安宅館攻防戦4
「向こうの大将が、どこにいるかわかるかっ!?」
周囲は乱戦だ。あちこちで怒号が飛び交っている。
男たちに負けぬよう声を張り上げた初に、亀次郎が敵陣の一角を指さした。
「おそらく、あの堤の上!」
日置川沿いに建設された堤の上。
全軍が見渡せる位置に、一塊となった集団があった。
煌々と焚かれた篝火に、敵の旗印が浮かび上がっている。
この時代の兵たちは、総じて自儘だ。どれだけ監視しても、規律で縛り付けても、勝手な行動をとる者は後を絶たなかった。
夜間の航海に加えて、不慣れな土地での夜襲。
不平不満を漏らす兵たちを掌握するため、石垣又兵衛は自身の姿を暴露する方法を選んだ。
劣勢の安宅家が勝つためには、敵の大将を討つしかない。
敵の本陣まで、あと一町(約109メートル)。安宅勢は、俄然、勢いを増した。
中でも、先頭に立った信俊の働きは凄まじかった。
信俊が槍を繰り出すたび、敵兵が次々と斃れていく。周囲の郎党たちが危機に陥れば、すぐさま加勢して立て直し、敵が及び腰になったと見るや、怒涛の勢いで攻め立てる。
まるで砂山を崩すように、敵陣に穴を開けていく。
信俊の戦いぶりは、まさに鬼神の如しと、味方は大いに勇気づけられた。
「あいつ、あんなに強かったのか……」
「勘右衛門様の槍上手は、幼い頃から評判でしたからな」
飛んできた矢を払いながら、亀次郎は言った。
「今では、大八と伍するほどの実力者ですよ」
安宅家中、随一。熊野でも指折りの武芸者として知られる大八と五分ならば、相当の腕前である。
安宅勢は、信俊に引っ張られる形で、どんどんと敵本陣へ肉薄していく。
ただの飲んだくれではなかったのかと感心していた初は、ふと直定に視線を向けた。
兵たちは、目の前の敵と戦うことに必死だ。敵の本陣を間近に控えた今は、ただ前へ前へと進むことしか考えていない。
そんな一心不乱に戦い続ける兵たちを鼓舞しながらも、直定はしきりと周囲を見回していた。
どこか焦燥を帯びた横顔に初が気付けたのは、一人だけ戦いに参加していない余裕からだろう。そして、その余裕があればこそ、初は背後から起こった異変に、真っ先に気付くことができた。
「あ、兄上! 後ろっ!?」
泡をくった初は、背後を指さしながら叫んだ。
統制を乱した敵の右翼を押しのけるようにして、わらわらと兵が溢れてくる。
前に気を取られた安宅家の兵たちは、背後から迫る敵に追いすがられ、次の瞬間には斬り込まれていた。
「堀内家の援軍か!?」
「ありゃ海生寺の衆人ですよ、姫様! 奴ら、左翼の軍勢を隠れ蓑にして、後ろに回り込みやがった!」
苦々しげに告げた亀次郎は、夜叉丸たちを連れて、素早く初の背後を固める。
おそらく、堀内家の包囲が崩れるのを見た青峰は、自分たちだけで独自に行動を起こしたに違いない。安宅勢と戦う堀内家の背後を通り、こちらの後ろへと移動したのだ。
暗闇に紛れた衆人たちは、堀内家の兵が壁となって見えなかった。
直定が焦っていたのは、青峰の姿を確認できなかったからだろう。
前へ進むことだけを考えていた安宅勢に、背後からの攻撃を防ぐ余裕はない。
直定は、後列の兵に指示を出そうとしたが、それよりも海生寺の攻撃のほうが早かった。
「マズい、崩されるっ!」
亀次郎が、悲鳴じみた声を上げる。
背後から殴りつけられた安宅勢は、呆気にとられるほど脆かった。衆人たちが降り下ろした槍は、抵抗する間さえ与えず、後列の兵たちを叩き潰す。
一瞬にして半壊した味方の姿に、初はぞっと背筋を粟立たせた。
まるで、サメに食いつかれた獲物だ。尻尾を食い千切られた安宅勢は、見る見るうちに最初の勢いを失っていく。
周囲の猟師たちが矢を射かけるが、敵の足は止まらない。
わずか三十人ほどとはいえ、全員が鎧兜に身を包んだ海生寺衆は、現代の戦車さながらに安宅勢を踏み潰していった。
「お、おい。俺たちも後ろの援護に向かったほうが……」
「なりませぬ姫様」
岩太に後ろを向かせようとした初に、菊は言い放った。
底冷えのするような声だった。
「我らはこのまま、姫様を連れて落ち延びまする」
次回の更新は、11月24日です。
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