013 悪党と呼ばれた男
◆□◆013―A 阿久刀空海
多くの<帰還者>にとって初日に起きた様々な事件は、高速道路から降りたばかりでスピードを出しすぎてしまうときのような、感覚のズレが引き起こした小さな問題だと捉えられていた。
危機意識にも当事者意識にも欠けていたのだ。
それよりもゲームの続きをしたいのに、ログイン障害が起きていることの方が重大だった。公式のアナウンスがどんなニュースよりも欲しい情報だった。
だから、同じ<帰還者>からの連絡は福音のように響く。
(おもろいもん見せたるわ。ちょっと出てこれへんか)
「そんな、お前、しょぉもないもんやったら承知せぇへんど。暇やから行くけど」
(わはは、ほな待っとるで)
波羅唯志はノームコアファッションを気取って、できるだけ普段着に見える服を選ぶ。少しのアクセントにハットを被る。
異世界で仲良くなった男に「LING」で呼び出された。他に誰を呼ぶか知らないが、オフ会の軽いやつだと思ってバッグにはノートPCも仕込んでいた。
待ち合わせ場所の喫茶店に辿り着くと、いたのは呼び出してきた男ひとりだけだった。
ここでは面白いものは見せられないから外についてこいという。
「アホか。店で見せられへんなら最初からそこ呼べや」
「プリンファッションが食べたかったんじゃ。ワシのおごりじゃ、文句言うなや」
「食うたのおのれだけやんけ。なんもおごってもろうてないわ。で? そのしょぉもないもん、早よ見せぇや」
ハット姿の波羅と、キャップを被った男のふたりはケタケタと笑いながら歩いていく。
呼び出した男は、楽しそうにこっちやこっちやと路地から路地へと案内する。
波羅は眉を顰める。
「おいおいおい、廃ビルやんけ。おもろいもん見せるんに、なんで廃ビル来る必要あんのや」
「なんや、ビビっとんのか」
「ビビりすぎてババたれそうやっちゅうねん。なんのために来たかくらい教えとかんかい」
「きったないのう。まあ、ええわ。早よ言うたらおもろなくなる思うたけど、ババもらされたらかなわんから教えたるわ。こん中なら、魔法使うてもご近所さんの迷惑にならへんからや」
キャップの男の言葉に、波羅はまた眉を顰める。
「魔法やて? そないなアホな」
「アホなて、2日前までバンバン使うてたやないか」
「アホやろホンマに。それは異世界やからや」
「ところがどっこいしょじゃ。こっちでも使えるんや」
「そう易々と信じひんぞ」
波羅は言い放つが、キャップ男は飄々と答える。
「あー、なんや、見た方が早いいう意味のことわざあるやろ。『麺より餃子』みたいな」
「それを言うなら、『どんより兵庫』や」
「ボケにボケをかぶすなや。それにそんな曇っとらんわ」
「分かったから早よ見せぇや」
「うっさいわ。ババ垂らし君」
「波羅唯志じゃ、ボケぇ。誰がババ垂らしじゃ、ウカカカ。うまいこと言いよって。ええから早よ見せぇや」
「<ファイヤボム>」
笑う波羅の足元で、空き缶が爆ぜた。
「熱っ! あ、つぅー! お前何すんねん」
「せやから魔法や。これは、爆ぜるファイヤーボールや。どや」
「何がどやじゃ。何のトリックか知らんけど、今何したか、よく見えんかったわ。ファイヤーボールなら前に飛ばせや」
「ほな、前に飛ばしたら信じてくれるんやな、ババ君」
「波羅じゃ、悪党君」
「語尾を伸ばさんといてくれや、波羅君。アクトウツミ。わしゃあ阿久刀空海じゃ。さあさあ、わしの掌から火の玉が飛んだら拍手喝采やで」
阿久刀空海と名乗るキャップ姿の青年は、右手を前に伸ばした。
「ほな、行くで!」
阿久刀の掌から放たれた火の玉は、勢いよくブロックに向かって飛ぶと、ブロックを粉微塵に吹き飛ばした。
「マ、マジか! ホンマにか! なんやそれ! なんやそれ! かめはめ波か! それともトリックなんか」
「タネや仕掛けはあるで。やけどトリックやない。魔法や」
そういうと阿久刀はカードをポケットから出した。
「いやいや、オレはそんな嘘信じひんぞ。フラッシュコットンをピアノ線に巻き付けてブロックに繋いだんやろ!」
「ワシがやっても信じてもらえんのは想定済みや。せやから波羅君。アンタにやってもらいたいんや」
阿久刀は、小さく「ムボヤイァフ」と唱えておいて、波羅にカードを渡した。
波羅はカードを持つと、裏から透かしてみたり振ったりしてみた。
「このカード、阿久刀君の手作りや無さそうやな、どこで買うたん?」
「入手方法については企業秘密ですわ、奥さん」
「表側もしっかりデザインされとって、ホンマにラグジュアリーですわー。って、誰が奥さんじゃ」
「ええから波羅君。早よ飛ばせや」
「早よ飛ばせってどないしたらええねん」
「せやせや、呪文伝えるの忘れとったわ。そいつの呪文は<ファイヤボム>な」
「そのまんまやないか」
「ハッハッハ。それはそのまんまや。呪文唱えたら、あとは掌から屁ぇこくつもりになったらええねん。ババ垂らし君ならものごっつ簡単やろ」
「波羅唯志やっちゅうねん。<ファイヤボム>。行くで」
「ワシに向けんなや」
「アホか、分かっとるわ」
大きな火の玉が波羅の掌から弾け飛ぶ。積んであるブロックに着弾すると轟音を立てて爆発した。
「波羅君、屁ぇがでかすぎるわ」
「ホンマに出たぞ。阿久刀君、ホンマに魔法出たぞ」
「せやからおもろいもん見せたる言うたやん」
「でも、アレはでかすぎるわ。どうやったら小さくなるん」
「そりゃあ波羅君の尻の穴と相談やろ」
「屁ぇちゃうわ。阿久刀君のはそない大きくなかったやん」
「人様のペニスつかまえてちっちゃかった言うのは失礼やろ」
「魔法の話やて。サイズを変えたりはできるんか」
「それは修行しだいやろなあ。どや、そのカード欲しゅうなったやろ」
波羅はもう一度カードを見てから頷くと、阿久刀は笑う。
「ええで。波羅君は特別やからな安うしといたるで。ちなみに波羅君ならどんくらい出せる?」
「三千円?」
「はあ、波羅君やからせっかく安うしといたろ思たんに。ケタが違うなあ。ええわ、別の人に使うてもらお」
「ちょいちょいちょい待ち。手持ち一万しかあらへんねん」
「くぁー、波羅君商売上手言われるやろ。せやなあ、しゃあない。特別にその背中のノートPCも付けてくれたら、一万で手を打とか」
波羅はそそくさと財布から一万円抜き取ると、背中のバッグと一緒に阿久刀に手渡した。
「波羅君やから特別やからな。なあ、波羅君の友だちに異世界から戻ってきたもん、いてへん? 実は同じカードもう一枚あってな、これも譲ろかな思うてん」
その後、阿久刀は、波羅の連れてきた友だちにもカードを購入させた。そのとき波羅に値段をつけさせた。「自分は得した」と思いたい心理から、波羅はより高い値段をつける。
「波羅君の友だちやから特別に安うしてやってもええよ」
そう言いつつ結局、波羅より5割増しの金額になった。相手が悩んでいるとこう言う。
「せやなあ、友だち連れてきてくれたら、もう少し安うしても構わんで」
こうして、阿久刀からのカード購入者はネズミ算式に増えて行った。
「新しいカード手に入れたんやけど、波羅君、声かけてくれたら1割くらいあげてもええで。10人集めたら元取れるやん。昨日買うてもろうた人に声かけたらええで」
阿久刀は波羅以外にも幹部扱いの人間を数人作り、同じように人を集めさせ、カードを売り捌いた。わずか2日で数百万円を荒稼ぎし、百人ほどの人間を潜在的に阿久刀の影響下に置いた。
後に公安や一部メディアから、<アトゥクーダ>(何処より来たる者か、の意)と呼ばれることになる魔法使い集団の筆頭が、この阿久刀空海である。
そして、彼はその名前の響きから「悪党」と呼ばれることになる。
◆□◆013―B 曽祢虎太郎
都内某ホテルの小会議室はゲームイベントにも使われていて、そこに集まる者にとって親しみ深い場所である。
だが、数ヶ月前とは集まる内容がまるで違っていた。
もはや大人気の自己啓発セミナーといった雰囲気だ。
「<帰還者>の集い」と銘打ったこの会は、会費が三千円だったが120人もの参加者があった。
本来セットされていたパーティションを外してもらい、隣室から椅子をかき集めてくることになった。
単なるコンベンションにこれだけの人が集まる理由の1つは、主催者が<スペリオルドミネーター>であることが挙げられる。
彼らは初日の連続爆破事件の首魁と目されていた。
注目されれば人が集まる。興味、関心、羨望、憧憬、賞賛、懐疑、不安、信仰、陶酔。様々な感情を飲み込むカリスマ性が、前に座る幹部連中にはあるのかもしれない。退屈を打破する何かが彼らに備わっているようだった。
もう一つの理由が、カードの無料配布だ。
<スペリオルドミネーター>は<擬神化>について技術を持っていた。
今回配布されるのは「エアガン」の<擬神化>カードと言われている。
入場料が有料なので、実質三千円で買うようなものである。
<擬神化>の技術は、入場の際にも利用されている。
会場に入る際に、<帰還者>であるか確かめるために宣誓書を読まされる。その宣誓書には、意味不明な文字列が挿入されている。カード化のための文言が入れているのだ。
(ここに宣誓するYa37NR5我々は闘うM92LdoSこのペンをもって)といった具合である。
<帰還者>ならば、ペンがカード化する。そうでなければ、来訪意図を聞いて追い返す。
なお、カード化したペンは<アンサイジングコード>を入力しなければ、一定時間の後にまたペンに戻るのでその場で回収している。
<擬神化>に精通したやり口である。
鷺沼有楽と狛取恭介は、この会に参加していた。
一見親子に見えるが、鷺沼は「第三方面のぐうたら巡査長」のあだ名をほしいままにしている警察官で、狛取は「警備部敏腕係長」の息子である。
狛取恭介の父、路敏はこの会に潜入して調査するつもりだったが、入場審査を抜けられないことを知ると、その役目を息子に依頼した。
最初の爆破声明のニュースを見た恭介が<帰還者>であることを父に打ち明けていたからである。
いくら正義感に強く、わずか数日で大きく成長したように見える息子でも、たったひとりで潜入させるわけにはいかなかった。
そこで白羽の矢が立ったのが、鷺沼である。
息子によれば異世界とやらで仲間になったという。
ダラダラと書類作成をしていた鷺沼が公安に呼ばれたものだから、同じ署の人間は「ギヌマー、ついにやらかしたか」と噂しあった。
実際は、敏腕係長に息子を頼むと頭をさげられたのだから、鷺沼としてものほほんとしているわけにはいかない。ただ、相手が狛取恭介なのが複雑な気分だった。
狛取恭介は父親の前では真面目一徹だが、鷺沼の前では奔放な本性をさらけ出す。盗聴器や録音機器、カメラなどを取り付ける前にトイレに行きたいと言い出した恭介は、鷺沼の手を引いた。
「マウラーさんとこんな形で組むとは思いませんでしたよ」
「ほ、本官が全力で護衛いたしますのでご安心ください」
「そんながっかりした顔で言わないでよ」
さらに狛取は鷺沼の耳元に唇を寄せて囁く。
「恋人が地球では男子中学生でゴメンね」
盗聴器や録音機器、カメラなどを体中に仕掛ける前で良かったと、鷺沼は全身に冷や汗を流している。
異世界で狛取はロビンという名の女性だったのだ。そして、一年ほど相棒として暮らしてきたのだ。
「少々サギに遭った気分ですが、任務に私情を挟みませんのでご安心ください」
「泣かない泣かない。これでも、ロビンちゃんっぽい雰囲気出せるように服選んできたんだよ。父さんにバレないように微妙にメイクだってしてんだから」
なんとなく異世界の頃と印象が重なるのも複雑だ。
「このくそ中坊が」
鷺沼は狛取を引き寄せて抱きしめる。
「絶対に俺が守るから、危ねえことすんじゃねぇぞ、ロビン」
土のようなにおいのする鷺沼の肩にあごを乗っけて狛取は頷く。
「ハイ、質問いいですかー」
危ないことはやめろと言っておいたのに、狛取恭介は、曽祢虎太郎のスピーチの最中に質問をはじめた。
曽祢虎太郎は<スペリオルドミネーター>のトップの男だ。つまりメインスピーチの最中である。
鷺沼は、彼の講演の中に、破壊活動を助長するような内容はないか珍しく真面目に聞いていたので、狛取が立ち上がる気配を見逃していた。
「ば、バカおめぇ」
ステージの男は芝居がかった素振りで笑ってみせる。
「ハッハッハ。同志には寛大であれ。どうぞ、そこの勇気ある少年」
鷺沼が手を引いて座らせようとするが、狛取は振り払った。
「ハイ。<ウイルス進化説>を引き合いに出して、<帰還者>が他の人間よりも進化したって言ってたけど、<帰還者>と<帰還者>以外の人々に優劣の差があるかは疑問が残ります」
「ほう? どういうことかきいてみましょうか」
「ぼくらがウイルスのような何かによって、これまでとは違う形質を手に入れたことは疑念の余地はない。そこまではいいんです。それが遺伝する形質なのかがまだ分かってないですよね。つまり、ぼくらの子どもが同じような形質を持っていない場合、あなたのおっしゃるような下等な生物に戻るのかという疑問が一点。あなたの後ろでふわふわ飛んでる爆弾小僧はあなたからエネルギーを得て目的を果たすわけですよね。これを進化というなら、お腹の中にサナダムシを飼ってダイエットに成功すれば進化といえるわけですか。以上の2点です」
座がシーンと静まった。静寂を破ったのは曽祢虎太郎の拍手だった。鷺沼は反射的に狛取をガードできる位置に立ち上がっていた。
「勇気ある少年よ。物怖じしないその性格、大変気に入りました。反論もとても論理的だと感じました。だが、こう言われませんか。キミはバカかと」
図星なのか目をそらす狛取。狼狽える鷺沼。
「とても住みづらい世の中を生きていることでしょう。優秀な才能が正当に評価されない。希望するものが手に入らない。人生最後の嘆きが、ああ異世界の方がよかったな、だなんて哀れな人生を送らされているのは誰のせいだ」
「誰のせいだ!」
幹部たちが復唱する。
「誰のせいだ!」
煽る曽祢虎太郎。
「誰のせいだ!」
会場も次第に熱狂していく。
「誰のせいだ!」
「誰のせいだ!!」
「それは」
曽祢虎太郎は会場を静まらせる。
「我々に寄生してあらゆるものを搾取し、肥え狂うサナダムシのような、一部の特権階級のヤツらのせいだとは思いませんか、みなさん! そうだ! そうだ!」
会場の客は総立ちになって絶叫する。そうだそうだの声が唸り声のように会場の外まで響き渡る。
「ヤツのマイクパフォーマンスハンパねぇな」
鷺沼は呟いた。そして、狛取の腕を引いて入り口近くの壁に退避する。
「一部の特権階級? 誰だ! 金持ちだ! 政治家だ! 権力者だ! さあ、コイツでみんなバンバンバンだ。受け取れ進化したものたちよ! イエス! ウィーアー<スペリオルドミネーター>!」
幹部たちが立ち上がってステージに上がると、カードをばらまきはじめる。客たちは前方に押し寄せる。壁際に避けておいてよかったと鷺沼は思った。騒ぎに乗じて、狛取が踏まれて蹴られて怪我を負わされていたかもしれない。
足元にカードが飛んできて、狛取が拾おうとしたのを鷺沼が止める。
「証拠だ。ハンカチ使え」
ハンカチを持ち合わせていない狛取が鷺沼に掌を見せる。鷺沼は、舌打ちして自分のハンカチを狛取の掌に乗せてやる。
カードをよく見ると、モデルガンではなく、3Dプリンタ製の銃だった。彼ら<スペリオルドミネーター>は、コピー機や3Dプリンタを<擬神化>して、カードや物品を複製していると思われる。
ステージではまだ熱狂の雄叫びは続いている。
「いいか、進化した者たちよ。1回だけしか言わないからな。コードは<イートザリッチ>だ」
次々と3Dプリンタ製の銃が<アンサイジング>される。ドラゴンのような姿のものが使用者の傍らに立った。
「これで要件成立。ロビン、口元を押さえて隠れてろ」
狛取は壁際にしゃがみこむ。壁ドンするようにして鷺沼が狛取の身体を守る。
扉をゴンゴンと突く音が聞こえて、バンと開いた瞬間、催涙弾が投げ込まれた。会議室は真っ白に包まれる。めちゃくちゃに発砲する音が聞こえる。
「待て、撃つんじゃない! 早くみんな入り口に向かって逃げろ!」
曽祢虎太郎の声が聞こえる。
開いたドアから踏み込んでくる者たちがいる。鷺沼の「要件成立」の声を合図に突入した機動隊だ。
パニックになった人々は声に従って機動隊にぶつかる方向へ動いていく。入り口に向かっていく人垣を盾にして、奥のパーティションのロックを外し隣室に転がり込む虎太郎。そして、ついていく幹部数名。
だが、それも読まれていたらしく、別の入り口からなだれ込んだ機動隊によって捕えられた。
「怪我はないか、ロビン」
「マウラーさん!」
狛取が見上げると鷺沼の顔の半分が血に濡れていた。力なく沈みかける鷺沼の身体を抱きしめて支えた。
回復魔法が使えない自分の無力さが悔しくて悔しくて、狛取の歯の根はガタガタ鳴った。
「泣くなロビン。ちっちぇ豆が頭かすって、肩撃ち抜いたってだけだ。さて、本官は仕事しすぎたので寝るであります」
「マウラーさん!」
◆□◆
「連続爆破事件の犯人逮捕。テロ組織<スペリオルドミネーター>の主犯格と見られる自称会社員の男と幹部4人を取り調べ中。逮捕の際、銃撃戦となり警察関係者1名が負傷。全治3ヶ月の重傷。命に別状はなし。なんやこれだけかいな」
ごくごく小さなネットニュースを見つけて、阿久刀空海は呟いた。
「ウチらはもっと上手にやったるで。なあ、波羅君」
阿久刀と7人の幹部は立ち上がって人混みに消えた。