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加護

「風車の改良に、高所まで水を送り出す、水ふいご。少量の薪でもよく燃える竈に、この石鹸。他にも、数え上げればきりがない。とても、一人の人間が考え出したとは思えませぬ。しかも、そのすべてが、この一年ほどの間に生み出されている。これは驚嘆すべきできごとですぞ」


 青海は厨と、奥の屋敷を隔てる木戸の前に立った。

 ちろちろと燃える火が青海の瞳に映り込み、どこか怪しげな輝きを放っていた。


「その知識。姫様は、いったいどこで得られたのですかな?」

「未来だよ」


 答えた初に、青海は訝しげな顔をした。


「未来、ですか?」

「遥か先の世さ。人が空を飛んだり、鉄の箱が真っ黒い石で塗り固められた道を走り回ったりする時代の知識だよ」


 初は、肩をすくめて見せた。


 別に、信じて欲しいとは思わない。同じ時代から来た青涯以外にこんな話をしたところで、詮無いだけだ。


 塩析を終え、鍋の中に溜まった石鹸を、初は見下ろした。


 石鹸づくりをやったのは、中学生のころだ。弟たちの夏休みの宿題を手伝うため、一緒に図書館に通いながら調べた思い出がある。


 現代なら、ちょっとネットを漁るだけで見つかる程度の知識だ。それがこの時代では、これほどまでに驚かれる。


 風車を作っているときもそうだった。ただ自分は、知っている知識を披露しただけなのに、矢代村の村人たちは初に感服し、畏敬の念すら抱いている。


(何なんだろうな、これ? なぁんか違うんだよなぁ……)


 何が違うのかわからない。ただ、何かがズレている。間違っていると感じる。


 物思いにふける初を、菊は厨の隅からじっと見つめていた。


「やはり、そうでしたか」


 青海は、何かを得心したように呟いた。


 その声には喜びと、わずかに恐れの感情が含まれていた。


「やはり初姫様には、熊野権現のご加護があったのですな」

「……は?」


 初の口から、間抜けな声が漏れる。


 不審な顔をする初に構わず、青海は「やはり、やはりそうであったか!」と、一人で興奮していた。


「小夜様の娘御と聞いた時から、そうではないかと思っておりましたが、まさかこんなことが」

「あの、青海殿? 何をそんなに興奮されて……」


 逃げたほうがいいか。こっそりと退路を確認する初を、青海は熱っぽい眼差しで見つめた。


「小夜様は、那智山実方院主なちざんじっぽういんしゅ高湛こうたん殿の娘。幼き頃より、たびたび神慮をお授かりになっていたと聞き申す。ならば、初姫様にも同じ加護があるのは、道理というもの」

「青海殿、まずは落ち着きましょう。とりあえず深呼吸してから、話を聞きますので」


 青海は、初の手を握った。不意のことに、初は自分の手をもぎ離そうとしたが、意外にがっしりとした指は振りほどけない。


「姫様。そのお力、領民のために活かさぬ手はありませぬぞ!」

「いや、そう言われても……」

「青涯和尚も、御仏より知恵を授かったと聞いております。ならば姫様のお力も、民のために活かしてこそ、神意に沿うというもの!」


 ダメだ。こっちの話を聞いてない。


(これは、アレだな。日曜日に街を歩いてると寄ってくる勧誘と同じの……)


 キラキラと輝く目といい、熱のこもった語り口調といい、現代で見たそういう人たちとそっくりだった。自分のやっていることに、一片の疑いも抱いていなさそうなところが、特に似ている。


「銭は某が出しましょう。蔵にあるものは、好きに使っていただいて構いませぬ。人手も、姫様が一言、声をかければ、いくらでも集まりまする。他に必要なものがあれば、何なりとお申し付けをっ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ青海殿! 痛いからっ!」


 はっ、とした様子で、青海は手を離した。


 赤くなった手の甲をさすりながら、初は恨めし気に青海を見つめた。


「急にそんな話をされても困ります。私は、ただの子供だ。そんな大それたこと、できるわけが」

「姫様は、矢代村の者たちを救っておりまする」


 青海は、きっぱりと断言した。


「それだけではない。安宅荘周辺の木地師たちには、姫様がお作りになられた轆轤が広まっている。蛋民たちは、雨水を浄化する薬を得たことで、病にかかる者が減り申した。姫様のお力はすでに、多くの者たちを救っているのです」

「私が申しておるのは、それを安宅荘の領民すべて。さらに紀州、畿内、やがては日ノ本全土に広めようというだけのこと。何も難しいことをする必要はありませぬ。姫様はただ、その知恵を我らに与えてくれるだけで良いのです」


 青涯和尚が、そうしているように。


 初は、考え込んだ。


 たしかに、自分の知識は役に立つだろう。現代ならば、ちょっとした理科の実験程度の知識でも、この時代では大きな力を発揮する。事実、青涯は農業の知識を使って、多くの人々の救っていた。


(でもなぁ、俺の知識って工学分野に偏ってるし)


 科学的な知識を生かすためには、それなりの環境が必要になる。特に工学系は、顕著だ。現代では、当たり前のように存在していた設備も、この時代には全くと言っていいほど存在しない。


 まず電気がないから、モーターは使えない。これで動力は全滅だ。冶金技術が未熟だから、合金だって手に入らないし、薬品の類だって──


(──いや、待てよ?)


 そこで、はたと初は気が付いた。


 さっき青海の蔵を見たばりじゃないか。さすがに現代並みとはいかないが、それでもかなりの数の化学薬品が手に入る。


 合金の類は、必要な鉱石を集めればいい。日本は資源に恵まれないと言われるが、ニッケル以外は、採算を度外視すれば、ほぼ採掘できる。


 動力は、鍜治場に水車があったし、なんだったら風車を使ってもいい。


「いかがですかな、初姫様?」


 これは、いけるのでは?


 思わず、青海の言葉にうなずきかけた初は、菊の視線に気づいて踏みとどまった。


「……青海殿。申し出はありがたいのですが、私は安宅家の人間です。その話を受けるには、父上の許可が必要になるかと」


 ちらちらと菊の様子をうかがう初に、青海は任せておけと胸を叩いた。


阿波守やすさだ様には、某がお執り成しいたしましょう。これは、安宅家のためにも有用な話。領内の発展に腐心しておられる阿波守様ならば、断られることはありますまい」

「いや、でも……」


 まごつく初に、青海はぎらりと底光りする瞳を向けた。


「何を迷っていらっしゃる? これは神意なのですぞ。姫様は、せっかく与えられた神仏のご加護を、無駄になさるおつもりか?」


 強い口調で迫られ、初は答えに窮した。


 自分でも、なぜこんなに迷うのかわからない。現代で言えば、いきなり巨大プロジェクトのリーダーに抜擢されたようなものだ。喜びこそすれ、断る理由はないだろうに。


 惑う初の脳裏を、海生寺での出来事がよぎった。


「……実は、一つ懸念がありまして」


 初は、子墨ズモーとの間に起きた一連の出来事について、青海に語って聞かせた。


 初が、子墨に叱責された件を話すと、青海は微かに瞼を震わせた


「なので、私が何かしようとしても、工人たちが力を貸してくれない可能性が」


 いくら知識があっても、それを形に出来なければ意味がない。特に工業製品のような、多くの人間が関わる分野は、初一人ではどうにもならないことも多い。

 安宅荘にいる優れた職人たちの力を借りなければ、初の知識も宝の持ち腐れである。


 そういった事情を掻い摘んで説明すると、青海は何かを考えるように顎をさすった。


「……いけませんな、それは」


 実にけしからん、と初の予想に反して、青海は急に憤り始めた。


「武家の娘が工人如きに侮辱を許すなど、あってはならぬ話。すぐにでも子墨めらを捕らえ、相応の罰を与えなければ」

「いや、あの……別に、そういう話をしているわけでは」

「何を仰います! 安宅家は、得宗家より熊野衆の旗頭に任じられた由緒ある家柄。普通ならば一族郎党、皆殺しにされても文句は言えぬほどの狼藉ですぞ」


 何もそこまでしなくても。


 慌てる初をよそに、青海は子墨たちにどんな罰を与えるべきか、思案し始める。


「耳や鼻を削ぐべきか。いや、今後のことを考えれば、いっそ片腕を切り落とことも」

「べ、別の方法! 別の方法にしましょう! ほら、職人が腕をなくしたら、仕事ができなくなりますしっ!」


 いくらなんでも怖すぎる。自分のせいで、他人の腕が切り落とされたりしたら、後で絶対に後悔する。


 必死に止める初に、青海は「ならば」と前置きしてから、


「姫様のお知恵で、工人たちを見返しなされ。さすれば、お家に対する侮辱も雪がれ、姫様のお立場も守られまする」

「そ、そういうものですか?」

「そういうものです」


 なんだか、うまく乗せられた気がする。


 だが、このまま放っておいたら、本当に子墨たちが処罰されかねないのも事実だ。戦国時代は、現代とは根本的に価値観が違うので、何が起きるか想像できない。


 それに青海の話にも、確かに一理ある。


 あの時は、鍜治場の様子にばかり気を取られていたが、子墨に馬鹿にされたのは事実だ。町工場の倅として、自分の技術を見下されたままにしておくのは、我慢がならない。


(あれ? 何か、急に腹が立ってきたぞ?)


 初は、湧き上がる怒りを糧に、目まぐるしく頭を回転させ始めた。


 手に入る資材と自分の知識を照らし合わせ、短期間で実現可能なプランを、いくつも思い浮かべていく。


「失礼いたします。旦那様、外に海生寺からの使いの者が」

「なに、こんな刻限にか?」


 頬に微かな笑みを刻んでいた青海は、厨に入ってきた使用人に、怪訝な顔を向ける。


 思案にふけっていた初が我に帰るのと、表のざわめきが聞こえてくるのは、同時だった。


 厨の小窓から、外を覗く。


 屋敷の門周辺に松明が掲げられ、数人の男たちがたむろしていた。

 気になって門に駆けつけた初は、男たちが荷車を引いていることに気付いた。


「何があったんだ、いったい?」


 荷台に人が寝かされているのを見つけて、初は驚いた。

 性別も年齢もバラバラ。ただ一見して全員、衰弱しているのだけは共通していた。


「海生寺で、面倒を見ておった病人たちです。人が多なり過ぎて、寺では面倒を見切れんようになりましてなぁ」


 荷車を引いてきた男は、申し訳なさそうに答えた。


 近頃、隣国の大和やまとで流行り病が発生したらしい。高熱や咳、関節の痛みを訴えたというから、季節外れのインフルエンザだろうか?


 病は山を越え、紀伊の住人にも広がりを見せた。そうした人々が、助けを求めて海生寺になだれ込み、患者の一部が治療施設から溢れたという。


「ここに連れて来たもんは、もう病は治っておるんです。ただ御覧の通り、身体が弱っておりましてな。動けるようになるまで、どこかで面倒を見んといけんのですが、寺には場所がなく。そこで、青海様に預かってもらえないかと」

「そういうことならば、わしも喜んで協力いたそう。さ、早く奥へ」


 海生寺からの使者たちが、荷車を動かしたときだった。

 バランスを崩したのか、患者の一人が荷車から地面へと転がり落ちた。


 大柄な人影だ。それが、昼間に助けた漂流者の一人だと気付いて、初は驚いた。


「おい。この人は、何日も海を漂って、身体が弱ってるんだぞ。下手に動かしたら、余計に体調が」

「和尚様から、別の場所へ移すよう命じられまして。寺におると、病が移るかもしれぬと」


 免疫力が落ちている可能性を心配したのか。他の二人も、別々の場所へ移されたという。


 急いで漂流者を助け起こした青海は、その手を握った瞬間、驚いた顔をした。


「どうしたのです、青海殿?」


 不思議そうな顔をする青海に、初は問いかけた。


「いえ、珍しいと思いましてな」

「何がです?」

「あの女の手ですよ。あれはおそらく、職人ですな。それも、鍛冶仕事の類の」


 へえ、と初は使用人たちに連れていかれる漂流者を見やった。

 こんな時代にも、女性の技術者はいるのか。


 この時の初は、その程度の感想しか抱かなかった。




 この出会いの重要さを初が自覚するのは、これより何年も先の話である。

次回の更新は、4月3日です。


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