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商談2

 宗陽は、意表を突かれた顔をする。


 初は、その白いおもてに、意地の悪い笑みを浮かべた。


「勘違い為されぬよう。その塗料に、船底を守る効果があるのは確かです。正しい使い方を知っていれば、の話ですが」

「……なるほど。そういうわけで」


 宗陽の顔に、理解の色が広がる。


 この塗料、実は一種類だけでは効果がない。生漆を主成分とし、配合する材料、配合比率が異なる塗料が、四種類必要となる。


 さらに四種類の塗料を塗る順番、塗装方法にも工夫があった。


「この塗料だけでは、効果は半減。正しい方法で塗装を施して、はじめて十全に効果を発揮します。そして、その方法を知るのは、安宅荘の船大工の中でも、ごく一部だけ」

「この塗料を使うためには、舟を安宅荘へ持ち込む必要があると。そういうわけですか」


 宗陽は静かに、何度もうなずいた。頭の中では、初の提案を吟味し、目まぐるしく計算を繰り返していることだろう。


「宗陽殿には、この塗料を必要とする者たちに、売り込みをかけていただきたい。そして、その者たちの舟を、安宅荘へ運び、塗装を施す。その際に生じる利益は……そうですな。安宅家が七分、紅屋が三分ではどうでしょう?」


 商談を持ち掛けながら、初はこっそりと、手のひらにかいた汗を拭った。


 一見もっともらしい提案だが、この話に穴があることもわかっている。


 いくら使用方法を秘匿しても、情報が漏れないという保証はない。それに、塗料自体も問題だ。ありふれた材料で作られているだけに、漆を原料として実験を繰り返せば、再現される可能性は高い。秘匿できる期間が、どの程度になるかは、初にも予想できなかった。


(まあ、そのために新しい塗料も作ってあるが)


 それだって、いつまで秘匿できるか。この塗料だけでは、長い目で見た場合、商売の不確実性が高いのは確かだ。


 だが、それでも初には勝算があった。たとえ船底塗料の秘密が漏れたとしても、その頃には、造船業だけで経営が成り立っているという確信があった。


 今の日本で、五百石以上の大型船を造れる場所は、限られる。博多、伊勢の大湊、そして紀伊の熊野が代表か。中でも、最も優れた舟を造れるのは、まず間違いなく安宅荘だ。


 船底に塗装を施すため、安宅荘へ廻航されてきた舟には、舟の持ち主がくっついてくる可能性が高い。初は、そうした船主たちに、安宅荘の舟を売り込むつもりだった。


(造船は、経済効果が大きい。必要とされる技術が多いから、雇用の増加も見込める)


 さすがに最新の舟は売れないが、それでも、今までより、高性能な舟が手に入るのは確実だ。優れた船底塗料と合わせれば、その魅力は何倍にも跳ね上がる。


 造船業によって、さらなる富を安宅荘にもたらし、その利益でもって、現代製品の開発費を捻出する──それが初の立てた、産業革命に至るための計画だった。


 固唾を飲む初の前で、宗陽は薄く口元に笑みを浮かべた。その笑みが、だんだんと大きなものへと変わっていく。


「初姫様は、なかなかの商売上手でいらっしゃる」

「いえ、そんな大したものでは」


 気付かれたか、と初は内心で焦った。こちらの思惑が、バレただろうか?


 宗陽は、素知らぬ風を崩さない。いくら表情を観察しても、その内心までは推し量れなかった。


「わたくしどもの利益は、二分五厘で構いませぬ。その代わり、塗料の優先使用権と、舟の建造をお願いしたく」


 やはり気付かれたか──焦る初に、宗陽は提子ひさげを持ち上げてみせた。


 一瞬、戸惑う。その意図に気付いて、初はゆっくりと、盃を持ち上げた。


「初姫様とは、末永くお付き合いして行きたいものですな」


 盃に、透明な液体が注がれる。

 水ではない。紛うことなき酒である。


 初は、ごくりと喉を鳴らした。


 この身体になってからは、万が一の事態を恐れて、口にしてこなかった。しかし、今の状況で、断るという選択肢はない。


(いいよな。ちょっとくらいなら──)


 もう一度、唾を飲み込み、初は盃に口を付けた。


 舌先に甘みが伝わる。どこか果物のような芳香が口内に広がり、滑らかな液体が喉を滑り落ちて──

      









「──はっ!?」


 目覚めた初は、勢いよく起き上がった。


 辺りは真っ暗だ。周囲に目を凝らしてみるが、何も見えない。


 ここはどこだ? いったい、何が起こった?


 わけがわからず、パニックを起こしそうな頭を、懸命に宥める。数度、深呼吸を繰り返し、初は己の記憶をたどり始めた。


(たしか宗陽さんに、船底塗料を売り込んだんだ。それで商談が上手くいって、それから……)


 だんだんと暗闇に目が慣れてくるにつれ、周囲の様子がわかってきた。

 どうやら、部屋の中らしい。初が寝ていた床には畳が敷かれ、足元には、跳ね飛ばした夜着よぎ(着物の形をした袖のある掛け布団)が丸まっている。


 なぜ、こんなところに寝かされていたのか? と思案する初は、廊下を歩いてくる足音に気が付いた。


「おお、初。目が覚めたか」


 障子を開いたのは、光定だった。


「叔父上、ここはいったい……」

「覚えておらんのか? 倒れたお主を運んで、この部屋に寝かせたのだがな」

「倒れた? 私が……」


 光定の言葉に、曖昧だった記憶が蘇ってくる。


 あれは、そう、宗陽に酒をすすめられて、盃に口を付けたのだ。そうしたら、急に目の前が暗くなって──


「はっ」初は、驚愕に目を見開いた。手足の先がわなわなと震え、やがてそれは、全身へと伝播していく。


 初は、己の両手を見下ろした。そんな、いやまさか──恐ろしい事実から目を背けようとするが、その可能性は、初の脳裏にこびりつき、決して離れようとしなかった。


「ま、まさか……この身体、げ……げっ」

「お主、下戸だったのだな」


 意外だのう、と光定は呟いた。初は、がっくりと、その場に両手をついた。


 言っちゃったよ、この人……言っちゃったよ、この人っ! 人が懸命に目を逸らそうとしているのに、あっさりと事実を口にしやがって……!


 初は、掻きむしるように、畳に爪を立てた。受け入れ難い現実を前に、こぼれようとする涙を、懸命に堪えた。


 まあね、その可能性を考えなかったかと言われれば、嘘になりますよ? 料理で酒を使っただけで、指先が真っ赤になるし。酒蔵を覗いた時は、匂いだけで気が遠くなるし。まさかなぁ、でもなぁ、そんなわけないよなぁ、と自分を誤魔化し続けてきた自覚はある。


(……いや、まだだっ! まだ可能性はある!)


 初は、自分を奮い立たせた。


 今はまだ、十代前半。肝機能が発達しきっていないだけかもしれない。むしろ、その可能性のほうが高い。これから成長し、身体が大きくなれば、飲めるようになる可能性だって──


「小夜殿も、ダメな口でなぁ。その年で飲めんのなら、お主も無理だと思うが」

「叔父上は、私の敵ですかっ!?」


 涙目で唸る初に、光定はからからと笑った。


「ま、そう悲観するでない。浮世の楽しみは、酒だけではないからの」


 そう言って光定は、手にした盆を床に置いた。


 さめざめと泣き腫らしていた初に「ほれ」と、大振りな椀を差し出す。


「今宵は忙しゅうて、膳を食らう暇もなかったであろう。それを食えば、少しは気分も落ち着こうて」


 碗には、白米が山盛りになっていた。その上から、光定は、もう一つの碗に入ってたものを、ぶっかけた。


「豆腐をすって、出汁を利かせた味噌汁に加えたものじゃ。この昆布の佃煮をのせても、美味いぞ」


 出汁のいい匂いを嗅いだ途端、腹の虫が小さく鳴き声を上げた。


 箸を手にして、豆腐と飯を馴染ませる。軽くかき混ぜてから、初は椀の中身を掻き込んだ。

 出汁と味噌の香りが鼻腔を抜け、腹の中に、柔らかな熱が広がっていく。


 初の食べっぷりに満足した光定は、廊下に出ると、雨戸を開いて縁側に腰かけた。持ってきた徳利を片手に、手酌で一杯やり始める。


「しかし、初。お主も大概、お人好しじゃの」

「私を盾代わりに使うのは、いつものことでしょう」


 自分だけ飲みやがって──恨みのこもった眼差しを向ける初に、光定はにやりと片頬を吊り上げた。


「お主、客人たちに料理を振舞ったであろう?」


 それが何か? と、初は首を傾げる。光定は、笑みを深めた。


「それが、紅屋のやり口よ」

今回紹介した塗料は、明治期に堀田瑞松という方が開発された手法です。当時の海軍が実験を行い、鉄鋼船には効果が薄いと採用されませんでしたが、木造船にはかなりの効果があったそうです。


次回の更新は、6月16日です。


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