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支度3

 小夜の部屋へ赴くと、がっつり女装させられたウヌカルが、畳の上で縮こまっていた。


「やっぱり、私の目に狂いはなかったわ。見て、初。この子、こんなに綺麗になって」


 小夜が、うっとりとした表情で告げる。


 浅黄色の打掛に、白い髪を背中に流し、恥ずかしげにうつむく様は、立派な深窓の姫君である。頬を染め、目尻に涙を溜めながら、ふるふると震えている姿など、思わず生唾もので──


「──はっ」


 いかん。変な趣味に目覚めるところだった。


 とりあえず小夜には、別の生贄が必要だ。


 庭で商売を続けていた鹿野かのを呼びつけ、初は小夜の前に差し出した。


「母上。こいつはどうですか?」

「うーん、悪くはないんだけど。でも、この子を見ちゃった後だと、やっぱりねえ……」


 やはり大トロの後にめざしでは、物足りないか。

 だがその点については、初も考えてある。


「あのう、姫様? なんだか、もの凄く失礼なことを言われている気が……」

「母上、こいつ絵が描けるんですよ」

「まあ、このひと絵師なの? 狩野派(この時代の代表的な画家集団。襖絵などが有名)の方かしら?」


「なんでも、南蛮から来た絵師に習ったそうですよ? きっと母上が見たこともないような、珍しい絵が描けるはずです。母上も描いてもらっては?」

「それは面白そうね。それじゃあ一枚、お願いしようかしら」

「あの、誰か俺っちの話を聞いてくれませんかね? さっきからみんな、俺っちのこと無視して──」


 小夜とその侍女たちに引っ立てられ、鹿野が館の奥へと消えていく。


 ようやく小夜の魔の手から解放されたウヌカルは、初の胸に縋り付いた。

 小刻みに震える身体は、ウヌカルの恐怖を物語っている。

 慣れた人間でも厳しいのに、初対面で小夜の餌食になっては、トラウマになっても仕方がない。


(めちゃくちゃいい匂いしてんな、こいつ……)


 打掛に香が焚き染めてあるのか。襟元から漂う甘い匂いに、初は頭がくらくらした。


 小夜が帰って来ないうちにと、ウヌカルを元の格好に着替えさせる。

 男の姿に戻っても、美人度がまったく下がらない。


 これはたしかに、修行僧たちには目の毒だろうと、初は妙に納得した。


「……あれ? そういやなんで、ここにいるんだ? 堺の青海さんのとこに行ったはずだろ?」


 たしか堺の紀州屋本店で、丁稚奉公をしていたはずである。


 首を傾げる初に、たまたま仕事で安宅荘に帰ってきたところ、騒動に巻き込まれたのだとウヌカルは言った。

 どうやら青海と一緒に、商品を仕入れに来たところだったらしい。


 湊に堀内家の軍船が現れたため、青海は安宅家に危急を報せようと、ウヌカルを走らせた。

 その後、館近くで喜多七たちと合流し、現在に至る──


「それで、青海さんたちは大丈夫なのか? まさか堀内家の連中に捕まったなんてことは……」


 この時代の戦は、相手の領土を攻め獲るほかに、田畑の作物や、その土地に住む人間まで獲物にする。雑兵たちに捕まった人間は、そのまま奴隷として売り飛ばされるのが通例だ。


 ウヌカルは、青海たちは日置川上流の安居やすいまで逃れたから大丈夫だと請け合った。

 この暗がりの中、山や川をさかのぼるのは危険だ。朝まであれば、青海たちが安居の防備を固めるだろう。


 一先ずは安心と吐息した初は、廊下をこちらへと近づいてくる足音に顔を上げた。


「……なんじゃ、その女は?」


 具足姿の信俊のぶとしは、初の前に立ちはだかったウヌカルに眉根を寄せる。


 信俊を不審者と勘違いしたのだろう。警戒するウヌカルに「こいつは違うから」と、初はウヌカルの肩に手を置いた。


「青海殿のところで働いている丁稚ですよ。ほら、喜多七を館まで連れて来てくれたでしょう?」


 ああ──と納得顔になる信俊。だが、すぐに不審げな顔になって、


「……うん? 女子おなご?」


 さすが、女遊びに精を出しているだけあって鋭い。ウヌカルの性別を見破るとは、無駄に目が肥えている。


 密会と思われては厄介だ。

 片眉を上げる信俊に、「そ、それで!」と初は急いで話題を振った。


「兄上は、何か用事でも?」

「……ああ。出陣の前に、お方様に挨拶をと思ってな」


 いまだ不信感の抜けぬ顔で、信俊は部屋の中を見回す。


 小夜なら、奥で絵師に肖像画を描かせていると教えると、信俊は苦り切った顔になった。


「あの方ときたら……どうしてこう緊張感がないのか」


 今更の話である。だが、とうに諦めている初と違い、信俊には思うところがあるらしい。


(庶子、か……)


 つまり、安定の正妻である小夜以外の女性が産んだ子供。それが信俊だ。


 別に、珍しい話ではない。

 身代の大小、身分の貴賤を問わず、甲斐性のある男が、複数の女性を娶るのは普通の時代だ。戦乱が続く世の中では、各家が生き残りを図るためにも、婚姻関係はより重要になってくる。


 畿内でも有数の富貴を誇る安宅家には、そうした申し出がいくつもあると聞いている。

 嫡男の直定などは、華が病弱なこともあって、すでに後添えをどうするか? などと噂し合う者も少なくない。

 そうした話を耳にするたび、直定が不機嫌になるのを、初は頻繁に目撃している。


「お家存亡の危機だというのに、肖像画などと。まったくけしからん!」と、奉公人たちに気炎を吐く信俊を、初は見上げた。


 幼い頃は、それなりに仲良くしていたような記憶がある。

 そもそも安宅家の四兄妹は、皆、分け隔てなく育てられていた。信俊が庶子であること自体、割と最近まで初が知らなかったほどである。


(まあ、俺が家の事情に興味なかったのもあるけど……)


 それを抜きにしても、信俊が家中で差別されている様子を、初は見たことがなかった。安定も小夜も、本当の我が子のように信俊には接していた。


 いつの頃からか荒み、夜な夜な遊び歩くようになっても、二人の態度が変わることはなかった──


「あの……兄上」


 信俊は、イライラと初を振り返る。

 その胡乱気な眼差しに怯みかけ、初は腹の底に力を入れた。


「さきほどは、その……私を庇っていただいて」

「別に、お前のためではない」


 撥ね付けるような口調。


「すべては安宅家の体面を保つためだ。あの坊主の要求通りお前を渡していれば、我らは笑いものじゃ。他家からも侮られ、熊野での立場を危うくすることにもなりかねん」


 信俊は、強い怒りのこもった眼差しで、初を見据えた。


「此度の戦は、半ば貴様が引き起こしたものじゃ。女のお前がしゃしゃり出たせいで、青峰は道を踏み外した。貴様がおらねば、このような事態にはならなかったのじゃ」


 初は、反論することができなかった。信俊が発する憎悪は、初の手足を縫いとめ、身動ぎ一つできぬほど、固く初の全身を戒めた。


「貴様は我が家の疫病神じゃ。堀内家に押し付ければ、すべて丸く収まると思うておったのに。惜しい限りじゃ」


 小夜の居所を見つけた奉公人が駆け付けてくる。


 鎧を鳴らし、足音高く去っていく信俊の背を、初は無言のまま見送った。

次回の更新は、10月31日です。


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