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 初は、不意に現れた老人に、茶碗を落としそうになった。


 一瞬、影が喋っているのかと思う。まるで澱みが黒く溜まって、人の形を成したようだ。しかし良く目を凝らせば、それが襤褸をまとった老人の姿だと気付く。


「いきなり現れるなよ、爺さん。びっくりするだろうが」

「ほっほっ、そりゃあ悪かったねぇ」


 悪びれた様子もなく、老人は小魚の干物を咀嚼する。枯れ木のような腕には、粗末な茶碗と箸が握られ、山盛りの飯とおかずの類が一揃い。


 いつの間にやら宴席に混じっていた老人は、がつがつと食事を平らげていく。


「何せこちとら、お天道様の下には滅多に出ないもんだから。普通に道を歩いてても、だぁれも気付いてくれなくってねぇ」


 不気味な声で笑う老人から、初は距離をとった。


 このあたりで、ひじりと呼ばれている老人だ。本当の名前は知らない。聞いてもはぐらかされるばかりで、まともに答えようとしない。だから誰もが、聖殿と呼び習わしている。


 いつも不意に現れては人に飯をたかり、また不意にいなくなる。


 初は内心ひそかに、こいつ妖怪なんじゃないかと疑っていた。


「姫様が安宅の至宝なれば、青涯殿は世の人々を潤す慈雨が如し。わしがこうして昼間っから呑んだくれていられるのも、青涯殿のお陰じゃ。感謝しても、しきれんわな」


 聖は、喜多七が注いでくれた酒を飲み干し、満足そうに息を吐いた。


 振る舞いは粗野な上に、人を食った物言いのせいで、どうにも掴みどころがない。見た目は小汚い上に、平気で猥談を飛ばすようなじじいなのだが、そのくせ妙に人懐っこいところがある。


 人の懐にひょいと飛び込み、それでいて憎まれないのは、一種の才能だろう。村人たちも、勝手に飲み食いを始めた聖を、いつものことと笑って受け止めていた。


「それに、阿波守あわのかみ様も偉い」


 聖は、口からぼろぼろと飯粒をこぼしながら言った。


「青涯殿の見識がいくら優れていようと、それを引き立てる者がなければ、宝の持ち腐れよ。阿波守様は、流浪の身であった青涯殿の話に耳を傾け、一寸も疑うことなく重用なされた。これぞまさに、先見の明というものよ」


「のう、姫様」と話を振られて、初は曖昧に微笑んだ。


 安定やすさだが有能な人物かどうかと聞かれても、答えようがない。そもそも話し合う機会が少ないので、判断のしようがなかった。


 いつも奥の間で何やら書き物をしたり、人と話し合ったりしているが、それもどういう内容なのか。何度か確かめようとしたこともあるが、この身体では遊んでいるだけだと思われて、いつも遠ざけられてしまう。


 初は、安定の目を思い出した。


 何を考えているのかわからない、あの瞳。あれで見つめられると、なんだか落ち着かない気分になる。


 基本的に親とのコミュニケーションは、口でダメなら拳で、という育ち方をしてきたので、ああいう腹の底が見えない相手は苦手だ。

 

 なんというかこう、子供とまともに向き合おうとしていないのではないか、という気がしてくる。

 殴り合おうにも、どこから襲い掛かってくるかわからないので、ちょっと怖い。


 それに、あの浪費癖だ。初は、腕を組んで唸った。


 結局あの日だけで、高価そうな着物を三着も仕立てることになった。小夜や華、侍女たちの分を含めれば、とんでもない額になる。


 現代では貧しいとは言わないまでも、ごくごく普通の庶民として育っただけに、あの金銭感覚はいただけない。

 それに初からすれば、見知らぬおっさんから、やたらと高い贈り物をされている状態だ。どうにも気味が悪かった。


 もしかして、物さえ与えておけばいいと思っている、ダメ親なのではあるまいか?


 そんな考えが、初の中に浮かんだ。


(だいたい、初めて生まれた女の子だから、初って。名前の付け方が、安直すぎるだろう?)


 あの人を親と呼んでいいものかどうか。初は、考え込んだ。


「聖様、聖様。わたし、聖様のお話が聞きたい!」


 村人の間を回って、酒をせがんでいた聖は、凛の声に「よしきた!」と膝を打った。


 杯を勢い良く呷り、背に負った布包みをはらりと開く。


 出てきたのは、幾枚かの紙の束だ。


 聖が、手近な岩場に腰掛けると、村の子供たちがわらわらと集まってきた。一人考え込んでいた初も、凛に手を引かれて子供たちの輪に加わった。


「さてさて、お前様方。もそっと前に詰めなされ。でなければ、後ろの子らが見えぬでな。そこな童、もっと頭を下げなされ。小さい子らが、見えぬ見えぬと喚いておる。歳をとったならば、その分だけ下の者、周りの者を気にかけねばなりませんぞ。物事の道理を弁えず、手前勝手な振る舞いばかりしていては、いつまで経っても功徳を積めぬ。人の恨みを買い、辛みを買い、やがては畜生道に落ちようぞ」


 子供相手に、やたらおどろおどろしい口上を述べた聖は、手にした紙束を掲げて見せた。


 紙には、地獄の一場面を写したらしい絵が描かれている。


 聖の仕事、と言っていいのか。この老人は、こうして子供相手に紙芝居を見せながら、各地を回っているらしい。本人によれば、これも説法の一種なのだとか。


 聖は、低めた声で紙芝居を語り始める。


 いつも粗暴に振る舞い、周囲に迷惑をかけていた男が、死の間際になって己の行いを後悔する。しかし、時すでに遅し。地獄に落とされた男は、鬼の獄卒たちから嬲り者にされ、酷い目に合わされる。


 別に、大仰な手振りがあるわけでも、巧みな弁舌で人を惹きつけるわけでもない。ただ淡々と地獄の有り様を語るだけだが、それがかえって子供たちには恐ろしい。


 聖が紙をめくるたび、子供たちの間から悲鳴が上がる。小さい子などは青褪めて、隣同士、手を繋いで震えていた。


「将軍様が、都へお戻りになったらしいな」

「商人共が噂しておった。実権のない、お飾りの将軍だと」

「ならば、やはり天下は三好殿のものか」


 子供たちが紙芝居に熱中する背後で、村人たちが噂する。


 初は、怖がる凛の手を握ってやりながら、ぼんやりとその話を聞いていた。


「畠山の殿様は、また逃げたらしいぞ。家臣に城を追われたという話じゃ」

「守護がその有様とは、情けない。やはり、畠山は頼りにならぬか」

「いやいや、なんでも三好と同盟するとか。今、堺で会盟がもたれていると」

「なんじゃい、また戦になるんか。あの殿様にも困ったもんじゃ」


 聖の語り口は熱を帯び、話は佳境に差し掛かる。


 ついに男は、熱く焼けた鉄製の臼に放り込まれた。鉄の杵で全身を挽肉にされ、鬼たちの手で丸めて餅にされた男は、最後は食われて鬼の糞に変わってしまう。


「おのおの方、ゆめゆめ忘れめされるな。どのような悪事も、お天道様は見ておられる。この世の報いは、巡り巡って必ずその身に返りまする。あの世で後悔したくないのなら、日々父母を敬い、周囲を敬い、信心して過ごしなされ」


 聖が、最後の一枚をめくり終える。


 紙束が風呂敷に仕舞われる間、集まった子供たちは、しん、と静まり返っていた。何がしかの魔力でも働いているのか、誰もその場を動こうとしない。


 紙芝居を片付け終えた聖は、気の抜けたような子供たちを見渡すと、歯の抜けた顔でにぃっと笑った。


「どうじゃ、おもしろかったろう?」


 誰かが洟をすする音がした。それが、きっかけだった。


 年少の子供たちが、火が点いたような勢いで泣き始める。それをあやす年長の者たちの中にも、ぐずっている者がいる始末だ。


「姫様、姫様」


 げらげらと笑う聖を、しらけた顔で見つめていた初は、袖を引かれて振り向いた。


「わたし、地獄に落とされちゃうの? 鬼に食べられちゃう?」

「おー、よしよし。大丈夫だぞ、凛。お前はいい子だから、地獄に落とされたりなんかしないぞぉ」

「ほんと?」

「ほんとほんと」


 目が見えないだけに、凛は想像力が豊かだ。聖の紙芝居を聞いて、まるで自分が主人公の男になったように錯覚したのだろう。


 あのじじい、後でため池に沈めてくれようか。


 初が、内心ひそかに聖への殺意を募らせていた時だった。


「た、たいへんじゃ!」


 広場に駆け込んでくるなり、男は地面にへたりこんだ。

 

 騒ぎを聞きつけた初が人込みを掻き分けると、男は村人に介抱されながら、息も絶え絶えな様子で柄杓に口をつけている。


 よほど急いできたのだろう。髪は緩み、顔も衣服も泥にまみれて、全身汗みずくだ。


 ほとんど浴びるようにして水を流し込んでいた男は、何とか息を整えると、かすれた声で告げた。


「な、寄舟よりふねじゃ……隣の浜に、寄舟が打ち上がった!」

次回からは、隔日投稿になります。

次の更新は、3月9日です。

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