知識
子墨は、絶句した。金壺眼を見開いて、まじまじと初の瞳を覗き込んでくる。
人間って驚きすぎるとこんな顔になるのか、と初はどこか他人事のように考えていた。
『知らないって……では、なんでこんなものを作ったのだ? あの、すくりゅーとかいう仕掛けは?』
『別に、作れそうだから作っただけだよ。それに対して理由とか聞かれても、答えようがないし』
『そんなはずはあるまい! 何か……何かあるだろう? 目標や成し遂げたいこと。わしらを見返すのでもよい。お前とて、何か目的があったからこそ、こんなものを……』
『目的がなくちゃ物を作ってはいけない、なんて法は存在しないだろ? まあ、子墨さんたちに認められたいってのはあったけどさ』
初は、手の中のモーターを見下ろした。
最初はこんな小さなものじゃなくて、でっかい発動機を舟に積んで、みんなを驚かせてやるつもりだった。
だが、世の中そんなに甘くはない。
いくら資材が揃っているといっても、戦国時代にしては、という話だ。本格的な発電機も、発動機も、作るには年単位の時間が必要になる。まともに使える物となれば、どれだけかかるか。
『これは、俺が作りたいから作っただけ。面白そうだから、みんなに見せてみただけ。子墨さんの言う通り、このモーターも電池も、何の役にも立たないよ』
今はまだ、な──
そう言って初は、子墨に笑いかけた。
『でもさ、どんな技術だって、最初はそういうもんだろ?』
『どういう意味だ』
『たとえばさ、子墨さんとか、この鍜治場にいる人たちがいろいろ工夫して、めちゃくちゃすごいものを発明したとする』
『何をだ』
『え?』
『わしらは、何を発明するんだ』
『それは、なんでもいいよ。重たいものを簡単に動かせる道具とか。ものすごくよく切れる刃物とか。なんだったら、ぐっすり寝られる枕でもいい。ともかく、子墨さんたちは、すごいものを作ったんだ。でもさ、子墨さんたちがいくら、これは凄い発明だ、世の中が変わるような道具だって話しても、誰も見向きもしない。なぜだと思う?』
『…………』
『それを作るには、ものすごく銭が掛かるかもしれない、時間が掛かるかもしれない、あるいはもっと根本的に、その発明のすごさが理解されてないのかも』
『子墨さんたちは、すごいことをやってのけたのに、みんなそれは役に立たない、価値がないって言うんだ。悔しいだろうな。せっかく大変な思いをして作ったのに、誰もそのことを評価してくれないんだから。子墨さんたちは、泣く泣く、そのすごい発明を蔵の中に仕舞い込んで、いつもの仕事に戻るんだ』
朝の見回りに来たらしい警衛が、鍜治場の一角に集まった職人たちを見て、びっくりしている。
演説を行う初は『でもさ』と、子墨たちに向けて話しかけた。
『ある日突然、その発明が世の中に必要とされる瞬間が来るんだ。それは明日かもしれない、明後日かもしれない。一年後、十年後、二十年後、もしかしたら、百年以上先の話かも。それが必要になるのは、世の中に認められるのは、ずっとずっと未来の話かもしれない。それでも、子墨さんたちが作ったものは、考えたものは、いつか世の中の大勢の人から必要とされる瞬間が来るんだ。技術っていうのは、そういうものなんだよ』
初は、鍜治場の中をぐるりと見渡した。
『たとば、あの水車とか。今はみんな、当たり前みたいに使ってるけどさ、でも、はじめて水車を作った人間は、それで杵や槌を動かしたり、人間の仕事を手伝わせるなんて、考えてなかったかもしれないぜ?』
『こういう陶器の皿だって、もとは粘土だ。最初は、子供が遊びでこね回して、そのうち器に使えるって思ったのかもな。でも、粘土のままじゃ水に溶けるし、食べ物に臭いが移ったりする。持てば形だって崩れるしな。そうこうしてるうちに、誰かが粘土を焼くって方法を思いついた。そうしたら、みんな真似し始めて、だんだんと複雑な紋様を描いたり、粘土に混ぜる土や焼き方を工夫して、磁器が生まれた。子墨さんが作ってる鉄だって、最初はほんのちょっと硬いだけの石、みたいに思われてたかもしれないぜ?』
はじめて鉄を生み出したのは、どんな人間だろうか? どんな瞬間に、生まれたのだろうか?
鉄鉱石を熱すると、熔け出す成分がある。それを集めて打ち延ばし、刃物にするまでには、きっと長い時間と大勢の労力があったはずだ。
さらに、鉄を狩りに使ったり、農具に加工したり。誰でも使えるよう、大量生産するまでには、また別の苦労があっただろう。
『何かを生み出すっていうのは、すごく大変なことなんだ。まず知識を積み重ねなくちゃいけない。どのくらい熱したら鉄は熔けるのか? 熔かすための炉の形は? 不純物を取り除くには、何を混ぜればいい? 加工の仕方は? 鋳造と鍛造で鉄の性質が変わるのはなぜか? 温度による変化は? そうやって何百年、もしかしたら何千年と知識を積み重ねて、やっと鉄は人間の暮らしになくてはならないものになったんだ』
子墨も、周囲にいる工人たちも、初の話に聞き入った。
今や鍜治場で働くすべての職人たちが、初の一挙手一投足に見入っている。
『人が生み出した何かや、見つけた知識が、目に見える形でみんなの役に立つようになるには、時間が掛かるんだ。大昔に誰かが考えた、ちょっとした思い付きとか、何かを作る途中で生まれた副産物とか。その当時は誰も見向きもしなかったようなものが、ずっと後になってから、重要な発見だったってわかることもある。人間だって同じだろ、子墨さん』
『うん?』
『修業を始めたばっかりの人間が、こいつは良い職人になる、そいつはダメだ、なんて、すぐにはわからないだろ? 目をかけてた弟子が飲んだくれになるかもしれないし、思わぬところで伸び悩むかもしれない。逆に覚えの悪かった奴が、何かのきっかけで急に腕を上げることだってあるだろ?』
思い当たる節があるのか、子墨は考え込む顔になる。
隣で弟子の少年が、自分のことではないかと、そわそわしていた。
『ここにいる皆だって、はじめからすごい職人だったわけじゃない。何年も何年も修行を重ねて、一人前になったんだ。それまでには落ち込んだり、挫折したり、師匠からダメ出しを食らった奴だっているだろ? 子墨さんが今、この鍜治場の棟梁をやってるって聞いたら、明で一緒に修業した人たちは、腰を抜かすかもしれないぜ?』
ちょっと変な空気になりかけたので、初は慌てて咳払いした。
『まあ、あれだ。今この瞬間に、役に立たないからって、それが意味のないものだとは限らない。技術も知識も人間も、それが面白いところさ』
だろ?
視線を送る初に、工人たちは顔を見合わせた。
『知識っていうのは、歴史と同じだ。連綿と積み重ねてこそ意味を持つ。何かすごい発見をしたとしても、そいつに知識がなかったら、重要さを見抜けないかもしれない。そうなったら、ただの偶然だったって、見過ごされてお終いだ。その点、ここにいる奴らは有利だぞ? なにせ俺が作った「まだこの世にはないもの」を見たんだ。ここで俺の実験を見た奴は、そうでない奴に比べて、新しい何かを生み出せる可能性が高まってる。お前たちは、この世界のはじめてを、最初に目撃出るかもしれないんだぜ?』
──技術者にとって、一番面白い瞬間とは、何か?
答えはいろいろあるだろうが、世の中にないものを生み出す瞬間は、きっと答の上位に入るだろう。
鍜治場は、ざわめきに包まれていた。
明の工人も、日本の職人たちも、隣同士でひそひそと話し合っている。初の話を、どう受け止めていいか、考えあぐねているようだ。
「姫様、そろそろ」
「ん? ああ、向こうの準備が終わったころか」
亀次郎に袖を引かれ、初は両手を打ち合わせた。
再び電池とモーターに見入っていた子墨と工人たちは、驚いたように顔を上げた。
『さて、俺の話を聞いても、みんな嘘か真か判断できないって顔だな。ま、いくら口で言っても、実際に俺の知識が役に立つって証明できなきゃ、納得できないってのはわかるよ』
だからさ、と初は鍜治場の外を指さした。
『見せてやるよ。俺が作った、これから「みんなの役に立つ」知識ってやつを』
次回の更新は、4月11日です。
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