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策略

 何があろうと、縁談は絶対に潰す。


 初は、固く心に誓った。


 結婚など、言語道断。個人の人格を無視しておいて、お家のためとは片腹痛い。

 人権侵害、人格権の否定、男女共同参画社会基本法!

 縁談を潰すためならば、どんな手段でもいとわない。


 初は、固く固く決意していた。


「そんなに縁談が嫌ですか」

「当たり前だ! なんで俺が、結婚なんかっ」


 館の廊下を足音高く歩く初を、菊は静かに観察していた。


「ですが、嫁入りは武家の娘にとって、重要なお務めです。それを断るというのは」

「政略の道具なんぞに、なってたまるか! 俺には、俺の人生があるんだ!」


 肩を怒らせる初に、何かを感じ取ったのか、菊は秀麗な眉をひそめて、


「姫様。昨夜、何かあったのですか? お方様のもとから戻って以来、様子が──姫様?」


 いきなりうずくまった初は、廊下の隅で頭を抱えた。

 暗い顔をして、何事かぶつぶつと呟いている。


「……いえ、違います。私は別に、そういう趣味じゃないです。そんな場所に口をつけるなんて、人の道に反して……」

「……姫様、初姫様!」


 菊の声で、我に返る。


 珍しく動転した様子の菊は、初の瞳に光が戻り、ほっと息をついた。


「いきなり、どうなさったのですか?」

「いや、何でもない。ただ、ちょっと目眩がして」


 何か、嫌なことを思い出しそうになった気がする。


 そもそも、なんで自分は、そんなにも縁談が嫌なのか? たしかに結婚はしたくなかったが、ここまで思いつめてはいなかったはず。そういえば昨日、館に帰ってからの記憶が──


「姫様っ!」

「はっ」


 菊に肩を揺すられて、跳ね起きる。


 また内面の世界へ、潜り込んでいたらしい。


 ともかく、嫌なものは嫌だ。理由とか後々の身の振り方とか、そういう細かい話は、縁談を潰した後で考えればいい。


 そのためには、何をすべきか。


 一晩悩んだ末、とりあえず自分の悪評をばら撒けば良いのだと、初は気付いた。

 いくら安宅家の姫とはいえ、問題のある人間を、嫁にもらいたがる者はいるまい。


 こいつだけは嫁にしたくない、結婚したくないと思わせれば、縁談の話だって自然と消滅していくはずだ。


「おい、ちょっとここ借りるぞ」


 厨に入った初は、端のほうにある竈を借り受けた。


 まずは手始めに、料理からだ。


 安宅家は、富裕ではあるが、それほど大きな家ではない。家格の面から見れば、周辺の土豪たちと、ほぼ同格だ。


 熊野海賊は、身内の結束が固い。初が嫁ぐとすれば、周辺の家のどれかだろう。


 小領主が割拠する熊野では、当主の妻でも、家事をこなす必要がある。料理の技術は、たとえ質実剛健を旨とする武家であっても嫁選びの重要な要素だ。


 初は厨の奥、食糧庫の中を探った。


 安定も直定も、趣味らしい趣味を持っていないが、唯一、食にだけは強いこだわりがある。


 毎日、美味いものを食べたいという当主親子の要望に応えるため、安宅家の食糧庫には、常に様々な食材が用意されていた。


 旬の魚や茸、野菜がぎっしりと詰まった棚の端。他の食材から、隔離されるように置かれていた竹皮の包みを、初は手に取った。


 包みを開くと、中にはまだ赤い血を滴らせた、新鮮な肉の塊が、ごろりと鎮座していた。


「姫様、まさかそれをっ」


 菊が、信じられないという顔で、口元を覆う。


 初が手にしているのは、山羊の肉だった。


 山がちな熊野で、食糧の自給率を上げるため、青涯和尚は山羊や兎、豚といった、家畜の飼育を推奨している。


 日本では、仏教の影響もあって、肉食を厳禁とする文化があった。だが、それでは猟師や漁師などの職に就いている者が差別されるし、何より貧しい村では、栄養失調に陥る危険性がある。


 この時代でも、浄土真宗では肉食を認めているし、九州辺りまで行くと畜肉も食しているらしいが、大寺院の多い紀伊では、やはり忌避感が強かった。


 そこで青涯は、三種の浄肉──殺されるところを見ていない、自分に供するために殺したと聞いていない、自分に供するために殺したと知らない──という概念を広めることで、信者たちに肉食を解禁した。


 はじめは抵抗があった領民たちも、青涯が一人一人を説諭して回り、落語や紙芝居を利用した説法を通して、徐々に意識が変わっていった。

 今では、明からの移民が増えたこともあって、安宅荘ではそれなりに肉食が行われている。


 にやりと口角をつり上げた初は、愛用の包丁を手にし、ずばっと肉塊に刺し入れた。


 繊維の方向に沿い、筋を取り除きながら、丁寧に切り分ける。


 余分な脂を切り取り、酒とすりおろした生姜をまぶして、よぉく揉み込む。しばらく寝かせたら水洗いし、布で水分をふき取っておく。


 鍋に水を張り、火にかけた初は、下処理したヤギ肉と酒を加えた。


 鍋が沸騰するにつれて、独特の臭気が漂いだす。


 肉が苦手な菊は、すでに厨の外へと避難している。


 料理人たちが、恐々と見守る中、鍋が軽く沸騰したところで、お湯を捨て、ヤギ肉を綺麗な井戸水で洗う。


 再び鍋を火にかけ、水と大量の酒、下茹でしたヤギ肉を投入。


 ネギ、ニンニク、ニラ、ショウガをぶち込み、醤油を加えてひと煮たち。


 最後に、水洗いしたヨモギを加えれば、完成だ。


「ふっふっふっふっ……」


 沸き立つ鍋を前に、初は不気味な笑みを浮かべた。


 我ながら、完璧な出来であった。


 沖縄県民のソウルフード、本州人ヤマトンチュ殺し、臭気と滋養のコラボレーション。

 数々のゲテモノ食いたちをして、これは無理と言わしめさせた、究極の郷土料理が一つ。


 ヤギ汁を椀によそうと、初は厨の中を見回した。


 見守っていたはずの料理人たちは、いつの間にか姿を消している。


 初は、厨の外へと飛び出した。


 獲物を求めて周囲を徘徊する初の前に、折よく、二人の生贄が現れた。


「おお、これは初姫様っ! こんなところで出会うとは、奇遇ですな!」


 安宅藤一郎猶重あたぎとういちろうなおしげは、無駄に白い歯を光らせながら、満面の笑みを放った。


 服の上からでもわかるほど、全身の筋肉が、ぱんぱんに膨らんでいる。

 もともと、がっしりとした体格だったが、毎朝、頼定の鍛錬に付き合ううちに、今ではたわわに実った葡萄の房ごとき身体になっていた。


「姫様、その手に持っている椀は?」


 衿の隙間から、異常に発達した僧帽筋を覗かせる猶重の隣で、亀次郎が首を傾げる。


 ゆらりと、初は二人に歩み寄った。普段は、完全なる宝の持ち腐れでしかない美貌に、とろけるような笑みを浮かべる。


「やあやあ、二人とも、いいところへ」

「な、なんですか、気持ち悪い声なんか出して」


 猫なで声を出す初に、亀次郎の肩が、びくびくと跳ね上がる。


 まあまあまあまあ、と二人ににじり寄った初は、まだ湯気を立てる椀を捧げ持った。


「今、料理のお稽古をしていたの。よかったら、味見していってくださらない?」


 亀次郎の顔が、ますます警戒の色に染まる。


 普段の初を知らぬ猶重は、料理と聞いて「おおっ、これはかたじけない!」と、素直に喜色をあらわにした。


「鍛錬を終えたばかりで、ちょうど腹が減っておりましてな! 遠慮なくいただきますぞ!」


 てかてかと黒光りする上腕筋を弾ませながら、猶重は椀を手にした。


 驚愕する亀次郎の前で、ぐびりと箸も使わずに、熱々のヤギ汁をひと飲みする。


「これはっ!」

「兄者! ほら、すぐに吐き出して! ここに、ぺって!!」


 亀次郎が、初をどう思っているか、よくわかる台詞である。


 猶重は、どんぐり眼を見開き、全身のあらゆる筋肉を震わせる。


 わなわなと立ち尽くす猶重に、初は笑みを深くした。


「どうです、藤一郎なおしげ? わたくしが、丹精込めて作った料理の味は……」

「美味ですぞ、これはっ!!」


 初の表情が固まった。


 叫んだ猶重は、感動の面持ちで、残ったヤギ汁を掻き込み、咀嚼していく。


「これは、山羊の肉ですな!? あれは臭いがきついはずなのに、この汁物には、それがない! いや、全くないわけではないが、それが旨味に感じられる! 生姜やネギなどの薬味が臭みを消し、山羊肉の滋養と共に、全身の筋骨へと染み渡っていく! これは、これは素晴らしい料理ですぞ、姫様!!」


 猶重の絶賛に、いなくなっていたはずの料理人たちが、物陰から姿を現した。


 半信半疑の様子だが、猶重の熱弁を受けて、鍋に残っていたヤギ汁を、皆で分け始める。


「これはっ」

「なんとっ! あれほど臭かった山羊の肉に、これほどの旨味が!」

「汁も、上品な出汁が出ておる。多少臭いは残っておるが、これなら鯨の肉にも負けておらんぞ」

「薬味のせいかのう。どうも、身体がぽかぽかとしてきたような」

「山羊の肉は、滋養強壮に良いと聞く。おそらくは、そのせいであろう」


 ヤギ汁を褒めたたえる言葉の一つ一つが、初の心を抉ってゆく。


 三杯目を飲み干した猶重は、満足げに腹を擦りながら、


「美味いうえに、滋養まであるとは! まさに、武士もののふのための食事ですな! このように素晴らしい料理ができる初姫様は、さぞかし良い御内室になるでしょうな!」


 高笑いを放つ猶重に、初は意識が遠くなった。

次回の更新は、5月4日です。


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