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海賊の姫 ──熊野海賊興亡記──  作者: うつみ いっ筆
第二章

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騒乱1

 船が港へ着くなり、初は急いで舷梯を駆け降りた。


 桟橋に異常はない。どこかで舟が燃えたり、壊されている様子もなく、初はとりあえず胸を撫で下ろした。


「姫様ぁーっ!」


 異変はないかと周囲を見回していた初は、桟橋を駆けてくる小さな人影に、相好を崩した。


「おお、沙希さき! りんも!」


 凜の手を引いた沙希が、初を目掛けて飛び込んでくる。


 二人の身体を受け止めようと、初は両手を広げた。いまだに、男だった頃の記憶が抜けていない。童女二人が繰り出す全力の突進を真正面から受け、初は当然のように吹き飛ばされた。


 桟橋の上に、背中から倒れ込む。沙希と凛の体重が圧し掛かり「ぐぇっ」と、濁った声が初の口から漏れた。


「遅いです、姫様! 一月以内って言ったのに、全然帰ってこなくて!」

「姫様、もう帰ってこないのかと思いました」


 全身で怒りを表す沙希と、寂しげな顔をする凜。それぞれに、初と離れていた時間を取り戻そうとするように、押し迫ってくる。


「わ、わかった……二人とも、頼むからそれ以上は……」


 身体の上で暴れる二人を、柔らかく押しのける。

 どうにか込み上げてくるものを飲み下した初は、沙希と凛に笑いかけた。


「悪かったな、二人とも。向こうでの仕事を片付けるのに、思ったより時間が掛かってな。なにせ叔父上は、どこからも引っ張りだこで」

「つまり、姫様の帰りが遅れたのは、父上のせいなんですね?」


 沙希の視線が急速に冷えていくのを見て、初は急いで話題を変えた。


「そ、そういえば、二人とも! なにか変わったことはなかったか? さっき海の上で、煙が上がっているのが見えたんだが」


 荷下ろしを指揮する光定を、暗い瞳で見つめていた沙希は、初の問いかけに振り向くと、


「今朝方、寺が焼き討ちされたのです」

「とと様が、今日は危ないから出歩いちゃいけないって」

「でも、姫様が帰ってくると聞いて、連れて来たんです」


 かつては凜に嫉妬していた沙希も、今では立派なお姉ちゃんだ。今も、目が見えない凛の手を握り締めて、ちゃんと先導してやってる。


 二人の微笑ましい姿に和みかけた初は、不穏な情報に、すっと体温が下がるのを感じた。


「寺って……まさか、海生寺が焼き討ちされたのか!?」

「いえ、焼かれたのは一向宗の寺です」


 どういうことだ、と初は眉をひそめた。

      








「襲ったのは、海生寺の衆人しゅとじゃ」


 安定やすさだが告げた言葉に、初は一瞬、声を失った。


 荷下ろしを家臣たちに任せ、湊から安宅館へと急行した初たちは、すぐさま書院の間へと通された。

 普段、当主の安定が執務に使っている部屋だ。十畳ほどの空間には、領内各所から届けられる報告書が、几帳面に並べられている。


 火急の事態であるにもかかわらず、泰然自若とした態度を崩さない安定は、正面に並んだ初、光定、頼定に、静かな眼差しを注いだ。


「頼定は知っていようが……。三河にて、青涯和尚の弟子が横死した」


 息を呑む初の隣で、頼定は糸目をさらに細める。光定も、事件の話は聞いていたのか、さして驚くことなく、安定の話にうなずいた。


「賊は、三河の一向門徒。衆人どもは、その無念を晴らすため、富田とんだ荘にある一向宗の寺へ向かった」

「では、あの山向こうから立ち昇る煙は」

「衆人どもが、寺を焼いたのであろう。義房よしふさは、此度の顛末について、話をしに行くだけと言うておったが……やはり、それだけでは収まらなんだか」


 言葉のわりに、安定の口調は平静だった。まるで最初から、この事態を予期していたような話しぶりである。


「なぜ、そんなことに……?」


 知らず、声がこぼれていた。


 呆然とする初を、安定は底の見えぬ瞳で見つめた。


「青涯殿のもとに、三河の民から嘆願があったのじゃ。ここ数年来、様々な土地で飢饉が起こっておる。自分たちの村も同じ目に遭わぬよう、知恵を貸してほしいとな。青涯殿は、その声に応えるため、弟子の一人を派遣された。門徒どもは、それが気に入らなんだらしい。青涯殿の教えを邪法とそしり、弟子を打ち殺した。焼き討ちは、それに対する報復よ」

「その寺は、先生の弟子が殺された件に、関わっていたのですか?」

「わからぬ。だが、このように卑劣な真似をされて、黙っておるわけにはいかぬ。相手が誰であろうと、一向門徒というだけで、衆人どもにとっては、仇も同然よ」


 そんな無茶苦茶な話があるか。ただ同じ宗派だったというだけで、無関係な人々を襲うなんて。

 だが、衝撃を受けているのは、初ひとりだけだった。頼定も光定も、渋面を作ってはいるが、衆人たちの行いを咎める気配はない。むしろ、当然のこととして受け止めている。まるで、それこそが常識だとでも言うように──


 初は、急に息苦しさを感じた。書院の間そのものが、得体のしれない空間へと変貌してしまったようだった。そこに満ちているのは、初の知らない、何かおぞましいものだった。


 ざわざわと館の空気が揺れる。


 金属同士が擦れ合う音に、額を寄せ合っていた安定たちは、顔を上げた。


「父上! 父上はおられるか!? 勘右衛門かんえもん信俊のぶとし、ただいま戻りましたぞ!」


 騒々しい声が、館の庭に響いた。

次回の更新は、8月6日です。


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