008 【工房ハナノナ】スピリット
◆□◆008―A 義兄弟
「起きろって、リア介」
亜咲実に抱きあげられるようにして、莉愛は押し入れから引き出された。
「ごめん、なんか、眠くて」
目を擦る莉愛の様子に、喜久恵は蔵人にそっと話しかけた。
「クランちゃん。これって」
ひそひそと蔵人が答える。
「ああ、そうかもな。だが、活動限界というものがあるならば、おいらたちはそれを知っておかなければならない」
ふたりは<魔力>の使いすぎを懸念していたのだ。
<体力>を使いすぎれば、身体は栄養補給と睡眠で取り戻そうとする。
どうやら<魔力>も同じことが起きるようだ。莉愛の<バビロン>は他のカードに比べて明らかに使用頻度が高い。
時間、空間ともに安全が確保されている今こそ、眠がっている莉愛には申し訳ないが、限界点を観察するにはもってこいなのだ。
莉愛を起こして亜咲実がしようとしているのは、亜咲実の<追跡>と莉愛の<バビロン>の連携実験である。
「<バビロン>にマップを出させて。準備できた? 現在地、ココになってる? ねえ、<バビロン>。アタシの手を握って。今からアンタに<追跡>を使う。リア、モニタしてて」
<バビロン>は、莉愛の背後から片手でそっと莉愛の目を覆い、もう一本の手を亜咲実と繋ぐ。
「行くよ、<トラック>! 今日、アタシが辿ったルート!」
「すご! あ、鉄道通ってる。止まった? いや、大きく回って、あ、さっきのところに止まった。<バビロン>、航空写真に切り替えて。ズーム。ストリートビューになる? あ、これ、鳥栖のあざみちゃんのお家?」
「どうやら上手く行ったね。じゃあ、<擬神化>した蚊と遭遇したところ」
「さっき大きく回ったとこだ。黄色く表示された」
莉愛には、亜咲実が黄金の蚊と接触していた区間が見えている。
「区間のアタシんちに近い方の先端は、女子トイレだと思うけど、間違いない?」
「<バビロン>、そう、ズームしてストリートビュー。あ、トイレで間違いないよ」
「反対の先端に行ける? そこから今度は<擬神化>した黄金の蚊を追跡するよ! 追って、<バビロン>」
「んー。動かないね。ピクリともしないよー」
「しばらくそこでアタシを待ち伏せしてたかもしんないじゃん。ちょっと待ってもダメ?」
「ピクリともしないねー。あ、なんか出た。あー『ポイントを検索できませんでした』だって」
亜咲実は一旦実験を終了する。
「アタシの<追跡:トラック>は、何かしらの痕跡がいるのかもしれないね。ちょっと待ってよ、アタシのスマホでもやってみる。<バビロン>、ありがと」
亜咲実は机にスマホを置いて、地図アプリを立ち上げる。スマホに手を翳して<トラック>させる。
やはり最初に遭遇したポイントからは先へ進まない。<バビロン>に出来ないなら、現存するスマホはどれだってできないだろう。
残念ながらこのスマホは、黄金の蚊と遭遇したとき家に置き忘れていた。遭遇時に持っていれば、ひょっとしたら追跡出来たかもしれない。
遭遇の時の服は着替えてしまったし、身体もシャワーを浴びているので、ここから追跡するにはどうやら痕跡が足りないらしい。
実験が終わったところで、蔵人が亜咲実に声をかける。
「なあ、たんぽぽ。イクスはこっちの世界に来てないだろうか。<追跡>で調べることはできねぇかなあ」
イクスとは、異世界で出会った虎に跨る黒猫少女である。彼女も蔵人たちにとって大切な仲間だった。
彼女は一度命を落とし、蔵人たちと同じ<人ならざる者>として蘇った。しかも、同じ戦闘に参加していたので、誤ってこの世界に放逐された可能性が高いのだ。
「イクスか。やってみる」
亜咲実は、寝ぼけ眼の莉愛に再び<バビロン>を出させ、手を握らせる。
「また『検索できませんでした』だ」
莉愛は残念そうに首を振った。
「じゃあ、ネットにイクスのことアップされたら通知するように、キーワード登録しとくね」
その莉愛の呟きにハッとした表情を浮かべる亜咲実。
ネットに目撃談などがアップされていれば、それを手がかりとして追跡できると考えて、「金色の蚊」について検索した。
しかし、見つからなかったらしく、亜咲実は畳の上に突っ伏した。
イクスと一緒にそっちも探すと約束して亜咲実を励ます莉愛。
「イクスがもしこっちの世界来とんのやったら、早う見つけなあかんなぁ」
喜久恵も蔵人に言った。
【工房ハナノナ】には、元々ゲームで繋がっていたのでゲーム以外の連絡先を知らない者や、異世界に行かなかった者、異世界で知り合ったため連絡のしようがない者などがいる。
異世界に行かなかった者は、【ドロップアウトスターズ】とは関わらない方が幸せだろうが、その他のメンバーには連絡をとりたいと蔵人は思っていた。<追跡>があれば、とも思ったが、そうはうまくいかないようだ。
そうこうしているうちに空慈雷たちが到着した。
「思ったより早かったな」
早かったのは、板取花純美が莉愛から連絡を受けると、リュックに荷物を詰められるだけ詰めて、空慈雷と連絡がつくのを待たずに下関から門司に渡っていたためだ。
「ドリィ! アンタまるきり家出少女だな」
髪色が黒くなったことと、重厚な装備を付けていない分ほっそりとして見える点を除けば、ほぼ異世界の姿のままだ。中学生くらいに見えるが、れっきとした成人である。
「ぶびー!」
「え?」
指を指して亜咲実が笑い転げていると、花純美は鼻水を垂らして子どものように咽び泣き始めた。期待したリアクションと違っておろおろしはじめる。
「ちょ、待っ、ドリィ、なにも泣かなくたって! アタシはいじめるつもりじゃ、ハイハイハイ、ごめんごめん、泣かない泣かない」
莉愛はティッシュを出してきて、花純美の鼻を拭いてやる。亜咲実にしても莉愛にしても、花純美の方が歳上なのだが、これでは派手に転んで大泣きする小学生をあやす近所のお姉さんといった様子にしか見えない。
「おめえの出番だぞ」と、目で喜久恵に合図を送る蔵人。
眉だけで返事してみせて、喜久恵は花純美に近寄り抱きしめる。
「寂しかったんやねぇ。ドリィはひとりで怖かったんやね。でも、もう大丈夫やで。ウチらついてんねんで」
こういう時に喜久恵の母性溢れる姿は、無敵の装備にも勝る。
姉の荷物を抱えて、空慈雷が姿を現した。
「もう、ボクの花純美さんをいじめないでくださいよー」
蔵人が握手を交わしてから言った。
「おめぇと離ればなれになると分かったとき以来の泣きじゃくり方だな」
肩でヒックヒックと泣く花純美の姿を見て、空慈雷は言った。
「いえ、今回のは違いますね。みんなに会ってホッとしたんだと思いますよ」
「さすがだねぇ」
蔵人は拳でポンと空慈雷の肩を叩く。そして、荷物を受け取る。
「ああ、リーダー。紹介したい人がいるんです。ボクの姉です」
玄関に空慈雷とよく似た顔立ちの女性が立っていた。少しふてくされて、そっぽを向いている。
「どうも、井ノ戸依月風さんですね。佐治蔵人と申します。どうぞ中へお入りください」
おそらく入る直前になって駄々をこねたに違いないと察した蔵人は、珍しく丁寧な言葉遣いで空慈雷の姉に話しかけた。
依月風はちらりと蔵人を見ると少しだけ頭を揺らすような仕草で礼をした。
その夜は賑やかになった。ハギこと、萩原薫樹も合流した。
なかなか打ち解けない様子の依月風だったが、薫樹の持ち込んだ酒の力でようやく喋るようになった。
喋るようになったと思ったら、わんわん泣き始めた。
「ディル坊! アタシたちはアンタの姉のつもりだからさ、いわば義兄弟ってやつよ。ならばアンタの家族は、アタシの家族。でも、あんたの姉さん訳わかんなさが半端ない!」
「そうですね、すいません」
顔をしかめる亜咲実。謝る空慈雷。だが、蔵人は笑って言った。
「いやー、そう訳わからねぇわけでもないな」
「そうですか? 実の弟で顔一緒ですけど、なんで姉ちゃん号泣してんのか、さっぱりわからないっす」
蔵人は笑って言う。
「答え合わせが必要かい?」
「ハイ。っていうかそのセリフ、ずいぶん久しぶりに聞いた気分になったっす」
空慈雷は言う。蔵人は鼻を鳴らして笑う。
「そうかい? 簡単にキーワードだけ挙げると、緊張と緩和、漠然とした不安、孤独への恐怖、自己嫌悪、懺悔ってところだな」
「にゃあちゃん、さっぱりわかんね。ちゃんと解説して」
亜咲実は言った。
亜咲実と空慈雷だけではなく、依月風をなだめる者たちも蔵人の話に聞き耳を立てた。
「しょうがねぇなぁ」
蔵人は頭を掻く。
「イルカさんは責任感が強い反面、孤独を感じやすい質だ。そこら辺は微表情を見ていれば分かる。何に孤独を感じたかというと『弟の変化』だ。イルカさんにすればたった一晩会ってないだけだが、実際のところ一年会ってないのと同じなんだ。だが、この<帰還>という現象をわからないなりに受け入れるつもりだったイルカさんは、ドリィと会ってますます『弟の変化』を味わうことになる。車内でのイルカさんのドリィへの態度はどうだったかい?」
「一言で言えば、大人気なかったです」
空慈雷は答えた。
「だろうね。ドリィに大事な弟を連れ去られてしまうような漠然とした不安を感じてたんだろう。それは、孤独への恐怖があったせいだ。本当は、あたたかく迎えたいと心では思っているのに、理性でもそれがよいと判断出来るのに、身体はドリィを受け入れきれなかった。冷たくあたって泣かせてしまってからというもの自己嫌悪は増すばかり。針のむしろに座った気分で、カレーも唐揚げもろくに喉を通らなかったが、酒の力でようやくホッとしたんだろう。どっと緊張感から解放された今、大絶賛懺悔中ってわけさ」
「誰も絶賛してないっすけどね」
空慈雷は笑う。そして、聞く。
「姉ちゃん連れてきたの間違いだったっすかねえ」
「知らないところであんなになるよりは、ハギが聞き役になっていい感じに飲んでもらって早めに寝かしつけた方がおめぇも安心だろう?」
「んー、まあ、そっすねえ。あ、姉ちゃん」
大泣きしていた何時の間にか泣き止んで、ワインの瓶片手に蔵人の背後に仁王立ちになった。
「アータがサクサクニャアニャアか。ごまかしらっれムラなんらからなー。ツーブロホストマンがハゲキくんれ、うちの可愛いくぅちゃんがなんとかウィンドウだったら、この人がサクサクニャアニャアなんらからなー。どやー」
何と言ってるかよく分からないが、自分のことを話していると察して絡みに来たのかも知れない。
蔵人の髪の毛をわしゃわしゃと掻き乱そうとするので、空慈雷は止めるために立ち上がった。
「もう、姉ちゃん。恥ずかしいからちゃんとしてよ」
「構わねぇぞ。ディル。姉ちゃんがすっ転ばねえように支えとけよ。<サクラドウジ>」
依月風が不意に前のめりに転びかける。空慈雷が力強く抱きとめる。
「く、くぅちゃん。にゃ、にゃんか変なものに敏感なとこ触られた」
「あー、すまねぇ。耳が当たっちまった。ディル、おめぇの姉ちゃんパンツ黒だぞー」
兎耳のぬいぐるみのような生き物が、依月風の脚の間をすり抜けて出てきた。そのままとことこと歩くと喜久恵の膝の上に座った。
「ホンモノのにゃあちゃんだ!」
「にゃあたんだにゃあたんだにゃあたんだー!」
亜咲実と花純美が、蔵人の<肉体強化>した姿に大喜びした。
「何、アレ」
依月風が小刻みに震えながら、兎耳姿の蔵人を見た。震えを止めるためにワインをラッパ飲みする。
「姉ちゃん、飲みすぎ!」
「わたし、あの変な生き物に、だいじにゃとこしゃわりゃりらー。らめ、むりゃむりゃしゅりゅー!!」
「ちょっと、姉ちゃん、ダメだったら、姉、うわあ!」
酔っ払いは時としてとんでもない力を発揮する。あっさりと空慈雷を投げ飛ばした。
空になった瓶を捨て、依月風は蔵人に飛びついた。
「フカフカ! もっふもふがむらむらー!」
「ちょ、ちょい! ディルのお姉はん!」
喜久恵は蔵人を奪い返そうとしたが、依月風は蔵人をトライでもするように抱きしめて寝転がった。
「もふもふぅ、むらむらあ」
そしてそのまま、依月風は軽く寝息をたて始めた。
「だ、誰かたすけろー」
「起こすのも可哀想やから、クランちゃんそのまましといたり。カードの解説ならウチらしとくから」
「裏切ったなー、レンー!」
毛布を出してきた花純美が、優しく依月風にかけてやった。
「ごめん、姉ちゃんがこんなんで」
「旦那様ー。私卒業したら、お義姉さんとも一緒に暮らしたい。だから、明日はいっぱいお話できるようにがんばるがんばるー」
車内でもここでもほとんど会話できなかった花純美は、空慈雷の目を見て誓った。
「ありがとう花純美さん」
ふたりは照れくさそうに見つめあった。
◆□◆008―B 最初の夜明け
「<落星舎>か。いい名前だな、たんぽぽ」
「へっへーん!」
墨で勢いよく書きなぐった文字は、堂々としていて亜咲実ならではの書体だ。
字が書かれた木片は、廃校舎にあった廃材を利用している。表面が綺麗なのは亜咲実の<紅颯>が見事に削ぎ落としたからである。
<紅颯>は、包丁を<擬神化>させたものである。薫樹の到着と同じ頃に配送業者から受け取ったダマスカス包丁を、亜咲実の手で念入りに研いで磨き上げたものなので、切れ味は抜群である。
だが亜咲実は、異世界では二本の刀を両手に戦場を駆け巡り「紅い颶風」とまで囁かれた名剣士だ。
日本刀じゃなくてよかったのか蔵人は尋ねた。
「刀、手に入らないし、ムダ乳が打った刀じゃなきゃ気に入らないし。だったらアタシが欲しかった包丁買った方がよくない?」
「まあ、そりゃそうだ」
「一応包丁選びには拘ったつもりだよ。<スカスマダ>。ハイ、包丁だったらみんなで共有できるっしょ」
亜咲実はカードを蔵人に渡す。あまり表には出さないが、亜咲実は蔵人を兄のように慕っている。自分の<擬神化>を使って褒めて欲しいのだ。
「<ダマスカス>! へぇ、カッコイイな、こいつは」
「だろー! さっすがにゃあちゃん、見る目があるね!」
蔵人は<アンサイジング>を解除する前にカードを渡してみる。<紅颯>は蔵人に留まったままだ。
「<スカスマダ>」
「じゃあ、アタシ、走ってくるよ。看板いいとこに使って!」
亜咲実は夜明けの田舎道を走っていく。
玄関に戻ると、靴箱の上に亜咲実の書いた表札を飾った。
「秘密基地は、堂々と表札出すもんじゃないよな」
結局全員が<落星舎>に泊まった。布団を分け合うようにしてまだ多くの者が寝ていた。
昨日は、喜久恵の<複製>と、亜咲実の<紅颯>の作成を実演した後、どんなカードがいいか夜遅くまで話し合ったのだ。
「ハギさん、式神遣いだから<擬神化>は人形でしょ?」
これはまだ蔵人が依月風に抱きしめられたまま、毛布を被せられていたので、声だけしか聞いてないが、おそらく莉愛のものだっただろう。
「そうですねえ。でも、やっぱりあっちの世界に戻って<ヤクモ>と<ハトジュウ>を使役したいですね。帰還して初日から仕事はやはり辛すぎました。明日休みじゃなきゃ精神が死ぬ」
これは薫樹の愚痴。
「あれ、どこかでそういう呟き見たなあ。じゃあボク、何しようかなあ。雷遣いだったからなあ。雷で<肉体強化>してみようかなあ」
これは空慈雷だ。
「ちょい待ち。制御できひんかったらとんでもないことならへん? 肉体散り散りになってしまわんやろか。<擬神化>とか<概念具現化>の方がええんちゃう?」
これは喜久恵だ。ここから議論は白熱していく。
雷を指で摘むことができるのか。できたとして、静電気レベルの雷しかつかえないのではないか。
<放電>を具現化すると対象を破壊するほどの高圧電流になるのではないか。通電しやすいものが近くにあったら目標以外に落雷しないか。
<帯電>なら触れればいい。でも、腕時計やスマホは持てなくなるだろう。そもそもモンスターの出ない世界で対人制圧用の能力が必要だろうか。
除細動器がない所では役に立つ。だが、<充電>の方が役立ちそう。<発電>の方がよいのではないか。
「え、ボク、電気ウナギ目指すんですか?」
そこから電気ウナギは<擬神化>できないのか、とか電気ナマズの方が手に入ると話は流れて、生体をカード化する話になった。
自分たちがカード化の対象になることがあるのかが心配になる。そうなると、誰かが<還元>の能力をもつ必要が出てくる。
でも、他人をカード化しようとする敵が存在するか、そんな者が今後現れるか、三枚しかカードを持てない現状で可能なことなのか皆、頭を悩ませた。
「<空きスロット化>の概念しかねえとおいらは思うぜ」
ようやく依月風の腕から抜け出した蔵人は議論に参加した。
「逆にこの能力は【ドロップアウトスターズ】に必須の能力だと思っている。生産者の3倍の枚数でカード化が終われば、きっと対応できないことも増えてくる。だが、この概念ひとつあれば、カードを譲渡するたびに、新しくものづくりすることができるんだ。【工房ハナノナ】スピリットにふさわしいと思わねえかい」
蔵人が言うと場が盛り上がりかけたが、もう夜も更けてきたし、依月風も寝ているので声をひそめさせた。
<空きスロット化>をハギが作ることになり、それを<複製>して全員が持つことが決まると、蔵人と亜咲実は先に寝た。ふたりは朝が早い方だ。
それからもまだ話は続いていたらしい。
蔵人は朝食をどうするべきか心配していたが、ジョギングを終えた亜咲実からの報告に別の悩みが湧くこととなる。
「にゃあちゃん、怪しい車がこの辺りを巡回してる」