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 清作せいさくは、百姓だった。


 一日の仕事を終え、そろそろ寝ようとかと思っていた矢先に、同じ村の五助ごすけが血相を変えて駆け込んできた。


青峰せいほう様が、強訴なされるぞ! 安宅家に乗り込んで、徳政を求めるそうじゃ!」


 突然の話に、清作は困惑した。


 前々から、海生寺の一部の僧侶と安宅家の折り合いが悪いという話は聞いていた。しかし、創建時から何くれとなく海生寺を助けてきた安宅家に対して、本当に事を起こすとは思っていなかった。


 ともかく状況を確かめよう。そう思い、清作は五助と共に、安宅館へやってきた。


 館の周辺には、同じく噂を聞き付けた領民たちがひしめいていた。

 皆、詳しい話は知らないらしい。

どうも青峰が館へ入り、安宅家の方々と談合しているらしいと、群衆の一人が囁いた。


「どうやら此度の強訴、青峰殿の独断らしい。古株のお坊様方には、黙って行われたようじゃ」

「では和尚様は、この一件を知らんのか?」

「おそらくな。青峰殿には、少々うぬぼれの強いところがある。大方、自分よりも人気のある初姫様に嫉妬して──」


 話し合っていたところに、突如として、槍を持った男たちが現れた。


 清作も、護身用の刀は身に着けているが、槍相手では分が悪い。敵が具足まで身に着けているとあっては、逃げ出すしかなかった。


「ありゃ、矢作やはぎ村の衆だのぅ」


 一緒に逃げ出した五助が、背後を振り返って言う。


 矢作村は、初姫様と縁が深い。初姫様が作る不思議な品々は、真っ先に矢作村に持ち込まれ、試されてから周囲の村々に広まっていくのが常だった。


 援軍に現れたらしい矢作衆は、集まった領民たちを追い散らすと、そのまま館の中に入っていった。

 入れ替わるように館から出てきた青峰は、そのままどこかへと去っていく。そして戻ってきたときには、見慣れぬ軍勢を連れていた。


「五助、見えるか?」

「ああ。遠目じゃが、あの旗印は堀内家に違いない。ざっと百、いや百五十人はおるな」


 日置川の河原に身を潜めた清作は、どういうことかと眉をひそめた。

 まさか、青峰は堀内家を引き込んだのか。


 海生寺と堀内家の確執は、熊野中の者たちが知っている。

 不倶戴天の間柄であるはずの両者が、手を結ぶなどありえない。


「あの坊様、いったい何を考えとるんじゃ?」


 青峰は、戻ってきた領民たちを堀内勢に合流させている。

 槍を持っているのは、海生寺の衆人どもか。

 

 有象無象を合わせれば、おそらく三百に足らぬ程度の人が集まっていた。


「おい。ちょっとそこどいてくれ」


 再び安宅館を取り囲み始めた軍勢を眺めていた清作は、背後から掛けられた声に振り返る。

 闇の中に、ぼうっと浮かび上がった人影に、すわ物の怪かと清作は震えあがった。


「そこにいられると館が見えん。悪いが、場所を開けてくれ」


 低く、くぐもった声に、清作と五助はぶんぶんと首を縦に振る。


 慌てて横にどいた清作の隣に、人影は音もなく膝をついた。


「どうやら、間に合ったようだの」

「急げよ。連絡された刻限まで、もう間がない」


 いつの間に現れたのか。別の人影は館の様子に目を凝らしながら、周囲に小声で指示を飛ばしている。


 気付けば、先ほどまで清作たちしかいなかったはずの河原に、いくつもの影が蠢ていた。


「お、おい清作。ここにいるのはまずい。早よう向こうへ……」


 清作の肩を掴んだ五助が、ぎょっと目を見開いた。

 先ほどまで固く閉ざされていた安宅館の門が、勢いよく開かれる。


 堀内勢が上げるどよめきの声に、影たちがまとう空気が、一瞬だけざわついた。


「はじまったか」

      








 館の門が開かれた瞬間。堀内家の軍勢は、いまだ陣形を整えているさなかだった。


 灯台もGPSも存在しないこの時代、舟を夜中に接舷させることは自殺行為である。

 堀内家がそれをやってのけられたのは、日置浦なればこそだった。


 安宅家と海生寺が、長年かけて行った浚渫しゅんせつ(川底や海底を掘る工事)による湊の拡張と、整備された桟橋と堤防。

 それだけの設備が整えられていても、関船を操る堀内勢は、死の恐怖と隣り合わせだった。


 船底を擦れば、舟が座礁する。万が一沈めば、真っ暗な海の底へひと呑みだ。

 必死に恐怖に耐え、どうにか舟を接舷できただけで、気力を使い果たしてしまった兵も少なくない。


 そうして、やっと一息ついたところで、本番はこれからだ。しかも、平城とはいえ城攻めを行うというのだから、堀内家の者たちが萎えてしまったのも仕方がない。


 今宵は館を取り囲むだけに留め、攻め込むのは明日になってから。

 そう考えていた兵たちの動きは、ひどく緩慢だった。

 そしてそれは攻め込まれた安宅家にとって、千載一遇の好機であった。


「放てーっ!」


 闇夜に、鋭い閃光がほとばしる。


 耳をつんざくような轟音は、それだけで人の感覚を麻痺させる。その音が、この時代を生きる者たちにとって、もっとも恐ろしいものとなればなおのこと。


「て、鉄砲じゃ! 奴ら、鉄砲を撃ってきよったぞ!?」

「音からして、十挺はある! 前列は総崩れじゃ!」

「わめくな! 早よう後詰を入れて対処せえ! 来るぞっ!」


 門の後ろで鉄砲を構えていたのは、安宅家の侍女たちだ。

 女たちは、銃口から陽炎を立ち昇らせる鉄砲を放り捨てると、それぞれ傍らに置いた、もう一挺を手にする。


 すでに玉込めを終えた鉄砲に、槍を構えようとした兵たちの表情が引きつる。


 再び撃ち放たれる鉄砲。


 ばたばたと倒れ、痛みに呻く堀内家の兵たちは、やがてはたりと首を傾げた。

 身体に激痛はあるが、動けぬほどではない。何より、撃たれた身体から血が流れていなかった。


「なんじゃ、この玉?」

「こりゃあ……もしかして塩か?」


 身体に着いた白い粉を舐めた兵が首を傾げる。

 次々と起き上がる兵たちに、堀内家の武士たちもまた困惑した。


 わざわざ門を開けて、塩を射ち込んでくるなど、目的がわからない。安宅家の者たちは、いったい何を考えているのか──


「押しだせぇっ!」

「「「おおっ!」」」


 悩む暇を与えず、門から数人の兵が駆け出した。

 今度こそ迎え撃とうとした堀内勢だが、またもや陣形が整うことはなかった。


 館の門より飛び出した兵たちは、それぞれに抱えた長い竹竿を、堀内勢に向けて突き出した。


 長槍かと身構える堀内勢に、竹竿の先がぴたりと据えられる。


 次の瞬間、竹竿の先から噴き出した炎の雨に、堀内勢は悲鳴を上げた。

次回の更新は、ちょっとお時間いただくかもしれません。


予定通りなら11月3日。遅くとも、一週間以内には、投稿いたします。

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