出航
出航編!
また唐突な話である。
驚く初に、光定はこれぞ妙案とばかりに、語り掛ける。
「堺には、この日ノ本中の富が集まっておる。異国の珍奇な品を扱う人間も多い。あそこならば、お前の作るその“せんばん”とやらも、興味を示す者がおるかもしれんぞ」
「……なるほど」
その手があったか。
うなだれていた初の瞳に、光が戻った。
歴史には疎い初でも、堺の名前は知っている。たしか、織田信長に資金の援助をしたり、鉄砲の販売を行っていた場所だ。
現代でも、ものづくりの街として有名な堺だが、その源流は室町時代にある。はるか昔から、堺は高度な産業集積都市だったと、酒の席で商工会議所のおっちゃんたちが話していた。
もしかすると資金だけでなく、腕の良い職人をスカウトする機会かもしれない。
「近々、船を出す予定がある。兄者が良いと言えば、お主も連れて行ってやろう」
「マジですか!?」
安宅荘の産物は、堺でも珍重される。取引相手の中には、堺全体の運営に携わる、会合衆と呼ばれる大商人も含まれる。
光定は、そうした有力者たちと初を引き合わせてやると、約束した。
「あやつらならば、お主の力になってくれよう。ただ、堺の商人は、油断ならぬ相手じゃ。うまい話があるからと、ほいほいついて行けば、痛い目を見ることも──」
初は俄然、やる気になった。
スポンサーがつけば、技術開発も促進できる。今までは、鍜治場の職人たちが暇なときに手伝ってもらう程度だったが、これからは開発だけに専念してもらうことも可能になる。
十年以内に産業革命を起こすという初の目標が、急に現実味を帯びてきた。
「父様、沙希も! 沙希も、堺に行きたい!」
袖を引っ張る沙希に、光定は渋面を作った。
「お前は、まだ小さい。堺へ行くなら、もう少し大きくなってからでないと」
「やぁだぁーっ! 姫様はいいのに、なんで沙希はダメなの!?」
駄々をこねる沙希に、光定はおろおろと慌てた。
さっそく準備に取り掛かろうとしていた初は、沙希の前に跪く。うつむく沙希と目線を合わせる。
「沙希、私は遊びに行くわけじゃないぞ? 堺へは、仕事をしに行くんだから」
「姫様、いっつもそればっかり! 仕事仕事って、全然、沙希に構ってくれないっ」
頭を撫でようとした手を振り払われる。
年齢の割にしっかりしている沙希だが、初が相手となると、途端に幼さが顔を出す。
沙希は、ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、困惑する初に掴みかかった。
「姫様は、そんなに“せんばん”が大事なの!? 姫様はそれで、何をしたいの!?」
泣き喚く沙希に、初はほとほと困り果てた。
夕餉の席である。
安宅家では、朝夕の食事は家族全員で行う習わしがあった。仕事などで誰かが抜けることがあれば、陰膳を用意してまで、一家が揃うことを重視する。
その日、大広間に集まった面々は、それぞれの膳に手を伸ばしながら、談笑していた。
上座に座る安定の近くに席を占めた初は、やたらと旨い汁物を啜りながら、静かに機会をうかがっていた。
普段は、一番端の席に座る初だが、今日ばかりは特別だ。ここにいると小夜から、ちょっかいを掛けられるのだが、背に腹は代えられない。
信俊の陰膳からおかずを摘まみつつ、初は正面の席に座った光定に、視線を送った。安定に切り出すよう目で合図を送るが、沙希の御機嫌取りに忙しくて、全く気付いていない。
(ちっ、使えない)
光定が役に立たないのは、いつものことだ。
小夜の注意を、お代わりを持ってきた侍女に移し「おや、菊。今日は一段と、髪に艶が出てるな」「まあ、ほんと。ちょっと触らせてくれる?」
菊が、とんでもない目で見てくるが、初は盃を置いた安定に向けて、口を開いた。
「あの、父う……」
「初、今日の吸い物はどうだ?」
安定の視線が、初を捉える。出鼻をくじかれた初は、勢いを削がれながらも、何とか答えた。
「はい、大変美味しゅうございますが……」
良質な昆布で取った出汁に、季節の山菜が合わさって、えも言われぬ風味が立ち上っている。安宅家の料理人は腕利き揃いだが、今日の汁物は、特に絶品だった。
食材の関係か、時々こういう味に出くわす。
酒を飲んでも顔色一つ変えぬ安定は「そうか」と、手酌で次の酒を盃に注いだ。
「初、堺へ行ってきなさい」
「……へ?」
驚きのあまり、初は汁物をこぼしかけた。小夜の魔の手から逃れてきた菊が、無言で初の手から椀を取り上げる。
「近々、船を出す予定があってな。良い機会だから、見聞を広めてきなさい。道中のことは、光定に任せる故──良いな、光定?」
「は、はい、兄者! 初のことは、某にお任せをっ!」
かしこまる光定を横目に、安定は手の中の盃を揺らした。
「近頃のお前は、真面目に稽古に取り組んでいると聞く。書、舞、箏──どれも見事な腕前じゃ。先日の連歌会での振舞いには、わしも感心した」
「は、はあ……どうも」
「それに、料理の腕もなかなか」
安定は、膳の上の焼き菓子に目を落とした。
初が、連歌会で振舞った洋風の月餅だ。客人たちにも好評で、気付けば夕飯用に取り置いていた分まで、食べられてしまった。それを知った小夜が、どうしても食べたいというので、また作ってみたものである。
「ほんと、美味しいわ、このお菓子」
「この生地に練り込んだ乳酪が、何とも言えぬ。一つと言わず、二つでも、三つでも腹に入りそうじゃ」
無駄に妖艶さを振りまく小夜に対し、月餅を口にした直定は、朗らかに笑う。
他の者たちにも好評なようで、さっきまでご機嫌斜めだった沙希も、月餅を食べた途端に笑み崩れた。あれこれ気を使っていた光定も、一安心である。
安定も、楊枝で切り取った欠片を口に含み、わずかに口元を緩めた。
「姫様の料理は、絶品ですからな! 先日も、新しい料理を考案したからと味見をさせていただきましたが、いやあ、まことに見事な味で驚きました。な、亀次郎!」
「あ、兄上っ、今その話はっ……」
「猶重、亀次郎。話があるから、こっちへ」
襟首を掴まれた猶重と亀次郎が、広間の外へと引きずられていった。
「初は、気配りもできる娘でしてな。先日も、若い者たちが弛んでいると気付いて、発破を掛けに来てくれて」
手を伸ばす亀次郎に、無言で手を振り返していた初は、頼定の言葉にぎょっとした。
(なんだそれ)
そんな話、初耳である。
困惑する初に、頼定はどこか自慢げな様子で、
「初と女子衆にやられてから、皆、鍛錬に精を出すようになり申した。以前までは、数日に一度しか顔を出さなかった者たちも、今では毎日のように馬場へ来る」
「あの、兄上? あれは単なる喧嘩であって、別にそういう意図は」
否定しようとする初に、頼定は笑いかけた。
あ、これ完全に誤解されてやるやつだ。
明らかに謙遜していると思い込んだ頼定は、皆まで言うなと、視線で初を押しとどめてくる。
「信俊も、遊びまわるのをやめて、励んでおる」
近頃、夕餉の席にいないと思ったら、遅くまで郎党たちと、鍛錬に励んでいるらしい。
「姫様は、わたくしたちにも優しくしてくださいますから」
「鍛錬で怪我をした者たちには、手ずから治療までなされて」
「ほんと、ほれぼれするほどの大将ぶりでしたわ」
給仕をしていた侍女たちからも、初に対する好意的な反応が返ってきた。
初としては普通にしているだけなのだが、それが妙に評価されている。
なんだか尻がむず痒くなる状況に、初は居たたまれなくなった。
「初の努力は、よくわかった。実に感心な心掛けじゃ」
だがな、と安定はちょっと語気を強めて言った。
「あまり根を詰め過ぎてもいかん。何事も、ほどほどを過ぎれば、毒になることもあろう。真面目なのは良いが、それだけでは気が参ってしまう。のう、小夜」
「ええ、そうですね。殿のおっしゃる通り」
何がおかしいのか、袖もとで口を隠しながら、小夜はくすりと笑う。
それに安定は、ぴくりと眉を動かしたが、次の瞬間には、平静に戻っていた。
「気を張り過ぎては、身体にも悪かろう。気晴らしを兼ねて、堺見物でもしてくると良い」
安定は、そう言って初を送り出した。
出航の日。
朝から晴天に恵まれた日置湊では、大勢の人々が立ち働いていた。
船に荷を積み込む者、不備がないか船体の各部を確認する者。中には、積み荷を掠め取ろうとする不埒者もいるので、警備の者たちが目を光らせている。
「姫様、ほんとに行っちゃうの?」
すでに涙声になっている沙希に、初は苦笑した。初の堺行きが決まってから、毎日この調子である。
桟橋の片隅、荷役夫たちの邪魔にならぬ場所で、初は沙希の頭を撫でた。
「別に、今生の別れってわけじゃないんだ。出かけるのは、ほんの一月ばかりの間だけだから」
「ほんとに?」
「ほんとほんと」
「姫様、ちゃんと帰ってくる? そのまま、お嫁に行ったりしない?」
「しないしない」
そんな事態になったら、むしろ初のほうが暴れる。
付近の山頂から、きらきらと鏡が陽光を照り返す。
天候と潮流を確認する山見から、出航可能の合図だ。
「お土産、買ってきてやるからな。いい子にして、待ってるんだぞ」
沙希を家臣たちに任せて、初は船に乗り込んだ。
舫を解かれた船が、水主たちの漕ぐ艪の力で、徐々に湊から離れていく。
船端に立った初は、見送りに来た人々に手を振った。多くの漁師や乗組員の家族、桟橋に居を構える蛋民たちが、盛大に旗を振りながら見送ってくれる。
ふと、初は桟橋の片隅に人影を見つけた。
一人、見送りの列から離れた信俊は、どこか暗い目で初たちの乗った船を見送っていた。
次回から、堺編。初が、安宅荘の外へと飛び出します。こうご期待!
次回の更新は、5月17日です。
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