安宅館攻防戦2
裏門から、塀を越えて、あるいは武家屋敷に潜伏した者たちが演じる初の影武者は、見事に堀内勢を混乱させていた。
この時代の軍勢というのは、基本的に様々な中小豪族の寄り合い所帯でしかない。
足軽などの下級兵士は、各武士が動員した者たちの寄せ集め。武士たちも顔見知り程度の関係で、周囲との連携など考慮されていない。
全員が独断専行を前提とし、各々が手柄を挙げようと勝手気ままに戦うのが、戦国の軍勢というものだ。
一応、軍監・目付といった統制役もいるにはいる。だが、それとて戦功の確認や軍律違反を監視するだけで、全軍を掌握するものではなかった。
影武者たちは、わざと堀内家の軍勢に見つかるよう、館の周囲を走り回っている。
暗闇の中では、一見してどれが本物かなどわからない。それでも万が一、本物を捕らえられれば、手柄は独り占めだ。
打算と欲得に突き動かされた兵たちは、それぞれに初や直定の影武者を追いかけ始める。
大将と思しき者が怒声を上げるが、持ち場を離れる者は後を絶たなかった。
もともと綻んでいた陣立てが、見る見るうちに砕けていく。
そこへ安宅家の攻撃が加わり、いまや堀内勢の戦列は四分五裂の状態となっていた。
「大炊介様! 大将首が見えましたぞっ!」
血気にはやった大八が咆哮する。
煌々と焚かれた篝火が、真っ赤に茹で上がった横顔を照らしている。
すでに抜き放たれた大太刀を掲げ、出陣の時を今か今かと待ち受けていた。
「ここにも、はしゃいでる爺が……」
「姫様、何か仰いましたかなっ!?」
暑苦しい大八をいなしつつ、初は自身の装束を確認した。
初が身に着けているのは、綿襖甲という布製の防具だった。
二枚の布の間に綿を挟み込んだ鎧の一種。日本では珍しいが、明国では身分の上下を問わず、広く使われている代物だった。
内側には、革製の小札(牛側などを張り合わせた装甲)が縫い付けられ、防御力もそれなりにある。さすがに鉄製の鎧には敵わないが、装甲が足りない分は機動力で補うことになっていた。
「……なあ、ほんとにやるのか?」
「これが一番確実ですので」
今宵、何度目かの確認を取る初に、菊は澄ました顔で答える。
小さい頃よりは大分とマシになったものの、初の身体はいまでも頑健とは言い難い。短い距離ならともかく、長く走り回るだけの体力は備わっていなかった。
目の前にしゃがみ込んだ巨体に、初は顔をしかめる。
こちらに背を向け、いつでも来いと待ち構えているのは、夜叉丸党が一人、岩太だった。
体力のない初が、大人の男たちの足について行くために、菊が用意した策がこれだった。ようは、初を岩太におんぶさせて、持ち運ぼうという算段である。
腹当に半首(額と頬を守る防具)を付けた亀次郎が、後ろで忍び笑いを漏らしている。振り返ると素知らぬ顔をするが、目を離すとまたくすくすと笑いだす。
さすがにこれはちょっと、とためらう初に、菊はてきぱきとたすきを掛け始めた。
「何してんの?」
「この者の背に、姫様をくくり付けます」
一瞬、耳を疑ったが、菊は岩太の背に初を押し付けると、本当に縛り付け始めた。
縄とたすきで固定し、最後に初の背を守るための板を取り付けた菊は、満足げな様子でうなずいた。
「これでよろしいかと」
「いやいやいやいや」
どう考えてもダメだろう。
明らかに“梱包”された初を見て、亀次郎などは地面にうずくまっている。懸命に口元を押さえてはいるが、小刻みに震える身体が、何よりも雄弁に今の初の状態を物語っていた。
周囲には、足軽胴を身に着けた夜叉丸たちが、護衛として集まっている。
陣笠を盾代わりに掲げ、短槍を手にした夜叉丸たちを侍らせると、意外に格好がついている気もするが、さすがにこの状態は人としてどうかと──
「い、行きます!」
「え、もう?」
がばっ、と立ち上がった岩太につられて、初は周囲を見回した。
視点が高くなったおかげで、まわりの様子が良く見える。
馬に乗った直定は、家臣たちへ指示を飛ばしながらも、静かに闘気を練っている。
普段とは違う厳めしい横顔が、ふと初と目が合った瞬間だけ緩む。
その顔がすぐさま逸らされるのを、初は見逃さなかった。
「あの、菊。お願いだから下ろして……」
「お前たち。くれぐれも、姫様にお怪我をさせぬよう」
「おうっ!」
「任しといてください!」
「夜叉丸! 手柄を立てたら、俺が次の棟梁……」
「かすり傷一つでもつけたら、許しませんからね?」
一瞬で静かになった夜叉丸たちに陣形を組ませ、菊は初の隣に寄り添った。
まだ震えている亀次郎が、反対側の守りを固める。
門前で鉄砲を構えていた女たちが、左右に割れた。
もはや総崩れとなった堀内勢に向けて、安宅家の軍勢が駆け出した。
次回の更新は、11月18日です。
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