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支度2

「ほ、惚れてるって……」

「あれは、姫様が村を訪れるようになって、一月ほど経った頃でしたかな。山中の小川から水を汲んだ帰りのこと。

 どうにも膝が痛とうなって、儂は道端に座り込んでおりました。そこへやってきた初姫様は、儂の膝を擦ってくださったんじゃ」


 そのときの情景を思い出してか、喜多七は遠い目をして、虚空を見上げた。


「儂の足を揉み解しながら、姫様はこう言ってくださった──こんな険しい道を裸足で歩いて、傷一つ負わないとは。あんたは、よほどの働き者に違いない、と」


 たしかに、そんなことがあったような気がする。


 山道は滑りやすいので、喜多七はいつも裸足で山中を歩いていた。そのせいか、足の裏がゴムみたいに硬く、弾力のある手触りをしていて、驚いた記憶がある。


「儂は、それが嬉しゅうて嬉しゅうて……こんな老いぼれの足に触れて下さったのみならず、姫様は褒めてくださいました。これで惚れぬ男など、この世にはいますまいて」

「そうじゃそうじゃ。初姫様は、実にあくどい。櫓を漕ぐわしの手を見て、立派な肉刺まめだなと笑ろうてくだされたのは、後にも先に姫様だけですわい」

「鍜治場、来る。姫、私たちの仕事、褒める。嬉しい」

「異人まで骨抜きにしてしまわれるのだから、初姫様は、まっこと悪女の鑑ですわい!」


 大笑いする喜多七たちに、初は憮然とした。


「別に、そういうつもりじゃ……」

「わかっておりますとも。これは儂らが勝手に舞い上がって、勝手に姫様をお慕い申し上げているだけのこと。

 姫様は、儂らのことなど何もお気になさらず、ただお心のままに生きなされば良い。儂らは、そんな姫様のお姿を目にしているだけで、救われるのですから」


 からからと笑う喜多七たちに、初はなんと答えればいいのかわからなかった。

      







 くりやを訪れた初は、小さな人影にしがみ付かれた。


「姫様!」

「こら、凜ちゃん! 姫様に失礼でしょう!」


 握り飯を作っていた沙希が、初に抱き着いた凜をたしなめる。


 蜘蛛丸は、仕事で日置浦に滞在していたらしく、逗留先には凜も伴っていた。そこへ堀内家の軍勢が攻めてきたため、凜を連れて慌てて館にやってきのだ。


 沙希のお姉さんぶったもの言いに、初は思わずくすりと笑う。

 いつもは、自分のほうが構って欲しがるくせに。凛の前では威厳を見せようと、ことさらに年上ぶって見せるのだ。


 周囲の笑いに気付いた沙希が、頬を赤くしながら膨れる。

 初に抱き着いたままの凜の手を取り、「ほら、お仕事だよ凜ちゃん」と、調理台のほうに引っ張っていった。


「握り飯か。私も手伝おう」


 戦の前には、腹ごしらえが重要だ。厨では、料理人と女たちが総出で米を炊き、次々と握り飯を量産していた。


 館の南側には、家臣たちの屋敷が集中している。

 そこから避難してきた家臣の妻たちや侍女に混じり、初は手早く米を握っていった。


「塩は多めにきかせとけ。あと、梅干しがあれば、包丁で細かく叩いて飯に混ぜるんだ。夏場は、食あたりが何よりも怖いからな!」


 女たちに指示を出すのも、初の仕事だ。

 本当は、小夜か華がやるべきなのだが、華は身体が弱いし、小夜は今頃ウヌカルに夢中だろう。


 そろそろ助けに行ってやるべきかと思案する初に、「あのっ」と、隣にいた凜が話しかけてきた。


「あの、姫様。姫様も、戦に行かれるのですか?」


 見えていないはずの瞳が、真っ直ぐに初を見上げてくる。手にいくつもの米粒をくっ付けた凜の声は、いつになく真剣な調子だった。


 向かい側で、沙希が小さく肩を揺らした。米を握る手を止め、不安げな面持ちで、こちらを見つめてくる。

 気付けば、他の女たちの手も止まっている。


 初は、出来上がった握り飯を調理台の上に置き、凜の手を拭ったやった。


「……外の連中の目的は、どうやら私みたいでな。私が出ないと、収まりがつかんのだよ」


 それに今回の作戦で、初は重要な役どころを任されている。


 戦に勝ち、今宵の騒動を収めるためにも、初は出陣する必要があった。


「だったら、凛も一緒に戦います! 姫様のお傍で、姫様を守ります!」


 凜は、小さな両手を握り締めて訴えた。


「小さいとき、姫様は村の子に虐められていた私を助けて下さいました。ととさまの仕事が汚い。私を賎民の子だって言ってた子たちを、叱りつけてくれたんです」


 矢作村を訪れ始めた頃。ガキ大将の幸吉たちが、凜を虐めている場面に出くわしたことがある。


 この時代、動物を殺す猟師などの職業は、賎業として忌避される傾向があった。蜘蛛丸の子で、目の見えない凜などは、かっこうの獲物だったのだろう。


 そういう卑怯な行いが大嫌いだった初は、すぐさま幸吉たちに飛び掛かった。一緒に連れていた亀次郎かめじろう六郎ろくろうを使い、幸吉たちをぼこぼこにした。


 凜が言っているのは、おそらくその時の話だろう。


「お前たち農民が畑に撒く骨や、鎧や足袋の底に張る革を獲ってきてくれるのは、私の父さまなんだって。そんな大事な仕事をしている父さまを馬鹿にするやつは、ろくな大人にならない。幼い女の子を虐める奴は、地獄に落ちるって。

 私、そのとき決めたんです。私の命は、姫様のために使おうって。だから姫様が戦うんだったら、私も一緒に行きます!」

「わ、私も! 私も一緒に戦いまする!」


 凛に続いて、沙希も名乗りを上げた。


「姫様は、凜ちゃんを守ってやれと私に言いました。だから、私が姫様と凛ちゃんを守ります!」

「なら、私は沙希姉さまを守ります!」

「凛ちゃんは、まだ小っちゃいんだから。私の後ろに隠れてなきゃダメだよ!」

「大丈夫です! 私も父さまに弓を習いましたから。それで二人をお守りできます!」


 私が私がと意地を張り合う二人に、初は声を上げて笑った。

 厨にいる女たちも、皆、おかしそうに笑い転げる。


 周囲の反応に目を丸くする凜たちに、初は語りかけた。


「ありがとうな、沙希、凜。気持ちは嬉しいけど、お前たち二人を連れて行くわけにはいかないんだ」


 二人は、まだ幼い。十二になる初でさえ、戦について行けるかどうかわからないのだ。沙希たちでは、途中で足手まといになる可能性が高い。


 そのとき、二人を助けてやることは、たぶん初にはできないだろう。


「お前たちは、この館の留守を守ってくれ。ここには戦えない者たちや、小さな子供たちが集まっている。沙希と凛は、そんな弱い者たちを守ってやるんだ」


 頭を撫でるが、二人は納得しない。うつむいて、不服そうに頬を膨らませている。


「大丈夫だよ。姫様には、あたしたちがついてるんだ。何にも心配することなんてないよ!」

「そうそう。男共は頼りにならないが、うちらがいれば百人力さ!」


 戦力が足りないため、家臣の妻たちを中心に、館に集まった女たちも、今回の戦に加わる。

 皆、普段から武術の鍛錬をしているし、実戦を経験した者も少なくない。

 大八などは、男より女のほうが頼りになると言っているくらいだ。


「いやいや、あいつらもなかなかのもんだぞ? 先ほど集まってきた男衆に会って来たが、やつら私に惚れていると言ってきてな。私のためには、命も捨てる覚悟だそうだ」

「まあ、なんて恐れ多い!」

「そんな不届きなことを申して。罰が当たりますよ」

「まあ、でも気持ちはわかるねぇ。姫様の女振りときたら、惚れ惚れするくらい見事なんだもの。この間の大猪を仕留めた時なんか、こんなおばさんでも、思わず胸がときめいちまったよ」

「勘弁してくれ。これ以上は多すぎて、相手できんぞ」


 おどけて見せる初に、厨は笑いに包まれた。

次回の更新は、10月28日です。


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