安宅館攻防戦6
「姫様、ご無事ですか!?」
駆け寄ってきた菊が、岩太の身体に手を掛ける。
大柄な岩太をごろりと横に転がし、脇差で縄とたすきを切り離す。
岩太の下から引っ張り出され、初はへなりと、その場に座り込んだ。
「お怪我はありませぬか、姫様?」
「あ、ああ……それより岩太は」
見ると、足を抱えた岩太が地面に横たわっている。
膝下あたりから血を流し、苦悶の表情を浮かべる岩太。
初は急いで手拭いを取り出すと、岩太の傷口に当てがった。
「傷は深くない。骨と腱は傷ついてないな」
痛みはあるようだが、後遺症が残るほどではない。
手拭いを傷口に巻き付けながら、初は視線を左右に走らせた。
戦いは、安宅家が劣勢のまま続いている。
直定の指示を受けた大八が、大音声を発しながら海生寺衆と斬り結ぶ。
四尺の大太刀が敵の槍を叩き折り、巨体が敵の身体を跳ね飛ばすが、多勢に無勢。集まってきた敵兵によって、抑え込まれる。
前線を支え続けた信俊も、味方の足が止まったことで苦戦していた。
「あいつ、あの乱戦の中に飛び込んだのか……」
さっきまで傍にいたはずのウヌカルが見つからない。
激しい斬り合いの中に、あの白い姿を探そうと、初は目を凝らした。
いつの間にか、夜叉丸たちも押されている。
初が襲われたことで動揺し、そのまま押し返されたのだろう。
海生寺衆の猛攻によって、安宅家の勢いは完全に止まっていた。
堀内家の兵たちも意気を盛り返し、じりじりと包囲の輪が狭まってくる。
そこかしこで交わされる剣戟の音。
兵たちが放つ怒号と悲鳴が山々にこだまし、初の周囲へと吹き溜まっていく。
「姫様、ここはもうダメじゃ! 儂らが道を切り開きますゆえ、お一人で落ち延びてくだされ!」
にじり寄ろうとする敵兵を牽制しながら、喜多七が懸命に槍を振るう。
一人の敵を、二人から三人で殴りつける夜叉丸たち。
敵に組み付かれた亀次郎は、槍を放り出すと、腰の短刀を逆手に握った。
短刀で首を一突きされた敵が、どさりと倒れる。
足元に広がっていく血溜まり。さっきまで痙攣していた身体が、徐々に静かになり、やがて動かなくなる。
ふと、初は顔を上げた。自身の周囲を見回し、そこかしこに転がる死体を見た。
死んでいる。皆、死んでいる。
倒れ、うずくまり、地べたを這いずり回りながら、皆、死んでいく。
「姫様。今なら、まだ間に合います。夜叉丸たちに命じて、我らの殿を──」
膝から崩れ落ちた初は、その場に両手をついた。
口から胃の中身がこぼれる。兵士たちが踏み荒らした泥の中に、げえげえと米の粒を吐き出す。
(なんだ、これ──?)
手足に力が入らない。
血の臭いが鼻を突き、腹の底から次々と消化物が込み上げる。
「お立ち下さい姫様! 早くこちらに! ……初っ!」
菊に頬を叩かれるが動けない。
なんで、こんな気持ち悪いことが起こってる? なんで、こんな気持ち悪いことができる?
吐くものがなくなれば胃液をぶちまけ、それでもなお止まらない吐き気に、初は全身を震わせた。
「立ちなさい初……初っ!」
両脇の下に腕を入れ、菊は初の身体を引っ張り上げる。
萎えてしまった初の身体を引きずり、菊は懸命に歩き始めた。
「菊……俺はっ……」
「あなたは私が守ります。何があろうと、絶対に」
激しいめまいに襲われながら、初は菊の横顔を見上げた。
自力で立てない初を支え、歯を食いしばりながら歩いている。
なんとか戦線を支えていた兵たちが突破された。
夜叉丸や喜多七たちを突き飛ばし、初の周囲に敵兵が殺到する。
突き付けられた槍を、菊は無言で睨み返した。
立てない初をその場に座らせ、腰の脇差を抜き放つ。
「安宅家の初姫様とお見受けする。某は海生寺衆人を率いる天一坊と申す者。
悪いようにはいたしませぬゆえ、大人しく我らと──」
脇差を逆手に、敵の懐へ飛び込もうとした菊が、ぴたりと動きを止めた。
胃の中身を吐き切り、どうにか震える身体をなだめた初は、のろのろと顔を上げた。
こちらを取り囲んでいる敵兵が、なぜか明後日の方向を向いている。
初にもわかるほど動揺した天一坊は、日置川の上流を見つめ、驚愕に眼を見開いた。
「馬鹿な……こんなに早く来られるわけ……」
首元を矢で射抜かれた天一坊は、そのまま仰向けに倒れ伏した。
河原から喚声が聞こえる。
さっきまで初たちを包囲していた敵兵が、慌てて背後を振り返る。
槍衾を作る暇さえ与えられず、敵は背後から振り下ろされた槍によって蹂躙された。
立て直したとはいえ、側面の陣列は薄い。中央を切り裂かれ、そのまま左右へと押し流されていく敵兵に、初は目を瞬くことしかできなかった。
「あれは、もしや……」
潰走する堀内勢との戦いを切り上げた直定は、初の隣へ歩み寄った。初が歩けないとわかると、両腕で初の身体を抱き上げる。
普段ならば文句の一つも言うところだが、今の初にお姫様抱っこを拒否するだけ体力は残っていなかった。
日置川から舟を使って現れたらしい兵たちは、堀内勢と海生寺衆を追い立てる。
あれだけの敵兵を、一瞬で叩き潰したのだ。奇襲の効果があったとはいえ、相当な兵力に違いない。
敵兵をすっかりと追い払った男たちは、警戒する安宅家の兵たちを助け始めた。
傷ついた者たちを手当てし、担架で運んでいく男たち。
周囲に鋭い視線を向けていた直定は、こちらへと歩み寄ってくる人影に、視線を据えた。
「安宅大炊介様とお見受けする」
殷々と響く低音に、初は聞き覚えがあった。
七尺近い巨体。それだけで、一つの凶器になりそうなほど太い手足。
全身を黒い甲冑で覆った海生寺衆の棟梁──義房は、初を抱える直定を、その陰鬱な顔で見下ろした。
「いかにも。わしは安宅家嫡男、大炊介直定である。
海生寺衆を束ねる義房殿は、いかような訳があって、ここへ参られたのか?」
堂々と名乗り返した直定に、兜を脱いだ義房は、その場で平伏した。
巨体を折り、片膝をついて深々と頭を下げた義房は、底ごもる声で訴えた。
「此度の一件、我らの不始末にて。つきましては、安宅家の方々に海生寺までお越しいただきたく」
まるで裁可を待つ罪人のように、首をさらした義房を、初はぼんやりと見下ろした。
次回の更新は、11月30日です。
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