誤算2
初は、面食らった。それまで興味深そうに話を聞いていた青涯が、ひどく驚いた様子を見せたからだ。
青涯は、種の入った巾着袋を取り落とし、両の眼を大きく見開いている。まるで幽霊にでも会ったような顔をして、初を見つめていた。
「青玄は、十河一存に仕えていると……彼は、たしかにそう言ったのかい?」
「え、ええ。今は、岸和田城に住んでるって、言ってましたけど……あの、それが何か?」
何やら難しい顔で考え込んでいた青涯は、初の視線に顔を上げた。怪訝な顔をする初に「なんでもない」と首を振る。
「たぶん、私の記憶違いだ。そうに違いない」
まるで、自分に言い聞かせるような口振りだった。
「それよりも、慶一郎君のことだ。今日は、私に用があって来たとレイハンに聞いたんだが」
ついに来たか、と初は手のひらを握り締めた。大きく深呼吸し、意を決して口を開いた。
「……実は、矢代村と隣村の争いについてなんですが」
「その話なら、私も聞いているよ。あの二村は、昔から折り合いが悪くてね。合戦沙汰になったことも、一度や二度じゃないんだ」
随分と昔の話らしいが、実際に合戦沙汰に及んだことがあるという。
もともと水に恵まれない熊野は、各地で水利争いが絶えない土地だった。水は作物の生産や命に直結するだけに、みんな必死になる。
隣り合う村同士が、水をめぐって争うことは、決して珍しい話ではない。そして、この問題、この時代が厄介なのは、話が二つの村だけで済まなくなるところだった。
今は、戦国の世。戦乱が続く時代に対応すべく、各地の村はそれぞれに自前の戦力を保有している。
村人たちが軍事訓練をするのは当たり前。いざという時のため、他の村と同盟を結ぶのも一般的だ。
これだけなら、わからない話でもない。問題は、同盟を結んだ村にも、争いを抱えている相手がいることだった。
たえばここに、A、Bという、いがみ合う二つの村があったとする。Aの村が、争いを有利に進めるため、付近の村Cと同盟を結んだ。するとBは、Cと仲の悪いDという村と同盟を結ぶ。さらに味方を増やそうと、Aは次にEという村と同盟を結び、Bも対抗してFという村と同盟を──という具合に繰り返されるわけだ。その結果、どうなるか。
村同士の同盟は軍事同盟だ。一方が攻められれば、同盟を結んだ相手が加勢にやって来る。同盟相手が複数いれば、そのすべてから援軍が送られる。
戦う相手にも、同盟者から援軍が送られ、たちまち国中を巻き込んだ大戦に発展してしまう。これが戦国時代が、戦国たる所以だった。
地縁血縁に利害関係。様々な要因が複雑に絡み合った結果、血みどろの殺し合いが起こるのが、この時代の特徴だ。
大抵の場合は、事が大きくなる前に、国を治める守護が出てきて問題は解決される。しかし、問題が国をまたいだ村同士で起こったりすると、今度は守護同士が揉め始める。互いに武家の面子が掛かっているから、引くに引けなくなり、戦になるのだ。
この話を青涯から聞いた時、初は頭を抱えた。しかも、こういう話が、そこらへんにゴロゴロ転がっているという。そりゃ、国がまとまらないわけである。
そうした事情がある以上、矢代村の水利争いは、決して楽観視できる問題ではない。矢代村も隣村も、互いに同盟を結んだ村に書状を送っていると聞けば、なおのこと。
「早く解決しないと、ほんとに戦になりそうなんです。俺が揚水風車を作ったせいで、まさかこんなことになるなんて」
「矢代村が汲み上げていた水は、山向こうまで流れていない。風車の件は、当てつけにしか過ぎないよ」
うつむく初に、青涯は言った。その声音には、強い疲労が滲んでいた。
「なんとか、折り合いをつけてくれればいんだが……ポンプを使って、水を山向こうまで送れないかな?」
「技術的には、できると思います。ただ、喜多七たちが納得するかどうか」
小川の水を隣村に送る案は、初も考えていた。山頂に風車を設置し、渦巻ポンプを使えば、おそらく技術的には可能なはずだ。
しかし、昨日の喜多七たちの様子を見るに、それは難しいだろう。両村とも、理性より感情が上回っている状態だ。そこへ、これまで積み上げてきた恨み辛みや、面子の問題まで絡んでいる。今更、水を分け合えと言ったところで、両者とも納得しないだろう。
「なにか、他に水を手に入れる方法があればいいんだが……」
思い悩む青涯に、初はほぞを噛んだ。
こういうとき、何か妙案が思い浮かべば、青涯をわずらわせる必要もないのに。初は、無力な己が呪わしかった。
その上、さらにもう一つ問題が残っていた。
「……先生。実は、もう一つ相談したいことが」
初は、タケから聞いた、木地師たちの困窮について青涯に説明した。
「俺が作った旋盤が、問題になってるみたいで。大和の職人が、仕事にあぶれてるっていうんです」
「ラッダイトか。それは、難しい問題だねぇ」
青涯は、禿頭を撫でまわした。
「実は、明の工人たちが鍜治場を開いた時にも、似たような問題が起こったんだ。彼らの技術は相当なものだし、水車を使う分、人件費が抑えられるからね。いいものを安く売られては困ると、何度か怒鳴り込んできた人がいる」
今でも時折、軋轢が発生することがあると、青涯は嘆息した。その顔を見て、初は青くなる。
(もしかして、そっちも俺が原因なんじゃ……)
螺旋水車を導入した鍜治場では、以前よりも多くの製品を生産している。一つ一つの作業にかかる労力が減り、その分、製品の質も上がっていると聞く。
それだけではない。今や螺旋水車は、脱穀や縄作りなどの農作業にも使われている。堺近郊でも、導入する業者が増えているというし、今後こちらも問題になる可能性は高い。
マズい。これは本当にマズい。もし事態が進行して、職人同士の間でも諍いが起きれば、事は安宅荘だけでは収まらなくなる。
手を打たなければならない。それも早急に。
初は自分の足元が、ぶすぶすと焦げ付き出していることを、今はじめて自覚した。
「な、なにかこう。新しい産業を起こして、そこに失業者を吸収すれば?」
「産業か。しかし、そんな簡単には」
「肥料の製造なんてどうです? 実は、堺の紅屋さんと反射炉を造る計画があるんです」
初は、懐から帳面を取り出した。白紙のページを開き、矢立(携帯用筆記具)に入れた筆を使って、簡単な図面を描いていく。
「全国的に銭が不足してるのは、先生も知ってますよね? それがいよいよ深刻になってきたらしくて、紅屋さんに解決策を相談されたんです」
堺から安宅荘へ帰ってきて、しばし後。紅屋から送られてきた書状には、銭不足の窮状が綴られていた。
比較的良質な銭が蓄えられていた堺ですら、悪銭や鐚銭が横行。畿内の外となれば、もはや、まともな銭を探すことすら不可能に近い。精銭の不足による経済の混乱ぶりは、目を覆うほどだという。
やはり、自分たちの手で新たな銭を造るしかない。そう決意した紅屋は、初に協力を求めてきた。
「モデルは、韮山の反射炉です。これを使って鐚銭を熔かして、綺麗な銅に精錬してから、銭に造り直すんです」
帳面に反射炉の図面を描いていく。
大まかな原理を説明する初に、青涯は顎を撫でながら、
「銭を熔かすだけなら、別に反射炉でなくてもいいんじゃ?」
「鐚銭を使うだけなら、甑(日本の伝統的なキューポラ)でもいいんですけど。やっぱり銅鉱石から製錬したほうが、確実ですからね。それに、副収入もありますし」
この時代の日本は、銅の精錬技術が未熟だ。鉱石から銅を製錬すると、鉱石に含まれている金や銀まで一緒に、インゴットに加工してしまう。
海外の商人たちは、このインゴットを買い付け、改めて精錬を行うことで金や銀を抽出。その利ザヤで、大きな収入を得ていた。
「反射炉を使えば、海外に流出していた金銀が回収できます。これだけでも、かなりの儲けが出るはずです。それからもう一つ、銅鉱石を焼いた時に出る、亜硫酸ガスも欲しいんですよ」
銅鉱石には、硫黄分が含まれていることが多い。そのため製錬すると、大量の亜硫酸ガスを発生させる。ヨーロッパの産業革命では、深刻な環境汚染を引き起こしたほどだ。しかし、この亜硫酸ガス、少し工夫すれば硫酸の製造にも使える。
硫酸は、洗剤に含まれる界面活性剤の原料になったり、金属の精錬や医薬品の製造にも使われる。これまでは硫黄と硝石を使っていたが、亜硫酸ガスなら安価に、かつ大量に硫酸を製造できる。
また硫酸は、化学肥料の原料としても重要な薬品だった。
「硫安とか、過リン酸石灰を作れば、農業生産力だって上がるはずです。この反射炉を使った銅製錬と肥料製造に人を雇えば」
「なるほど。周辺の雇用問題は、ある程度解決される、か」
青涯は、真剣な面持ちで図面を覗き込む。それに気を良くした初は、さらなるアイディアを披露した。
「それから今、矢代村で硝石を増産できないか、ためしてて。喜多七と蜘蛛丸さんに聞いたんですけど。今は蚕の糞とか、獣の内臓を使って硝石を製造してるんですよね?」
青涯が頬を引きつらせたことに、初は気付かない。
図面を引きながら、初は蜘蛛丸たちとの会話を思い出した。
次回の更新は、9月5日です。





