実験
初は興奮を隠すように、舌で唇を湿した。
結果は、上々。いや、予想以上と言っていい。
事前に、亀次郎と六郎を相手に試したときは、ちゃんと驚いてくれた。しかし、明の工人相手には通じない可能性もあったので、少々不安だったのだ。
竹串を炭化させて作ったフィラメントは、電池からの給電を受けて、鈍く輝きを放っている。
最初は妖術かと腰を抜かしていた六郎は、箸を使ってフィラメントを掲げ、得意げに周囲へと見せびらかしている。
その隣では、亀次郎が金の薄板を電極にして、水の電気分解を行っていた。
ガラス製の細い管が二本。管の真ん中には穴をあけ、ガラスの筒と粘土を使って二本の管を繋ぎ、H型に固定している。
十分に電気を流し終えたところで、亀次郎はガラス管から電極を引き抜いた。
電極は木の栓に差し込まれており、蓋を失ったガラス管に火を近づけると、水素が燃焼してポンと音を立てる。
びくりと身を竦ませた子墨に、初はにまにまと笑みを浮かべた。
『どうだ、面白いだろ?』
放心したように実験の様子を見つめていた子墨は、目を瞬いた。
笑みを深める初を目にして、奥歯を噛みしめると、またじっと亀次郎たちの手元を見つめ始めた。
『……なんだ』
『うん?』
『それは何だと訊いている。その、二枚の皿を重ねたものだ』
子墨が指さしているのは、初が苦心して作り上げた電池だった。
正確には、ダニエル電池。その名の通り、ダニエルという化学者が生み出した、原始的な電池の一種である。
プラス側に硫酸銅溶液と銅板を、マイナス側に硫酸亜鉛溶液と亜鉛板を使い、素焼きの皿を隔膜にしている。
電線は、銅線をより合わせたものに紙を巻き、上から蝋を塗って作った。
一つでは必要な出力が出ないので、いくつかの電池を直列に繋いで、電圧を確保している。
『電池っていうんだ。簡単に言うと、小さな雷を発生させる仕掛けだよ。で、このこよりの中には、銅線が入ってる』
『雷? 金属の板を水に浸けるだけで、雷が起こるのか?』
『いや、これは硫酸銅と硫酸亜鉛って言ってな。硫酸に、銅と亜鉛を溶かしたもので』
『硫酸なら、わしも見たことがある。それに銅や亜鉛を溶かしたところで、雷が起きたことなどないぞ』
『あー、こう、なんていうか……銅板と硫酸に解けた銅が反応してだな』
『銅と銅が触れ合うと、何か起こるのか? それは、銅銭を重ねても同じか?』
初は、上空に視線を逸らした。
(……まずい。こいつ思ったより、化学の知識があるぞ)
良く考えれば、今回の実験に使った材料は、もともと安宅荘に存在していたものばかりだ。
農学者だけあって、青涯はある程度、化学にも精通していた。肥料や農薬を作るのにも、扱うのにも、必要になるからだ。
硫酸は、農業においても重要な資材であるため、真っ先に再現されていた。青涯が安宅荘へ来た頃には、もう存在していたらしい。
明でも、薬の材料として使われているというし、子墨が知っているのは、当然の話だった。
(適当に誤魔化すつもりだったんだけどなぁ……どうしよ?)
イオン化傾向の違いとか、電子の話をして、わかってもらえるだろうか?
とりあえず話してみようと、おおよその原理を説明して見せるが、案の定ちんぷんかんぷんな様子だった。
『とりあえず、こういう仕掛けを作れば、雷が起こせるんだ。それで納得しとけ!』
『なら、炭が光るのはなぜだ? 水に雷を通すと、燃えるようになるのは? まさか、水が油に変わるのか?』
『それも、後で全部説明してやるから! ほれ、次行くぞ、次!』
子墨は、不満そうな顔をしている。だが、仕方ない。正確な原理を教えるには、前提となる知識が多すぎるし、そもそも本題はそっちじゃない。
重要なのは鍜治場の工人たちに、初の力を認めさせることだ。
「亀次郎、六郎、次の仕掛けだ!」
ばっ、と初は大仰な手振りで、次の実験を指示して見せる。
風呂敷を漁る二人は、用意してきた仕掛けを一つ一つ取り出しては、丁寧に地面へと並べていった。
「えーっと、これとこれを組み合わせて」
「違いますよ、亀次郎殿。これは、そっちです」
「ああ、そうか。あれ? この棒って、ここに差すんだっけ?」
「いえ、こっちなのでは?」
もたもたしている亀次郎と六郎を押しのけ、初はてきぱきと実験の用意を整えていく。
木製の小箱を手のひらに乗せ、初は叫んだ。
『見よ! これぞ、風を生み出す仕掛け!』
電極を繋ぐと、鉄心と銅線に磁石を組み合わせただけの、簡単なモーターが回転する。
モーターの先には、手のひらサイズのプロペラが取り付けられ、そよそよと風を送り出していた。
どうだ! と、初は周囲の反応をうかがった。
小さなプロペラから生み出される風は、微々たるものだ。ほぼ鍜治場中の人間が集まっている現状では、最前列にしか風は届かない。
子墨は、前髪を風にそよがせながら「で?」と、目鼻で問いかけてきた。
『なんだ、それは?』
『雷を動力にして動く仕掛けだ。ほら、この前に付いてる羽根が、動いてるだろ?』
ほらほら、とプロペラを示す初に、子墨は目を細めながら、
『それは、お前が動かしてるんじゃないのか?』
『違う違う! こうやって手を放しても、ちゃんと動くから』
手近な木箱の上へ、モーターを設置する。
初が距離をとっても、プロペラは回転し続けた。それを見た人垣の間に、やっと驚きの声が広がり始める。
「動いてる……動いてるぞ、あの羽根車!」
「何か仕掛けがあるんだろ。中に、バネでも入ってるんじゃないか?」
『さっき組み立てるとき、何か種を仕込んでたか?』
『いや、あの小箱の中には、銅線を巻いた鉄の棒と、磁石しか入ってなかったはずだ』
そこかしこで議論が交わされる。
湧き立ち始めた観衆に、初は手応えを感じた。
思ったより反応が鈍いが、これならイケる!
このまま次々と実験を披露して、この時代の人間が知らない知識を見せれば、初への認識も変わるはずだ。
『……なあ、安宅家の姫よ』
『何だよ? こっちは今、忙しいんだ』
早速、次の実験へ移ろうした初に、子墨は胡乱気な眼差しを向けた。
『この仕掛け、何の役に立つんだ?』
モーターを手に取り、プロペラの風を顔に当てながら、子墨は言った。
『この程度の風なら、団扇や扇子で扇いだほうがましだ。こんなものでは、涼はとれんぞ』
『それは、涼むための道具じゃねぇよ。モーターとか、発動機って呼ばれてる仕掛けでな。水車の代わりになる動力なんだ』
『水車の代わり? こんな小さなものがか?』
『すげえ……』と、見習いらしき工人の少年は、無邪気に喜ぶ。対して子墨は、胡散臭そうな顔をした。
『そいつじゃ、力が足りないよ。もっと大きなものをこさえて、発電機も……雷を生み出す仕掛けも、もっと工夫しないと』
『この電池は、どれくらい雷を生み出せる?』
『だいたい、丸一昼夜ってところだな。それ以上は、亜鉛の板が溶けなくなるから、中の溶液を取り換えてやって』
『随分と銭のかかる仕掛けだな』
亜鉛も銅も、それなりの値段がする。
こんな小さなプロペラを動かすのに、亜鉛と銅の薄板が一枚ずつ。
ならば、槌や鋸を動かすのには、いったいどれだけの量が必要になるのかと、子墨は言い放った。
『こんなもの、金持ちの道楽でしか使えんぞ。その光る炭も、蝋燭一本分ほどの輝きもない。それでいて、蝋燭よりも銭がかかるときている。燃える水とて、一瞬で燃え尽きてしまったのでは、湯を沸かすこともできん』
人々の間から「確かに」「子墨殿の言うとおりやもしれん」と、同調する声が上がり始めた。
子墨は、モーターを初に押しつけると、たっぷりと呆れを含んだ声で言った。
『お前の作ったその仕掛けも、知識も、物珍しいだけで、たいして役に立たんではないか。そんなものを使って、お前は何を為すつもりだ?』
『さあ?』
初は、肩をすくめた。
『そんなもん、俺が知るわけないだろう?』
次回の更新は、4月9日です。
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