安宅館攻防戦5
今回は戦闘シーン多めのため、少々血生臭い描写があります。
苦手な方はご注意ください。
「我らはこのまま、姫様を連れて落ち延びまする」
初は一瞬、何を言われているのか理解できなかった。
「落ち延びるって……逃げるっていうか!?」
「大炊介様からのご指示です」
万が一、敵の大将首をとれなかった場合、初を連れて逃げる──直定は、戦の直前に密命を下した。
菊は、その命令を実行に移すという。
「堀内勢は、いまだ体勢を立て直せておりません。このまま敵の側面を突破し、日置川に飛び込めば、敵も追っては来れぬはず。今は夏ですから、水もそれほど冷たくは」
「だ、ダメだ! そんなことしたら、皆を見捨てることに……」
「姫様を、ここで死なせるわけにはまいりません」
菊は、断固とした口調で告げた。
夜叉丸たちを走らせ、薄くなった敵の包囲を攻め立てる。
岩太の背で呆然とする初の手を、菊は握った。
「ご安心を。姫様がおられる限り、安宅家が潰えることはありませぬ。初姫様さえ生きておられれば、我らは何度でも立ち上がれます」
固く握り締められた手に、初は何と答えればよかったのか。
喘ぐように漏らしかけた言葉を遮ったのは、亀次郎の叫びだった。
「逃げろ、岩太っ!」
慌てて振り返ろうとした岩太の身体が、ぐらりと傾く。
岩太の背にくくり付けられていた初は、いきなり地面に叩きつけられた衝撃で、一瞬、意識を失いかけた。
「ちょっ、いったい何が……」
間近から聞こえた呻き声に、初の心音が跳ね上がる。
今、初の身体は、倒れた岩太の下敷きになっている。
縛り付けられているせいで身動きが取れず、初の腕では岩太の身体を持ち上げることもできない。
「おい、どうしたんだ岩太!? いったい、何があった!?」
「姫様、そのまま動かないで!」
菊の声。他にも、夜叉丸たちの怒鳴る音だけが聞こえてくる。
どうにか状況を確認しようと首を捻った初は、目前に迫った刃に息を呑んだ。
血の付着した穂先。
槍を抱えたその男は、兜の下にある顔を、凄絶な形に吊り上げた。
「見つけたぞ。貴様が、安宅家の姫──」
こちらに手を伸ばそうとした男の目が見開かれる。
がくりと膝をついた男は、苦痛に歪む顔で背後を睨みつけた。
「貴様……どこからっ……」
男の脇腹に鎧通を刺し込んだウヌカルは、掴みかかろうとする相手の手を、逆に掴み返し、押し倒す。
もがく男の喉を一太刀で貫くと、ウヌカルは素早く周囲に目を配った。
「お前……なんでここに」
声をなくした初の目の前で、ウヌカルが消えた。
一瞬、そう錯覚するほどの早さでしゃがみ込んだウヌカルは、襲い掛かってきた相手の膝を、刀の柄で打ち抜いた。
体勢を崩した相手の下へと潜り込み、膝裏を掴んで持ち上げる。
突進の勢いのまま、くるりと一回転した男は、叩きつけられた痛みに、くぐもった声を上げた。
「このっ……小童風情が舐めた真似、を……」
立ち上がりかけた男の腰が抜ける。
呆然とその場に座り込んだ男の股から、おびただしい量の血液が流れだした。
太腿の内側にある太い血管を切り裂かれ、溢れた血液が、男の股を濡らしていく。
血を流し尽くし、ずるりと倒れ伏した男。
目を見開いたままの男の死に顔に、初は恐怖すら忘れて見入った。
刀を一振りし、刃に付着した血液を、着物の裾で拭う。初の存在に気付いたウヌカルは、その青い瞳で初を見下ろした。
うなじで一括りにされた白髪が、風に揺れる。雪のように白い肌が炎を照り返し、闇の中に痩身を浮かび上がらせる。
ウヌカルは、黙って視線を送る初に、小さく口元をほころばせた。
それはどこか困っているような、泣いているような、不思議な微笑みだった。
次回の更新は、11月27日です。
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