011 癒しの女神にはどこに行けば会えますか
◆□◆011―A 案外女神は見当たらない
「ああ、そっちはよろしく頼むせ、バジル」
樺地瑠羽仁との通話を終えた蔵人は、館内に戻る。
「イクス探しやってくれるって?」
ロビーで待っていた喜久恵は聞いた。
「リアの<バビロン>が、虎の目撃談を拾ったんだが、おいらはハズレだと思うんだ」
「え? なんで?」
「当のイクスが目撃されてない上に、目撃された虎には牙がないようなんだ」
「せやな。<山丹>は<剣牙虎>やもんなあ」
<山丹>とはイクスがまたがる騎乗生物で、口元に大きな牙が生えている。目撃すればきっとその牙が印象に残るはずである。
「まあ、胴体の一部だけ見てトラと判断した可能性もあるしな。イクス捜索に関しては、見逃しの失敗より空振りの方が比較にならないくらいよい」
「こっちの世界に来とるなら、もう一昼夜が経っとるもんなぁ。早よ見つけたらなしんどいやろ」
美術館のロビーから順路に従って展示物を鑑賞する。目的物は決まっているから2人は足早に進んでいく。
そのペースのまま歩いていき、結局出口までやってきてしまった。
「案外、女神をモチーフにした絵画とか彫像ってないんやなあ」
「あったじゃねえか、豊穣の女神」
「ややわ、土偶とか」
「おいらが狙っているのは土偶よりちょっと後か、同じくらいの時代のもんだからなあ。しょうがねえ、もう一ヶ所行こう」
二人は巨大な象のオブジェをペちペち触ってからその場を去る。
蔵人の年季の入った車の中で話しあう。
「クランちゃん。今さら聞くのも何なんやけどな。癒しの女神を<擬神化>して、治癒能力とか回復能力を得たいわけやん。具体的にどんな女神がおるん?」
「神話の中で治療の神と位置づけられてる女神ってことか?」
「そうそう」
「<バビロン>に聞けば一発だろうが、おいらの知識の限りでしかないから、当然大まかなことしか言えねえぞ」
「構わへんよー」
「まず、ギリシャ神話で名医として名高いアスクレピオスの娘たちだな。長女のヒュギエイアは健康の女神で、彼女のもつ杯は薬学の象徴だ。妹のパナケイアの方がどんぴしゃで回復の女神だ。全てを癒す能力を持つところから、錬金術師たちはエリクシールの材料を彼女の名前で呼んだ。今でも『パナケア』と言ったら万能薬のことを示している。他の姉妹も癒しに関わっている」
「病院とか行かな、飾っとらんのやろか」
「さあ、どうだろう。他に、北欧神話では、ワルキューレの一人が死者蘇生の女神だ。エイルという名で治療全般を司っている。これも絵画になっているのは珍しいな」
「なんであんまり美術品にならんのやろか」
「目の前にいる女性を己の感性のままに美しく描きたいってのが、絵師の性分だからさ。現実の女性に仮託して理想の女性を描き、そこに杯や羽、蛇や小麦といった品物を持たせて神性を付与するわけさ」
「なるほどね。神話の登場人物を描きたいって動機で描いたり造ったりする人が少ないんやな。せやけど、なかったら仏像まで範囲拡げなやろか」
「対象の目的が信仰か鑑賞かの違いだけだな。大差はない」
車は西に向きを変える。蔵人は駐車場を探す。
「おいらのオススメは、蛤貝比売だな」
「ウムギヒメ? 」
「大国主が全身火傷で死にかけたことがある。そこに現れたのが二人の姫だ。キサ貝比売は貝を削って粉を作り、蛤貝比売はそれを母乳に混ぜて塗り見事大国主を蘇生させたってのが『古事記』にある」
「あらかじめ言うとくけどウチ母乳出せへんよ」
「レンが母乳ぶちまけながらヒールワークしてるとこ想像したらなかなか愉快な構図だな」
異世界では、矢車喜久恵は、大型ハンマー片手に治癒魔法を使って戦場を駆け巡るヒーラーであった。かけて回るのが魔法ではなく母乳だったら喜久恵でなくても滑稽だ。
「出えへんし」
有料駐車場を見つけて車を停める。
ランドマークとなる総合文化センター側からペデストリアンデッキを通って、美術館に入る。美術館はガラス張りだが、巨大な竹細工のカゴを上から嵌め込んだような外観である。
「クランちゃん。<強奪>って概念が出てくるってことはあらへんやろか」
喜久恵はカードを巡って誰かと闘うことになる場合を考えている。これほど苦労してカードづくりをしているのに、あっさりと奪われては骨折り損と思ったのだろう。
「今朝、たんぽぽの<紅颯>を借りたんだ。<アンサイジング>したままカードだけ返したんだが、<紅颯>はまだおいら側にいた。つまり<アンサイジング>中にカードを<強奪>されてもあまり影響はないと言える」
「もう試しとったんか。クランちゃん抜け目ないなー」
「<紅颯>本体を<強奪>されても、<アンサイジング>解除すればいいだけの話だ。一番いやな<強奪>は、<アンサイジング>前にカードとコードの両方を<強奪>されることだ」
「たしかに」
「だからディルにコイツを作ってもらった」
蔵人は、<収納具>のカードを取り出す。
「『これにカードを収納しているとき、このカードと収納されたカードは他人に譲渡できない。また、<強奪>などの他のカードの影響を受けない』って<細則>で規定しようと考えている」
「じゃあ収納してないときは、盗られる可能性もあるってこと?」
「おいらたちが逆の立場に立つこともあるだろう?」
相手のカードが恐ろしく強くて絶体絶命のとき、<強奪>の余地を残すことで、<アンサイジング>解除を迫ることができるのだ。<擬神化>の場合、再び<アンサイジング>する手間をとらせれば接近して両手で叩くこともできる。
「クランちゃん、夕べ早く寝たのにいつの間にそんなこと考えとったん? 早起きしたとき?」
「いや、たんぽぽを駅まで迎えに行ったとき、おめぇ『最強のカードはなんだ』って聞いたろ? あの時、おいらは<強奪>なんじゃねえかって思った。物理的に防ぐ方法は思いつかなかったが、カードを使ってならなんとかできるんじゃねえかって考えた」
「はあ、相変わらずウチの先の先を行ってるなぁ。サブギルとしては少々自信なくすわ」
「んなことねぇよ。おいらのサブが務まるのはおめぇしかいねぇよ、レン」
喜久恵は耳まで赤くする。
「クランちゃん、<にゃあ>に<肉体変化>して抱っこさせてくれへん?」
「人前で使うカードじゃねえって」
「物陰いこ、な。お願いしますー」
蔵人は渋々了解する。異世界ならばその恰好で走り回っていたが、地球世界ではただのぬいぐるみを装わねばならぬ。
喜久恵の良い香りのする首元に鼻先を埋めて、館内を抱きかかえられて見て回ることとなった。
収蔵品一覧には女神に関するものはなかった。企画展あたりに何かしらあるのではないかとも思ったのだが、残念ながらみつからなかった。
結局ショップにあったポストカードにだけヒュギエイアが載っていた。クリムトの『医学』の一部だ。この作品はナチス親衛隊が収蔵していた城を焼いたため焼失し、現存していない。
「今日のところはそれでいいんじゃねぇか?」
蔵人はぬいぐるみ姿のまま、ひそひそと耳打ちする。
「これ、<擬神化>したら星いくつやろ」
喜久恵は独り言ほどの声で呟く。休日なのでそこそこ人はいるというのに、大胆不敵だ。だが、蔵人まで大声を出すわけにはいかない。
「それこそ4じゃねえか? <複製>すりゃあ二つ星、その<複製>なら一つ星。カード化して<複製>するよりは、このポストカードいくつか買った方がいいだろうな」
「売ってるのこれ一枚だけやわ。しゃあない。ドリィの好きそうなミュシャのポストカードも買っといたろ」
あまり芳しい収穫はなかったが、蔵人との美術館デートが叶い喜久恵はご機嫌だった。そんなウキウキの喜久恵の前に二人のスーツの男が立ちはだかった。
「あ、堪忍」
ぶつかりそうになったので喜久恵が謝りながら避けると、男の一人は明らかに行く手を遮った。
「警察のものです。こちらにいらしたとき、佐治蔵人さんと一緒にいらっしゃいましたね。どこか静かなところでお話できると嬉しいのですが」
男のしゃべり方は「ノー」を言わせない迫力があった。
喜久恵は男のあとについて、総合文化センター側に移動した。
後ろにラフな服装の男性二人がついてきているのを見た蔵人は、喜久恵にひそひそと「囲まれている。真実を話して向こうの狙いを聞きだそう」と告げた。
◆□◆011―B 正義の味方は世知辛い
総合文化センターは複合施設になっていて、12階からは客室も作られている。
喜久恵は小さく深呼吸する。まさか、上へと連れていかれるとは思ってもいなかった。
四人の男に囲まれてエレベーターに乗るのは生きた心地もしなかった。胸にぬいぐるみ姿の蔵人を抱きしめていなければ、走り出していたかもしれない。
「ドアは開けといてもらえますか? 監禁罪で訴えられたらかなわんでしょ?」
喜久恵は機先を制する。私服のひとりは苦労してドアに靴べらを挟む。
「エグゼクティブ言うたら、1泊4万はするんやろ? 大層資金あるんやなあ、公安て」
奥のソファに座らされる。斜向かいのソファにスーツの二人が座る。椅子を並べてラフな服の二人が座る。ベッドとラフな服の二人で脱出口は塞がれることになった。ドアは開けているものの、実質監禁されたも同然だ。
「公安警察の者だと名乗った覚えはありませんよ」
「ウチらに事情を聞かはりたいんやないかと思いまして」
「ウチら?」
スーツの男の一人が代表して喋るらしい。警察官の中でもエリートな者しか公安警察にはなれないらしい。少しの言葉尻すら見逃してはもらえない。
(一介のペットショップ店員には骨が折れるわぁ)
「ウチらはあるゲームのユーザーです。昨日午前零時から8時までの間、異世界に行っていました。異世界からの<帰還者>は日本だけでおよそ数万人はおるやろうと思います」
本当の話をすることで、何とか【ドロップアウトスターズ】のことを出さずに済んだ。
眼鏡をかけた喋る係の男だけが頷く。他の3人はまさに尋問といった雰囲気で睨んでいる。
「その話をしてくれるのは、君と一緒にいた佐治蔵人さんだと思って声をかけたんですが。あなたも話を聞かせてくれるということでよろしいですか?」
「こんな眉唾もんの話を真面目に聞かはるなんて。相当困ってはるんやないですか?」
(交渉はウチの係やないんやけどなあ。マリちゃんの真似して頑張ろ)
マリちゃんというのは【工房ハナノナ】のメンバーで、おそらくいまだに異世界に残っている。彼女は相手の感情を煽ることで相手に隙を作らせるスタイルの交渉を行う。深窓の令嬢といった表情のうちに鋭い刃を隠す。要するにおっとりぽっちゃり系の喜久恵と正反対だ。
「警察関連職員は約30万人います。退職したものや家族も含めればもっとたくさんです。現状を理解するのに苦労はしていません。佐治さんから情報提供を申し出られたというので、お話が聞ければと思ったのです。佐治さんがどちらに行ったかご存知なければ、私たちで調査しますので今日はお引き取りいただいて構いません」
警察組織の中にも<帰還者>はいるのだろう。ただ、テロのメンバーがどうやって犯罪を犯しているかまでは特定できていないに違いない。でなければ、こうやって話を聞く必要もない。
しかし、ここで彼らに必要な情報を提供できなければ、ここから去るのに尾行される上、<落星舎>に張り込みをつけられるのは目に見えている。
「ウチらはカードを使えます。<帰還者>はそのカードを自分で作ることができる」
喜久恵はほんの少しだけ白状する。
「よかったらここでやって見せてもらえませんか」
喜久恵は辺りを見る。全てホテルの備品だ。器物損壊や窃盗の罪に問われてはまずい。
「何か無くなってもええもんもらえます?」
眼鏡の男が、几帳面にハンカチで眼鏡を拭いてから喜久恵に手渡した。
「確認やけど、ウチがもろてええんやね? 公安の刑事さん。お名前聞いてもええ?」
「どうぞ、私は谷渡と言います」
「ありがとう。ウチは矢車喜久恵」
3つのアルファベットを小さく呟いて「眼鏡」を指定する。
カード化が始まる。4人の男の目には、眼鏡が突然消えカードが現れるというクロースアップマジックにしか映らなかったことだろう。
だが、男たちは眉一つ動かさない。
「タニワタリ」
喜久恵の目には「アンサイジング初期パスコードに設定しますか。はい/いいえ」のポップアップが見えているが、4人にはまるで見えていないだろう。
メガネザルのような精霊が現れても、4人はカードしか見ていない。
「そうやなあ。ニックネームは<猿渡>な。いやいや、谷渡さんのことやあらへんで。ニックネームつけたら<アンサイジング>したときよく命令聞いてくれるんよ。<猿渡>、谷渡さんの目を覆って」
「む!」
ここまでほとんど表情を変えることのなかった谷渡が鋭い表情をした。
「カードの柄がよう見えるようになったんと違います? じゃあ<猿渡>、隣のお兄さんに」
順々に視力に影響を与えて、<猿渡>の能力を理解させる。
「リタワニタ」
<アンサイジング>を解除し、谷渡に手を開かせる。その手にカードを置く。喜久恵はカードに指を触れたまま言った。
「もう一度、お名前を言うてもらえます?」
「谷渡」
予想通り、喜久恵がカードに触れていたため、谷渡にも<アンサイジング>ができた。
「ウチの力の影響がある限りは、<猿渡>も使えるはずです。よかったらそのカード持ってっておくれやす。他に聞きたいことはあります?」
谷渡は頷く。
「そのカードを使って破壊行為を行うことも可能かな?」
「火災、爆破、地震、凍結。必要なカードさえ作れば、それは可能やろなあ。<猿渡>はあきませんよ。ペン一本持ち上げられへん」
「例えば、<爆破>のカードを所持する者を見つけたとして、逮捕したり拘束したりすることは可能だろうか」
「うーん、どやろ。まずはカードを奪わなあかんわなあ。でも、<アンサイジング>を解除しとらんかったら、カードだけ奪ってもせんないことやから、カードの持ち主に解除コード言わさなあきません」
「解除コード?」
不思議なことに4人は一切メモを取らなかった。
そこでようやく喜久恵は気付く。
この部屋にはたくさんのカメラや集音マイクが仕込まれているのだ。取り調べ室で取り調べられる以上の取り調べを受けているということを理解した。
だが、喜久恵は落ち着いて説明することに専念した。
「タニワタリを逆から読めば、<猿渡>の<アンサイジング>を解除することができます。逆に、いくらカードを奪っても、解除コードを言わさんと、手錠だろうが留置所だろうが<爆破>とかできることに・・・なるなあ」
言いながら恐ろしい気分になる。
谷渡が目で合図をすると、3人は立ち上がって部屋を出た。
「どうやら我々と危機感を共有していただけたようだ。3人には通常の業務に戻ってもらいました」
「威圧感ハンパないからそれは助かりますー。次に会う時は谷渡さんだけにしてください」
「ええ、そうさせてもらいます。残念ながら私は名刺を持ち合わせていません。何かあった際はこちらから出向くという形をとらせてもらいましょう。矢車さんのお勤めの場所をお聞きしても?」
谷渡は喜久恵の勤務するペットショップのことを聞き始めた。喜久恵が出勤する曜日、時間帯などこと細かく聞き出した。そこから10分ほどは四方山話が続いた。
腕時計を見た谷渡は、立ち上がりながら言う。
「貴重なお休みの日に時間をいただきありがとうございました。それではお気をつけて」
谷渡は最後まで腰の低い態度を崩さず、エレベーターまで見送った。
エレベーターに乗ると、ようやく喜久恵の耳元にぬいぐるみ姿の蔵人がひそひそと話しかけてきた。
「ご苦労さん。だが、車に盗聴器が仕掛けられてないか確かめるまでは気を抜かねぇでくれ」
「まさか」
喜久恵も囁く。
「意味のねえ無駄話なんかしねえさ。あの10分で3人が何らかの仕掛けをしたと見て間違いねえだろう。今頃、谷渡さんはカメラやマイクの片付けで大忙しだろうな」
「引き返したらおおごとになるやろか」
「やめといた方がいい。エレベーター止められるか、部屋の前でブロックされるかどっちかだ。発車するときは、おいらを後部座席に置いてもらっていいか? この姿にシートベルトつけるのも怪しいだろ。コンビニかどっかで車停めてくれー」
「了!」
蔵人は、今の4人がきちんと警察関係者だったらいいと思っている。地球世界の危機であるかもしれない事態に対して迅速に対応しているのだとすると、信頼がおける。
イヤなのは、利益の追求のために違法行為も辞さないような集団である場合だ。わずかながらその可能性もある。
警察関係者だとすればおそらく、蔵人が接触を図ってきたことを知り、Nシステムや館内の防犯カメラなどから蔵人たちが美術館にいることを突き止めたのだろう。
客室にしても、連休前から押さえていたとは考えにくい。コネクションを生かし他の客がチェックインするまで限定的に部屋を借りた、とすれば予算も少なくて済む。
あとは、車に追跡装置を仕込めばわずかな労力と予算で本拠地を押さえられる。
むしろ追跡装置がありますようにと蔵人は願う。
亜咲実のような追跡能力を使っていたり、衛星やあらゆる防犯カメラやドライブレコーダーを乗っ取って監視していたり、見える範囲の人々を関係者とすり替えて見張っていたりしながら、何食わぬ顔で接触してきたとしたらそちらの方が恐ろしい。
作戦通り後部座席に蔵人は転がされる。喜久恵が運転席に座る。座席を前後に動かして調整する。
「<リフレクタ>」
突然蔵人が<概念具現化>のカードを使う。
「どないした、クランちゃん」
ひそひそと喜久恵がミラー越しに喋る。
「普通に喋っても平気だぜ。音波も電波も位置情報も<反射>させてある。運転席の下に通話状態のケータイを置くとはね。とばしのケータイってヤツか。これだったら後部座席を勝手に開けたこと以外、大問題にならずに済むもんな。ホレ」
喜久恵はソフトボール大のギラギラ輝く玉を手渡される。<反射>の能力で携帯電話を包んであるのだ。
「壊れないように運転席の外にそっと置いてやってくれ。これもきっと公費だろうしなー」
「正義の味方って世知辛いんやねー」