表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
116/119

大炊介1

 寺の門を出た途端、初は足をもつれさせた。


「おっと」

「す、すみません……」


 手を差し伸べた直定なおさだは、恐縮する初を見て笑う。


「さすがの御転婆姫も、はじめての戦で疲れたか」


 笑いごとじゃねえよ、と初は半眼を向ける。


 ひとまず青涯《青涯》の無事を確認した初たちは、一度、館へ帰ることにした。


 あの状態では、話を聞くどころではない。

 正式な話し合いは、青涯の体調が回復してからということになった。


(終わったんだよ……な?)


 たった一晩で起こった目まぐるしい変転に、初の意識は未だ追い付いていない。


 青峰せいほう強訴ごうそから始まり、堀内家の襲撃、海生寺の内紛。最後に、青涯のあんな姿まで見せられて、神経がまいってしまったのかもしれない。


 いっそ全部夢だったりしないだろうか?


 そんな益体もないことを考えつつ、初は暗闇に沈んだ海生寺を振り返った。


 一命をとりとめた青涯は、そのまま絶対安静を言い渡された。

 面会もごく限られた者たちだけに許され、今は僧房の自室で眠っている。


 傍を離れようとしないレイハンの後ろ姿。

 瞼に焼き付けた光景を払おうと、初を頭を振った。


「……結局、何が原因だったんでしょうか? 青峰も、青涯和尚も、なぜあんな真似を……」

「さてな。坊主の考えることは、わしにも想像がつかんが」


 青涯の一件を聞き付け、僧房を取り囲む信徒たちを眺めながら、直定は吐息を漏らした。


「青涯殿は、欲が強過ぎたのだろうさ。あの方の強欲さは、生半のものではないからの」

「強欲?」


 普段から質素倹約に努める青涯には、随分と縁遠い評価である。


 口元に曖昧な笑みを刻んだ直定は、「それにしても」と話題を逸らした。


「これで堀内家との縁組はなくなった。お前の婚姻についても、また一からやり直しじゃ」


 そういえば、と。今更になって、初は思い出した。


 初の嫁入りは、安宅家と堀内家の中を取り持つために決まったものだ。

 主筋である畠山家の仲人で決まった縁談を、堀内家は戦のさなかの襲撃という最悪の形で裏切った。


 もし今夜の戦で自分たちが負けていれば、畠山家は後方を脅かされ、味方は総崩れとなっていた可能性もある。そうなれば、いったいどれほどの被害が出たことか……


「堀内家には厳罰が下されよう。三好家との戦がひと段落すれば、攻め潰されるやもしれん」


 それほど堀内家の裏切りは重い。紀州守護職の体面を潰された畠山家の報復は、苛烈を極めることになるだろう。


 深刻な直定の表情に、初はぞっとした。

 そうなれば、今宵の戦ですら生温い。一族の首はことごとく撥ねられ、家臣から領民に至るまで狩り尽くされる。

 そこには、いったいどれほどの地獄が訪れるのか──


「なんにせよ、これからの安宅家は難しい舵取りを迫られよう。これからは熊野だけでなく、外との関係も見直さねば」


 直定の口振りに、初は嫌な予感を覚える。


 たしかに縁談は潰れたが、それは堀内家との間の話。安宅家には、他にも山のように縁談話が持ち込まれている。


 もしや、すぐさま別の家との婚姻が決まるのでは? と、初は身構える。

 だらだらと夏の暑さのせいだけではない汗を流し始めた初を、直定はまじまじと見つめた。


「しかし、改めてわかったが。お前の慕われぶりは相当なものだな、初」

「そ、そうですかね?」


 何の前振りだ? と、初は腰が引ける。


 直定は、真剣な面持ちを崩さぬまま、


光定みつさだ叔父上が、お主を持ち上げるのもわかる。お前の知恵と人徳は並のものではない。青峰がお前を手に入れようとしたのも、それを知ってのことだろう」


 これは問題じゃ、と直定は嘆息する。

 その弱りきった顔に、初は首を傾げた。


「わからんか? お前の知恵は扱いが難しい。下手に手放せば、また今日のような事態が起こるやもしれぬ。あるいは、もっと大きな騒動を引き起こすことも」


 困った困ったと、直定は肩を落とす。

 なんだか疫病神扱いされている気がして、初は微妙な顔になる。


 ふるふると首を左右に振った直定は「ま、しかしだ」と、どこか吹っ切れた顔で言った。


「ものは考えようだ。お前の知恵は、使いようによっては大きな力になる。そして今の安宅家には、一人でも有能な人間が必要じゃ」

「な、なるほど?」


 くすりと笑った直定は、初の頭に手を掛ける。

 優しく髪を梳いていく指先に、初はなんとも言えない心持ちになった。


「戦が終わったら、父上と話し合おう。何が我が家とお前のためになるか、今一度考えねばならん」


 ぽかん、と初は口を開けた。

 最初は意味が分からなかった。どこか外国の話を聞かされている気分で、上手く反応できない。


 やがて、言葉の意味が徐々に染み渡り始めると、今度は急に慌てふためき始めた。


「あの、えっと……それはどういう?」


 どういうことだ? やっぱり夢か? それとも何かの聞き間違い?


 頭を抱え始めた初を見て、直定は苦笑する。

 いきなりこんな話をされれば、混乱するのは当たり前だ。


「心配せずとも良い。嫁ぎ先ならば、安宅家の縁者から誰ぞ良い相手を見繕ってやる故」

「それは、どうかご勘弁を」


 反射的に答えてから、初は考え込んだ。


 そうだ。良い話なんだ。もともと縁談を潰そうと努力していたんだから、目的が叶ったことになる。


(いや、でも……いいのか? これで……)


 この時代の婚姻は、家同士の結びつきを強めるという明確な目的がある。初の婚姻を考え直すということは、安宅家の立場が危うくなる可能性も──


 初は周囲に視線を向けるが、菊も亀次郎も何も言わない。安宅家の嫡男が下した決断には、口を挟まないということか。

 黙して語らない二人が、なんだかズルいと思う初だった。


「さあ、そろそろ帰ろう。一晩中動き回ったせいで、腹が減った」


 帰ったら何か作ってくれ、と直定は船縁に足を掛ける。

 では豆腐があったから田楽でも、と答えかけた初は、視界の端に映った影を見て立ち止まった。


 河原を白い人影が駆けて来る。


 門前を守る衆人たちが、松明を掲げる。

 敵の残党かと槍を構えた兵士たちに、初は警戒を解くよう促した。


「ウヌカル! お前、生きてたのか!」


 乱戦の中で見失ったウヌカルの姿に、初は胸を撫で下ろした。


 尋常ではない速さで駆けてきたウヌカルは、手を振る初に向かって、右手を振り返した。


「姫様ッ!?」


 菊の悲鳴。


 耳元を鋭い風切り音が掠め、背後でどさりと何かが倒れる音がした。

次回の更新は、12月12日です。


面白い! 続きが読みたい! と思ったら、ブックマークとポイント評価お願いします!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ