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騒乱4

『行くなら、早いほうがよい。殺気立った村人共も、青涯の言葉ならば聞くだろうて』

『いやいやいや。先生は忙しんだよ? 多忙だよ? とても俺の話を聞いてる余裕なんて』


 もっともらしく断ろうとする初だが、子墨は聞く耳を持たなかった。


小睿シャオルイ、手伝え』

『え? あ、は、はい!』


 子墨に睨まれて、小睿は初に駆け寄った。


 嫌がる初を前に、小睿は目を泳がせた。どこへ触れていいかわからず、さんざん迷った末、初の着物の裾を、ちょこんと摘まんだ。


『なにをしとる、小睿!? しっかり捕まえんか!』

『いや、でも公主ひめ様に触るわけには……』

『いいぞ、小睿! ほら、公主様に不敬だって、師匠に言ってやれ!』

『こんな小汚い小娘の、どこが公主か! いいから、そこのむしろを持ってこい。これ以上暴れるなら、簀巻きにしてやる!』

『ちょっ……それはないだろ師匠!? あんた最近、俺の扱いが雑になってないか!?』


 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる声に、何事かと鍜治場の工人たちが集まってくる。海生寺へ行く行かないで揉める初と子墨を見て、またいつものことかと、工人たちは呆れ顔となった。その中には、半眼を向ける雪の姿もある。


 なんとか簀巻きは逃れたものの、子墨は初の手を放そうとしない。

 折悪しく、日置川の水量も減っている。浅瀬であれば、歩いて対岸に渡ることもできるだろう。


 鍜治場の門を抜け、そのまま川に入ろうとする子墨に、初は思いっきり抵抗した。


『待って! こっちにも準備があるから! とりあえず書状でお伺いを立てて、それからじゃないと失礼だから!』

『知ったことか! お前が腑抜けたままでは、電気の研究が進まん! さっさと問題を解決して、わしに新しい知恵を吐き出さんか!』

『てめぇ、本性を現しやがったな!? 俺を心配するふりして、ほんとは自分のためじゃねえか!』


 鍛冶仕事で鍛えているせいか、年寄りのくせに、子墨の力はやたらと強い。


 ついに初を抱えるという暴挙に出た子墨は、ずかずかと川の中に踏み入った。渡し船の船頭たちが見守る中、膝まで水に浸かりながら、どんどん川を渡っていく。


『うぷっ! おい、ちょっと……顔が浸かってるっ』


 川面に顔を突っ込まれ、半分溺れかけながら、初は無理やり対岸へと移動させられた。

 警備を担当する海生寺の衆人たちが、訝しげな顔を向けてくる。

 大勢の人々が見守る中、子墨は寺の門にこぶしを叩きつけた。


『おい、わしだ! 子墨だ! 青涯和尚に取り次いでくれ!』

『待って、ほんとに待って! まだ心の準備がっ!?』


 最後の抵抗を試みる初と、逃がすまいとする子墨。どちらに手を貸してよいかわからず、小睿はおたおたと右往左往している。


 奇妙な様相を見せる一団に、衆人たちは互いに顔を見合わせた。


「いったい何事ですか、これは?」


 脇門から顔を見せたレイハンは、門前の騒ぎに眉をひそめた。子墨に抱えられた初を見て、レイハンの瞼が、すっ、と細められる。


 それまで必死の抵抗を繰り広げていた初は、レイハンの視線に射抜かれるなり、ぎくりと身を固くした。


「……初姫様。これは、何の騒ぎですか?」

「あ、いや、そのう……これは、ちょっとした手違いっていうか……」

「青涯、会わせる。初、会う、望んでる!」


 片言の日本語で訴える子墨に、何を察したのか。レイハンの眼差しは、急速に温度を失っていった。


「ここはいいですから。あなた方は、警護に戻りなさい」


 集まってきた衆人たちに、レイハンはやんわりと告げる。しかし、妙にピリピリした様子の衆人たちは、引き下がらなかった。


「このまま放っておくわけには参りません。今、義房様を呼びに行かせておりますので」


 抗弁しようとする男に、レイハンは視線を向けた。


「ここは寺であって、武人の溜まり場ではありません。お下がりなさい」


 顔を青褪めさせた男たちは、慌てて己の持ち場に戻っていく。


 視線一つで衆人たちを追い払ったレイハンは、固唾を飲む初たちに、改めて向き直った。


「それで、初姫様。本日はいったい、どのようなご用件でしょうか?」


 下手なことを言ったら殺される。

 レイハンの様子に恐れをなしたか。子墨は抱えていた初を、その場に下ろすと、素早く踵を返した。


『では、わしは帰るとしよう。あとのことは、お前に任せる』

『待って一人にしないで、ちょっと小睿も!』


 引き留めようとする初の手を振り切り、子墨と小睿は、そそくさと川を渡っていく。


 二人が対岸に渡り切るまで見送った初は、砂利を踏む音に、身を竦ませた。そろそろと振り返った初を、レイハンの琥珀色の瞳が出迎えた。


「私も暇ではありません。ご用があるのでしたら、さっさと仰ってください」

「そ、それは、その……えと」


 視線を左右に泳がせていた初は、レイハンの頬が震えた瞬間、慌てて、


「そ、そういえば! 私がいない間に、大変なことが起こったみたいですね。えーっとその、一向宗と揉めたって聞いたり聞かなかったり……」


 どんどん機嫌が悪くなっていくレイハンに合わせて、初の声も縮んでいく。

 冬の湖面のように静かな目をしたレイハンは、薄い唇を開くと、切り捨てるように言った。


「それは我々、海生寺の問題です。安宅家の姫君には、なんの関係もない話かと」

「いや、私だって先生には世話になってるし。その、やっぱり気になるっていうか」

「心配は無用でございます。すでに寺の者たちが対処し、青海様が本願寺側と交渉に当たっておられます。我々だけで十分に対応できますので、どうか初姫様はお引き取りを」


 それに、とレイハンの視線が、一段と鋭さを増した。


「初姫様は、矢代村の風車をめぐって、問題を抱えておられるはず。私共の心配をするくらいなら、そちらの解決に力を注がれるべきかと」


 初は押し黙った。ぐうの音も出ないとは、このことだった。

 レイハンの冷たい眼差しに打ち据えられ、初は小さく肩を落とした。


「……帰ります」


 すごすごと海生寺から去っていく初の背に、レイハンは声を掛けた。


「お願いですから、和尚様を煩わせないでください」


 初は振り返った。切実な想いを宿したレイハンの瞳が、初を捉えていた。


「寺の者たちが、一向宗の寺を焼いたと知ったとき。あの方が何をなさったか、知っていますか? 寺の蔵から米を運び出したのですよ?」


 焼け出された者たちを救うために、とレイハンは震える声で言った。


「無論、皆が和尚様を止めました。三河国で殺されたのは、和尚様のもっとも古いお弟子の一人なのです。和尚様の教えを学び、これまでにも、多くの土地で人々を救ってきた方だったのです。そんな人を殺した連中の仲間にさえ、あの方は救いの手を差し伸べようとなされました。

 自分は僧侶だから、人が犯した間違いを許すし、誰であろうと傷ついた人々は助けると仰いました。それが自分の役割だからとっ」


 レイハンは、きつく目を瞑った。こぼれ出しそうになった感情を必死に押し込めると、レイハンは立ち尽くす初を見つめた。


「和尚様は、あの人はそういう方なのです。今も、少しでも多くの人を救おうと努力されている。苦しんでおられる。だからこれ以上、あの方の心を煩わせないで欲しいのです」


 静かに頭を下げるレイハンに、初は何も言うことができなかった。


 問題になっているのは、初が作った製品だ。だというのに、自分は何もできていない。何もさせてもらえない。

 青涯へ相談するのをためらっていながら、実際には、問題を解決してくれるのではないかと期待している自分がいる。そのことに気付き、初は口の中に、苦い味が広がるのを感じた。


 やはり、青涯に相談することはできない。

 無力感が初の両肩に、重く圧し掛かった。





 その場から立ち去ろうとした初は、一つ大切な用事があることを思い出した。


「あの……レイハンさん」


 脇門をくぐろうとしていたレイハンは、まだ何かあるのかと目を眇める。

 レイハンの非難混じりの視線に耐えつつ、初は懐に手を入れた。


「これ、お妙さん渡してくれませんか。一月くらい前、私にお腹を撫でてもらいに来た人なんだけど」


 初が取り出したのは、開口あぐち神社で手に入れてきたお札だった。


 堺のほど近くにある開口神社は、古くから航海の安全と、安産の神様として崇敬を集めている。宗陽そうようにその話を聞いた初は、お土産として、幾枚かのお札を貰ってきていた。これは、その中の一枚である。


 初が腹を撫でた時点で、妙の腹はかなり大きくなっていた。そろそろ臨月が近いはずである。

 お産の役には立てないが、せめてお札だけでもと訴える初に、レイハンは静かな眼差しを向けた。


「妙は死にました。腹の赤子が流れ、そのまま一緒に」

「……え?」


 初は、呆然とした。

 立ち尽くす初の手のひらから、薄っぺらいお札が一枚。川から流れてきた風に吹かれて、滑り落ちた。


次回の更新は、8月15日です。


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