ダイアモンド
パタパタと階段を駆け下りる音。小さな子どもがご飯を食べるのを手伝っていた俺は、そちらに目を向ける。
電灯の光を浴びて薄っすら光沢を見せる柔らかな白髪は、今は2つの緩い三つ編みで束ねられている。革製のロングブーツを履き、淡いピンクのフレアスカートをベルトで締め、そのベルトには何本かナイフが装備されていた。
「……おとうさん、こんな感じでいいの?」
随分と小さな声だ。それでも透き通っていて綺麗だが、少し舌足らずな口調。
「充分だよ。……ああ、そうだ。これを着ていきなさい」
話しかけられた店主が、黒く長いクロークを彼女に渡した。膝下まであり、前の開いているタイプの代物だ。
少女は受け取ると、嬉しそうに笑って「ありがとう」と言い、荷物を取ってくると2階にまた駆け上がっていった。
少女らしい、可愛らしい笑顔だ。
ふと、昔のユーカの笑顔を思い出し、頭から振り払った。
「……クライアント様、少し、彼女について話させていただいてもよろしいですか」
「ああ、はい。お願いします」
長く育ててきたのだ。彼女のことなら聞いておいた方がいいだろう。
「まず、あの子の名前はキョウといいます。今年で16歳。見ていただいたとおり、普段はほぼ人間と同じ姿です」
「……ということは、姿が変わるんですか?」
「ええ。本人の意思で精霊の方に意識を傾ければ、猫の亜人に近い姿になります。それから……」
店主はしばしの間黙った。
「……それから?」
「キョウは、少し面倒な体質でして……」
と店主は、近くの壁際にあった棚からいくつかの薬瓶を持ってきて、こちらに手渡した。その中には吸入器も混じっていた。
「これは?」
「免疫を高める薬と、咳止め、頭痛薬、酔い止め、整腸剤、それから喘息の吸入器です。……お気付きかと思いますが、キョウは、なんというか身体がかなり弱く――」
そこまで言って、店主は、ああ、忘れていた、ともう一つ薬瓶を取った。
「精神安定剤です」
「精神安定剤?」
どうしてこんなもの。身体が弱いこととは関係の無さそうなその薬瓶を見つめて訊き返すと、店主が口を開く前にキョウが降りてきた。
クロークに足を取られそうになりながら階段を下りてきたキョウの耳に、ふとキラリと光る白い石を見つけた。3つほどの石がカチカチと鳴り合っているそれは、どうやらダイアモンドの粒のようだ。
……捨て子の身のはずの彼女が、どうしてそんなものを?
捨て子でなくても、普通の16の少女にダイアモンドのピアスなどかなり高価だ。しかも3粒が連なった上品なもので、上層区の婦人が着けているのを見たことがあるくらいだ。
キョウは、肩掛けのバッグの紐ををクロークの下で弄りながら、おずおずと傍まで寄ってきた。
「……あの」
ぺこり、と頭を下げる。
「よろしくおねがいします」
……礼儀正しい子だ。
「よろしくな、キョウ」
受け取った薬瓶を鞄にしまってから頭を撫でてやると、キョウは気持ち良さそうに目を細めて笑った。
かくして、ユーカとの『時間』を取り戻すための、俺とキョウの仮契約が成立し、俺たちは共に旅する仲間となった。
……そうは言ったものの、時間泥棒の居場所など心当たりはないし、見当もつかない。
開始早々、行き詰まりである。
「……なあ、そういやおまえ、時間泥棒って知ってるか?」
何も説明をしていなかったなと思い訊くと、少し後ろをとぼとぼと歩いていたキョウは案の定、「えーっと……」と少し悩む。
「時間の……泥棒さん?」
知らなさそうだ。
俺が簡単に時間泥棒と、俺の目的、その目的に至ったまでの経緯を説明すると、なかなか理解が早いらしく、キョウはこくんと頷いた。
「えっと、つまり……その、契約精霊さんを助けるために、わたしと仮の契約を結んだってことですか……?」
「ああ。もともと俺たちは何でも屋みたいなので稼いでたんだが、だいたいはユーカの魔法に頼ってたから……。俺自体は、かなり非力なんだよ」
田舎、それも山ゆえか、魔物退治の依頼が多かった。さすがに魔物と素手で戦うことはできない。
まさか、普段戦闘を任せていたユーカを助けるために戦うなんて、思ってもみなかった。
「で、でも、わたし……あんまり、強くないと思います……。身体も、弱いから……」
キョウは自信なさげに俯いた。どうやら、自らの虚弱体質を気にしているようだった。
「大丈夫だって。戦力増強のために契約しただけだから。任せきりにはしない」
わしわしと頭を撫でてやる。キョウは、先程と同じく目を細めて気持ちよさそうにした。猫の精霊だと言うから、若干猫っぽさがある。
「わ、わかりました。がんばります」
「おう、がんばれ」
良い子だなあ。捨て子特有の幸薄そうな雰囲気も無いし、この子かなり良い精霊なんじゃないか。
そんなことを考えてふと、彼女のピアスが目に留まった。
「……なあ、そのピアス、貰ったの?」
そう、興味本位で訊いてみると、キョウはビクリと肩を揺らした後、「これですか?」と3粒のダイアモンドを弄った。
「そう、それ。高いやつじゃないの?」
「えっと……よくわかりません。拾われたときに、わたしと一緒に置いてあったって……」
つまり、彼女を捨てるときに渡したということか? 彼女の家は、上層区の家柄だったのだろうか。
悶々と答えの出ないことを考えていると、「これも、一緒に」と彼女がナイフを鞘から抜いた。それを見て、俺は思わず瞠目した。
ナイフのブレード――本来は鉄製が多いその部分が、すべてダイアモンドでできていた。
白い輝きを放つ鉱石は鋭利に加工されており、美しい刃物となっている。
一体何カラットのダイアモンドを使えばあんなナイフが作れるんだ? 彼女が腰につけているナイフは……5本。それすべてがこんなものだと思うと、俺なんかが彼女と契約してよかったのだろうかという思いに駆られた。
「あの……?」
「あ、ああごめん……ちょっと、びっくりした……」
眩暈を抑えるように額に手を当てていると、きょとんとしていた彼女は、ゆっくりと微笑んだ。
「わたしも……びっくりしました。おとうさんも、びっくりしたって言ってました。それで、わたし、そのときにおとうさんに、『これを売って』っておねがいしたんです。育ててもらうお礼に……。そしたらおとうさん、『これはキョウのものだから、キョウが大事に持っていなさい』って言ってくれたんです」
なんていい人なんだ、あの店主。嬉しそうに話すキョウに激しく同意する。
これだけの量のダイアモンドなら、売れば少なくとも一生生活には困らないだろう。
「なので、はい」
「……は?」
キョウがナイフを差し出したのを見て、差し出された俺は咄嗟に変な声を上げた。
「いえ、これからしばらくご一緒しますので、そのお礼にと……」
「いや、いやいやいや、キョウのだろ!? さすがにいらねえって」
今の話の流れで渡すか? それで受け取ったら俺、めっちゃ貪欲な奴みたいじゃねえか。もちろん受け取るつもりなど微塵もないが。
「……ほんとですか?」
案の定、俺が頷くとキョウは嬉しそうにナイフを鞘に収めた。
受け取らなくてよかった……。
「……まあ、とにかく情報収集からかなって。中心街で聞き込みでもしようかと思うんだけど、どう思う?」
そう、意見を求めると、キョウはうーん……と考え込んだ。
「その、時間泥棒さんって……中心街でも、よく起こる話なんですか?」
「え? うーん、まあ……都市伝説化してるくらいだから、何回かは起こってると思うけど」
「でしたら、情報屋さんとか、お店の人に聞くのがいいと思います。おとうさんもよく、街の人からいろんな噂話を聞いてるので……」
なるほど。利口な子だ。頭を撫でてやると、嬉しそうに微笑んだ。
こうして俺とキョウの、『時間泥棒を探す旅』が、幕を開けたのだった。
前回評価してくださった方、ありがとうございました!