倭寇
十四世紀に明朝が成立して以降、代々の中国皇帝は、海外との貿易を禁止する、海禁政策を国是としてきた。中国と諸外国の交易は、皇帝に貢物を行う朝貢貿易のみに限られ、民間貿易は違法とされた。
明が生まれた十四世紀初頭は、倭寇が猖獗を極めた時期であり、これは仕方のない側面もある。しかし、海賊の禁圧や、密貿易の防止を目的として行われた海禁政策は、交易で生計を立てていた人々からは、当然のように反発を受けた。有力者たちは、役人へ盛んに賄賂を送り、逆に密貿易が横行することになる。
また海禁政策は、中国沿岸での漁業や、沿岸貿易(国内海運)も規制した。これによって、貧しい沿岸の民衆たちは、さらに貧窮する。
彼らには、人脈も賄賂を送る金もない。密貿易にさえ参加できない人々は、必然的に、海賊行為に手を染めるようになる。その名に反して、構成員のほとんどが中国人というのが、この時代の倭寇の実態だった。
かつて倭寇の一味だった青海は、歌い騒ぐ安宅家の家臣たちを前に、目を細めた。
「懐かしいですなぁ。こうしておると、昔を思い出しまする。若い頃は、よくこうして朋輩たちと、酒を酌み交わしたものです」
「青海は、肥前(現在の佐賀県と長崎県)の生まれであったな」
光定の言に、青海はうなずいた。
「左様。父の代より、島原を治める有馬氏に仕えておりました」
生家は、ぎりぎり侍と呼べる程度の小領主だったと、青海は言った。
「父を早くに亡くしましてな。毎日の食事にさえ事欠く有様。家を兄が継いでからは、三男坊だった某に、居場所なぞありませぬ。このまま鄙で朽ち果てるよりはと、某は海に乗り出したのです。ちょうど、今の姫様と同じくらいの年頃でした」
九州には、明からやってきた密貿易船が、多数来航している。若かりし頃の青海は、その一隻に乗り込み、自らも倭寇に身をやつした。
近年、倭寇の勢力は、明の取り締まりによって縮小傾向にある。しかし、青海が幼い頃は違った。
「海では、幾人もの大海賊たちが船団を率い、思うままに駆け回っておりました。莫大な富を蓄えた豪商、長者が生まれ、明の官憲さえ逆らえぬ。まさに、黄金色の日々でござった」
夕暮れの薄暗闇の中でもわかる。青海の瞳には、少年のような輝きが宿っていた。
十代前半から、密貿易船の乗組員として働いた青海も、めきめきと頭角を現した。大海賊を率いる棟梁からの信頼を勝ち取り、自らの郎党さえ養うようになった。二十歳を過ぎる頃には、ついに一隻の船を任されるまでになる。
青海が、青涯和尚に出会ったのは、男として一つの絶頂期を迎えつつあった頃だった。
「若かったのでしょうなぁ。当時の某には、怖いものなど、何一つありませんでした。このまま階梯を駆け上り、いずれは海賊衆の棟梁に、とさえ思っておりました」
才気あふれる青海を妬む者は多かった。それに気付かなかった青海は、同じ海賊衆の仲間に裏切られ、商売敵の海賊に捕らわれてしまった。
「某の天命もこれまでと、覚悟いたしました。こうなれば、なるべく多く人間を道連れにするまで──某は自らの船に火をかけ、海へ飛び込みました」
だが青海の運命は、そこで終わらなかった。
波に揺られ、潮に流され。奇跡的に中国の沿岸部へと流れ着いた青海を助けたのが、青涯和尚だった。
明国へ留学し、遭難して海賊に捕らわれていた青涯は、その人柄から多くの人々に慕われ、いつの間にか、海賊の客分として遇されていた。青海が拾われたのは、青涯が明国での修行を終え、帰国の途に就こうとしていた矢先である。
「話してみて、すぐにわかりもうした。この男は、何かが違う。こいつについて行けば、再び成り上がれるやもしれない──お恥ずかしい話ですが、当時の某にとって、青涯和尚は、出世の足がかり程度にすぎませなんだ」
青海の横顔に、苦い感情が浮かぶ。
若く野心にあふれた青海にとって、青涯が持つ知識は、利用すべき道具にしか見えなかったのだろう。
来る日も来る日も貧しい者たちに施しを与え、読み書きや様々な知識を授ける青涯を、心の中で嘲笑っていたという。だが、誰にでも分け隔てなく接し、青海のような破落戸にも心を砕く青涯の姿に、だんだんと魅せられるようになっていった。
「某は、それまでの自分の生き方を恥じました。己が出世のため、我欲のため、今まで、どれほどの人々を不幸に追いやってきたのか!
そして私は、決意しました。
青涯和尚こそ、御仏の化身に相違ない。ならば和尚様をお支えし、衆生を救済することこそ、我が使命! 我が身命を賭すべき、一生涯の道であると」
我知らず、初はごくりと喉を鳴らしていた。
喉が、ひりつくように渇いている。まだまだ肌寒いほどの時期だというのに、初の背には、じっとりと嫌な汗が流れていた。
盃に新たな酒を注いだ青海は、ゆっくりと味わうように、唇を湿している。その仕草が、ひどく不気味なものに思えて、初は膝の上で握ったこぶしを震わせた。
歌い騒ぐ客人たちの狭間で、奇妙な熱気が渦を巻いているように感じる。
その熱気が、今にも自分を焼き尽くすのではないかと、初はあらぬ想像に恐怖した。
「──なるほど。では、その道の第一歩が、我が安宅荘だったというわけか」
光定は、かわらけ(素焼きの土器)の盃を、手の中で弄びながら言った。
青海の意識が、光定へと向けられる。それまで全身を焙っていた熱気が弱まり、初は詰めていた息を吐き出した。
「我が家こそ、青涯殿がおられなんだら、今頃どうなっていたことか……今のような繁栄は、なかったやもしれんな。いや、それどころか、わしも兄上も、この歳まで生きられたかどうか……」
「そう……なのですか?」
光定の呟きには、妙な実感がこもっていた。
首を傾げる初に「お主には、まだ話しておらんかったな」と、光定は少々不機嫌そうに言った。
「もう、三十年以上前になる──我が家で、家督争いがあったことは知っておろう?」
「はい。たしか、御祖父様がお亡くなりになられた後のことでしたよね?」
「ああ。当時、まだ幼かった兄上を、叔父の定俊が後見しておったのよ」
叔父の名を、まるで苦いもののように口にする。
「最初はよかったのだ。定俊も兄上を敬い、家中もまとまっておった。だが時を経るにつれて、だんだんと本性を現しおった。定俊は、兄上を疎むようになり、不埒者を近づけぬためと称して、館からも追い出された。あれほどの屈辱を味おうたのは、後にも先にも、あの時だけよっ」
かわらけの盃が砕け散る。
光定は、己の手のひらを見下ろして、舌打ちした。土器の破片が皮膚に食い込み、酒のしずくに朱の色が混じっていた。
「……良い酒だったのにの」
惜しいことをした、と光定は何食わぬ顔で、新たな盃を手にした。
「母上も亡くなり、氏長は、物心つくかどうかという頃じゃ。毎日、冷えた飯を食わされ、定俊の郎党どもには侮られる。わしら兄弟は、粗末な小屋の中、息を潜めるように暮らしておった。こんな暮らしがずっと続くのかと、諦めたこともある。じゃが、兄上は違った。定俊とその郎党に従うふりをしながら、ずっと反撃の時を待っておった」
数年後、雌伏の時を過ごしていた三兄弟のもとに、青涯和尚が現れる。青涯と弟子たちを乗せた船が、日置浦にたどり着いたのは、全くの偶然であったという。
運命のいたずらによって、窮地に立たされた三兄弟は、再び運命のいたずらによって救われた。
「あの時、青涯殿が現れなんだら、わしらの命はなかったかもしれん。よしんば家督を奪い返せたとて、内訌によって安宅家は衰退していたはず。それがどうじゃ! 今や安宅家の勢威は、紀州どころか、日ノ本すべてに及ぶほどになっておる。明や朝鮮、蝦夷に加えて、南蛮との商いも軌道に乗った。もはや、わしらを侮れる者など、この世のどこにもおりはせん! まっこと、愉快なことよ」
盃を掲げ、光定は大笑した。
陰鬱な空気を振り払うような、光定の喜びよう。そこに水を差したのは、青海だった。
「この世に、悪が栄えた試しはなし。阿波守様が安宅家の家督を取り戻されたのは、世の道理というものにございます──しかし、それもすべては、青涯和尚あってのこと。この御恩、努努忘れていただいては困りますぞ」
「わかっておる。だからこそ兄上も、海生寺を築き、青涯殿には最大限の配慮をしておられるのだ」
初を間に挟み、光定と青海の応酬が続く。
頭越しの会話に、初が居心地の悪さを感じ始めたころ、広間の中央に進み出た宗陽は、大俎板を前に、自ら包丁を手に取った。
「さあさ! 今しがた堺の湊より、見事な鯛が届きましたぞ! 皆さま、どうぞ前へお越しくだされっ!」
宗陽の一言に、客人たちが、わっと席を立つ。初もこれ幸いと、光定たちの間から抜け出した。
次回の更新は、6月8日です。
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