情勢
光定は言った。
「料理自慢には料理を作らせ、茶の湯好きには茶を点てさせる。数寄者に一句、歌わせたこともあったな。そうして腕前を披露した者たちを、紅屋は褒めたたえる。相手がいい気になったところで、すかさず商談を持ち掛ければ、大抵の者は断らん。会合衆筆頭格、紅屋宗陽の心根を掴んだと勘違いして、儲け話を披露する──というわけよ」
特に、商売敵になりそうな相手に対して、有効な手だと、光定は言った。
敵を身内に引き込み、利益を共有すれば、相手は紅屋が力を貸してくれたと有り難がる。銭を貸してもらえば、力を認められたと舞い上がるだろう。
実際には、うまい汁を吸われているとも気付かず、相手は紅屋を儲けさせるために、奔走する。
「そんな意図があったなんて……」
豆腐のぶっかけ飯を啜りながら、初は総身を震わせた。さすがは豪商、と感心すると同時に、そんな人物を商売相手に選んだのか、と空恐ろしさが湧き上がる。
「ま、宗陽も、根っからの悪人というわけではない。利益を得れば、相手にも相応のものを返してくれる。互いに少しずつ得をするのが、長く商売を続けるコツだそうだ」
立派な心掛けに思えるが、先ほどの話を聞いた後だと、意味が違って聞こえる。初は、緩みかけていた心を、引き締め直した。
(気を付けないと、全部持ってかれるな。職人たちには、守秘義務を徹底させないと)
とりあえず、船大工の賃金を引き上げよう。十分な給金さえ払えば、裏切者が出る可能性は、限りなく低くできる。
それでも、万が一に備えて、別の商売を思案する初に、光定は苦笑した。
「お主の、そういう真面目なところが、いかんのだろうな。そんな調子だから、青海にも付け込まれる」
「青海さんからは、ちゃんと対価を貰ってますよ」
タダ働きはしていないと訴える。光定は、しょうがない奴だ、とでも言いたげな顔。
「一昨年だったか。お主が工人どもに、一泡吹かせたのは。あれが青海の狙いよ」
盃を舐めながら、光定は、青海の思惑を語った。
「明の工人どもは、腕利き揃いでな。腕が良すぎて、この国の職人を侮っておった。雇い主の青海はおろか、青涯和尚すら蔑ろにする始末でな。かといって、機嫌を損ねて、臍を曲げられでもしたら困る」
安宅荘で造られる産物、特に細工物、織物、陶磁器の大部分は、工人たちの手によって作られている。安宅荘の職人たちも、工人たちの技を盗もうと努力しているが、教えるのを拒まれたり、巧妙に技を秘匿されたりで、両者の差はなかなか縮まらない。
工人たちが商品を卸してくれなくなったら、安宅荘の産業は、たちまち立ち行かなくなってしまうのが、現状だった。
「青海は、お主の知恵を使えば、工人どもを黙らせられると思ったのよ。だから、お主を焚きつけて、工人どもに向き合わせた」
初の知恵を切り札に、青海は、工人たちの優位を失わせた──
光定の話に、初は愕然とした。なんかいいように乗せられてるなぁ、とは思っていたが、まさかそんな策略があったなんて……
(……あの古狸。人を、いいように使いやがって)
やっぱり顧問料を取っておくんだったと、初は心の底から後悔した。
「安宅家は、畿内でも有数の富貴よ。その富を掠め取ろうと、有象無象どもが寄ってくる。特に、お主の博識ぶりについては、徐々に噂になってきておるからな。目ざとい商人ならば、あの手この手で、利益を得ようとするじゃろう」
初は、唇を噛んだ。そうだ。その可能性は、考慮してしかるべきだった。
実家の工場にも、時折、そういった手合いは現れた。上手い話を持ち掛け、言葉巧みに利益を引き出そうとする。
いかにも、やり手のビジネスマンといった雰囲気の男たちが、父や祖父に追い返されていたのを思い出す。
宗陽が、ああいう輩と同じだとは思わない。今回の商談が、安宅荘にとって、大きな利益になるのはたしかだ。だが、それでも、初が迂闊だったのはたしかだ。
博識だ、知恵者だとおだてられて、舞い上がっていたのだろうか?
己の未熟さに、初はうなだれた。
「ま、これに懲りたら、他人を疑うことを覚えるんじゃな」
「……肝に銘じます」
苦々しい顔でうつむく初を、光定はおかし気に見つめていた。
空になった盃に、手酌で酒を注ぐ。提子を持つ光定の手が、不意に、虚空で動きを止めた。
「……初、くれぐれも気を付けてくれよ」
光定は、重々しい口調で告げた。
「場合によっては、我が家の存続にも関わる。今後は、どの商人に対しても、決して言質を取られぬようにせよ」
「それは、宗陽殿もですか?」
「無論」
光定は提子を置き、腕を組んだ。
「今宵の宴席。招かれた客人は皆、大物揃いよ。いずれも堺では名の知られた、豪商、数寄者の類。紅屋め、まったく厄介なことをしてくれる」
「……あの、それのどこに問題が?」
むしろ当然なのでは? と初は思った。
安宅家は、紅屋の取引先だ。それも、最も重要な相手と言っていい。
安宅家を通さねば、安宅荘で作られる産物は手に入らない。もてなすのは、当然のことだ。
「安宅家と繋ぎを作れる機会を、商人が見逃すはずがありません。もっと盛大な会を催されても、驚きませんが」
「招かれた面子が問題なのよ。奴らの大半が、三好家と昵懇の連中ぞ。広間の隅におった男を見たか? あれなど、阿讃衆(阿波、讃岐の軍勢)を率いる三好実休に、茶の湯を教えた茶人よ」
光定の忌々しげな様子に、初は現在の畿内情勢を思い出した。
都のある山城国をはじめ、摂津、和泉を領していた三好氏は、昨年、畠山家を追い出して、河内を手に入れた。
畠山家は、紀伊守護職。安宅家にとっては、主君と仰ぐべき存在である。
その畠山家から、河内を奪い取った三好家と、懇意にしている商人たち──
事態の重大さを理解した初は、さぁーっと顔から血の気が引いた。
「あの……もしかして私たち、凄くマズいことをしたんじゃ」
「だから、そう言うておろう」
今頃気付いたのかと、光定は呆れ顔になった。
「この話が、尾張守様(現畠山家当主)のお耳に入ってみろ。場合によっては、重臣どもが騒ぎ出すかもしれん」
それはマズい。もの凄くマズい。
言ってみれば、取引先のライバル企業と関係を持ったようなものだ。バレたら、タダじゃ済まない。場合によっては、取引の中止もありうる。
慌てふためく初に、光定は「案ずるな」と片手を振った。
「今すぐ、どうこうという話ではない。そもそも今の情勢では、三好家と関わらずにいられる者のほうが少なかろう」
畿内は、この時代の日本の中心だ。経済の面でも、文化の面でも、多大な影響力を持っている。
そのど真ん中を支配し、将軍を擁する三好家とは、武家、商人の如何を問わず、関係を持たずにはいられないと、光定は言った。
「ま、遅かれ早かれ、こうなっておったのだ。その時が来たと思えば」
まるで、この状況を予想していたような物言いである。
光定は、顎髭をいじりながら、
「青涯殿は、来るもの拒まずでな。助けを求められれば、誰にでも手を差し伸べる。お陰で、海生寺の勢力は広がる一方よ。すでに東は陸奥、西は九州にいたるまで、青涯殿の弟子が教えを広めておる。むろん、畿内も同様でな。海生寺には、三好家の使者がしきりと出入りしておる。三好家と繋がりができるのは、必然よ」
「では、安宅家も三好と結ぶので?」
「そこまでは言っておらん──だが、今や畠山家の衰亡は、火を見るより明らかじゃ。わしら熊野衆とて、他人事ではおれん。生き残るためには、三好だろうと公方様だろうと、繋ぎを作っておかねばな」
まったく厄介なことよ、と光定は空の盃を投げ捨てた。
白磁の盃は、庭石に当たって砕け散り、玉砂利と混じって見えなくなる。
初には、その砕けた盃が、不吉の前兆のような気がしてならなかった。
次回の更新は、6月18日です。
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