子墨
鍜治場を一巡りし、点検を終えた子墨の下に、弟子の一人がやってきた。
「師匠、見ていただきたい物があるのですが」
無言でうなずいた子墨に、まだ少年と言ってよい弟子は、背負っていた布包みを差し出した。
中に入っていたのは、鍬と鋤の刃先である。
緊張しているのか、弟子の頬は真っ赤に上気している。
少年が固唾を飲んで見守る中、鍬の刃先を丹念に調べていた子墨は、金壺眼を細めたまま息を吐いた。
「……なかなか良い」
「ではっ」
「だが、地肌の冴えが今一つだ。刃先の接合も、幾分緩い。これで土を掻きまわせば、早晩、折れるのが関の山だろう」
瞬く間に萎れていく弟子を、子墨は無言で見つめた。
この少年の父親も、子墨の弟子だった。
子墨が海を渡り、青涯と共に日本へ行くと決めた際、共についてきた変わり者の弟子である。
──自分は妻を亡くし、親族もほとんどいない。だから師匠についていったところで、誰かに迷惑をかける心配もない。
それに、今の明にいるより、異国へ渡ったほうが稼げるだろう。そうなれば、息子も喜んでくれる──
そう言って快活に笑った弟子の顔を、子墨は頭の片隅に描いた。
(──馬鹿者が。稼ぐ前に死んでは、意味がなかろう)
子墨は、鍜治場の中を見渡した。
明で働いていた工廠に比べれば、猫の額程度の土地だ。この辺り一帯の鍜治場をすべて足し合わせたところで、わらべの遊び場ほどの大きさしかないだろう。
青涯との出会いを天恵という者もいる。だが子墨には、どうしてもそう思えなかった。
この鍜治場を見るたび、子墨の心には後悔の念が押し寄せた。
道具は、明で使っていたものと変わらない。水車も鞴も、自分たちで一から用意し、寺の者に頼めば様々な便宜を図ってもらえる。
ここでは、欲しいものはすべて揃えられる。だが同時に、ここではあらゆるものが不足していた。
明でなら簡単に手に入った材料、設備、技術。子墨たちは知恵を絞り、できる限り同じものを再現しようとしたが、どうしても似て非なるものにならざるを得ない。
特に、鉄の質には辟易させられた。
(混じりものが多いな。これでは、よほど工夫を凝らさぬかぎり、粗悪品にしかならん)
弟子の少年が打った鍬の刃先を見つめ、嘆息する。
この国では、ほとんど鉄鉱石が採れない。流通している鉄の大多数は、砂鉄を原料にしたものだ。
明でも、砂鉄を使わないわけではない。だがそれは、鉄鉱石を手に入れられない密造業者たちの手法だ。国の工廠で働いていた子墨は、砂鉄から鋳した下賤な鉄など、使ったことがなかった。
この国の鉄では、思ったように仕事ができない。
鍜治場の工人たちにとって、それは長年の悩みだった。
無論、子墨とて鉄の買い付けには、心を砕いていた。明から鉄を輸入させたり、それが難しいとなれば鉄鉱石を手に入れ、自ら炉にくべたりもした。
青海に頼んで、この国の鉄産地であるという出雲に人をやり、直接、鉄を買い付けてもいる。そうした中には、子墨でさえ目を見張るような、見事な鉄も存在していた。
だが、ほとんどは品位の低い粗悪品だ。中には、鉄に生の砂鉄を混ぜて売るような、悪質なものまでいる。
もう、ここでの仕事は終いやもしれん──
落胆した顔を上げ「やり直してきます!」と頭を下げる弟子を見て、子墨の心にそんな思いが去来した。
少し前までは、叱られるたびに涙目になっていたのが、一端の職人の顔をするようになった。それを頼もしく思いつつも、子墨の心は晴れない。
良い鉄がなければ、職人はうまく育たたない。弟子から預かった大切な一人息子を、このまま在野に埋もれさせるのは、あまりにも忍びなかった。
(それに、ここには何もないしな……)
子墨が知る以上の知識も、技術も、この国には存在しない。今の子墨は、明で身に着けた以上のものを、何も得られてはいなかった。
ただ自分の知っていることを周囲に教え、同じものを作り続ける。
職人にとって、これほど退屈な仕事は存在しないだろう。
「子墨殿。そろそろ仕事を始めたいのですが」
思索に沈んでいた頭を持ち上げ、子墨は声をかけてきた相手を横目で睨んだ。
中年の男は、この国の職人だ。名は知らない。青涯によって鍜治場が整えられた際、手伝いとして寄越され、そのまま居着いている。
子墨は男を相手にせず、すたすたと仕事場へ向かって歩き出す。
集まってきた職人たちが、鍜治場のそこかしこで仕事を始めている。夜の間は止められていた槌、鋸が水車に繋がれ、せわしない音を立て始める。
いつもと変わらぬ朝の風景の中、一か所だけ、いつもとは違う雰囲気が漂っている場所があった。
「……なんだ、あれは?」
「さあ? 日本の職人たちみたいですけど」
その人だかりは、朝の喧騒に包まれた鍜治場の一角に、ざわざわとした違和感を与えている。
子墨は、ぎょろりと視線を横に向けた。睨まれた中年男は、知らぬというように、ふるふると首を左右に振っている。
「俺、ちょっと見てきます」
弟子の少年が駆け出し、人だかりの中に消えていく。
どうせ怪我人でも出たのだろう。鍜治場では、よくあることだ。
興味をなくした子墨は、他の弟子たちのもとを巡り、今日の仕事を割り振っていく。
一通りの指示を終え、自身も作業に移ろうとした子墨は、一回り大きくなっている人だかりに、顔をしかめた。
「貴様ら、さっさと仕事を始めんか! まだ納品が済んでおらぬ品物が、山ほどあるのだぞ!」
子墨は声を張り上げるが、職人たちは一向に気付く気配がない。
業を煮やした子墨は、金槌を持って人だかりに迫った。
近づいてみて驚いた。人だかりには、日本の職人ばかりでなく、明からやってきた工人たちも大勢加わっている。
その中に、様子を見に行ったはずの弟子の姿を見つけ、子墨は眦を釣り上げた。
「小睿! そこで、何をやっとるか!?」
「あ、師匠!」
弟子の小睿は、興奮した面持ちで子墨を振り返った。
あまりに屈託のない様子に、子墨のほうが面食らう。
瞳に純粋な輝きを宿した小睿は、困惑する子墨の手を取ると、人だかりの奥に向かって引っ張り始めた。
「師匠も見てください! 炭が光ったり、水に火が点いたりしてっ!」
「落ち着け。いったい、何があったのだ?」
ずるずると人々の前に引き出された子墨は、そこで意外な人物を目にした。
「……安宅家の姫か」
「おや、子墨さんも来たのか」
初は、集まった大勢の人々を前にして、腕組みした。
朝日を浴びて立つその姿からは、溌溂とした精気が立ち上っている。
若く、自信にあふれた表情。瞳には、一片の翳りもなく、その生命はこんこんと湧き出す清冽な清水の如き活力によって、満たされている。
朗らかに笑う初の姿に、小睿は陶然と見入った。そうさせるだけの魅力が、この娘にはあるのだ。
わずかな挙措動作にさえ、限りなくあふれ出してくる透明なきらめきが宿り、人々の目を奪わずにはいられない。
高貴な生まれでありながら気取ったところがなく、それでいて、その身辺には生臭みといったものが感じられない。
この姫を天女か菩薩の如きと崇拝し、畏敬の念を抱く者も、領内には少なくないという。
だからこそ、この娘は危険だと子墨は警戒した。
初が作った“すくりゅー”なる仕掛けは、漁師たちの間で、静かな広がりを見せつつあった。童たちの舟比べで使われたというすくりゅーを、伝聞を頼りに真似しようとする者が、後を絶たないのだ。
ある者は、まったく舟を動かすことができず。ある者は、沖へ漕ぎだすことに成功はしたが、途中で仕掛けが壊れ、あわや遭難の目にあった。
原理もよくわからず、使えるかどうかさえ定かではない代物を、皆が有り難がって欲しがりだす。
その異様な状況を作り出した張本人は、警戒する子墨を相手に、不敵な笑みを浮かべて見せた。
「子墨さんも見ていくかい? ちょっと面白い仕掛けを考えたんだ」
「……また下らぬ遊びを」
「師匠! これですよ、これ! 見てください、炭が光ってますよ!?」
袖を引っ張る小睿に、子墨は苦々しげな顔を向けた。
(少しは成長したかと思えば)
どんな児戯に騙されているのかと、人だかりの中心を目にした子墨は、動きを止めた。
まだ年端もいかぬ童が二人、地面に何かを広げている。
年少の童が持っているのは、白い磁器の皿に、一回り小さな素焼きの皿を重ねたものだ。
磁器の皿には、銅らしき薄板と薄青い液体が。素焼きの皿には、こちらは材質はわからないが銀色の薄板と、白く濁った液体が入れられている。
同じ仕掛けが、十組。それぞれの仕掛けは紙で巻いた、こよりのようなもので繋がり、両端の仕掛けから伸びたこよりは、二本の針金へと触れている。
「……なんだ、これは?」
針金の間には、細長い炭のようなものが渡されている。
その炭が、ぼんやりと赤く光りだしたのを見て、子墨は眉を寄せた。
「凄いですよねぇ。火を点けたわけでもないのに、なんでこんなに光ってるんだろう?」
無邪気に喜ぶ小睿とは対照的に、子墨は言いしれない恐怖が這い上がってくるのを感じた。
これは何だ? 何が起こっている?
今まで見聞きしてきた、あらゆる知識と照らし合わせても、正体がわからない。
得体のしれない仕掛けを前にして、子墨の痩身がわなないた。
「どうだい、子墨さん」
慄く子墨に、初は快活に笑いながら言った。
「俺が作る仕掛けがくだらないかどうか、とくと見ていってもらおうじゃないか」
次回の更新は、4月7日です。
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