織物
今日はちょっと短め。
足るを知る、とはどういうことか?
初は、宗栄にかけられた言葉の意味を考えていた。
(貧乏人は高望みせず、食っていけるだけでも有り難い──そう思えってことか?)
だとすれば、軽蔑ものだ。そんな話は、感情的にも、理性的にも同意できない。
(でも──)
初は、宗栄の表情が気になっていた。侮蔑でも、嘲笑でもない。まるで子供をあやすような、あの表情が──
「──初。これ、初」
肩を揺さぶられて、はっとする。
気付くと、黙り込んだ初を見て、光定と宗陽が怪訝な顔をしていた。
「着心地はどうだ、初?」
「? 何のですか?」
「着物じゃ、着物。お主が着ておる、絹織物のことじゃ」
袖を引っ張られて、初は自分の格好を見下ろした。
今朝、身に着けていた着物は、海に落ちたので着替えている。高価な着物だっただけに、修繕費がいくらになるのか。金欠の初には、想像するだけで頭が痛い。
唐渡の華やかな布地に対して、初がいま着ているのは、比較的地味な着物である。落ち着いた浅黄色の生地は、一見すると質素に思える。が、よく見えると小さな花の模様が染め抜かれ、ところどころに細かな刺繍が施されていた。
「肌触りがよくて、いいですよ。縫製も綺麗ですし、柄も趣味がいい」
たまに強烈なのがあるので、初としては、これくらい地味なほうが好みだった。まあ、重いし、動き辛いし、やたらと長い袖が邪魔なのは変わりないが。
初の素っ気ない答えに、光定は眉尻を下げた。だが、すぐに気を取り直すと、
「なかなか、見事なものであろう? これは、安宅荘の職人が手掛けた品でな」
「ほう、それはそれは。てっきり、唐渡の品かと」
宗陽が目を見張る。はじめて聞かされた初も、少し驚いた。
これまで、初が身に着ける絹織物と言えば、明から輸入したものばかりだった。日本製の品もないわけではなかったが、明のものに比べれば、織りの技術も染色技術も劣っていたのが実情である。
それがいつの間にか、これだけのものを作れるようになっていたなんて──
「驚きましたな。安宅の生糸は、年々質が良くなっていると思っておりましたが、まさか反物までとは」
「職人たちが、奮起しておってな。それもこれも、初のおかげよ」
着物の衿を摘まんでいた初は、目を瞬かせた。
「はて。私は、織物職人とは、あまり縁がありませんが?」
「そういう意味ではない。お前に身に着けてもらうということが、重要なのよ」
光定によると、毎日、豪奢な着物を着て歩く初を見て、職人たちの間に不満が溜まっていたらしい。
なぜ初姫様は、自分たちが織った反物を身に着けてくれないのか。生糸の質では唐物にも負けていないのに、自分たちの腕が劣っているというのか。
一念発起した職人たちは、それまで以上に、仕事に打ち込むようになった。やがて個人の努力では限界に達すると、職人たちは互いに意見を交換し合い、技術を教え合うようになった。
そうして安宅荘では、短期間のうちに、絹織物の技術が飛躍的に向上したという。
「そんな話、はじめて聞きました……」
自分の知らないところで、そんなことになっていたなんて……
初は袖を持って、自分の着物を広げた。
見れば見るほど、見事な出来である。てっきり渡来品だと思っていたが、まさか安宅荘で作られたものだったとは。
「いやあ、しかし見事ですな」
宗陽は、着物の出来栄えに、感心しきりだった。
「わたくしも長年、絹織物を扱っておりますが、これほど素晴らしい品は、なかなか手に入りませぬ。それが、この日ノ本で作られたとは、にわかには信じがたい」
「ここに、安宅荘より持参してきた反物がある。手に取って、確かめてみよ」
光定は、傍らに置いた包みから、数巻の反物を取り出した。布地を手にした宗陽は、手触りを確かめて驚き、顔を近づけて紋様を観察しては、また驚いた。
「これは……いや、しかし……」
よほど衝撃だったのだろう。光定の身振り手振りを交えた説明に、宗陽は聞き入った。
(こうして見ると、まるっきり営業マンだよなぁ)
強面の外見と違い、光定は計数に明るく、世事にも商売にも長けている。宗陽との話しぶりだけを見ていると、とても武士とは思えない。
初の中では、刀や槍を振り回したり、馬を乗りまわして平民に傅かれるのが、典型的な武士のイメージだった。しかし、この時代に来て、実際に目にした武士は、かなりの割合で商売をしている。
青涯和尚によると、現代に比べて戦国時代は気温が低く、農業生産の安定が見込めない(それが頻発する飢饉や、戦の原因にもなっている)。そうした事態に対応するため、武士が商業行為に乗り出すのは、決して珍しくはないのだという。
特に畿内は、経済的先進地であるため、その傾向が強い。中には、土倉(この時代の金融業者。現代の質屋と高利貸しが合体したようなもの)のように、近隣の領主たちへ銭を貸し付けて、利子を取る者までいるらしい。
なかなか衝撃的な話だが、安宅家の場合は、さらにスケールが大きい。
熊野海賊は、古代から畿内の流通に携わってきた集団だ。安宅荘は、東西物流の寄港地として栄え、中継貿易で富を得ていた。そこへ青涯和尚が現れたことで、安宅家は商品の供給元へと生まれ変わった。
今や全国に特産物を輸出し、巨万の富を得ている安宅家は、もはや武士というより、商人が武装していると言ったほうが、正しいのではないかとさえ思う。
しばし時を忘れて反物に見入った宗陽は、我を取り戻すなり、大きく息を吐いた。
「……そうですか。これだけの品を、国内で」
「うむ。青涯和尚の夢も、これでまた一つ形になった」
「いやはや、まったく。まさか本当に叶えてしまわれるとは。この宗陽、感服の至りに御座いまする」
光定と宗陽は、しみじみとした表情を浮かべた。
次回の更新は、5月29日です。
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