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漂流者

ヒロイン登場!

 漂流者の報告に、直定は表情を引き締めた。


「寄舟の乗組員か。兵蔵へいぞう、舟を下ろして引き上げてまいれ!」

「兄者、某も」


 初は、矢倉の狭間から顔を突き出した。


 関船からそう遠くない場所に、木材の破片と思しきものが浮かんでいる。その破片に、数人の人影らしきものをみつけて、初は息を呑んだ。


 人間は、長時間海水に浸かっていると、体温を奪われて低体温症になる。今は夏だから少しはマシだろうが、漂流が長期間に及べば、脱水や栄養失調に陥る可能性は高い。


(あの貿易船が難破したのは、いつだ? 浜に流れ着いたことを考えれば、それほど時間は経っていないはず)

 

 再び楯板が開かれ、そこから伝馬船が降ろされる。


 船尾に立った頼定が、力強く艪を漕ぎだした。伝馬船は瞬く間に加速し、漂流者たちがしがみ付いた木片へと近づいてく。


疾風はやては湯を沸かせ。諏訪次郎すわじろうは、布じゃ。なにか、着替えになりそうなものを集めよ」


 船内では、直定の指示によって、素早く受け入れ態勢が整えられていく。


 伝馬船が、漂流者を引き上げた。

 一人、二人。三人まで引き上げたところで、こちらへと戻ってくる。


「姫様、土座衛門の様子は!?」

「縁起でもないことをぬかすな! まだ死んだと決まったわけじゃない」


 艪床に立った亀次郎を一喝し、初は甲板へと駆け戻った。


 伝馬船が、関船に横付けする。


 矢倉の隙間から、漂流者と思しき者たちが、船内に引き上げられてきた。


「これ、初。お前は向こうにおれ」


 視界を遮ろうとする直定の手を振り切り、初は漂流者に歩み寄った。


 服装からして日本人ではない。背が高く、おそらく170センチ以上はあるだろう。


 漂流者は船に乗り込むなり、甲板に座り込んだ。


 身体が小刻みに震えている。ざんばら髪が顔に張り付き、寒さで紫色に染まった唇も相まって、まるで幽鬼のような状態になっていた。


『ほら、湯だぞ。これを飲めば、少しは身体が温まる』


 初は、水主から湯の入った木椀を受け取った。いくつかの言語で、同じ言葉を繰り返す。


 蛋民たちと触れ合ってはじめて知ったのだが、中国は地域によって言葉の違いが大きい。同じ中国語でも、場所によってはほとんど言葉が通じないこともある。


 福建語、広東語と試していって、上海語で話しかけた時、漂流者の瞼がぴくりと動くのを初は見た。


『白湯だ。これを飲んで、身体を温めろ』


 虚ろな眼差しで、漂流者は初を見返す。湯の入った木椀を差し出すと、紫色の唇が小さく開かれた。


 木椀を唇に押し当て、ゆっくりと口内を湿らすように湯を注ぐ。白い喉が小さく上下するのを確認しながら、初は少しずつ湯を飲ませていった。


「二人目じゃ。こやつにも、湯を分けてやれ!」

「おい、こいつ息が止まっておるぞ」


 初は、弾かれたように振り返った。

 真っ白な頭が、水主の肩にもたれ掛かったまま、うなだれている。


 木椀を近くにいた者に押し付け、立ち上がる。


「これはもうダメじゃ」と呟く水主から、初は漂流者を奪い取った。


 漂流者を甲板に寝かせ、胸に耳を押し付ける。


(心音なし。息は──していない!)


 吐瀉物が詰まっていないことを確認してから気道を確保し、初は渾身の力で漂流者の胸を圧迫した。


「蘇生術……お主、いつの間にそんなものを」


 直定が、驚きの声を上げる。


 三十回、立て続けに胸を圧迫し、初は漂流者の顔に覆いかぶさった。大きく二回、息を吹き込んでから、再び胸部を圧迫する。


 手が冷たい。冷え切った身体は、まるで氷のようだ。


 何度も息を吹き込むうち、初の唇まで感覚がなくなってきた。そのうち、自分はただ唇を合わせているだけなのではないかと、疑念が渦を巻き始める。


 もう何度目かわからない人工呼吸を行った行ったときだった。


 漂流者の口から、ごぼごぼと濁った音が漏れ始める。

 初が顔を寄せると、漂流者の口から海水が溢れ出てきた。肺の中に入り込んだ水が、吐き出されたのだ。


 周囲に集まった水主たちの間から、どよめきが上がった。


「見ろ、息を吹き返したぞ」

「さすがは、姫様じゃ。死人に息を吹き込むとは」

「わしらでも、あそこまで見事な蘇生術は使えんわい」


 漂流者は、何度も咳き込んだ。体内に入り込んだ海水をすっかり吐き出すと、今度は小刻みに身体を震わせる。


「寒いのか? おい、誰か湯を」


 初は、漂流者の背中をさすった。水主に湯を取りに行かせ、その間に服を脱がせにかかる。


 濡れた服を着ていては、体温が下がる。

 急いで着替えさせようと、奇妙な紋様が描かれた服を脱がせた初は、息を呑んだ。


 白い、雪のように真っ白な肌が目に飛び込んできた。


 肌だけではない。髪も、眉も、まつ毛に至るまで、すべてが純白に染められている。


 およそ人が持っていてよい色彩ではなかった。まるで雪の欠片が人の形を成しているような錯覚に陥り、初は頭を振った。


 漂流者の首が、ゆるゆると持ち上げられる。


 澄んだガラス玉に、空の色が映り込んだような青。


 どこか儚げな眼差しに射抜かれて、初は息を止めたまま固まった。

次回投稿は、3月16日です。


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