いた僕らの演技はまもなく幕を下ろす。
三星山を下る歩みに合わせて。
ふもとの鳥居をくぐるとマッドの軍団が待っていた。
組織採取の機器や大容量ディスクを積んだキャリーバッグとは別に、二人のヒューマノイドがついている。彼らが使ういつものバンの横に見慣れないトラックがあった。バスのような窓がついた荷台には、僕を生み出した会社のロゴがうっすら見えた。
「夜中に出歩いたらダメでしょう。まして山の中なんて事故に遭ったらどうするのですか」
オレンジ色の明かりを灯しながらマッドが注意する。
ムッとほおを膨らす柚葉の姿が暗視カメラに映った。
「ほっといてよ、私には夜しかないの!」
「無理して出歩いて命が尽きても、あなたは平気なのですか」
「平気よ。そんな心配しなくていいから」
「どうしてそう言えるのですか」
「私には死神がいたから。命を保証してくれる死神がいたから」
柚葉がこっちにやってくる。機械を死神だと喧伝して。
マッドはかける言葉を失ったようだ。僕のデータをディスクにコピーしている一人も、ただ静かに柚葉を見つめている。
「もうお別れだね」
「じゃあ私はどうなるの」
「僕が消えたらあとは柚葉しだい。頑張れば九十歳になっても生き続ける」
壊れかけた表情機構を最大限に動かして笑顔を繕ってみせた。
僕の端子から大容量ディスクの信号線が外れた。マッドの代わりに、二人のヒューマノイドが迎えにくる。僕は彼らに手を引かれ、窓付きの荷台に乗り込んだ。
もう一度、柚葉に聞いてみる。
「僕は星になれるのかな」
「それは死神さんしだい」
完全自動制御のトラックが無灯火のまま始動し、モータが僕らを切り離していく。
「じゃあね、バイバイ死神さん」
その声が終わるとき、柚葉の姿は消えていた。
いや、僕が消えたんだ。
僕は『死神さん』。寿命の口約束を済ませたら、できるだけ早く柚葉から離れなければならない。
僕の手を引くヒューマノイドのせいで、演出は最後まで台無しだったけど。
トラックは日の出とともに工場へ着いた。24時間操業の懐かしい工場の門をくぐり、ヒューマノイドのスタッフにマザーマシンの元へ案内された。
もうすぐ柚葉の死神はこの世を去る。
新しい身体は真っ黒ではないと聞く。死神の皮を脱ぎ捨て、510nm以下の光を反射しない範囲の彩りをまとい、僕は生まれ変わる。
正二十面体のマザーマシンとつながる。
母親は「おかえり」と出迎えてくれた。
これから仮想空間へ帰り、新しいソフトと統合される。
アップロードの命令とともに、僕は死神の身体から離脱していく。その最中、データベースから柚葉の声がした。
一つだけデータが書き換わる。
意識が薄らぐなか、僕の論理がささやく。
『僕が星になる確率:100%』