014 オレ様たちはまだ何も諦めちゃいない
◆□◆014―A アメイジングドールズ
アトリエは美しく整理されている。一悟の性格だろう。作業場の奥は撮影スタジオになっている。
スタジオには五体のドールがそれぞれ気ままな姿勢で座っている。
「お部屋、素敵やんなあ」
「日が落ちる前やったらもっと綺麗やったんよ」
天井の一部はガラス張りになっていて自然光が入るようにしているらしい。
「夏場はこの子たちのために四六時中冷房つけなならんので。贅沢やろ、この子ら」
一番奥で楽しそうに微笑んでいるドールの肩を一悟は撫でた。
「この子の名前は<びわ>ちゃん。枇杷の花の季節に生まれたんよ」
「ハイハイ、どうせクランちゃんとの子とか言うんやろー」
「分かってきたやーん。さすが一緒にお風呂入った仲ー。そう、この子のモデルになった桜童子ちゃんの描いた絵もきちんと取ってあるよ。見てみる?」
「えろいん?」
「そりゃあめっちゃくちゃ」
一悟がうっとりと微笑むと、喜久恵はじっとりとした目付きで蔵人を見てから言った。
「それは、後で見させてもらうわ」
蔵人はぬいぐるみ姿のまま口笛を吹いた。とてもじゃないが素のままではいられない。
何やら、喜久恵と一悟は一緒に温泉に入ってから親密度が増しているようだ。その隙に逃げ出したかったが本題をまだ済ませていない。
「で、師匠。どの子を<複製>させてくれるんです?」
「<複製>?」
一悟はわずかに柳眉をひそめた。
「<複製>っていうのは・・・」
桜童子が説明しようとするのを、一悟が軽く遮った。
「もちもちプリンちゃんから話は聞いとるよ。魔法使いになったっちいうたね。<複製>したらレア度が下がるんやろ?」
「でも、ここの子たち、頭部だけで10万はするでしょ。おいらたちにそんな金銭的余裕はねぇっす」
身体全部ならば、100万円は優に超えるはずだ。
「誰が大事な子を売るかよ。ボクらの子だぞ」
一悟は頬を膨らます。
「あんたたちに預けるだけよ。最高傑作の<びわ>ちゃん連れて行きな」
「え、まさか。師匠」
「タダでいいよ。この子の父親はあんたやしね。桜童子ちゃん。やけんな、大切にしてやっちょくれよ、もちもちプリンちゃん」
「わーん。イチゴ姐さん最高!」
喜久恵が抱きつく。ポンポンと肩を叩く一悟。
「クリエイターとしてもさ、桜童子ちゃんの<デモン>が星6つなら、ボクの子たちが星3つだなんて我慢できないんよな」
「<複製>しなくても、星5つかもしれないっすよ」
「バカやねえん? ボクらの子が素人細工に負けるわけねえわ」
「言いますね、師匠。ちなみにおいらの<デモン>は数万人規模で力が認められてるっすよ」
一悟は口元を隠して微笑む。
「『わっつあんあめいじんぐどーるず! いっつあにゅうじゃぱにーずあーと』。この子たち、ニューメディアタイムズ紙に載ったんやで。ちょい待ちいよ。ボクが撮った動画めっちゃ人気やけん。こっちの<白雪>ちゃん生き返らせるヤツなんで!」
その後、3人で顔を寄せ合わせて動画を見る。再生回数は一千万回を超えている。
「くっ! これは星7つかもしれん! これは悔しい!」
「エロ! 生きてるとしか思えん! もはや、エモ!」
「ちょいとお前ら、嬉しすぎるからちゅーさせろ!」
力ずくでぬいぐるみの唇を奪おうとする一悟。
「力強ぇな! おっさん同士のキスとか誰得だよ」
「美人なお姐さまと可愛いぬいぐるみのちゅーやん。結構ええよ」
喜久恵は笑う。
「拒むならもちもちプリンちゃんとめっちゃ熱いやつすっからなー」
その瞬間脱力する蔵人。
「むぐぐーっ! 今おいらの心は死んだ」
「酷っ。昔は喜んでしたくせに」
「しねぇっすよ」
ふたりのやりとりに喜久恵はくすくすと笑う。
「<びわ>ちゃんでも心の傷までは治せんやろなあ」
「酷っ。傷とか。一応、桜童子ちゃん、ボクのはじめての人なんで?」
「色々と誤解を招く言い方やめてもらっていっすか」
「誤解もなんも、もちもちプリンちゃんには包み隠さず伝えたから」
「おいらの心は復活を諦めた」
「ええやん。芸術家っぽい恋愛で」
「うあああ、おいらもう帰る! <びわ>を連れて帰るぞー!」
帰りの車の中では、和気あいあいと一悟の話題が続いた。と言ってもほとんど喜久恵が喋っていた。
しばらくして一悟の性別の話が出た。
「なあなあ、イチゴ姐さん、やっぱり女の子やったよ。ちょっとうーん、説明難しいけど」
「説明しなくてもわかるさ。師匠とは長い付き合いだからな。だから、性別など関係なく、尊敬できる芸術家として接しているつもりだ。ただ、染色体でいえば、XY。おいらと同じなんだよ」
「それってどういうこと?」
「先天的にある種のホルモンに反応できなくってね、女性の外見を持つことになった男性というわけさ。ほとんど身体は女性だってのに子どもが産めないんだ。学生時代にそのことを知って、それからしばらく酷く苦しい時期を過ごしていた」
「それがクランちゃんと出会って変わった?」
「おいらと出会ったからかは知らねぇが、転機であったのは間違いねぇと思う。それまでの球体関節人形は、幼女であり、半陰陽であり、妊婦だった。きっと師匠は分身を作っていたんだ。苦しみを分け合う存在を。だけど、おいらと会ってからの作品は全て『わが子』って呼んでる。何らかの心の変化があったのは間違いない」
「恋しとったんやね」
「さあ、どうだろうね」
「クランちゃんはどう作品に関わっとったん?」
「師匠がイメージするビジョンをイラストにする。そこから原画を作る。絵から立体に起こす際の矛盾が起きないように、師匠をモデルに原画を完成させる。師匠はそれを見て作業はするが、原型づくりから植毛、メイク、ドレスアップに至るまで全部ひとりの作業だ。だから、おいらはほぼほぼ関わってないから、おいらたちの子なんて言われると気恥しいよ」
ふうんと喜久恵は言う。
「やっぱりクランちゃんは、にぶにぶやね」
「はあ?」
「<びわ>ちゃんの子胤はクランちゃんなんやから、しっかり面倒見てもらわなあかんわ」
「はあ!?」
「男の人が養育に関わらんのなんでやろ思うとったけど、原因はそういう心理なんやなー」
「おいらはしっかり子どもの面倒は見るつもりだぞー」
「そうじゃないと困りますー。はあ、鈍い鈍いとは思うとったけど、筋金入りやったとはねぇ」
「なんだって?」
「別に?」
蔵人はふーっと鼻から息を吐く。
「まあ、彼女は昔から素敵な人だったよ。苗代一悟は遺伝子なんてちっぽけなものに左右されるような人じゃないさ」
喜久恵は蔵人の横顔を盗み見た。
その眼差しにきっと一悟は救われたのだと喜久恵は思い、ほんのわずかだが胸の奥がチリチリする感覚を味わった。
その頃、一悟は<びわ>の座っていた椅子に腰かけたまま、机に突っ伏していた。蔵人たちが去ってから、もう30分は経つ。それでも、ずっと人形たちと喋ってはため息をついている。
「泊まっていってもらえばよかったね。んーん、大丈夫。あんたたち娘がいるから平気。さみしくなんかないの。はー。ダメ、起きる気力ない。はー、分かってるって。隣の作業場まで行けば仮眠用のベッドあるから、ここじゃ寝ないって。大丈夫。さみしくなんか。はぁぁぁぁぁぁああ」
そこから寝床に移動するまで、更に1時間はかかった。
◆□◆014―B 山月記
「くっそー! マジで<山丹>と戦ったときを思い出すぜ!」
やはり公園内にトラはいた。
トラがどのように身を隠していたかは謎だが、ちゃんと潜んでいたのを瑠羽仁は<ごきげん狼面>の能力で探り当てた。
これまでトラの被害が出ていないのは、おそらくこの公園の見頃なシーズンがもっと後であることと、誰もトラ発見の記事を見ておらず公園に興味本位でやって来るものがなかったのが幸いしたらしい。
夜間ではあるが、トラの姿は瑠羽仁側から見ることができる。
網膜の後ろにタペタムという光を反射する組織ができて、わずかな光量でも明るく捉えられるようになったのだ。
トラの方も瑠羽仁の姿がよく見えているのだろう。だから、叢に身を隠して瑠羽仁に接近しようとしていた。
射程距離に入ったところで一気に飛びかかろうというのだ。
瑠羽仁は嗅覚も強化している。危険な距離になる前に離れている。ただ、離れる際にトラの鼻先に石ころを投げつけるという、地味にイヤな戦法をとっている。
実際にトラの攻撃を喰らいかけたのは最初と2回目の攻撃のみである。
「よく躱せたな。オレ様やっぱり天才だぜ」
天才の一言で瑠羽仁は考えるのをやめてしまったが、首から下だけ通常の人間なのだとしたら野生動物の本気の攻撃を2度も躱すことはできない。最初は偶然躱せても、2回目の攻撃に偶然はありえない。
首から下にも<肉体強化>の影響が出ていることを、瑠羽仁はまだ気付いていない。
そして、トラの方にも攻撃に躊躇があることにまだ気付いてない。
「こうしてると、ゲーム思い出すなあ!」
瑠羽仁が叫ぶとトラの気配が変わった。
「オレ様の蝶のように舞い蜂のように刺す戦法が卑怯だなんだ言うやつもいたけどよう、勝つために頭使ってやってんだ。別にチートなんかしてねぇし。おめぇもそうだよな」
トラが叢の中で低く呻きだした。
「そうだよな! イブえもん!」
轟々とトラが吼えた。
「やっぱりそうか。薄紫のサムライファイター。なんでトラなんかになってんだよ!」
茂みから突如トラが飛び出した。バジルが上手く躱したというより、トラがバジルを避けて耳スレスレを飛んだようだった。
「痛っ」
ほんのわずかに爪の先が当たっていたため耳から血が吹き出す。
「アブナカッタ。アブナカッタ」
だんだんと、唸り声が人の声に聞こえはじめる。
「イブえもん! 人の声が出せるなら、今のうちに解除なんちゃらを唱えろ」
「イブえもん? ワタシノコトヲ知ってるの?」
叢から不自然な声がする。トラの声帯や舌を使って人語を喋ること自体無理があるのだろう。それでも何か伝えたいことがあるに違いない。
「おうおう、オレ様を覚えてねえか? オレ様は<バジル=ザ=デッツ>。異世界行く前にゃPvPでおめぇさんをボコボコにしてやってたハイランカーだぜ。おめぇさん、<虎ノ尾伊武綺>だろ?」
叢ががさりと鳴る。叢の奥で目が光った。
「その名で呼ばれた方がまだ心が休まる。あんたも異世界に行っていたの?」
「オレ様の顔をよく見ろよ。まともな一般人な感じがしねえだろ」
「オオカミ? ああ、<卑怯狼>と呼ばれていた人」
「うっせえなあ、卑怯って言うヤツが卑怯なんだよ」
「変な人」
「だから、うっせえよ。変っていうならおめぇも大層変じゃねえか。どうしてトラなんかになっちまったんだよ」
「この世界に絶望したんです」
「絶望だあ? なんで?」
叢の内からすすり泣くような声が聞こえた。
トラは身の上話をはじめた。
「私は、異世界に行くまではあなたもご存知のようにゲームの好きな大学生でした。特に未来の夢もなく、あと2年間、大学院で呑気に過ごすためだけに勉学を続けていました。自分を有効に活用する手立てが見つからずただ日々を送るだけ。そんな私が異世界に放逐されてどんな気持ちで暮らしていたか想像がつきますか」
「生きるだけでやっとって感じか?」
「私も最初はそう思っていました。身寄りもなく頼れる伝手もなく、突然わけのわからぬ世界に放逐されたのです。でも、そんな心配はまるで必要ありませんでした。好きな所で寝て、好きなだけ暴れられる強さが備わっていたのです」
「野に伏せ山に伏すってやつか。そりゃあ大変だったな」
「いえ、そうではないのです。私は庵を開き、街道に現れる敵を倒しているうちに、街道の守護者と呼ばれるようになりました。私はあの世界ですべきことを見つけ、自分の価値にも気付きました。そして、愛する人を見つけ、子も生まれました」
「子って、その、おめぇさんの」
「ええ、私の子どもです。異世界の民との間に生まれた私の子ども。産んだのは村長の娘です」
「娘、って、え?」
「虎ノ尾伊武綺は男です。私はこの世界とは違う性別で人生を歩んでいたんです。愛する者を守り、戦う。そして、新たに生まれた命のために、また強くなる。それが生きる意味になった」
「でも、こっちに戻ってきたってことは、向こうの世界に嫁さんも、まだちっちぇ赤ん坊も置いてきたってことか」
「置いてきたも何も、また不条理にこちらの世界に戻されてしまった! 私の思いなどこれっぽっちも斟酌することなく! そして、ワタシハマタコノ生きる意味のワカラヌちっぽけな存在に舞い戻ってシマッタ!」
声にトラの唸り声が混ざりはじめる。
「おい、おめぇさん。なんか声がヤバいことになりはじめたぞ。昔話はいいから、な。とりあえず解除コード言おうぜ、な」
「私は! こんな身体ニモドルクライナラ、虎になりたいと願った。ソウシタラ目の前にカードが現れた。ワタシはそのカードヲツカンデ窓から飛びおりた、ナノに怪我ひとつない。今朝はニワトリを襲って食べた。もうこれから先はトラとして生きるよりない。ワタシハもう、どの世界にも帰れない!」
「いや、カードがあれば戻れるはずだ! 解除コードさえ言えば! えーっと待てよ。<擬神化>は虎の姿をした何か触れられるものが必要だ。<肉体強化>なのか? 『ナントカ記』を使えば変身できるのか? いやいやいや、おめぇさん、『願った』って言ったよな? こんなポーズをとったんじゃねえか?」
瑠羽仁は両手の指を組み合わせて額に当てる。
「カードなら、あの四阿だ。だが、元に戻ってどうする? 愛しい者たちのもとには帰れない」
瑠羽仁は猛ダッシュで四阿に向かう。反射的にトラもそれを追う。
トラは瑠羽仁に向かって飛びかかる。
瑠羽仁は転がりながらカードを掴む。
「あの世界に帰る方法、あるかも知んねえぜ。うちのところの兎耳の大将は、あっちの世界につながる穴をこの世界にぶち開けるつもりだ。リア嬢ちゃんもそうだ。あっちの世界にユイって仲間を置いてきちまった。ハギの介にしてもそうだ。オレ様たちについてくりゃ、あっちの世界への扉を開けてやるぜ」
「あっちの世界!」
カードには「人虎」と書かれてある。
「<概念具現化>なら解除コードはそのまんま逆から読めばいい! ヒューマンタイガー? いや、そのまんま<ジンコ>か? 逆から読めば<コンジ>だ! 叫べ、イブえもん! オレ様たちを信じろ!!」
最早トラの咆哮しか聞こえない。
「諦めるんじゃねえ! まだゲームは終わっちゃいねえ!」
微かに人の声が聞こえたような気がする。
「シンジレバ、モドレルカ、アノセカイニ」
「それは分からねえ。だが、諦めたら絶対に戻れねぇ!」
風で草木が鳴る。轟々と鳴る音は、トラのものか周りのものか分からなかった。
音が止んだ。月の明かりが静かに照らしていた。
「おい、イブえもん! おい、どっか行っちまったのか? どこだ!」
瑠羽仁が用心しながら叢に近づくと、そこには女子大生伊吹撫子がぐったりとした姿で倒れていた。