生糸
安宅荘が、現在の繁栄を手に入れた第一歩は、絹だったと宗陽は語った。
「日本の絹は、明に比べて質が悪かったですからな。せいぜい、真綿くらいにしか使い道がなかったもので」
うち続く戦乱の影響もあり、養蚕を行っている国自体が、減っていったという。
熊野でも昔から養蚕は行われていたが、ごく小規模なものだった。糸を吐く蚕自体が、明の品種に比べて劣っており、作ってもあまり銭にならなかったからだ。
そこへ青涯が、明から蚕種(蚕の卵)を持ち込んだ。
「明の嘉興や湖州(ともに現在の中国浙江省に存在する都市)は、生糸の産地として有名でしてな。そこから、伝手を頼って取り寄せたとか」
まったく、青涯殿の顔の広さときたら──宗陽は苦笑する。
海を渡る間に、ほとんどの蚕は死んでしまったが、奇跡的に数個の蚕種が生き残った。青涯は、そうした密輸入を何度も繰り返し、ある程度の蚕を確保すると、日本国内の蚕と交配──品種改良を始めた。
納得のいく糸を作れる蚕が生まれるまで、十年ほどかかった。その間に青涯は、農業改革を進めて百姓たちの生活を安定させ、養蚕の技術を伝授して回った。
それまで日本で養蚕が、なかなか広まらなかったのは、技術面の影響も大きい。蚕が糸を作る時期と、農繁期が重なっていたため、充分に世話をすることができなかったのだ。
それを解決するため、青涯は蚕を育てる小屋を、炭を燃やして暖める方法を考案した。
適度な温度と湿度で管理された蚕は、食欲が旺盛となり、通常よりも早く成長する。その分、糸を採れる時期が早まるというわけだ。
農業と両立ができるようになった養蚕業は、安宅荘から周辺へと広まり、今や熊野は、生糸の一大生産地へと変貌した──
「わたくしが青涯殿と出会ったのは、もう二十年ほども前でしてな。当時、店を継いだばかりだったわたくしの下に、青涯殿は生糸を持ってこられた」
宗陽は、当時を思い出すように、遠い目をした。
「国内の生糸など、質が悪くて使えぬ──そう言って、門残払いしようとしました。しかし、青涯殿が持ち込まれた生糸の輝きは、唐渡の品に勝るとも劣らない。まるで、乙女の柔肌のごとき生糸に、わたくしは一瞬にして魅せられました」
以来、紅屋では安宅荘で産する生糸を、独占的に買い付けている。その品質は、熊野産の生糸の中でも群を抜いており、もはや明の生糸すら凌駕していると、宗陽は言った。
「驚くことに、安宅で採れた生糸は、明へ持って行っても高値で売れまする。その評判に目を付けて、近頃は偽物まで出回る始末でして」
「なにっ、それは真か!?」
由々しき事態だと、光定は身を乗り出した。
偽物が出回る恐怖は、初にもわかる。現代で、外国製のコピー商品が、ダンピング価格で売られるのと同じだ。
本物を作っているメーカーは、偽物が売れた分だけ損失を被るし、品質の悪い偽物を使った消費者からは、本物を作るメーカーに苦情が入る。そうやって信用を失えば、メーカーの存続すら危うくなることだってありうるのだ。
「対策は、どうなってるんですか?」
眉間に皺を刻む初に、宗陽は「これは、ここだけの話にしていただきたいのですが」と声をひそめた。
「先日、公方様の御側近方に伝手を得ましてな。なんとか、御公儀の免許をいただけないものかと、交渉しているところでして」
公方、と言われて一瞬わからなかったが、室町幕府の将軍のことだ。
歴史の教科書でしか知らないような人物と伝手があると聞いて、初の胸は高鳴った。歴史には、それほど詳しくない初も、そういう大物にはやはりロマンを感じる。
しかし、わくわくする初とは対照的に、光定は口元を歪めた。
「……頼りになるのか、それは? 先日まで、近江に落ち延びられていたようなお方だぞ」
「その点は、心配いりませぬ。今代の公方様は、なかなかの人物と評判でして。少々強引なところはございますが公事沙汰、所務沙汰(ともに訴訟の意)の処理にも精力的だとか。ただ、公方様の周辺が少々」
「右京大夫殿か……」
光定と宗陽は、揃って渋面を作った。
(たしか、幕府の管領? だった人だっけ……)
初は、青涯や周囲の人間たちから聞きかじった話を、思い返した。
管領、というのは幕府において、将軍に次ぐ最高の役職だ。将軍を補佐して幕政を統括し、重要な儀式に参列して行事を執り行ったりする。
もともと管領職は、斯波氏、畠山氏、細川氏の三家が持ち回りで務める役職だった。しかし、斯波氏は当主の早世が続いことで没落。畠山氏は家督争いを発端として、幕府内での地位を低下させた。結果、管領職は細川氏が独占することとなる。
やがて畿内での影響力を増していった細川氏は、政元の代になると、当時の将軍を追放。新たな将軍を擁立するなど、非常に大きな権力を持っていた時期もある。しかし、政元が暗殺されると、細川氏もまた家督を巡って内紛を始めた。
いわゆる応仁の乱以降、足利将軍家は二つに分裂した状態が続いている。内紛を起こした細川氏は、それぞれに将軍の正当な後継者を掲げたため、争いは数十年に渡って行われた。
この争いに決着をつけたのが、細川右京大夫晴元である。
敵を攻め滅ぼし、政敵を排除した晴元によって、幕府は一つにまとまるかに見えた。しかし、長年の争いによって、細川氏は重臣層の多くを喪失。政権運営能力を失った細川氏に代わり、晴元の家臣であった三好長慶が台頭する。
幾度かの争いを経て、晴元は将軍と共に、近江の朽木谷へ逃亡。将軍と三好氏が和睦して以降も、晴元は抵抗活動を続けている──
(──なんというか、しっちゃかめっちゃかだな、この時代)
複雑な歴史の流れに、初は胸中でぼやいた。
一応、細かい話も青涯から聞いてはいるのだが、まったく覚えていない。お互いに裏切ったり、裏切られたり、あっちに付いたり、こっちに付いたりと、勢力関係が非常にややこしくて、そもそも覚えられる気がしなかった。
「公方様は、三好家と右京大夫殿の和睦を模索しておられるそうです。伝え聞いた話では、右京大夫殿も長年の戦に疲れ果て、もはや抵抗の意思はないということなのですが……」
「胡散臭いのう」
都者は信用ならん、と光定はにべもなかった。
宗陽も万が一の場合を考え、朝廷にも御用をいただけないか働きかけてみると言った。
「なかなか、思うようにはいかぬものですなぁ。畿内も、やっと落ち着いてきたと思ったのですが」
「わしらも同じよ。尾州(畠山高政)様は昨年、河内を失い、衰亡ぶりは目に余る。領地を追われた重臣どもが、早くも尾州様をせっついておるそうじゃ」
「では、また三好家と戦に?」
「早晩、そうなるやもしれんなぁ。まったく、困ったことよ」
揃って肩を落とした二人は、どちらからともなく首を振った。
「いかんいかん。ため息ばかり吐いていては、貧乏神が寄ってきてしまう。もっと明るい話をいたしましょう」
「そうじゃそうじゃ! こういうときは、商いに限る。宗陽、こちらの品はどうかな。安宅荘で作られた、焼き物じゃ」
「ほう、それはぜひとも拝見したいですな!」
それまでの陰鬱な雰囲気を振り払うように、光定たちは商売の話に花を咲かせた。
安宅荘の産物は皆、飛ぶように売れる。今回、初たちが持ってきた船三隻分の交易品のうち、一隻分はすべて、紅屋が引き取ることに決まった。
残る一隻は紀州屋へ。もう一隻は、堺の様々な商家へと卸される。
商談がまとまりかけたところで、宗陽は「ところで」と、どこか申し訳なさそうに切り出した。
「今回のお代についてなのですが、少々待っていただいてもよろしいでしょうか?」
「紅屋には、世話になっておるでな。多少は構わぬが……」
怪訝そうな顔をする光定に、宗陽は恐縮しながら、
「実は、銭が不足しておりまして」
「なに? 何か、商いで失敗でも」
「いえ、そういうことではございません。足りないのは、民部大輔様にお支払いする銭でして」
初は、光定と顔を見合わせた。どうにも話が要領を得ない。
宗陽も、今の話し方では不信感を持たれると思ったか、詳しい事情を語ってくれた。
青涯和尚が広めたのは、現代で言うところの高温育、あるいは清温育です。
日本では明治期に開発された手法なのですが、どうやらこの時代の中国では、すでに高温育が行われていたらしい(出典:天工開物)……。
ほんと中国は、古代ローマすら上回る超チート国家ですな。
次回の更新は、5月31日です。
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