009 テロとリベンジ
◆□◆009―A <人災>
ジョギングしてきてテンションの上がっている亜咲実は、玉杓子とフライパンをガンガン打ち鳴らしてみんなを叩き起こす。
朝食を作ったわけでもないのに、調理器具を手にした理由がわからないが、とにかく亜咲実の中では緊急事態なのだろう。
髪を解く間も、歯を磨く間も、顔を洗う間も与えず亜咲実はみんなを座らせて、自分の見た謎の車のことを語った。
その発表は一定の衝撃を与えた。
「ウチら公安にマークされとるいうこと?」
喜久恵は怯えた。
「それはまだ分からねえ」
蔵人は答えた。
「たんぽぽがたまたま怪しいと思って<追跡>した車が公安警察官の乗る車両だったってだけで、何をしていたかなんて知るよしもねえしな」
「でも、ウチが桑畑をぶっ飛ばしたことがバレて、捕まえに来たんやなかろうか」
「まあ、それだったら動く人間が違うなー。公安の仕事は、簡単にいえばテロ防止・・・」
そこで蔵人はハッとした表情を浮かべた。
「なあ、リア。今朝までに、テロ予告とか大規模な組織的事件が起きてんじゃねえか?」
<バビロン>がいくつかのニュースや書き込みを見つける。
「にゃあ様、あるよ。都内で3件、北海道と大阪で1件ずつ。テロの可能性も視野に入れて捜査するって。そのうち1件が『我々は異世界からの<帰還者>だ』って名乗ってる。書き込みにも異世界帰還ってワードが増えてきてる」
「ボクと姉ちゃんが検索したときは、まだ6件しかなかったのにね」
空慈雷が自分のスマホでも検索する。
「あちゃー。ATM爆破してる。連休前に金をおろすの忘れたんだろうなー。だけど、こんなんやって声明とか出しちゃ<帰還者>の印象悪くなりますよね」
「リアを襲った桑畑の例もある。全国に<帰還者>がいるとみて、調査を始めたってところか。よかったな、表札、表に出す前で」
「せっかく早起きして書いたのにさー」
亜咲実は蔵人の言葉に頬を膨らませる。
「あ、くぅちゃん、見て見て」
「何、姉ちゃん」
「神ドローンの人、続き書いてるよ。ほら」
依月風が自分のスマホ画面を見せる。
最初の6件の「#異世界」の記事の中に、たしかそんなことを書いた文があったのを空慈雷は思い出す。
「何これ。盗撮ばっかじゃん。アレ、これもしかして、あざみさん?」
「ハア!? アタシ?」
亜咲実が驚いてスマホを覗き込む。
「最強神ドローン、えろケツ女に見破られる?
えろケツ露出女、アウトレットモールを徘徊?
神ドローン、えろケツ女にたたきつぶされる?
三十秒の機能停止の間に、えろケツ女は逃走?
えろケツ女はえろ乳首だったが、撮影に失敗?
くぬー! こんなもの叩き壊してやる!」
「あざみさん! それ姉ちゃんのスマホ!」
振り上げた亜咲実の手を、空慈雷はなんとか制する。
「アタシを形容するのに『えろ』しか使ってない! 美人JDとか、パーフェクトボディとか他になかったんか!」
「怒るとこ、そこ!?」
「コイツ童貞だわ! 絶対! こんなん見たけりゃ見られるとこざらにあんでしょ。ご丁寧にケツのアップばっか撮りやがって!」
「いいから<紅颯>しまって! 姉ちゃんもスマホ隠して」
「ちょっと待て」
蔵人が言った。
「おめぇ、たしか金色の蚊って言ってなかったか? そいつがこの神ドローンってヤツだとしたら、おめぇは<擬神化>したドローンを素手で叩き潰したってことになるんじゃねえか?」
「あ」
「<デモン>さえ手で叩き潰せるってことか」
この仮説に座はざわめいた。
「<擬神化>はチョキやないの? なんで包んで勝てるん?」
「そんな問題? 手で叩いたら機能停止とか! 弱々じゃん!」
「神ドローンが弱々だっただけじゃないんですか? 蚊だし」
「さすがに<紅颯>を叩きに近付く勇気はないな」
「<紅颯>叩いたらアタシが許さん」
「<バビロン>叩いて壊したら嫌だしなー」
「やめてよ、にゃあ様。<バビロン>叩いたら、にゃあ様だって許さない!」
「じゃあ、必然的に<宗麟>か<道雪>ってことになりますよね」
蔵人が<アンサイジング>すると、ワニもピラニアも叩かれるのが分かっているのか、どことなく嫌そうな顔をしているように見える。
「<道雪>よね。釣り興味ないし」
「いや、あざみさん。<宗麟>の方が、あんまり使い道なくないですか? 長距離移動できるなら別だけど」
「機能停止してるのがわかりやすい方がいいだろ」
そう言うと蔵人は<道雪>を持ち上げた。
「おいらはコイツでダウジングができる。ドリィとレンとリアで相談して何か隠してきてくれ」
3人でわいわい言いながら何を隠すか相談している。
「いや、コレはダメやて。あかんて」
「まあまあまあ」
「大丈夫大丈夫大丈夫ー!」
「全然大丈夫やあらへんし、ほなうち隠すわ」
「いいよー、おっけーい」
3人は座り直してから合図を出した。
「何を隠したんだ」
花純美がにこにこしながら答える。
「レンちゃんのパンツパンツー!」
その瞬間、<道雪>がトイレに向かって揺れ始めた。
「アカンて! ホンマにアカンて」
「今だ、たんぽぽ。竿を叩け」
パシっと柏手を打つように亜咲実が手で竿を叩く。<道雪>が光の粒に分解されていく。一度完全に消えてしまってから、再び蔵人の手の中で再構築されていく。
たしかに再構築されていく間は、ダウジングできない。その時間が約30秒ということか。
「あれ? さっきと違うとこに揺れていますね」
薫樹は針の揺れの変化に気付いた。
「レン、みんなが竿に注目している間に取りに行って、後ろ手に隠し持ってるだろー」
「こ、今度は<宗麟>で検証せえへん? ほら、たまたまかも知れへんやん。な、な」
「仕方ねぇなぁ。じゃあ<宗麟>使ってやってみるかー」
喜久恵はホッと胸を撫で下ろす。
亜咲実が器用に踏むと<宗麟>が立ち上がる。
スパンと小気味よい音を響かせて蔵人が<宗麟>を手で叩いた。
「ハギ! カウント!」
薫樹は異世界でも、敵の攻撃間隔やスキルのクールタイムを計測する役目を負っていた。当然のように秒数を測っている。
「・・・29、30。やはり再構築完了まで30秒ってところです」
「あなたたちが何をしているか、さっぱりわからない。楽しいの?」
依月風は聞いた。
「これから楽しくなるってところですかね」
蔵人は笑った。
「何か分かったの?」
「ハギもこの現象を<再構築>と呼んだ。おいらもそう呼びたい。だが、神ドローンを操る人物は<機能停止>と呼んだ。つまり、その人物は、<再構築>を直接見られる場所にはいなかった。もっと言うならばたんぽぽの顔をしっかり認識できる所にはいなかった」
「それって何か得なの?」
今度は亜咲実が答えた。
「アタシの方が一方的に犯人の顔を見てリベンジできるってことだよ、イルカちゃん」
◆□◆009―B 接触
古い建物の一室。その隅の隅のソファに蔵人は座った。
「あれから、もう10年になるね。最後の最後まで裁判で争った仲間は、ついに県外で勤めることになったよ。完全な勝利とはほど遠いものだ。申し訳ないね」
相手の男性はそう言った。
「先輩のせいではありません。僕はむしろ感謝をしています。長年のご支援ありがとうございます」
「佐治君。キミはこちらでまたがんばる気はもうないのかい」
先輩と呼ばれた男性は身なりのいい服装をしていた。誰かのために働いているという使命感めいたものが、彼を精力的にすら感じさせた。
蔵人は己を振り返った。彼とはもう歩む道が違うことを確信していた。首を力なく横に振る。
「公益性を損ないます」
「あれは不当な裁判だった! 君にふさわしい言葉ではない! 我々は、差し戻し請求を今でも続けている」
蔵人は頭を下げた。そして封筒を差し出した。
「コレ、少ないですが、陣中見舞いということで」
「君から受け取るわけにはいかない」
先輩は断った。形だけの断りなのは蔵人も承知だ。改めて差し出す。
「先輩、昨日今日で奇妙な事件が頻発しています。ご存知ですか」
先輩は一礼して封筒を受け取る。
「いや、知らんが。何か力になれるかな」
「いえ。先輩は公安の人と繋がりがありますよね」
「親しくはない。顔を知っている程度だ」
「僕の周りで公安がうろついています。おそらく、情報が欲しいんです。多分僕なら力になれる。もし、先輩に相談に来た時は、僕を紹介してほしい」
ハッと気付いて封筒の裏を見ると、住所と名前が書いてある。
「やはり、君を在野に放っておくことこそ公益性を損なうというものだと私は思うよ。佐治君」
「買いかぶりですよ、先輩。それ、決して積極的に公安に協力したいわけではありません。先輩の有利に働くタイミングで開示してください。僕はこれで」
蔵人は古い建物を出て、喜久恵の待つ車に乗り込んだ。
「お別れした?」
「節目だ。ちょうどよかった」
細い坂道を下りて、そろりそろりと本線に出る。2人を乗せた車は力強く加速していく。
【ドロップアウトスターズ】は3つのチームに分かれた。ひとつは蔵人と喜久恵のチーム。もうひとつは亜咲実と依月風と薫樹。あとは、<落星舎>でカードづくりだ。
「ねえねえねえ。わたしさ、することないわけよ。見えないもん。あなたたちが言ってるもの全部! カードは見えるわ。でも、何ごっこ? その後がさっぱり何やってるか分かんない。もうわたしお家帰ろうかなー」
後部座席から依月風が身を乗り出してくる。
「車は<落星舎>にあるんだから帰れないでしょ。何? イルカちゃん、かまちょりあん? スタカフェでマンゴープリンホイップフラペチーノおごってんだから、少しは協力してよ」
「で、何を協力すればいいの?」
「イルカちゃんは、ハギパパとイチャイチャしながらあの部屋から出てくるクソ野郎がいないか張り込むの。そして、出てきたらアタシを呼ぶ。おけ?」
薫樹はそれを聞いて目を丸くした。
「ああ、ボクはそういう役目だったんですね。ドライブに付き合ってっていうから、ただの運転手かと」
「ちょっと待って。そのクソ野郎ってすぐ出てくるの? わたし、結構敏感だから焦らされるのまずいんですけど」
「ホントにイチャイチャする気だったのかよ、イルカちゃん。まあ、心配ないわ。コレで突き止めたんだから、釣るのもコレ使うわ」
亜咲実はスマホを振ってみせながら、助手席を下りた。
亜咲実が見えなくなってから、依月風はそそくさと助手席に座る。
数分は沈黙が続いたが、依月風の方から話しかけた。
「わたしね、高校出るまでは清楚キャラやってたんだけどさ、反動? ちょっとビッチキャラ入ってさ。でも、真面目に恋愛もするんだよ? ハギさん、今付き合ってる人とかいる?」
「それは内緒ということで」
「ねねね、わたしと付き合ってみちゃったりなんかしてみる? 1週間でどっちが先に真剣になるかゲーム。先に相手に告白させたら勝ち」
薫樹は依月風の目を見る。そして、にっこりと微笑む。
「やめときます」
「ショック。なに、顔がくぅちゃんだから? ブスですいません」
「いえいえ、この勝負、僕には分が悪い」
そういうと依月風の遠い方の頬に薫樹は右手で触れる。
すっと引き寄せる。
視線が絡む。顔が近付く。
「ん」
依月風が目を閉じる。
「あざみちゃん。クソ野郎が家を出ました」
「え?」
「自転車です。肩先に金の蚊もいます」
依月風の左耳にハメたBluetoothイヤホンで、亜咲実に話しかけたのだ。
(ありがと、ハギパパ)
亜咲実の返事が聴こえる。
ゆっくり薫樹は依月風から顔を離し、そして、手を離す。
「やはり、受けます。1週間ですね」
薫樹は運転席を降りる。
「ヤバい。濡れた」
フラペチーノを少しこぼしたが、依月風は拭おうとはしなかった。
「僕たちも行きますよ」
助手席のドアを開けて依月風の手を取る薫樹。
「わたしも、いく」
「姉ちゃん大丈夫かなあ。病的なまでに惚れっぽいからなー」
新しいカードを作り終えた空慈雷は言った。
作ったカードは<鑑定:アプレイザル>。複製したカードのレアリティを調べる<概念具現化>だ。
<宗麟>を複製すると、2枚目が軽いものしか運べなくなっていた。
<鑑定>を使うと、カードの端に印が浮かんだ。1枚目は五つ星で、2枚目は三つ星という意味だろう。<複製>を続けると格落ちしていくらしい。
<空きスロット化:ヴェイカンシ>は印がない。
どうやら<概念具現化>には等級がないらしい。
「惚れっぽいと何かまずいですか、旦那様」
板取花純美は空慈雷に聞いた。異世界で結婚したものの婚姻届などはまだ出していない。お互い高校と大学を卒業してからということになるだろう。それ以前に、板取家側にご挨拶にも行かねばならぬ。
「いや、相手がハギさんなのは、ボクは嬉しいんだけど。でも、ハギさん、向こうに付き合ってる人いるじゃん」
「イングリッドさん! 歌姫イングリッドさん!」
「イングリッドさんと姉ちゃんじゃ、姉ちゃんに分が悪い」
花純美は返事のしようがなかった。昨日頑張って義姉となる依月風とたくさん喋ろうと思っていたが、まだ一言も会話を交わせていない。そんな状況では、義姉に対して正当な評価など下しようがない。
「依月風お義姉様、無事だといいです」
依月風は萩原薫樹の背中にぴったりと寄り添っていた。
「ダイレクトメッセージにまんまとつられるとは、アンタやっぱり童貞ね」
亜咲実は男子トイレに向かって言った。
前回と違ってトイレに逃げ込んだのは、<金飛蚊>の操縦者の方だった。どこに自分を呼び出した人物がいるかも分からぬまま、<紅颯>に一方的に服を切り刻まれ、咄嗟に公園のトイレに逃げ込んだのだ。
<金飛蚊>は、亜咲実を見つける間もなく手で叩き潰された。そして、30秒おきに叩き潰され続けているのだ。
「アンタの帽子は刻まないでやったから、それで前を隠して帰りなさい。あ、そうそう。アンタのアカウントを<追跡>してパスワードも変更したから。スマホで確認してごらん。今から、アンタの本名、住所、顔、通ってる学校、好きな女子、そして、アンタのバカ丸出しの尻、全部晒す」
「な、何が望みだ!」
亜咲実はまたパシリと<金飛蚊>を打った。
「言葉遣いに気をつけな。気が変わっちゃったなあ。アンタがPCに保存してるものも全部まとめて晒す」
「何が望みなんですか!」
「語尾は全部ぶひぃをつけろ、五倍子克基」
「望みはなんですかぶひぃ」
「気が変わった。アンタが全裸で警察署に飛び込んで自分のやったこと自供するまで、アンタが関わったもの全部晒す!」
「何なんだよ! ぶひぃ! 何者なんだよ、ぶひぃ」
五倍子克基は、名前まで突き止められた上に、SNSを乗っ取られて次々と盗撮写真を消されていっているのを確認して怯えているらしい。
「アタシが何者かなんてどうでもいい」
亜咲実はハギと依月風を手招きした。ハギに蚊を叩き潰させる。
「ぶひぃは飽きた。アンタがこの蚊を呼び出した時の呪文を語尾につけろ」
「ま、まさか、その蚊が見えるんですか?」
「語尾!」
「いでよ! 黄金の蚊! わが千里眼となれ!」
「長っ!」
「すいません! いでよ! 黄金の蚊! わが千里眼となれ!」
「面倒くさっ! ああ、もういい! それ、逆さから言え!」
「逆さから?」
「今の呪文、逆から言えっつってんの!」
「え、えっと、れ、な、とんが、りんせ、がわ、かのんご、うおよ、でい! どうしたら、許してもらえますか」
ハギの手元から、<金飛蚊>が消えた。
「お前、まだ悪行の元を持っているな? カードだよ! カード」
「い、いえ。破いて捨てます! もうしないから許してください」
「いや、もっと愉快なことに挑戦してもらう。アタシが道行く男を掴まえて、そこの便所で用を足してもらう。お前はその男の尻ポケットにこっそりカードを入れろ。いいか、尻だ!」
「その設定無理すぎない?」
声をひそめて言う依月風を、亜咲実は人差し指を立てて静かにさせる。
「やるのか、やらないのか?」
「やります! やらなきゃ晒すんですよね? 晒すのだけは辞めてもらえますか」
「気が変わる前にやった方がいい。あー、それから、男に気付かれても晒す。慎重にやれ」
亜咲実が指で薫樹にゴーサインを出す。
薫樹は笑いをこらえながらトイレに行き、ポーカーフェイスを装って用を足す。背後の個室のドアが静かに開く。静かに尻ポケット狙ってカードを入れようとする気配を感じた薫樹は、思わず吹き出しそうになり、咳払いでごまかす。
その咳払いに驚いたらしい五倍子は一瞬手を縮めたが、もう用を足し終わりそうなので、震える手で一気にカードを尻ポケットにねじこんだ。
そして、四つん這いで再び静かに個室に隠れる。
薫樹が手を洗って外に出る。間違いなく<擬神化:金飛蚊>は尻ポケットにある。
「ねえ、五倍子克基。アンタが蚊を使うように、アタシは女殺し屋を使える。30秒以内に好きな殺され方を決めなさい」
「いやだ! 死にたくない!」
「ちょっと首を出すだけでいい。楽に逝かせてあげるわ」
ひそひそ声で亜咲実は依月風に耳打ちをした。
「イルカちゃん、できるだけ踵を鳴らして歩いて。15秒くらいで戻ってきて」
依月風が男子トイレを歩くと、奥の個室から念仏のように「もうしませんもうしません」と唱え続ける声が聞こえた。
依月風が個室の前で脚を止める。中の声がピタリと止む。必死に息を殺しているのだろう。たっぷりそこで止まっておいてから向きを変えて歩き始める。
「アタシはもう行く。もうお前に飽きた。じゃあな、五倍子克基。生きて帰れたらまた会おう。お前の全てを晒す準備が整っていることを忘れるな」