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矢代村

安宅家の周辺事情の紹介。今回から、数回続きます。

 大崎慶一郎は、国立大学に通う、ごく普通の学生だった。


 実家は、工業地帯の町工場。

 祖父母に、父親と弟妹の六人家族。


 幼い頃から、工作機械と職人に囲まれて育った慶一郎は、自然と実家の仕事に興味を持ち、これまた自然と理系の進路を選択した。


 高等専門学校を経て、大学の工学部に入学。現在は、大学院に籍を置き、来年には大手企業への就職も決まっていた。


 とりあえず、十年くらいは他社で技術と知識を身につけ、人脈を開拓。いずれは実家の町工場を継ぎ、家族と一緒に会社を盛り立てていく。


 それが大崎慶一郎が思い描いていた、おおよその人生設計だった──

      




「──そのはずだったんだけどなぁ」


 初は、雲ひとつない夏空を見上げて、ぼやいた。


 ある日、目が覚めたら小さな女の子になっていたなんて、いったい何の冗談だろうか? それも戦国時代らしき時間へタイムスリップの、おまけ付き。


 正直、意味がわからない。

 頭のお医者さんがいれば、まず間違いなく診察を頼むレベルの荒唐無稽さである。


 初は、眼下に広がる景色を見渡した。


 山の斜面からは、安宅館周辺が一望できる。

 今時、まず見かけないような木造船が連なる湊。武家屋敷が集まる館の南側では、髷を結った侍や、着物姿の女性たちが闊歩する。


 アスファルトではなく砂利で申し訳程度に舗装された道を、馬や牛を引いた人々が行き交い、建物は全て木製の純日本建築。


 まるで、映画のセットにでも入り込んだような気分だ。どう考えても、現実には思えなかった。


「姫様、準備できましたぞ!」


 真剣に自分の正気を疑っていた初は、背後からかけられた声に振り向いた。


 梯子に登った男が、こちらに手を振ってくる。

 男の隣にはやぐらが建てられ、18枚羽根の多翼型風車が設置されていた。


 櫓に駆け寄り、初は内部を覗き込んだ。


 風車の取り付け方に間違いはないか。歯車の接続は。風向きの変化に対応する変針装置は。

 最後に、ポンプの具合を確認した初は、一つうなずくと、


「これなら問題ない。今から、稼動試験を始めるぞ!」


 初の号令に、櫓の周囲にいた男たちから「応っ!」と野太い声が返った。


 櫓から離れ、初は小高い丘の上に登った。


 初が見守る先で、風車から羽根を固定していた止め具が外される。


 風車が稼動する瞬間を、今か今かと待ち構える初の頬に、柔らかな風が触れた。

 山の斜面を吹き上がってきた風は、竹製の羽根に力を与え、ゆっくりと風車が回り始める。


 歯車の動きが、回転軸を通してポンプに繋がった。


 山肌には、竹筒製のパイプが通されている。

 村人たちが固唾を呑んで見守る中、ポンプに繋がった竹パイプの口から、ごぼごぼと濁った音が聞こえ始める。


 最初は、ちょろちょろと。やがて勢いを増した水が吐き出されると、村人たちの間から歓声が上がった。


「まだだ! 本番は、これからだぞ!」


 初の戒めに、村人たちはぴたりと口を噤む。


 ポンプによって送り出された水が、斜面に掘られた窪地へと徐々に溜まっていく。

 窪地の水深が十センチほどに達したところで、初は傍らの男に声をかけた。


「伝七、止め具を」

「へ、へいっ!」


 窪地の側には、もう一台の風車が設置されている。


 櫓をよじ登った伝七が、風車の止め具を外す。こちらでもポンプが動き出したのを確認して、初は山肌を駆け上がった。

 ゴツゴツとした岩場を抜けると、比較的開けた場所に出る。


 そこに広がっていたのは、棚田だった。


 猫の額ほどの土地を均し、村人たちが何世代もかけて切り開いた、立派な水田だ。

 水田は石垣で囲われ、夜になると藁で蓋をされる。こうすることで風水害を防ぐと共に、昼間に太陽光で暖められた石垣が水の温度を保ち、冷害から稲を守ることができる。


 幾重にも重なる棚田の頂上には、大きなため池が存在した。ここで水を太陽光にさらして温め、各水田へと分配するのだ。


「どうだ、喜多七きたしち


 初は、ため池の傍らに立つ老人に話しかけた。

 真っ黒に日焼けした喜多七は、初の顔を見るなり相好を崩して、


「おおっ、姫様! 見てくだされ。このとおり、水がなみなみと」


 初は、ため池に近づいた。

 竹パイプからは、間断なく水が吐き出されている。徐々に水位を増していく水面に、初はほっと胸を撫で下ろした。


「どうやら、上手くいったみたいだな」


 一台目の風車が山中を通る小川から水を窪地まで引き上げ、さらに二台目の風車が頂上のため池まで引き上げる。

 ポンプの揚水能力不足による苦肉の策だったが、何とか水を汲み上げることに成功した。


 初に続いて、ぞろぞろと山を登ってきた村人たちが、澄んだ水をたたえるため池を見て、動きを止めた。

 どうやら一度、喜びを抑制されたせいで、反応に困っているらしい。


 喜多七は、ざわつく村人たちの前に進み出ると、朗々と響く声で語りかけた。


「よく聞け、皆の衆! 初姫様の策は、見事成功した! これで畠にも田んぼにも、好きなだけ水を入れられる! 皆、よう頑張ってくれた!」


 村人たちの間から、喜びが爆発した。

 互いの健闘をたたえて肩を叩き合い、あるいは抱き合って、中にはため池に飛び込む者まで出る始末。


 今時、飲み会終わりの大学生でも、ここまではっちゃけない。


 初は、感情表現が豊か過ぎる村人たちの姿に、若干引いていた。

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