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考察

ちょっとだけ、核心に触れる回。

 加藤亨は、戦前の日本に農家の次男坊として生まれた。


 実家は、広い田畑を所有する豪農で、中学校(現代の高校に相当)卒業後、県立の農林学校(後の国立大学農学部)に入学。


 大学職員や農業試験場の研究員として働き、戦後の日本農業の復興に尽力した人々の一人であるという。


「尽力なんて、そんな大したもんじゃないよ。私は、生まれも育ちも農民だからね。田畑を見れば、耕さずにいられないだけさ」


 青涯は謙遜するが、それが並々ならぬ体験だったことは、初にも想像できる。


 大崎慶一郎が幼い頃には、まだ曾祖母が生きていた。明石で生まれ育った曽祖母が、戦後どれほどの苦労を重ねてきたかは、耳にタコができるほど聞かされている。

 そんな時代を生き抜いた男の一生は、決して軽々しく語れるようなものではないだろう。


「九十過ぎまで、野良仕事ができたんだ。私は、幸せ者だったよ」


 そう言って微笑んだ青涯は、しかし、すぐに表情を曇らせた。


「いつものように眠った次の日のことだった。私は、見知らぬ場所に立っていたんだよ」


 粗末な家と悲惨な格好の人々。田畑は荒れ果て、侍崩れの牢人ろうにんが、徒党を組んで暴れまわる。

 何より、昨日まで老人であったはずの自分が、幼い子供になっている現実に、青涯はひどく狼狽した。


 異常な状況に混乱しながらも、情報収集に努めた青涯が得たのは、そこが永正7年(1510年)の山城国であること。自分は、山城国やましろこく西岡にしおかの国人に仕える地侍の家に生まれた三男坊であることだった。


 不穏な状況に、見知らぬ時代。

 何もかもが不明瞭な状況の中、幼い青涯は、ほどなくして都にある妙心寺みょうしんじへと入寺させられた。


 侍は人殺しを行う。その罪を償うため、親族を寺に入れることは、よくあることらしい。むろん、そこには飢饉に伴う口減らしの意味も込められていた。


 妙心寺で修業を始めて数年が経った頃、青涯が師事していた僧侶が、明国へ留学することになった。


 師の身の回りの世話をするため、青涯も供として明へ渡った。だが、青涯たちが乗っていた船が、嵐で遭難。気付いた時には、海賊に捕まっていた。


 中国人が率いる海賊集団にて、下働きのような真似をさせられていた青涯は、やがてその知識を使って頭角を現した。


 貧しさから海賊行為に走っていた者たちに農業技術を教え、徐々に懐柔。解放された青涯は、元海賊たちを率いて台湾へと渡った。


 台湾は大陸に近く、中国人の往来も盛んだ。広大な土地の割に住む者は少なく、元海賊たちを受け入れるには、都合の良い土地である。


 そこでしばらくの間、土地の開拓に従事していた青涯は、やがて五島列島へと渡り、農業技術を指導。その後、青涯の噂を聞き付けた熊野の民から、技術の提供を願われた。


 これを快諾した青涯は、多くの弟子と共に紀伊へと来航。当時まだ若年であった安宅安定あたぎやすさだの協力を得て海生寺を築き、現在へと至る──


「──なんというか、波乱万丈だったんですねぇ」


 何と言っていいかわらず、初がちょっと引き気味に呟くと、青涯はまったくとしみじみした様子でうなずいた。


「田舎で畑を耕していた自分が、まさかこんな経験をすることになるなんて……人生というのは、予想外の連続だよ」


 いくらなんでも、予想外過ぎである。


(でも、これで戦国時代にやってきた現代人が、俺以外にもいることがわかった)


 青涯の話を頭の中でまとめながら、初は考え込んだ。


「意識を取り戻したのは、五歳くらいだったんですね?」

「ああ。この世界での最初の記憶は、そのくらいだねぇ」


 自分と同じだ。

 おそらく、赤ん坊では自我を形成できるほど、脳の神経回路が発達していないのだろう。


(いわゆる物心がつく年齢になって、はじめてそれまでの記憶がよみがえったんだな。でも、どうしてそんなことに?)


 記憶が他人の身体に入り込むなんて、そんなことがありえるだろうか? 脳を移し替えたならともかく、この時代にそんな技術があるとは思えない。


(いや。そもそもここは、本当に戦国時代なのか?)


 タイムマシンの開発は、物理的に考えて不可能だろう。仮に実現できたとしても、軽く数百年は先の技術が必要になる。


 記憶を保持したまま時間を遡行し、武家の姫や、地侍の子供と入れ替わる。そんなことをして、いったいどんな意味があるというのか……


「大崎くん、大丈夫かね?」

「あっ、すみません。つい考えこんじゃって──」


 心配げに顔を覗き込んできた青涯は、ぎょっとしたように身を引いた。


「ど、どうしたんだね、いったい!?」


 何が? と首を傾げた初は、手の甲に当たったしずくに目を落とした。


 透明なしずくが、ぽたぽたと茶室の畳の上に落ちていく。


 それが自分の目からこぼれたものだと気付いて、初は目を瞬かせた。


「あれ、なんだろ? 俺どうして、泣いてんだ?」


 自分でもよくわからない。


 涙は、後から後から溢れてきて、いくら拭っても止まらない。


 手の甲で目頭をこすりながら、初は「あれ?」と首をひねり続けた。


「大崎くん、本当に大丈夫なのかね? なんだったら、医者に診てもらったほうが」

「いえ、そんな……ああ──」


 ──そうか、と何かが腑に落ちたのを、初は感じた。


(俺は、嬉しかったんだ──)


 いきなり、こんな時代に放り出されて。武家の姫になって、まわりからは初姫様と見らぬ名前で呼ばれ続ける。


「だから、ほんとの名前で呼んでもらえたのが、嬉しくって」


 初は、こぼれ続ける涙を拭うのも忘れて、笑った。

      






 初が落ち着いたのは、それからほどなくしてのことだった。


「すみません、取り乱しちゃって……」


 いい歳こいた男が(今は少女だが)人前で急に泣き始めるなんて、迷惑極まりない。


 気不味げに後頭を掻く初に、青涯は微笑んだ。


「気持ちはわかるよ。私も、同じ時代の人と話すのは、何十年ぶりだ」


 実は、初の噂は耳にしていたのだと青涯は言った。


「ときどき、妙な姫がいるという話は聞いていてね。風車を改良したり、新しいかまどを発明したり。湊の蛋民たちに、消石灰を使った浄水装置を教えたのは、君だね?」

「ええ。ほんとは、カルキを作りたかったんですけどね」


 カルキを作るには、塩素が必要だ。だが、蛋民が使えるほど安く作るには、材料も技術も足りない。

 消石灰は、現代でも下水の処理に使われているし、蛋民でも手軽に作れる。炭や砂利を使った簡易の浄水装置と組み合わせれば、それなりの効果を発揮すると思ったのだ。


「先生のほかに、現代から来た人間はいないんですか?」

「先生は止してくれ」と、青涯は苦笑した。

「君が、はじめてだね。少なくとも、わたしは会ったことがない」


 現代人は、自分と青涯の二人だけか? それとも出会っていないだけで、この世界のどこかには、まだ存在しているのか。


(なんとなく状況が見えてきたような、そうでもないような……)


 頭の中で、状況を整理してみる。


・気が付いたら、戦国時代。

・男の自分が、少女の身体に。

・日本の農学者が、地侍の子供に。

・自分と青涯のほかに、現代人の存在は確認されていない──


 うん、やっぱ全然見えてないな。


 初は、畳の上に全身を投げ出した。


「わっかんねぇ! 何がどうなってんだ? なんでいきなり戦国時代なんだよ? 俺には、縁もゆかりもないぞ、こんな場所」


 状況の不合理さに、頭を掻きむしる。


 いったいぜんたい、なにがどうなって戦国時代の姫になるなんて経験をさせられているのか。もし誰かの意志だとしたら、こんな状況を作り出した奴を、小一時間くらい問い詰めてやりたい。


 畳の上を転げ回りながら唸る初を、青涯は静かな瞳で見つめていた。


「……君は、覚えていないのか?」

「何をです?」


 壁にぶつかった初が、額を擦っていた時だった。


「失礼いたします」


 茶を入れなおしに行ったはずのレイハンが、躙口から顔を覗かせる。その隣には、法堂で待つように告げた菊の姿もあった。


「姫様。そろそろお帰りになりませんと」

「もうそんな時間か」


 窓の外を見ると、すでに日差しは西へと傾いていた。


 夏とはいえ、山がちな熊野の夜は早い。川を下ることを考えれば、あまりゆっくりはしていられなかった。


「すみません先生。詳しい話は、また今度ということで」

「あ、ああ、そうだね。話は、次の機会に」


 帰り支度を整え、茶室を出たときだった。


 山道を降りようとした初は、そこで奇妙な一団と出くわした。


 一緒に茶室から出てきた青涯が、その一団を見て「おや」と驚いたように眉を上げた。


モー殿。なにか、ご用ですかな?』


 長髪を一括りにした男が、ぎょろりとした目で青涯を見上げた。


次回更新は、3月24日です。


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