006 カードを作ろう
◆□◆006―A 魔力細胞
「エネルギー保存の法則ってあるやん」
喜久恵は言った。
「何回かカード使ってたら使用限度を迎えて、消滅するってことはないん?」
「おいら世代だと、真っ先に思い浮かべるのがテレホンカードだな」
蔵人の言葉に、喜久恵と莉愛は顔を合わせて首を振った。
「公衆電話を使うためのカードさ。プリペイドカードで、チャージできない仕組みだったんだ。500円分使い切ったらさようならってな」
「そっかー。じゃああんまり使われへんわけや」
「いいや。こいつはおいらたちから勝手に何かをチャージしていっているとは思うぜ」
莉愛が元気よく手を挙げる。
「ハイ! 何かって、何ですかー?」
蔵人は頭をかいて答えた。
「向こうの世界でいう<魔力>だ」
喜久恵は首をひねる。
「<魔力>なんてあるわけないやん。ここは地球世界やで。それより、なんか飲み物とかある? ここ」
蔵人は答える。
「後で買い出しに出よう。食器類はそこらにあるものを使わせてもらおう。そうだなあ、<魔力>という言葉が適切ではないのだろうな」
莉愛が立ち上がって台所に行く。
「じゃあ食器とか洗っとくね。あ、お水出るかな」
「水はしばらく使ってないから少し出しっぱなしにしておいてからがいいな」
「クランちゃん。仮に<魔力>という言葉であっても構わへんねん。ウチら、<魔力>をずっと使いっ放しってわけにもいかんやろ? いつか無くなるわけやん」
「じゃあ、レン。それが、<体力>だったらどうだ。<体力>をずっと使いっ放しにしたらいつか無くなって動けなくなるってことだよな」
喜久恵は目を丸くした。
「ご飯食べればいいやん」
蔵人はにやりと笑う。
「そうだな。じゃあ質問だ。おいらたちが食物を摂取して、それを<体力>に変換してくれるものはなんだ?」
喜久恵は頭を抱えて寝転んだ。
「ムリ! 生物苦手!」
「何言ってんだ、ペットショップ店員」
「おっけー、<バビロン>。ウチの代わりに答えをどうぞ!」
莉愛が水を出しながら首を振る。
「もっとキーワード絞ってくれないと、検索できないよう」
蔵人は付箋に正解を書き、それを壁に貼る。
「<体力>をエネルギーって言った方がわかり易かったか? 正解は<ミトコンドリア>でした」
「あー! それならウチも知ってた!」
「<ミトコンドリア>は、およそどの生物にも存在する。では、最初の生命体は<ミトコンドリア>を持っていたでしょうか、持っていなかったでしょうか」
「持っていた」
「ぶぶー。『おっけー、<バビロン>』してもいいぞ。<ミトコンドリア>の起源、で調べてもらうといい」
喜久恵はごろりと腹這いになり、莉愛を向く。
「聞いとった?」
「うそ、バクテリアが細胞の中で一緒に暮らしはじめて<ミトコンドリア>ができたんだって」
<バビロン>に検索結果を聞いた莉愛は、グラスを洗う手を止めた。
「アルファプロテオバクテリアの仲間でプロトミトコンドリアと呼ばれている存在だ」
付箋に人の形を描き、プロテオバクテリアと書き添える。そこにさっき書いた<ミトコンドリア>の図をぺしっと貼った。
「カタカナいっぱい出てわからへん、簡単に言うと?」
「腸内細菌の仲間が細胞の中に入って来ちゃったら、ご飯をエネルギーに変えられるすごい細胞になっちゃった! で、どうだ」
「分かった。あ、分かった! クランちゃんの言いたいこと分かったで!」
莉愛も戻ってきたので、喜久恵も座り直して説明する。
「ウチら<帰還者>は、異世界で出会った第3種の生命体が細胞内に入って来ちゃってるので、ご飯を<魔力>に変えられるすごい細胞ができてるってこと?」
蔵人は頷いた。
「物質をカード化できる原理はさっぱり分からねえが、<擬神化>したものがおいらたち<帰還者>には見えて、健常者には見えないって理屈の説明にはなるだろ?」
「健常者?」
莉愛は首を捻った。
「この考えに立てば、おいらたちは未知の生物に寄生されてるってことになる。おおっぴらにドンパチやってたら、魔力細胞を探す実験材料にされて切り刻まれるか、よくて隔離幽閉血液採取って運命だろ」
「<いたいくすをいゆ>!」
莉愛は、反射的に<バビロン>を解除した。
蔵人は笑う。
「いやいや、おいらが言いたいのは、見つからないようにすれば、このカード、トコトン使い込むべきだ、ってこった。昼からは、新しいカードの作成と、他人のカードを使いこなす実践だな。と、なれば」
喜久恵は立ち上がる。
「腹が減っては戦ができぬってやつやね! さあ、買い出しに行くでー!」
◆□◆006―B コツはジャンケン
昼食はカレーを作って食べた。
異世界においても、この世界においても、カレーは人を和ませる。
「みんなの分たくさん作ったから、夜もみんなでカレーだね!」
莉愛はカレーを頬張りながら言った。
「時間かけた方がええ味出るわな。リア、あんたんとこのじいじに今のうちに連絡しとった方がええんちゃう? 今夜うちに泊まるやろ?」
「ありがと、レンちゃん。他のみんなはどうするかな?」
莉愛の疑問に蔵人が答えた。
「急に集まることになったから、宿もないだろう。ここに泊まっていってもらおう。この後、自治会長さんのところに話に行ってくる。それ用の菓子折りも買ったしな」
「さすがにゃあ様、おっとなー」
「大人ってのは懐が痛くなる生き物だな。っていうか、リア。おめえ、にゃあ様って呼び名、変えるつもりねぇんだな」
「ない! ごちそうさま!」
手を合わせた莉愛に、喜久恵は母のように聞く。
「早っ、あんたおかわりええの?」
「いいよー」
莉愛は、さっさと流しに食器を持っていって洗う。
蔵人は感心して言った。
「お祖父さんの教育がちゃんとしてたんだろうなー。異世界じゃこんなにテキパキしてる姿、見なかったなあ」
「【工房ハナノナ】には家事が上手なハギさん、おったからな。みんな甘えてしもうて。ウチが言うのもなんやけど」
喜久恵は莉愛を振り返って尋ねる。
「ねえ、ハギさんには連絡ついたん?」
「ああ、ショートメールで返事来たよ。『ご連絡ありがとうございます。仕事中なので5時以降に折り返し連絡します』だって。異世界から帰ってきてすぐ仕事してるって、ハギさんやっぱりすごい」
「営業の仕事にGWもなんもあったもんじゃねえな。すぐにはこっちに来られねえだろうな。来られて夜中だな」
皆がカレーを食べ終わり、洗い片付けをさっさとしてしまう。それぞれが用を済ませて、いよいよカード作りの時間となった。
「レンは、<擬神化>と<概念具現化>のカードを。リアは<肉体強化>のカードを作らなきゃな。おいらは、それ以外のカードが作れるかどうかだ」
「あれ? にゃあ様、私まだ<概念具現化>持ってないよ?」
莉愛は、首を捻る。
「リア、おめえの願いはなんだ?」
「ユイを救いたい!」
<バビロン>がひょっこり顔を出す。
「ユイを救うためには、この現実世界に穴を開ける作業が必要だ。それがどんな概念に相当するのか、現段階では分からない。取っておくべきだろう」
莉愛は、しばらく考えて頷いた。
「クランちゃん、ハイ。<肉体強化>のやり方は分かってんねけど、<擬神化>と<概念具現化>のやり方わからんねん」
「ハイ、私にも<肉体強化>教えてください!」
蔵人は、3つ付箋を用意した。
「ジャンケンのイメージだ」
莉愛と喜久恵は盛大に首を傾げる。
「ハア?」
「<擬神化>はチョキのイメージ。対象物を指で挟む感覚。手が触れていれば問題ない」
壁に<擬神化>と<チョキ>の付箋を貼る。
「<肉体強化>はパーのイメージ。対象物を全身で包み込む感覚。触れないようにして手を伸ばせばおっけーだ」
壁に<肉体強化>と<パー>の付箋。
「<概念具現化>はグーのイメージ。対象を思い浮かべて祈る感覚。手は組んでも合掌してもいいと思うが、結んでいるべきだ」
壁に<概念具現化>と<グー>の付箋。
「案外簡単そうやね」
莉愛と喜久恵は頷きあった。
「でもさ、どんなん<擬神化>すればいいか分からんねん」
「私も、ちょっと思い浮かばない」
「そうだよな。適正ってヤツがあるかもしんねぇな。<擬神化>は3枚、<肉体強化>は2枚あるからそれぞれ動かしてみて考えるか」
近くの高台に廃校がある。校庭は広場になっていて、近くに民家もない。人目につかず何かをするには好都合の場所だ。
佐治蔵人はノートを用意してメモする。
―咲良莉愛―
<擬神化>
バビロン:◎ 細かい操作まで可能
宗麟:△ 振り落とされた
道雪:〇 空き缶に5回中4回当てる。ダウジングは無理。
<肉体強化>
トプス:△ 超安全運転。手がぼんやり光る。
にゃあ:△ 踊りはうまい。踊りは。
―矢車喜久恵―
<擬神化>
バビロン:△ 時刻を聞こうとして、時報に繋がる。
宗麟:〇 真っ直ぐは速い。曲がれない。止まれない。
道雪:〇 遠投は250メートルオーバー。ダウジングは無理。
<肉体強化>
トプス:◎ 体重を徐々に上げることもできた。
にゃあ:△ ジャンプ力はすごい。
―佐治蔵人―
<擬神化>
バビロン:〇 通話とメッセージ送信は可能
宗麟:〇 ブーメラン代わりに使えた
道雪:〇 ダウジングだけできた。
<肉体強化>
トプス:〇 走るのは速い。でもにゃあの方が速い。
にゃあ:◎ 要するに慣れている。召喚術使いてぇなぁ。
「使い込めばもっとうまくなるかもしれないなあ。まあ、現時点で考えられるのは、リアは細かい操作が得意だから精度が高ければ高いほど有利になるものを<肉体強化>に。レンは何を使っても力強く使えるからいっそ方向を変えて考えてみないか?」
「クランちゃん。方向を変えるって?」
蔵人は校門近くまで歩いていき、ペちペちとそこにある像を手で叩きながら言った。
「癒しの女神の<擬神化>」
そこから三人は、基地に戻ってお互いが創るべきカードについて話しあった。
「女神像は決まったとして、手に入るもので、本当に癒しの力を発揮しそうなものがいいんよね」
喜久恵はお茶を飲んで考える。
「クランちゃん、明日ウチと美術館にデート行かへん?」
「そりゃあ構わねえが。おいらの<デモン>のように人口に膾炙したものだとより強力だな。あとはデザインの問題じゃねえか?」
「うーん、やっぱりさ、作り手の思いがこもってる方がより効きそうやん?」
「でも、そうなると自分で作らねえ限り、めちゃくちゃ高額になるんじゃねえか?」
「うーん、あ、<概念具現化>で、複製を作るってのはどう?」
「ありっちゃありだが、美術館に贋作の方を飾り直すのか?」
「それは申し訳ないわ! 窃盗やんなあ。<擬神化>するのは贋作の方でええわ」
「作り手の思いはどこに消えたんだよ」
莉愛が冷蔵庫から、買い出しに行ったときに買っておいたプリンを出してきて戻ってきた。
「ねえねえねえねえねえ、もうネットに桑畑って男のこと出てる」
<バビロン>に、複数のキーワードを条件にしてヒットするものがあったとき知らせてもらうようにしていたらしい。
「なんて書いてるん?」
「簡単に言うと、事故現場で重体で発見された男を、事故の前に市内の本屋で暴行、器物損壊を働いた容疑で逮捕。他にも通行人に怪我を負わせるなど余罪も追及する見込み。事故当時、酒に酔っていたか、薬物を使用していたのではないかという疑いについても捜査中、だってさ」
「大の大人が、異世界だ、異能だ、と供述してたら正気を疑われても仕方がないいうことやね」
「オレたちも気を付けなきゃなんねえな。で、どこまで話したっけ」
莉愛がにやりと笑う。
「レンちゃんが、にゃあ様をデートに誘うところまで。私を置いてふたりで楽しんでくるといいよ! 私、レンちゃんの下着に全部穴を開けながら大人しく待ってるから」
「全然大人しくあらへんがな。それにウチが話したのは、<複製>を概念具現化したらええんちゃうかってところまでやし」
3人でケラケラと笑いあった。
「じゃあ一旦<複製>のカードを作って、精度を確かめてみるといい。じゃあレンはカードが決まったな。リアは何か思いついたか?」
「私は―――」
古びた天井を見上げた。
思い浮かべたのは、恋人と生き別れたのは異世界の月である。
きっとそこまで見ることのできる目が欲しいのだろう。
たとえそれが無理だとしても、異世界の月と、この世界の月に何らかの関わりがあるかもしれない。そう思うと、毎晩空を見上げて月の様子を窺わずにはいられないのだろう。
「望遠鏡なんてどうかな」
莉愛はプリンを置いてそう言った。